第102話 初めてを終えて

「そこのバカップルな人、こっちに来なよ」

「ちょっと、柚さん。先輩たちに失礼です」


 神崎さんが結城さんをたしなめる。


 4期生の中では神崎さんが結城さんのブレーキ役らしい。ストレス溜まってないか心配になる。


 結城さんに呼ばれたというより、自分の意思で4期生のところへ行く。

 日頃の労いもしたかったから。

 すると、詩楽もついてきた。


 僕たちの移動に合わせ、野崎さんと阿久津さんがそれぞれの先輩の元へ。


「まあまあ、神崎さん。今日は無礼講だし」

「そうかもしれませんが、普段からですので」

「べつに、あたしも先輩にタメ口だから、気にしない」


 レインボウコネクトは上下関係がゆるい。いちおう、名前だけは先輩呼びする慣習はあるけれど。


「そこまでおっしゃるならわかりました」


 神崎さんは引き下がったものの、釈然としない様子だった。


「神崎さん、いつもお姉さん的ポジションを任せちゃって、ありがとね」

「猪熊さん、恐れ入ります。柚さんとは一緒にいる時間も多いですし、あまり先輩のお手を煩わせるわけにもいきません。わたしがやります」

「気持ちはありがと。でも、神崎さんも自分の活動がある。無理して、心身を壊したら、僕は悲しいよ」

「猪熊さん……」


 神崎さんが目を潤ませる。


「今日は4期生が主役。特別に甘音ちゃんを未来に譲ってあげる」


 詩楽は口では鷹揚さを見せながらも、僕の腕に抱きついてきた。まるで、僕が自分の物と言わんばかりだ。


「奥さんも気苦労が絶えませんなあ」

「柚、未来があなたの介護をしてるせいで、こうなってるんだからね」

「柚たそ、介護されたい。なんなら、甘さんにはオムツ替えてもらおうかな」

「ぶはぁぁっ」


 思わず、ジュースを噴いてしまった。

 僕はフキンで拭きながら。


「冗談でも、マズいんじゃないかな?」

「甘さん、柚たそを女だと意識してるの?」


 年齢より2歳ぐらい幼い外見とはいえ、結城さんもかわいい。

 角が立たないように答えないと。


「まあ、結城さんは女の子だからね」

「ネカマの甘さんが言うと説得力ある」

「柚、バ美肉をネカマ扱いしないで」


 詩楽が唇を尖らせる。


「甘音ちゃんも、はにーちゃんも存在そのものが尊い。性別という概念を超越した、神さまにも近い究極の生命体なんだから」

「僕、そこまで⁉」

「どんだけ愛されてんだか」


 結城さんが呆れたので、オムツうんぬんからの流れをリセットできた。


「ところで、真面目な話をしていい?」


 僕が神崎さんに視線を送る。


「もちろんです」

「神崎さん、初配信を終えた心境は?」

「甘さん、『初体験を終えた心境は?』って、AVアイドルビデオのインタビューなの?」

「ちがうから!」


 神崎さんは真っ赤になって、しゅんと萎れてしまった。


「すいません、昨日はお見苦しいミスをしてしまいまして」


 1日ぐらいでは回復しなかったようだ。


「むしろ、そういうのに無知ってリスナーさんにも伝わったと思うよ」

「ん。真の清楚がうちにも現れたのかもしれない」

「みさん、清楚という名のヤバい奴かもよ」

「あうあうあう」


 神崎さんのキャラが人見知りする系に変わった。


(僕がフォローしたのに、なんでこうなるかな?)


 詩楽はまだしも、結城さんがトドメを刺した。


「とりあえず、ジュースでも飲んでおく?」


 僕がオレンジジュースを渡すと、神崎さんは一息に飲み干す。


「落ち着いてきました。ところで、ご質問のお答えですが」


 律儀な後輩は回復するや、真面目な顔つきになる。


「わたし、元アイドルと言いましたが、無名で……最初は駅前で歌ってたんです。数人しか聞いてくれなかったんですよ」


 神崎さんのメンターになって1ヶ月ちょっと。アイドル時代の話は初めて聞いた。


「デビューの時点で10万人以上の人に見てもらえるなんて、信じられないです」


 神崎さんは珍しく自分の気持ちを語る。

 僕は耳を傾ける。

 詩楽も、結城さんも、真剣に聞いていた。


「でも、同時に怖さも感じました」

「怖さ?」

「ええ。多くの人に見られているということは、失敗のリスクも大きいです」

「そうだね」

「かりに、アイドル時代のわたしがトリッターで失言しても、炎上の規模は小さかったでしょう」


 僕は黙ってうなずく。


「昨日のインタビューの切り抜きがネットで拡散されてるのを見て、影響力の大きさを思い知らされました」

「ん。未来の気持ちわかる。あたしもポン多いし。88事件の悲劇は忘れない」

「夢乃さん、励ましてくださって、ありがとうございます」


 神崎さんは一礼した後、笑顔を決める。


「大変ですが、わたし、がんばります!」


 真面目さの中にも芯の強さを感じさせる、アイドルらしい。


「アイドルをやめて、VTubeになったんです。したいこと、たくさんありますので」


 決意を表明したときだった――。

 誰かのスマホが音を鳴らす。


「あっ、わたしです。すいません、失礼します」


 神崎さんがスマホを持って、席を外す。


「じゃあ、今度は結城さんの番」

「甘さん、柚たそにも初体験の感想聞くの? 処女なんだけど」

「僕、セクハラしてないからね⁉」

「冗談冗談、答えればいいんでしょ」


 あいかわらず面倒くさそうだ。


「VTuber、楽しく稼げて最高だね。配信ダルいけど」

「柚、あなた、舐めプすぎ」


 初配信を終えて、怖さを語った神崎さんと、楽だと言う結城さん。対照的すぎる。


「だってぇ、プレッシャーを感じても、どうにもならないし。だったら、楽して、楽しまなきゃ損でしょ」


 堂々と言い切った。


(その割り切り方、詩楽にも見習ってほしいぐらいかも)


 結城さんぐらい達観していれば、つらい目に遭っても詩楽ひとりで乗り越えられるだろうから。


「あっ、柚たそも電話だ。出たくないなあ」


 と言いながらも、電話に出る。

 電話相手から、ガミガミとなにかを言われていた結城さん。


「うんうん、勉強もしてるから、文句言わせない……じゃあ、切るね」


 一方的に告げて、通話を終えてしまった。

 露骨に不機嫌な顔をしていた。


「結城さん、大丈夫かな?」

「べ、べつに……まだ、食うぞぉ」


 結城さんは唐揚げを口に放り込む。


「すいません、電話で抜けてしまって」


 神崎さんが戻ってくる。

 その声はわずかに震えていた。


「大丈夫。なにかあったの?」

「いいえ。たいしたことじゃありませんから」

「そ、そう?」

「それより、まだ料理が残ってます。食べませんと」


 神崎さんも唐揚げに箸を伸ばした。

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