第3章 休み(休めるとは言っていない)
第92話 あたし、ウマみたい
ゴールデンウィーク2日目。88事件の翌日。
僕と詩楽は朝から電車に揺られていた。
昨日はいろいろあったし、夜も遅かった。詩楽は疲れているのか、僕の肩に頭を乗せて眠り込んでいる。
目的地まで、まだ1時間以上ある。暇だ。
スマホで動画をチェックしようか。普段は自分の配信が忙しくて、なかなか時間が取れないし。
(けど、今日は滅多にない休日だしなぁ)
仕事のことを忘れて、景色でも眺めることにした。
しばらくすると、海が姿を現す。
ゴトンゴトンという電車のリズムに身を委ね、頭を空っぽにする。
あっというまに時が流れ――。
(あっ、ここは!)
3ヶ月前、詩楽と一緒に泊まった別荘が車窓から見える。
「また、別荘に来たいね」
「今度は夏がいいな」
詩楽は僕の肩に寄りかかったまま言う。いつのまにか、目を覚ましていたらしい。
それからしばらくして、僕たちは電車を降りた。
「ここからは牧場直通のバスがあるから」
「甘音ちゃん、調べてくれて、ありがとう」
「僕が誘ったんだし、当然だよ」
今日、僕たちが行くのは都内からも近場にある牧場だ。
気温は暑くもなく、涼しくもない。歩くにはちょうどいい。
詩楽の格好もデニムジャケットにTシャツ、白のタックパンツ。スカートが多い彼女にしては珍しい。髪も後ろをポニーテールにしている。
「詩楽、こういう格好もかわいいな」
「甘音ちゃんもワイルドでかっこかわいい」
「僕は普通にTシャツとデニムのズボンなんだけど」
「甘音ちゃんは何を着ても、正義だから」
イチャついていたら、バスが来た。後ろにいた女子大生グループに、「爆発しろ」と舌打ちされてしまった。
バスに乗って、牧場へ。チケットを購入し、中に入る。
詩楽は丘を見渡すや。
「うわぁぁ、緑と動物がパないんだけど!」
歓喜の声を上げる。
(詩楽が大声を出すなんて、ここを選んでよかったぁ)
僕もうれしくなる。
「牛や馬は滅多に見ないしね」
「さっそく、牛を見に行こうよ」
詩楽に手を引っ張られ、丘を登っていく。
柵越しに牛を眺める。
まったり草を食む牛は、日々せわしなく生きる僕たちと対象的で。
「あたし、牛になりたい」
「僕も思った」
顔を見合わせて、笑い合う。
「あっ、手しぼり体験できるみたい」
詩楽が看板を指さす。
「しかも、今からだ」
「甘音ちゃん、やってみない?」
僕はうなずいた。
「手しぼり体験はこちらでーす」
スタッフのところに人が集まっていた。
僕たちも行く。
スタッフに乳のしぼり方を教わってから、参加者がやる番に。10人ちょっとの参加者に対して、牛は10頭以上いる。運良く、待ち時間もなかった。
「ビーチク、大きい」
詩楽が牛のおっぱいを握りながら言う。詩楽の指、3本分ぐらいなので、たしかに巨大だ。
「
(理事長も大きいけど、牛と比べられないだろ)
近くの人が詩楽をジロジロ見てる。
「じゃ、甘音ちゃんの番」
「わかった」
感想はあるけれど、セクハラになりかねないので無言を貫く。
なのに。
「甘音ちゃん、やっぱり大きいのが好きなんだぁ」
詩楽が自分の胸に目を落とし、ため息を吐く。
(詩楽の88だって、立派だよ)
近くに人がいるので、対応に困る。
「相手は牛だよ。比べなくても……」
結局、無難な答えを返す。
時間が来て、乳牛の手しぼり体験も終わった。
「今度は馬を見たいなぁ」
詩楽が僕の腕をつかんでくる。ギュッと自分の方に寄せるものだから、人の標準より大きいブツが当たった。
「甘音ちゃん、あたしの……手しぼりしたい?」
「ぶはぁっ!」
動揺してしまった。
(そりゃ、触りたいよ?)
メチャクチャ柔らかいし。腕も埋まりそうだし。
けれど、いざ手を出してしまったら、我慢できなくなるのは間違いなし。
「てぇてぇの掟があるから」
「あたしたちアイドルじゃないんだよ」
VTuberに恋愛禁止のルールはない。
「けど、事務所にも言われてるし」
「むー、いつか奏を説得してみせる」
僕は代わりに、彼女の手を握りしめた。いわゆる、恋人つなぎで。
そうこうしているうちに、馬のエリアに着いていた。
「馬にニンジンをあげられるみたいだな」
「やってみたい」
ニンジンを買う。
1カップ300円。スーパーよりもかなり高い。安全管理上の問題もあってスタッフもつきっきりでいる。体験代も込みと考えると、納得はできる。
詩楽が馬の口にニンジンを近づける。
すると、馬がぱくつく。詩楽がぶるっと震える。
「ちょっと、びっくりした」
「怖くない?」
「ん。がっついてて、かわいい」
「よかったな」
「あたし、馬にもなりたいかも」
「馬?」
「草原を走ってみたい。そしたら、ストレスも感じなくて済みそうだし」
「そうだな」
馬は馬で大変そうだけど。
と思ったけれど、口にはしない。
話を聞いてほしい子に対して、自分の意見を口にするのは微妙だし。
「あたしが競走馬になったら、『ユメノウタ』って名前になりそう」
「ホントにいそうだけど、本名だよね?」
「ん。本名。ってことは、あたしは実質、馬かも」
「詩楽はウマだったのか?」
「いっそのこと、ウマの擬人化ゲームのキャラになるのもあり」
と、盛り上がっていたときだった。
「あれ? そこにいるの、先輩たちじゃありませんか」
聞き覚えのある声がした。
「あっ。甘さんと、うさんだ」
「マジマジ、パイセンたちっす」
「妾、馬に蹴られたいノ」
振り向く。
4期生の後輩たちが勢揃いだった。
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