第98話 デビュー前に
5月最後の土曜日。
いよいよ、レインボウコネクト4期生デビューの日がやってきた。
4人の新人が同日に、持ち時間30分のリレー形式で初配信を行う。
トップバッターは神崎さん、いや、七瀬キララだった。
「猪熊さん、顔出ししないのに、緊張しますね」
配信開始10分前。いつも冷静な神崎さんも緊張しているらしい。
運営会社内にあるスタジオに入ってから、この調子だ。スタジオの雰囲気に当てられたのかもしれない。
(僕のときみたいに自宅からだったら、ちがったのかな?)
緊張をほぐそうとしてみようか。
「僕とふたりきりで狭いスタジオにいるんだもんね。緊張させてごめんね」
「……」
「それとも、ゴツい機材が怖いのかな?」
6畳ぐらいしかないスタジオには、つよつよなデスクトップPC、音響機材がひととおり揃っている。
「いえ、猪熊さんのことは信じてますし、機材も怖くありません」
冗談にマジレスされた。
ギャルマネは電話で席を外しているし、詩楽は結城さんのところにいる。
僕がなんとかしないと。
真面目な神崎さんにはストレートにぶつかることにした。
「神崎さん、聞いて。緊張するのは悪いことじゃないから」
「そうなんですか?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。
「そう。『緊張するのイクナイ。緊張しちゃダメ』と思うのがよくないんだ」
「どうしてですか?」
「緊張しちゃダメと思うと、緊張するのが人間の心理らしい」
「そういえば……見るなと言われたら、見たくなります。似たようなものなんですか?」
「どうなんだろう、詩楽の受け売りだし、そこまで僕も詳しくないんだ」
「夢乃さん、物知りなんですね」
「その話、詩楽も理事長に教わったらしい」
「理事長さんですか……さすがです」
神崎さんも感服していた。
「でも、あのお年でいろんな会社を経営してらして……怖いです」
「怖い?」
「すいません、経営者といいますと、芸能界のやり手のイメージがありまして。偏見ですよね?」
「僕も少しだけ事務所にいたことあるし、わかるよ」
芸能界関係者、人格者もいるけれど、ヤバい人もいる。
あの神崎さんが渋い顔をしているわけで。
(嫌な目に遭ったんだろうなぁ)
よりによって配信間際に地雷を踏むとは。
初配信となれば、相当にメンタルが来る。負のオーラは消し去りたい。
多少強引な作戦に出るしかない。
「理事長は立派な人だよ。僕が保証する。ウソだったら、僕をなじっていいから」
「猪熊さんにそこまで言われたら、信じるしかないじゃないですか」
神崎さんは頬を朱に染めている。
「猪熊さん、良い人そうに見えて、やることやってますよね」
「えっ、僕?」
思わず自分の鼻を指さした。
気づかないうちに傷つけていた可能性もゼロではない。
「ごめん、僕が変なことしたのなら、謝罪するから」
「いえ、猪熊さん、悪くないですよ。少なくとも、わたしは怒ってませんから」
「ならいいんだけど」
「それより、緊張してる後輩を励ましてください」
「大丈夫。神崎さんならできる。僕も実力は認めてるから」
と言ったところ。
「頭を撫でてください」
思わぬ発言が飛び出した。
小中とアイドルをし、しっかり者とはいえ、神崎さんも15歳。甘えたいのかもしれない。
彼女持ちの僕が不用意に他の女子に触れるのはマズい。
かといって、後輩が大舞台に立とうとしている。できれば、言うことを聞いてあげたい。
「冗談ですよ」
後輩はクスリと笑う。
「冗談を言って、わたしの緊張をほぐそうとしたんです」
「そ、そう。ならいいんだけど。僕にできることだったら……」
「本当に猪熊さんは優しいんですね」
「……」
「夢乃さんの心配もわかります」
(なぜ詩楽の名前が?)
首をかしげていたら。
「おふたりさん、ごめん、ごめん」
ギャルマネがスタジオに戻ってきた。
「微妙な空気じゃん。もしかして、事後だったり?」
「してませんから!」
神崎さんがうつむいてしまった。
配信開始まで3分しかないのに、振り出しに戻った。
「神崎さんが緊張をほぐすのに付き合ってたんです。なぜか僕が優しいって話になっただけです」
「優しいことされたの? やっぱ、してたじゃん⁉」
「してません!」
「あーしの乳を前にしても堂々としてられる?」
ギャルマネ、両腕を寄せ、豊かな胸を強調する。谷間がむっちりしていた。
詩楽を裏切るつもりはないけど、大きな物を見てしまう習性が人間にはあるのだ。
けっして邪な目ではない。
自分に言い聞かせてから冷静に応じる。
「神崎さんが呆れてますよ」
「いえ、おふたりのおかげで、だいぶ気が楽になりました」
「さすが、あーし。おっぱいのリラックス効果が最高っしょ」
マネージャの自己肯定感の高さを詩楽に見習ってほしい。
「レインボウコネクトのみなさんが良い人ばかりで……あたし、アイドルやめてよかったです」
ギャルマネの冗談を無視して、自分路線を貫く神崎さん。
元アイドルの本領発揮と言わんばかりの笑顔が、まぶしい。
しかし、輝きはガラスのようでいて。
美しく、脆くて。
神崎さんのメンターになって、1ヶ月。
アイドル時代の話は1回もしてくれたことはない。
自分から話さないのを聞くつもりはないし、彼女は優等生。
できるだけ自由にさせてきた。
メンターは困ったときの相談役。問題がなければ相談は不要だ。
でも、今日みたいに緊張するし、甘えたいこともあるはず。
そういうときに僕が受け止めないと。
今度じっくり話してみようかな。
初配信を始めた後輩の横顔を見守りながら、先輩の難しさを実感したのだった。
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