第96話 やる気ないのが正解
「そういえば、柚、そろそろ例の件どう?」
「ちっ、運営の件からの甘さん女たらし事件で逃げようと思ったのに」
先輩の詩楽に対し、露骨に舌打ちをする結城さん。反抗的な態度にもかかわらず、彼女特有のゆるさもあって、憎めない。
「あなた、軍隊にでも行って、やる気のなさを修正されてくれば?」
詩楽がぼやく。牧場で多少は仲良くなったけれど、仕事は別。詩楽なりに厳しくしようとするのが伝わってくる。
「たかが、配信のリハじゃん」
詩楽が例の件について。先日の演技論をもとに、結城さんなりに配信の練習をしているらしい。ただ、彼女の申告どおりに通すほど詩楽も甘くない。
そこで、配信のリハをしようという話になっていた。
結城さんはやりたくなさそうだけど。
「柚さん、リハーサルは大事ですよ」
神崎さんまで結城さんをたしなめる。
「また、『アイドルでは〜』って言うの?」
「ええ、なにか?」
「
出羽守。西洋を引き合いに出して、日本を語る人を指すネットスラングだ。
アイドルの知識を語る神崎さんを揶揄している。
「柚、未来が出羽守だとしてもどうでもいい」
「あっ、はい」
「柚、観念しなさい」
「ぐぬぬ、こうなったら、特訓の成果を見せてやる。度肝を抜かすでないぞ」
逆ギレしたのか、キャラが変わった。
「いい度胸ね。なら、柚、リンゴフィットに挑戦して」
詩楽が頬を赤らめて言う。
88事件から2週間がすぎていても、ダメージは残っているらしい。
「詩楽、ホントにリンゴフィットでいいの?」
詩楽は首を縦に振る。
なら、僕に止める権利はない。
「柚たそもいいよ。運動はダルいよ。けどさ、リンゴはブランド力さえあれば、世界有数の大金持ちになれるし」
「それ、別のリンゴなんじゃ」
詩楽は自分のノーパソを操作し、OBSStudioを立ち上げる。見慣れた配信画面に萌黄あかつきさんが映っている。
「今日はあたしの環境を貸す。非公開設定にすれば外の人からは見られないし、問題ない」
結城さんは詩楽からノーパソを渡されると、慣れた手つきでマウスをいじる。
「OBSStudioからワイチューブに直接配信できるようになったの、神アプデだよね」
「僕も詩楽に同意。OBSとワイチューブ、両方いじるの微妙に手間だったし」
「準備できた」
リハーサルが始まった。
今回のリハの目的は、結城さんが配信中だけでもやる気を見せること。
「みなさん、こんにちわんこ!」
いきなり、意味不明なギャグを飛ばしてきた。いちおう、声のテンションは高い。
「あっ、『わんこ』じゃなくて、『○んこ』の方が良かったかも」
(それ、放送できないから)
萌黄あかつきさんの外見で、下ネタを聞くのは複雑な気分だ。
なお、あかつきさんのマネをするのが目的ではないため、キャラがブレても問題はない。
「てなわけで、今日はリンゴフィットをやっていくよ。今日の目標はスリーサイズを公開しないこと。んなバカな真似、誰がする? あてぃくしの先輩がしましたね。ぎゃははははははは」
結城さんが声を出して笑うのを初めて見た。
どこか不自然で、引っかかりを覚える。
一方で、詩楽は無表情だった。自分をネタにされたせい?
結城さんは新しいプロフィールを作った。
「まずは、身体データを入力しないとね。ドピュッと中に入れちゃうぞ」
表現がちょっと……。
詩楽も顔を渋くしている。
「身長OK、体重を隠してっと………………」
結城さんがコントローラをカチカチ。
そこで、事故が起きた。
「柚、体重バレてるよ」
コメントを打たないかわりに、詩楽が口で残酷な事実を告げる。
「BMIを隠してないじゃんか!」
結城さんが叫んだ。わざとらしい声で。
なんというか、超棒読みだった。俳優が映画やドラマで演じようものなら、視聴者からネタにされる。完全に素人演技だった。
VTuberは俳優ではないけれど、さすがにマズい。
戸惑いや焦り、怒りや恥じらい。人によって差はある。
けれど、叫ぶ動作によって、なんらかの感情が表現されるはず。
なのに、結城さんの場合、ぜんぜん、感情が伝わってこない。
はっきり言うと、面白くない。リスナーが見ても切り抜きたいと思わないだろう。
「BMIって、バスト《B》もっともっと《M》逝ってよし《I》の略じゃないの⁉︎………………さーせんした」
結城さんはボケるも。
誰も笑わない。
「柚、もういいわ」
詩楽が止めた。
「……結論から言うと、やる気ない方がマシ」
「マジ⁉︎ 本気を出したのに」
「今のが本気だったの?」
「もちろんさ」
結城さんの目と、声を分析する。普段のいい加減さは感じられない。
「ごめん、疑って」
詩楽がすかさず謝った。
うちのカノジョは他人の痛みを思いやれる子なのだ。
「柚、厳しいことを言うけど大丈夫?」
「甘さんが膝抱っこしてくれれば」
「……今日だけは甘音ちゃんを貸す」
僕は物だったらしい。
すると、結城さんが僕の膝に乗ってくる。
42キロ。かなり軽い。
「で、厳しいことって?」
「演技が下手すぎる。まったくキャラが見えないっていうか、感情が感じられないというか」
「泣いた」
「本当に泣いた子は、自分で泣いたと言わない」
「ちっ」
ばっさり斬られてもダメージを受けた様子がない。だから、詩楽もはっきり言っているわけなんだが。
「それに、オヤジギャグがつまらない」
「面白いこと言わなきゃと思ったんだけど、なに言ったらいいかわかんなくて」
上手くやろうとすると、かえって失敗する現象。僕も経験あるある。
「結城さんの場合、下手に考えると、逆にできないタイプなのかも」
「あたしも甘音ちゃんに同意。あたしも空回りするからよくわかる」
「神崎さんはどう思う?」
他人に対して意見することで、神崎さんの勉強にもなる。そう思って、振ってみた。
「あたしもみなさんと同じ意見です。そのうえで、たびたびアイドルを持ち出して恐縮ですが」
「なにかな?」
「アイドルではよくあるのですが、憧れの先輩アイドルになろうとする人いるんです」
「うん」
「憧れの人を目指して努力するのは素晴らしいです。でも、憧れの先輩そのものになろうとするのは……」
「たとえば、僕はあかつきさん推し。だから、あかつきさんになろうとしちゃうみたいな?」
「ええ。猪熊さんがどんなに演技が上手くても、あかつきさんにはなれないのに」
アイドルアニメで何度か見かけた奴だ。
「自分は自分、他人は他人ってことかな?」
「ええ。自分の中にある良さを引き出していく。それが、私の考える理想のアイドルです」
神崎さんはキラキラした顔で言い切った後。
「すいません、持論を語ってしまって」
「ううん。未来のおかげで気づいた」
詩楽がしみじみと言う。
「柚は柚。やる気がないのが柚だとしたら、やる気がないのが正解。柚のままの路線で行こうよ」
トリッターで有名人が言おうものなら、ネタにされる系のロジックだ。
でも。
「僕も詩楽に同意。いまの結城さんのままでいいと思うよ」
「ん。運営が問題にするようだったら、あたしからも運営に言ってみるから」
詩楽が胸を叩くと、結城さんの頬が緩んだ。
「やった。これで、毎日サボれる」
「柚、サボっていいとは言っていない」
詩楽がクギをさすと、結城さんは顔をしかめた。
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