第46話 あらたな仕事
「もう一度、言いますわね」
西園寺さんは僕が理解できてない察してくれたらしい。
僕は息を吸い込んで、覚悟を決める。
『アニメへの出演依頼が来ておりますの』
「冗談ではなさそうですね」
『かわいい少年を騙す趣味は持ち合わせておりませんでしてよ』
声優の勉強をしようと初詣で願ったばかりなので、びっくりする。
『ただし、正式決定ではございませんわ。制作側でVTuberとタイアップしたらどうかという話が出ているようで、うちに打診が来ましたの』
「そうなんですね」
VTuberがアニメに出演するケースはたまにある。
声優志望のキャラを演じている以上、案件自体が来ることは予想できるのだが。
デビューから2ヵ月の新人VTuberに声をかけるとは思わなかった。
『猪熊さん、出演したいかしら?』
「これから声優の勉強しようと思ってたところで、どこまでできるかわかりませんが、やってみたいです」
『学業との両立もございますし、向こうの予定もあります。アフレコは春休み頃になるとうかがっておりますわ』
約3ヵ月は練習できる。
運営経由で先生を紹介してもらって、どれだけ技術を高められるか。
せっかくのチャンスを棒に振りたくない。
「ぜひ、やらせてください」
『わかりましたわ。知り合いにプロの声優に演技指導している方がおりますの。今度、紹介しますわね』
僕から聞かなければいけないのに、先に言われてしまった。さすが、20代でいくつもの会社を持つ人だ。気が利かせ方は勉強させてもらいたい。
『ところで、もうひとつご相談がありますの』
「なんでしょうか?」
『くだんのアニメですが、主題歌についても、うちのお話がありますの』
「……僕、歌はやってませんよ」
先ほどのカラオケでも、プロのレベルではないと自覚させられたばかりだし。
『うふふ。猪熊さんではございませんですわよ』
勘違いだったらしい。恥ずかしい。
『先方は萌黄あかつきと、さくらアモーレを希望しておりますの。ふたりは人気ありますので話題にもなりますし、歌唱力も抜群ですから』
詩楽と美咲さんなのか。
美咲さんは面白そうとか言いそう。
一方、詩楽は――。
絶対にやりたがる。
仕事をすることで、生きる実感を得たがっている子なんだ。
僕としては彼女の気持ちを尊重したい。
彼氏として、ファンとして。全力で応援したい。
けれど。
チャンスを喜びたいのに、不安な点も多々ある。
まず、歌の特訓を始めたら、食事や睡眠もおろそかになりかねない。
実際、年末は3Dライブに向けてがんばって、過労で倒れたし。
他には、詩楽と美咲さんの関係である。
(けっして、仲が悪いわけじゃないんだけどね)
おもに、僕のせいで微妙なときがある。
(美咲さんが僕に抱きついてくるのが、悪いだよなぁ)
僕が冷たい態度を取れないのを知っていて、からかってくるから美咲さんもたちが悪い。
さらには――。
美咲さんの何気ない言葉がきっかけで、詩楽は自分を追い込んでしまった。結果として、川に飛び込もうとした。
その件については、詩楽が割り切っている以上は解決したと言っていい。
それでも、美咲さんの行動は予測不能で、心配ではある。
「本人が希望するならやらせてあげたいですが、無理しちゃいますからね」
『わたくしも同じですわ。本人に連絡する前に猪熊さんに相談した次第ですの』
訳あって秘密にしているが、理事長は詩楽の姉である。危なっかしい妹が心配なのだろう。
『もちろん、運営としては年末の過ちを繰り返すつもりはございません。少しでも、所属タレントの負荷が減るよう取り組んでまいりますわ』
「ありがとうございます」
『学業との両立もありますのに、お仕事をお願いして申し訳ございませんわね』
「甘音ちゃん、どうしたの?」
詩楽が目の前に立っていた。
「ちょっと、理事長と電話中なんだ」
『あの子がいるのね?』
「ええ」
『わたくしから例の件、話しますわね』
僕はスマホを詩楽に渡す。
「えっ? マ?」
アニメの件を聞いたのか、詩楽は目を見開く。
「もちろん、やるやる。甘音ちゃんも出るわけだし、主題歌で援護射撃するのは義務。むしろ、歌わなかったら、あたし生きる意味ないまである」
久しぶりに自虐した。最近はマシだったが、習慣は容易に直せないようだ。
少しして、詩楽は電話を切る。
「詩楽、夕飯は何がいい?」
「正月デートと、仕事の前祝いを兼ねて、蟹でもいっとく」
僕にとって蟹といえば、カニ風味かまぼこか、蟹クリームコロッケである。
先日、けっこうな金額の収益も入ったし、せっかくのデートでもある。
「じゃあ、蟹に行くか?」
「うん、おいしいお店に案内するから。前に先輩たちと言ったの」
詩楽が腕を絡ませてくる。
彼女が先頭で歩き始めた。
エントランスを出る。風は冷たくても、彼女の体温で寒くなかった。
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