第3話 朝凸

 抱き枕に頬をスリスリ。


 ――ぷにゅぷにゅ。


 信じられないほどの弾力だった。

 スースーという微風までするし。


(………………………………えっ?)


 いくらなんでもおかしい。


(僕、抱き枕なんて持っていたっけ?)


 寝不足の頭で状況を整理してみる。


 昨夜。僕は橋から飛び降りようとしていた女の子を助けた。

 なりゆきで彼女を家に泊め、添い寝したわけで。


(抱き枕の正体って、夢乃さんだよな⁉)


 おそるおそる目を開く。

 正解だった。


 彼女は横向きに寝ていて、僕の方を向いている。

 しかも、ちょうど僕の目の前に、豊かな膨らみ×2がございました。

 もしかして、頬をスリスリしてたのは……。


(僕、なんてことしてくれてんの⁉)


 まずい。非常にまずい。


 過去は変えられないとして、この状態から抜け出さないと。

 夢乃さんが目を覚ましたら、大変な事件になりかねない。


 ベッドから脱出したいが、夢乃さんの手が僕の背中に回っている。

 どかそうとして、彼女が起きてしまったら?


 とりあえず、現実逃避しよう。

 可能な範囲で首を回し、顔を夢乃さんから反対側へ向ける。


 机の上にコンビニ袋があった。昨夜、夢乃さんと出会う直前に買ったものだ。

 中には、推しVTuber萌黄あかつきちゃんのアクリルスタンドセットが入っている。


(いろいろありすぎたよな) 


 結局、夢乃さんのことを考えてしまう。

 諦めた。


(さて、この後、どうしよう?)


 明るさ的に朝6時はすぎている。

 いつもなら、母は帰宅して、寝ついたところだろう。


 母にバレることなく、夢乃さんにお帰りいただくのが、理想的な流れか。


 最悪なのが、このタイミングで夢乃さんが目を覚まして、騒ぐ展開だ。母が部屋に来てしまったら、アウト。家にいづらくなるし、社会的に終わる可能性もある。


 やっぱり、夢乃さんを起こさずにベッドから出る以外に道はない。

 難題に頭を抱えていたら。


「うみゅ~」


 夢乃さんが目をこする。


「あっ、これはちがくて……」


 僕が慌てて釈明すると。


「甘音ちゃん抱き枕きたぁぁぁっっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!」


 彼女は大絶叫してしまう。


(絶対に母の部屋まで聞こえてるじゃん!)


 固まる僕に向かって、夢乃さんは。


「甘音ちゃん抱き枕、1億万ウタで買ってもいい?」

「……」

「しゃべる抱き枕最高すぎるし、ガチ恋距離もたまらん」


 ――ぎゅつ、ぎゅっ。


 僕は窒息しそうになった。夢乃さんのおっぱいで。


「★#$&!*@あsdwfghkl」


 僕まで叫んでしまった。

 2回もうるさくしたら、さすがに母も気づくだろう。


(どうすればいいのかな?)


 とりあえず、おっぱいから抜け出さないと。

 息も苦しいし、親に見つかったら完全に終わる。


 そのとき、スマホが鳴った。着信音はLIMEのものだった。


「ごめん、スマホを取らせてくれるかな」

「ん。アマネーゼを体に刻み込んだ。30分は生きていける」


 あえて突っ込まないで、行動を優先する。


 下半身の胃変に気づかれないよう片膝立ちした。

 手を伸ばし、机の上のスマホを取ろうとしたのだが、コンビニ袋に手が当たってしまう。お菓子とグッズが袋から出て、床に落ちる。


「あっ⁉」


 夢乃さんが目を丸くする。


「甘音ちゃん、昨日も萌黄あかつきの真似してたし、好きなの?」


 萌黄あかつきちゃんのアクリルスタンドセットだとわかるらしい。


「う、うん。とくに、虹がね」


 夢乃さん、VTuberについて知識があるとみた。

 あえて、『虹』というVTuberグループの名前を出す。なお、正式名称はレインボウコネクトである。ファンは虹と呼んでいるが。


「甘音ちゃん、虹は誰推し?」


 虹で通じるらしい。会話が楽だ。


「3期生の萌黄あかつきちゃん」

「他には?」

「……うーん、2期生のさくらアモーレちゃんかな」

「やった。あかつきが一番なんだね」


 なぜか、夢乃さんが頬を緩ませる。

 表情は乏しいけれど、笑ってもかわいい。


「夢乃さんも、あかつきちゃんが好きなの?」

「好きというか……」


 彼女は視線を泳がせる。

 声の特徴が似ているから、複雑な気分なのかな?

 あまり突っ込まないでおこう。


「それより、スマホは見なくていいの?」


 スマホを見ると、母からLINEが来ていた。


『お店の子が飲みすぎちゃったの。彼女の家で介抱してるから、お昼すぎに帰るね。お昼ごはん適当に作っておいて』


 母はクラブのカウンターレディをしている。お酒を作ったり、皿を洗ったり、カウンター越しにお客さんと話したり。母自身が接待をしているわけではないけれど、きつい仕事と聞いている。


 母には申し訳ないけれど、不在で助かった。

 昼までに夢乃さんのことを考えればいいし。


「母の帰りが昼すぎになるってさ」


 夢乃さんはバツが悪そうな顔をする。僕の家に一泊したことを気にしているのかもしれない。


「僕の意思で止めたんだし。気にしなくていいよ」

「で、でも」

「まず、朝ごはんを食べようか?」

「……食事までいただくなんて」

「僕、母と生活リズムが合わないから、誰かと一緒に朝ごはん食べたいんだよね」


 僕の都合にしたら、夢乃さんもあっさりとうなずいた。

 本日のメニューは、サラダとベーコンエッグ、パン。我が家では珍しくインスタントコーヒーも用意した。


「おいしそう」

「ひとり親で貧乏だから、たいしたものは出せないけど」

「……そうなんだ。あたしも一緒」


 夢乃さんの弱々しい笑顔が痛々しい。

 どういう意味なのか聞けなかった。


 微妙に気まずい雰囲気になったとき、玄関のチャイムが鳴る。


 時間は7時すぎ。誰だろう?

 とりあえず、玄関に行く。ドアにチェーンをし、数センチだけドアを空ける。


「どなたですか?」

「虹の橋学園の理事長をしております、西園寺さいおんじかなでと申しますわ」

「は、はあ」


 学校の理事長さんが朝っぱらから訪ねてくるなんて。

 しかも、若い女性の声である。


(新手の詐欺なのかな?)


 無視しようと思ったのだが。


「そちらに、夢乃詩楽が来ておりますわよね?」


 予想外の名前を出され、僕は固まってしまった。


「あの子がいるのは間違いなさそうね」


 見破られてしまった。


 声の雰囲気は優しそうな感じだ。

 が、人間は声だけではわからない。ガタイの良い僕も声だけなら、美少女だし。

 

 万が一、西園寺さんが悪い人で、夢乃さんを自殺未遂に追い込んだのだとしたら?


 迷っていたら、夢乃さんがやってきた。 


「奏、こんなところまで追いかけてきたの?」

「当たり前じゃない! どれだけ心配したと思ってるのよ。名古屋から始発の新幹線に乗って駆けつけたんだから」


 西園寺さんの声は震えていた。


「……申し訳ございませんわ。朝から近所迷惑ですわよね」

「「……」」

「でも、詩楽ちゃんに何かあったら、わたくしは……」


 夢乃さんを心配している様子が伝わってくる。


「西園寺さん、あがりませんか?」



 数分後。リビングにて。


「うちの生徒がご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした」


 西園寺さんは深々と僕に頭を下げた。


 生徒が外泊して、理事長みずから謝罪に来るとは?

 変な気もするけれど、僕が尋ねることでもない。


「頭を上げてください」


 西園寺さんは猛烈な美女だった。

 理事長なのに、年は20代半ばぐらいに見える。


「奏、あたしを迎えに来たの?」

「エアリータグで調べさせてもらいましたわ。猪熊さんには朝からご迷惑をおかけし、なんとお詫びすればいいか」

「僕の方こそすいません。夢乃さんを泊めてしまい……。やましいことはしていませんので、ご安心ください」

「わたくしも教育者の端くれですわ。猪熊さん、あなたが悪い人でないとわかりますの」


 添い寝したなんて言えない。


「詩楽さんはわたくしが連れて帰りますから」


 どうせ、昼には帰ってもらうつもりだった。

 相談窓口を探す手間も省けて、これでよかった。


 なのに、素直に喜べないでいる。


「……やだ」

 

 静かな声だった。


「……う、詩楽ちゃん?」

「あたし、甘音ちゃんに救われたの」


 夢乃さんの琥珀色の瞳に、朝陽が差し込む。


「甘音ちゃんと一緒にいたい」


 西園寺さんは苦笑いを浮かべた。


「詩楽ちゃん。猪熊さんが気に入ったのね」


 夢乃さんは首を縦に振る。

 すると、西園寺さんは僕の目を見て。


「なら、わたくしからもお願いしますわ」


 テーブルに額がつくくらいのお辞儀をすると。


「猪熊さん。うちの学校に転入していただけませんか?」


 とんでもないことを言い出した。


「はぁぁあぁぁっ?」


 とっさに叫んでしまった。

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