第7話 再起動

「甘音ちゃん、フリーズしたの?」


 足元に夢乃さんの下着が散らばっている状況である。

 童貞ボッチには刺激が強すぎる。


「うーん、とりま再起動でもしてみるか」


(むしろ、なんで女子が堂々としてるんですかね?)


「ポチッとな」


 僕のおへそを指でちょこんと押してくる。

 しかも、触れるか触れないかぐらいの力加減。


「んくぅ❤❤」


 変な声が漏れてしまった。


「……どちゃしこ」


 夢乃さんは僕の弱い部分をツンツンしてくる。

 ただでさえ下着が欲情を煽ってきていて。


「らめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!!!!!!!」


 僕は腰砕けになってしまった。


「ご、ごめんなさい」


 さすがに夢乃さんも謝ってきた。


「まさか昇天させちゃうとは思わなくて」

「…………僕の方こそみっともないところを見せちゃって」


 下着に興奮したとは言えない。


「あたし、配信のときはエッチなこと言わないのに、幻滅しちゃったよね?」

「ううん、配信とリアルの人格がちがうって、わかってるから」


 詩楽は深く息を吐く。胸をなで下ろしたらしい。


「たとえば、90万人記念配信のときとか、さくらアモーレさんに絡まれて困ってたよね?」

「あれ、アモーレおじさんが諸悪の根源だから」


 さくらアモーレとは萌黄あかつきちゃんの先輩だ。下ネタが多いので、おじさん扱いされている女子である。


8月2日パンツの日に配信したからって、推しパンツを聞くとかイミフ」

「あれはリスナーとしても斜め上だった」

「当時のマネちゃんからは下ネタNGだったし、言わないようにしてたの」

「推しパンツを聞かれて、困ってたの丸わかりだったし」

「なのに、煽られてバラしちゃったのは一生の不覚」


 夢乃さんは咳払いをすると。


「推しパンツを自爆した事件は、たったいま封印したから」

「そ、そうなんだ」


 言うことを聞く。パンツが転がっている状況で、女子とパンツの話をしたくない。


「あたし、配信中は演技してるの」

「演技?」

「大嫌いな夢乃詩楽じゃなく、魔法少女アイドルの萌黄あかつきになりきってる」


(僕もデビューしたら、演技するんだよな?)


 演技ができるなんて、想像しただけで泣けてくる。

 いや、自分の感傷に浸っている場合ではない。


「エッチな夢乃さんも嫌いじゃないから」

「……エッチじゃないもん。甘音ちゃんは別腹だけで」


 怒らせてしまった。


「わかった。エッチじゃないなら、下着は片づけようか」

「ん。甘音ちゃんは、その間にお風呂でも入ったら?」


 夢乃さんに案内されて、浴室へ。設備の使い方も教わる。ボタンだけでお湯が晴れて、感動した。


 お風呂も広かった。浴槽もひとりで使うには余裕がある。

 ゆっくり湯船に浸かっていたら――。

 浴室のドアが開く音がして。


「お邪魔します」

「ぶはぁっっ⁉」


 思わず噴いてしまった。


「なんで、夢乃さんが?」

「下着を片づけるなんて重労働をしたから、身も心もクタクタになった。お風呂でリラックスしないと干からびる」


(これでエッチじゃないとは……?)


 弱った。

 取り扱いが難しい子なので、変に刺激したくない。


(バスタオルを体に巻いているし、ギリギリセーフかな?)


 ところが。

 ぴったりと体に張り付いた布が、豊かな起伏をダイレクトに伝えてくる。

 湿気を帯びた銀髪もみずみずしい。


(かえって、エロくない?)


 収まりかけていた男子の欲望が、ふたたび頭をもたげてくる。

 

 なのに、夢乃さんは僕の反応も気にせず、湯船に突入してきた。

 彼女は僕に向かい合って、腰を下ろす。

 広い浴槽にすくわれた。膝が触れるか触れないかぐらいで済んでいるのだから。


 気まずい。

(なにを話せばいいの?)


「あの、夕飯はどうする?」


 とりあえず、無難な話題を振ってみる。


「今日は甘音ちゃんの歓迎会。寿司でも頼む」


 寿司だと?

 前回、寿司を食べたのは、1年以上前だった。超高級品なんですが。


「僕なんかに気を遣わなくていいって」

「……『僕なんか』って、甘音ちゃんラブなあたしに失礼」

「た、たしかに。ごめん」


 夢乃さんの言うことももっともだと思ったが。

(夢乃さん、自分をフナムシ以下扱いしてたよね⁉)


「今日は他にしたいこともあるの。もう頼んでおいたから」


 琥珀色の瞳は昨日とは別人のように光を放っていた。

 ここは聞くのがマナーだろう。


「差し支えなければでいいけど、なにか良いことあったの?」

「ん。今日は配信するつもり」


 彼女が胸を張って答える。

 お湯に浮かぶ胸が強調されたが、おっぱいの誘惑を簡単に退けられた。


 だって。


「……よかったよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!」


 休んでいた推しが復活したのだから。

 叫ばなかったら、推し失格だ。


「これも甘音ちゃんのおかげ」

「僕の?」

「甘音ちゃんのかわいい声を聞いたら、悩んでいるのがバカらしくなった」

「うぅっ」


 泣けてきた。

 ウルチャもしていない僕が萌黄あかつきちゃんに感謝されるとは……。


   ○


 夕食も済ませた夜9時。

 僕は自室で、萌黄あかつきちゃんの配信を見ていた。


『みなさん、こんあかつき。バーチャル魔法少女萌黄あかつきでちゅ。あっ、いきなり噛んだじゃん。久しぶりの配信で、超緊張してるよぉ。まるで、配信初心者だよね。あっ、あたしデビュー半年足らずの新人VTuberだった、てへっ』


 画面の中では銀髪の二次元少女がニコニコしていた。

 髪の色はリアルとバーチャルは似ている。同じ銀髪でもリアルと二次元では印象がちがうんだけれど。


『みなさん。配信を休んで、心配かけて、ごめんなさいね』


 明るく話す彼女が、飛び降りようとしていたなんて、誰が信じるだろう。

 僕だけが知っている秘密。墓場まで持って行こう。


『じゃあ、今日は久しぶりに歌うよぉぉっっっ!!!!!!!!!!!!』


 あかつきちゃんはアニソンを歌い始める。

 もともと、プロ顔負けの実力なうえに、熱気もすさまじかった。

 

 防音仕様の部屋なので、隣の部屋からの音は漏れてこない。

 しかし、たしかに近くに推しがいるのは感じ取れて。


 画面越しにもかかわらず、僕は妙な一体感を覚えた。


 明日から彼女を支えたい。

 2時間の配信が終わるまで、僕は何度も決意するのだった。

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