第8話 久しぶりの学校

 朝陽がいつもより強い気がする。


(そういえば、タワマンに引っ越したんだった……)


 2階建てのマンションとはちがいすぎる。

 部屋も高級だし。

 しかも、推しと一緒に住むわけで。


 朝からテンションがクライマックスだった。

 感極まっていると、ドアがそうっと開いた。


「甘音ちゃん、なんで起きてるの⁉」

「夢乃さん、もう朝だし」

「添い寝作戦失敗するなんて、あたし、ダメすぎる」


 まさかの落ち込みようだった。

 どう声をかけようか迷っていたら。


「今日から甘音ちゃんも虹メンだね」


 自力で回復してくれた。

 なお、虹メンとは、レインボウコネクト所属のVTuberを指す。


「これからは、てぇてぇ関係だよ。名字呼びなんて、他人行儀は絶許」

「うっ」


(出会って3日目で、名前呼びですと⁉)

 童貞には難易度高すぎる。


「プリーズ・リピート・アフター・ミー」


 夢乃さんは流ちょうな発音で言う。

(たまに、英語アプリの配信をやるもんな)

 VTuberの多芸っぷりを見せつけられた。


「さあ、詩楽うたと言って」


 桜色の唇から、美しい音色が紡がれる。


「魔法少女萌黄あかつきを真名で呼ぶ男子は甘音ちゃんだけ。特別な子なんだからね」


 100万人以上のリスナーを抱える萌黄あかつき。

 リアルの名前呼びを許されているのは、世界広しといえど僕ひとり。たぶん。

 推しから特別扱いされて、昇天しそうな気分で。


「詩楽」


 神聖な真名を唱える。


「はにゃぁ~幸せすぎて、あたし死んでもいいかも」

「死んじゃダメだから!」


 自分が天国に行きかけたことを棚に上げて、彼女に突っ込んだ。


「詩楽が死なないように、僕が朝食を作ろうか?」

「甘音ちゃん、いますぐお嫁さんになって」

「落ち着いて。僕は着替えるから」


 どうにか詩楽に部屋から出ていってもらう。


 冷蔵庫には食材はあまりなかった。詩楽は料理をしない人らしい。

 パンにレタスとハム、チーズを挟んで、サンドイッチを作った。


「普通のサンドイッチなのに、なぜおいしいの?」

「母も仕事してるし、手伝ってるうちに覚えたんだよね」

「さす、甘音ちゃん。あたしも料理できるようにならないとね。料理実況してる子もいるし」


 詩楽は別人のようにやる気を出す。

 さすが、僕の推しと感動していたら、玄関のチャイムが鳴った。


「誰だろう、朝早くから?」


 インターホンの画面を見ると、西園寺さんだった。

 若き理事長は小型の段ボール箱を持っていた。


「仲良くしているみたいで、安心しましたわ」

「は、はあ」


 言えない。一緒に入浴したなんて。


「猪熊さんにお届け物ですわ」

「わざわざ、ありがとうございます」


 理事長自らとはびっくりした。


「ついでに、おふたりの様子も見ておきたかったですのよ」


 理事長は詩楽に微笑を向ける。姉が妹を見守っているような雰囲気だった。

 経営者とタレントの関係って、姉妹みたいになるのだろうか?


「詩楽ちゃんに教わって、職員室に来てくださいね」

「えっ?」


 僕が入学したのは、通信制高校だ。

(職員室って、どゆこと?)


「では、詩楽ちゃん、猪熊さんの案内を頼むわね」


 僕の疑問に答えることなく、理事長は立ち上がる。スーツに包まれた豊かな双丘が、たぷんと揺れた。

 一礼すると、西園寺さんはリビングを出て行く。


 朝食を終えてから、段ボールを開ける。VRヘッドセットや、冊子などが入っていた。


「とりま、マニュアルは見なくていい。楽な姿勢でソファに座って」


 言われたとおりにする。

 その間に、詩楽は自分の部屋に行った。

 戻ってきたとき、僕と同じVRヘッドセットを持っていた。


「ヘッドセットを被って」


 詩楽はソファに腰を下ろすと、ヘッドセットを装着する。


 彼女を観察していて、気づいた。

 スカートの布が軽くめくれている。ミニスカートなのに、気にする素振りがない。

 あまりに無防備すぎて、軽く困る。


 危険なので、急いで指示に従った。新品のせいか、ゴムの匂いがする。


「まずはアバターを作るの」


 性別の選択欄が出てきた。


「甘音ちゃん、もちろん女子だよね?」

「でも、僕、男子だけど?」

「女子でVTuberデビューするよね。なら、学校で練習しなきゃ」

「ちょっと待って。学校って、VRなの?」

「ん。だから、奏もVRの機材を持ってきた」


 初耳だが、VRの件は受け入れよう。

 けれど、女子になるかは別の話。


「ホントに女子でいいの?」

「校則的には女子のアバターでも問題ない」

「そうなんだ」

「うちの学校、LGBTの子も珍しくないの」

「そうなんだ」

「VRで自由に性を選べるから、トランスジェンダーの子も満足してるみたい」


 トランスジェンダー。身体と心の不一致。物理的な性と、自分が思っている性が一致しない状態である。


 僕はLGBTではない。

 けれど、僕の外見と心は男でありながら、声は女である。


 声の性別がちがうだけでも、僕は偏見に苦しんできたわけで。

 トランスジェンダーの人たちが他人事とは思えなかった。


 詩楽の言うとおり、女子になりきる練習も必要だ。

 僕は女子を選ぶ。


 手順に従って、女子のアバターを作り上げていく。

 最終的には、亜麻色の髪の女子になった。


「甘音ちゃん、虹マークのアプリを立ち上げてみて」


 言われたとおり、コントローラを使ってアプリを起動する。

 しばらくすると、目の前に校庭が広がっていた。


「おはよう、甘音ちゃん」


 目の前に銀髪少女が現れた。声で詩楽だとわかった。


「せっかくだし、学校に行ってる気分を味わおう」

「そ、そうだね」


 リアルの学校よりも、精神的な負担がずっと少ない。

 校庭の作り込みもオンラインゲームのようにきちんとしていた。


「きちんと季節の花リンドウも咲いてるんだね」

「ん。春には桜も咲く」

「へぇ。ところで、この虹色の線は?」


 僕の体から校舎の方に向かって、虹色の線が伸びている。


「それは次の目標位置だから」


 ゲームで見かけるナビか。


「でも、僕、ソファに座ってるよね。どうやって歩くの?」

「コントローラで歩くの」


 詩楽が歩きの見本を見せてくれた。

 さっそくやってみる。VRは初めてなので、どうしても動きがぎこちない。


「大丈夫。すぐに慣れるから」


 詩楽は走ったり、飛び跳ねたり。スカートがふわふわとめくれて、白い布が見えてしまった。下着まで作り込んであるらしい。

 物理の下着でないとわかっていても、ドキドキする。


「とりま、甘音ちゃんを職員室に連れていかないと」

「迷惑かけて、悪いね」

「ちがう。あたしのワガママで甘音ちゃんに転入してもらったし。あたし、甘音ちゃんのためなら、なんでもするから」


 詩楽が上目遣いで覗き込んでくる。

 リアルの彼女は隣にいて、首筋に息がかかる距離ではない。

 なのに、彼女の吐息に触れると思えるほど臨場感があった。


「なんでもするって……」


 ゴクリと喉が鳴った。


「大丈夫。甘音ちゃんは女の子。他人の目を気にしなくて大丈夫だから」


 気づくと、何人もの生徒が校庭を歩いている。

 詩楽に案内され、校舎に向かっていると。


「遅刻、遅刻……!」


 後ろから大声がして、振り向く。

 食パンをくわえた女の子が走ってきた。いまどき、珍しい。


 僕には関係ないし、急ごう。

 回れ右しようと思ったのだが、操作に不慣れである。

 横にそれてしまった。


 そのときだ。


「ちょっ……パイセン!」


 誰かの悲鳴がして、背中に衝撃が走った。

 といっても、物理的には痛くない。


 僕の目の前では女子が倒れていて。

 スカートがめくれていた。


 ピンクの布切れには、クマさんがプリントされている。

 女子は小学生みたいな顔立ちで、犯罪臭が漂っている。


(アバターが幼いだけで、中の人は高校生なんだよね?)


「おにいちゃん、1000年ぶりの再会だね」


 少女は僕をじっと見つめ、感慨深げに言う。


(誰、この子?)


「ちょっと、甘音ちゃん、大丈夫?」


 詩楽が僕に声をかけてくる。


「あっ、詩楽ちゃん。昨日はおつかれ。また、放課後ね❤」


 謎の少女は食パンをくわえて、走り去っていった。

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