第65話 ナラティブ

「う、詩楽」


 詩楽が僕のベッドにうつ伏せに倒れた。

 僕が呼びかけると。


「体は大丈夫だから」


 彼女は謝って起き上がろうとする。

 肩を押さえて、寝かしつけた。


「大丈夫だとしても、今は休んで」

「で、でも……あたしのせいだから」


 詩楽は蚊の鳴くような声で自分を責める。


「詩楽のせいって、どういうこと?」

「毎日のように一緒だったのに、ぜんぜん気づかなくて」

「それを言ったら――」


 僕だって同じだ、と言おうとして途中で止めた。

 気休めにもならないからだ。


 代わりに、


「こうなる前に、美咲さんを助けてあげたかったんだね?」


 会話の流れや、悔しそうな顔から、詩楽の気持ちをくみ取った。


「だから、自分を責めてるのかな?」

「ん。あたし、ダメダメだから」


 彼女は首を横に振り、自虐的な笑みを浮かべ。


「自分のことに一生懸命になりすぎて、周りが見えてなかった。美咲、前みたいに明るかったから安心して。表向きは笑顔でも、なに考えてるかわからない人なんだし。もっと気をつけるべきだったのに」


 僕は黙って詩楽の言葉に耳を傾ける。


「ホントにあたしは雑魚すぎる。最近、ちょっと自信が出てきたから浮かれて、天狗だったのよ。あたしみたいなコミュ障が仲間と一緒に活動するなんて、ムリだった」

「……」

「そもそも、あたしが役立たずだから、美咲はなにも相談してくれなかったわけだし」


 僕は今の詩楽に、数ヶ月前の自分を重ねていた。

 年末。詩楽は3Dライブの準備で忙しかった。少しぐらいは疲れて当たり前。その程度の認識だった。


 詩楽の状態を軽く見た結果、詩楽が過労で倒れるまで、僕は彼女がムリしていることに気づけなかった。

 一緒に暮らしていながら、危険の徴候を見逃してしまったのだ。


 推しと付き合えて、VTuberデビューも成功して、浮かれいた自分を恥じた。

 さらには、彼氏失格かもしれないと、自分を責めた。


 詩楽の発言を聞くかぎり、当時の僕と近いメンタル状態かもしれない。


 僕もしんどかったのに。

 もともと、詩楽は繊細である。

 詩楽のメンタルが心配で、心配で。


「最近、甘音ちゃんのおかげで調子よかったけど」


 僕の不安を裏づけるかのように、詩楽は瞳に大粒の涙を浮かべ。


が人気VTuberとか言って、アニメの主題歌を歌うとか笑い者すぎて大草原不可避」


 思いっきり自虐した。


「そんなことないよ」


 僕は無理やり笑顔を作って、詩楽を肯定しようとするが。


「……甘音ちゃんがいなかったら、死にたくなってたかも」


 衝撃のあまり、一瞬、言葉を失ってしまう。


「安心して。甘音ちゃんがから、もうバカなことはしない」

「僕、詩楽を信じてるからね」

「甘音ちゃんを悲しませたくないの」


 最悪の事態は免れたものの、僕の気持ちは沈んでいた。

 だって。


(僕がいなかったら――バカなことするの?)


 詩楽と出会って、ちょうど半年になる。


 川に飛び込もうとした少女が、放っておけなくて。

 推しだとわかって。

 好きになって。

 彼女が幸せになれるよう、微力ながらがんばってきたつもりだ。


 幸いにも、詩楽のメンタルは改善されてきた。

 なのに、ショックな出来事があったら、逆戻り。


 詩楽が抱えている問題の根深さを実感させられた。


 詩楽の問題に関わるにあたって、理事長に教わったことがある。


『人は考え方を変えられる。

 しかし、簡単には変わらない』


 人には人の物語ナラティブがあるのだという。


 先輩の活動休止という事態を受けても、僕と詩楽では反応が異なる。僕もショックではあるけれど、詩楽ほどひどくはない。

 僕と詩楽の性格、思想、考え方などの特性の差はもちろん、生きてきた環境が影響を及ぼすらしい。


 詩楽の場合は、育児放棄ネグレクトという重い事情もあって、自尊心がいちじるしく低い。


 理事長や僕、他のVTuberたちと接して、少しずつ前向きになってきたとはいえ、染みついたものが消えるわけではない。

 

 美咲さんの件を受けて、メンタルの問題がぶり返したのだろう。


「僕も詩楽を悲しませたくない」


 詩楽には詩楽の物語ナラティブがあるかもしれない。

 でもだからといって、不幸な結末を見たくない。


 僕は机の引き出しを開け、あるものを取り出す。

 水が入ったコップと一緒に、詩楽へ渡した。


「これは?」

「理事長に渡された精神安定剤だから、安心して」

「わかった」

「とにかく、休んで」


 詩楽は薬を飲み干す。


「僕と一緒に昼寝でもしようか?」

「ん。甘音ちゃん、抱っこして」


 僕は詩楽が寝つくまで、背中をさすり続けた。


 詩楽の寝顔は幸せそう。薬が効いて、よかった。


 起き上がろうかと思ったとき、スマホが鳴る。

 理事長からの電話だった。


『猪熊さん、詩楽ちゃんの様子はどうですの?』


 さすがだ。僕は事実を報告した。


『ごめんなさいね。猪熊さんにまで心配をかけて』

「いえ、僕は詩楽を見守る役目ですから」

『わたくしとしては猪熊さんで安心できますわ』


 電話の向こうで息を吸う音が聞こえた。


『ところで、アニメの件ですの』

「なにかあったんですか?」

『猪熊さんのアフレコは予定どおり行いますわ。よろしくお願いしますわね』

「……仕事ですから」


 僕は冷静に返事をした後。


「主題歌の方はどうなんですか?」

『協議中ですの。少しぐらいであれば、影響はありません。もし、1ヶ月以上、美咲さんが休まれるようですと、代役を立てるか――』

「ええ、僕は詩楽も心配です。美咲さんのパートを別の人が歌うとしても、詩楽のメンタルを考えると、歌えなくなるような気もします」

『そうですわね』


 美咲さんの件で自責の念を抱えている。

 その状態で、自分だけ案件を続けたとしても、後ろめたい気持ちは残ってしまう。

 ましてや、詩楽の弱いメンタルを考えると、歌えなくなるリスクも高い。


『ごめんなさいね。猪熊さんから佐藤先生に美咲さんの件で報告ありましたのに』

「気にしないでください」

『言い訳ですが、先生たちにも悩みを打ち明けてくださらなかったの。美咲さん、いつも笑顔で気持ちを誤魔化して……心配でしたが、本人が大丈夫と言っているのに、踏み込めないのが辛いところですわ』

「僕、プリムラ先輩たちとも話してみますね」

『よろしくお願いしますの』


 電話を切る。

 詩楽の寝顔を見ながら、僕は決意した。

 詩楽が気持ちよく歌えるように、僕がなんとかしよう。


(美咲さん、なにを考えてるか知らないけど、僕を甘く見ないでくださいね)


 もう、遠慮はしないから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る