epilogue「もしもなんてない私だけの世界」(終)


    ± ± ±


 気がつくと電車の車内に一人立っていた。

 乗客はなく、曙光よりも白くて眩しい光が車内を包んでいる。

 ふと、ぐらりと身体が傾ぐと慌てて近くのスタンションポールを掴む。銀色の棒に映った歪んだ自画像を見て夕璃は息を呑んだ。


「戻ってます」


 恐る恐る自らの身体に目を向けるとセーラーから伸びる白い腕が見えた。触ってみるとひんやりとしていていたが、同時に内側からドクンと脈を打つのを感じた。

 それから顔に手を伸ばそうとしたとき、ふと近くに人の気配を感じた。


「…………ユーリ?」

「…………うん」


 夕焼けに照らされた瑠璃色の瞳が夕璃を見つめていた。双子の弟がいたらきっとこんな顔をしているであろう、自分とうり二つの少年。想像していた通り、見るからに頼りなさそうな風体でつり革とつり革の間に立ち尽くしていた。


「ごめんなさい。私、あなたの時間をしばらく借りてしまいました」

「いいよ。別にキミが望んでしたことじゃないことは知っているから。それはそうとオレの友達はヘンなヤツばっかりだったでしょ?」

「はい、それはまあ否定は…………しません」

「あはは」


 無防備で溶けるような少年の笑顔を夕璃は不思議な気分で眺めた。そして、自分もこういう顔で笑えるだろうかと訝しんだ。それにしたって一人称が合っていないのがつくづく惜しい。


「ええと、あの黒幕?みたいな人はどうしました?」

「うん。あの『時空の魔女』は欲しいものが手に入ったからもう興味は微塵もないらしいよ。キミの身体から追い出すなり、さっさと元のセカイに帰れだって。ホント、勝手だよねえ」

「『魔女』? あの人、女性だったんですか!?」

「あー、そこに驚くんだ…………」

「あの人、何なんですか!?」


 すっかり忘れていた怒りが沸々とこみ上げてくる。そうだ、元の世界に戻ったら必ず頬を張り倒すと心に決めていたのだ。


「まあまあ。あの魔女が時空の糸を弄っていなかったらキミは死んでいたんだから。彼女は時空の『管理人』みたいなものだよ。本来はバグに対しては偶然に偶然を重ねてご都合主義で済ませるみたいだけどね。自分の身内だからその辺タガが緩んだのかな、いや、たぶんただの嫌がらせだな」

「ふんがー!」


 夕里はケラケラ笑っていたが(それにしてもよく笑うヤツだ)、最後にフッと微笑むと右掌を挙げた。


「名残惜しいけど、もうお別れだ。キミはあちら側、オレはこちら側に帰らないと」


 夕里の背中越しに車両の連結部分が見えた。扉の奥は真っ白な光に包まれて何も見えなかったが、その先が自分の未来であることが理解を越えてわかった。


「はい、本当にありがとうございました!」


 元々一人だったユ(ウ)リの掌が重なるとパンっと乾いた音を立てた。さよなら、は言わない。なぜなら私たちは同じ魂を持つのだから―――。

 走り出そうと足を踏み出しかけたとき、夕璃はふと言い忘れたことがあることに気づいた。


「―――二見若紫が、私の親友がそっちの生徒会に入るからよろしくお願いします。勝手気ままな猫みたいな子ですが、すっごくいい子ですから!」


 振り向きざま夕里が目を瞠るのが見えた。


「ウソ、二見さん…………が!?」


 二の句が続けられず池の鯉のように口をパクパクさせていたが、視界から消える直前、掠れるような声で「ありがとう」と言ったのが確かに聞こえた。


「??? どういたしまして?」


 なぜ礼を言われたのかわからなかったが、夕璃はとりあえずそう言うと連結部分の扉をスライドさせる。最後にもう一度だけ振り返ると夕里の後ろ姿が見えた。


    - - - 


 目が覚めて最初に飛び込んできたのは燃えるように真っ赤に染まったカーテンだった。その色は別れしなに見た耳たぶの色によく似ていた。


「―――あ」


 全てを思い出した。自分が今までどこにいて、どうして病室のベッドで寝ているのかを。そして、こちらの世界では問題は何一つ解決していないことも―――。


「そうです! こんなことをしている場合ではないんです!」


 張り付いた点滴のチューブを外すと腕に力を込める。一瞬意識が遠くなりかけたが、上体がゆっくりと起き上がり始めた。モダンバレエで鍛え上げた身体能力は伊達ではなく、二日間意識不明になったぐらいではびくともしない。


「―――おまえ、何してんだ!?」


 顔を上げると葵井蛍が病室の扉に立っているのが見えた。


「…………ホタル?」


 既視感と未視感がごちゃ混ぜになり、葵井蛍の整った顔につかの間照れ臭そうに自らの夢を語る少年のものが重なる。


「おまえは本当にバカなのか!? チッ、まったく何を考えているんだ」


 罵詈雑言を吐きながら蛍は近づくと荒々しく夕璃の肩に手を置いた。そのときビクンと大きく震えたのははたして夕璃だったか。大きくかぶりを振ると蛍は手を離した。


「上着ぐらい着ろ」


 そう言うとサマーカーディガンを投げて寄越した。懐かしい自分の臭いが鼻孔をくすぐると夕璃はようやく自分が夕里でなくなったことを実感した。


「ホタル」

「なんだ? というかその呼び方は止めろと何度言えば―――」

「”こちら”の『ノーネーム』はもう止まりましたか?」


 壁を見つめる背中から息を呑む音が確かに聞こえた。


「…………まだだ」

「まだ、ですか」


 夕璃はタオルケットの中に戻ると目を閉じた。頭上ではナースコールが響いていた。数分も経たないうちに看護師と医師が、そして、夜には両親も飛んで来るのだろう。

 ようやく取り戻した自分の身体だが、完全に自由になるにはまだもう少し時間が必要らしい。その最短時間を見積もる夕璃の顔にふっと笑みが浮かぶ。それはまるでいたずらを思いついた少年のようだった。


「ホタル」

「…………」

「今からあなたを生徒会会長補佐を任命しますわ」

「…………は?」

「私は明日の昼までに必ず退院します。ですので明日の夕方には犯人の方とお話できるでしょう。ホタルはそのとき一緒についてきてくださいまし」

「おまえ、何を勝手に!? 俺はあのときはっきり言ったよな? 『断る』、と」


 パチリと長い睫毛に縁どられた瞼が開くと夕陽に照らされた瑠璃色の瞳がじっと戸惑う少年を見つめる。


「だから、俺は―――」

「私はホタルを信じていますわ」


 完璧な笑顔。それはまるで夏の向日葵のよう。


「ホタルは必ず私を助けてくれます。現に今だってこうしていてくれるじゃありませんか?」


 蛍の顔が夕陽に染まっていく。今ではもう真っ赤っ赤だ。


「(バーカ)」


 どうやら蛍は自分が眠ってるうちに何もかも自分で解決してしまうつもりだったようだが、そうはさせるものか。そして、それは若紫とて同じことだ。今頃あの親愛なる友人バカはらしくもなくうじうじ悩んでいるに違いない。


 ―――若紫、次会うときはお説教の時間です! 首を洗って待ってなさい! 


「そういうわけで私は体力回復に専念しますので、ホタルはもう帰っていいですわよ。あなたももう生徒会の一員なのですから、与えられた権限でやれることはやってくださいまし。それでは、明日また―――ごきげんよう」

「おい待て、寝るな! ふざけんな! というか、その気持ち悪い喋り方はなんなんだ!?」


 うるさいなあ。夕璃はいかにも億劫そうにもう一度だけ目を開ける。いっそ失恋の事実を突きつけて黙らせてやろうかと思ったが止めてあげた。とにかく猛烈に眠くて仕方がない。もしかしたらまた”あっち”のセカイに舞い戻るんじゃないだろうか。


「これは―――」

「これは?」

「これは決して私のキャラが弱いからテコ入れをしたわけではなく、お嬢様を主人公にしたゲームに少々ハマり過ぎて口調が移ってしまったんですわ、おほほほ」


―――END

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±YOU(プラスマイナスユー)~完璧美少女生徒会長でお嬢様なワタシが冴えないもう一人のボクに生まれ変わったら~ 希依 @hopedependism

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