第57話 真冬の水着回⁉

 なりゆきで、プールへ行くことになったものの、水着は実家にある。

 詩楽と駅で待ち合わせることにし、僕は実家へ。


 できれば母に顔を見せたかったが、あいにく睡眠中だった。仕事柄、明け方に帰宅する人なので、仕方がない。


 近所なので、割と頻繁に帰っている。無理に起こす必要もない。

 メモを残して、実家を出る。


 待ち合わせの地下鉄出入り口に到着する。

 ちょうど詩楽が反対側から来るところだった。詩楽は僕に気づくと、手を振る。

 僕が応じようとしたときだ――。


 詩楽の前を歩いていたおじいさんが、詩楽にぶつかっていく。

 あまりにも不自然だったので、わざと人にぶつかる人かもしれない。


 すぐに、僕は走った。


「おまえ、どこ見て歩いてんだ?」

「ん。どこって、彼氏だけど」

「なんだと?」


 嫌な絡み方だ。


「すいません、連れがご迷惑をおかけして」


 関わってはいけない人だと思って、適当に謝る。

 詩楽の手を引っ張って、早急に離脱しよう。


「詩楽、行くよ」

「ん……かっこいいかも」


 階段に向かおうとするが。


「おまえ、男のくせに、女みたいな声をしてんのな……恥ずかしいったらありゃしない」


 さすがに、ムカッとした。


 自分の声をバカにされたことにではない。


 数ヶ月前とはちがい、いまの僕には誇りがある。

 詩楽やリスナーさんに声を喜んでもらって、声優としてアニメにも出演するのだ。

 無理解な人がいても、どうでもいい。


 差別意識むき出しな価値観に唖然とすると同時に、大切な人を見下されて苛立っていた。


「そういう発言は炎上しますよ」


 頭に来たからといって喧嘩はしない。やんわりとたしなめる。


「俺が炎上だって。俺は偉いんだ。炎上するなんて、あるわけないだろ」


 通用しなかった。


(会話が成り立たない人だな)


 時間の無駄だし、せっかくのデートだ。そのまま去ろう。

 ところが。


「じいさん。よりによって、甘音ちゃんの声をバカにするとは。あたしを敵に回すとは、良い度胸ね」


 詩楽は威勢よく胸を張り、敵意を露わにする。

 以前から僕が下げられると、怒る子だったけど。

 いままでと比べて、どこか違う。


「なんだ、おまえは?」

「あたしには甘音ちゃんの彼女としての誇りがある。あたしが卑屈だと、彼にも迷惑をかける。もう負けないって誓ったの」


 噛み合っていない会話に、詩楽の強さが伝わってくる。

 堂々とした態度に出会ったばかりの弱々しさは感じられない。


(もう、詩楽は見守る対象じゃないんだな)


 ここ数日、僕を支えてくれているわけで。

 いまの僕たちは公私にわたるパートナーなのかもしれない。

 彼女の成長にうれしくなるが、万が一もある。


「詩楽、危ないよ」


 ひ弱でも見た目だけは格闘技系。僕が前に出れば、相手も暴力に訴えにくいはず。


「ちっ……このぐらいにしといてやらぁ」


 おじいさんは捨て台詞を吐くと去って行く。


「ざまぁ」

「あはははは」


 詩楽がスカッとした顔をしたので、僕は苦笑いで応じた。



 電車に乗ってからは順調だった。

 千葉の海方面へ。


 電車を降りる。2月の海風が冷たい。

 それから、タクシーに乗る。詩楽が運転手に住所を伝える。


 到着した場所は、海が見える一戸建てだった。

 金持ちの別荘みたいな雰囲気が漂っている。


「ここは?」

「別荘をシェアリングするサービスに奏が入ってるの」

「……」

「今日は、あたしたちが自由に使っていい」


 よくわからないけど、納得。


「せっかくだから、プールに行こう」

「任せる」


 来たことのある詩楽が、玄関前の液晶パネルを操作する。

 やがて、ボックスが空き、詩楽は鍵を取り出す。


 別荘に入る。木材の家は都会の喧噪から離れて、やたらと気分が落ち着く。

 アンティーク家具も洗練されている。

 タワマンとは別の種類の高級感だった。


 僕は窓際に行く。


「おぉぉっっっっ!」


 海が見えて、その手前の庭に――。

 プールがあった。


 まるで、アメリカの映画に出てくる豪邸を見ているよう。

 感動したものの。


「いまは真冬だよ。外のプールはさすがに……」

「外に出てみよっか」


 詩楽に連れられて、庭に出る。


「あれ、寒くない?」

「ん。ここ外じゃない。上を見て」


 見上げる。冬の青空が広がっているのだが。

 目をこらすと、天井が透明なのだと気づいた。


「屋根付きなの?」

「ん。外にいるように感じられるけど、室内だから」


 リビングと接している面を除く、3方向には壁がある。たしかに、室内だった。暖房も効いているし。


「というわけで、あたしは着替えてくる」


 当然、僕の方が早く準備が終わる。

 ビーチチェアに寝そべってみた。


 金持ち気分を味わっていたら、女神が現れた。


 クール系銀髪美少女に冬は似合う。

 真夏の海で拝むよりも、神秘的かもしれない。


 ところで。

 詩楽とは何度か入浴し、体のラインを見ているはずなのに。

 水着姿が新鮮すぎる。


 白いレースのビキニ。レースが透けている。

 本来ならエッチなはずなのに、花柄の刺繍が絶妙に隠していた。

 全体的にいって、清楚(意味深)だった。

 お椀型に盛り上がった胸に、かわいらしいデイジーの花。

 太もももまぶしい。

 最高すぎる。


「どうかな?」

「やりらふぃ~」


 テンションが高くなりすぎて、彼女を褒める言葉も見つからない。


「うふ。あたしも甘音ちゃんの水着にドキドキだよ」


 詩楽が豊かな胸に手を乗せる。

 僕の心臓もバクバクしていた。


「さあ、遊ばないとね」


 彼女に手を握ってくる。

 真冬のプールが、こんなに暑いものだとは。

 気分は真夏だった。

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