第二話 謎の光
ピンク色した羊のような雲たちが青い空から迷い込んできて、あかね色した太陽のまわりをうろついていた。そんな雲のピンとはねた毛の隙間から月が顔を出し、牧童のような星を従え、群れを追いたてるように夕闇とともにせまってくる。
青にピンクにあかね色。紫色から群青色へ。いろんな色の混ざり合う、そんな夕暮れ時の光景が、星野空の大のお気に入りだった。
空は学校から帰ってくるといつも、自分の名前の意味するところ、つまり空を、ポツポツと星がまたたきだすまで、じっと眺めるのを日課としているようだった。
空には父親も母親も兄弟もいない。空は、自分のすべての世界であるちっぽけな町の、とても小さな『みの虫園』という児童施設の、そのまた一部である狭苦しい自分の部屋の窓から、じっくり、だけれど、ぼんやり、夕暮れ時の空を眺めるのが好きだった。
そして今日も、空は窓辺にもたれ、ぼんやりと考えごとをしていた。
『……僕はどうして、こんなちっぽけな児童施設で暮らしてなきゃならないんだ。
……それは僕が親のいない孤児だからさ。それ以外に何があるってのさ?』
空に、それ以外の理由なんて、わかるはずもなかった。園長に聞いても話をはぐらかして、親のことについては何も語ってくれなかった。だから空のこれまでの人生といえば、空っぽで、ごくわびしいものだった。この施設には、いっしょに住んでいる仲間はいたが、それも、ごくわずかな人数だ。そんななか、この施設の仲間で長い間、同じような生活をともに過ごしてきた同い年の倉瀬愛という女の子だけが、かろうじて特別な存在だったといえるだろう。愛がこの『みの虫園』にやってきたのは、空が小学校に通い始めたころで、以来、この施設では園長の次に長いつきあいとなってしまっている。
空は、じつをいえば、どの倉瀬愛がちょっと苦手だった。愛は学校から帰ってくると必ず空の部屋にやってきて、空の机の前に座り、雑誌を読んで時間をつぶす。読んでいるのは、たいてい園長から借りてきた『月刊主婦の友』『週刊節約術』『消費者マガジン』などで、空はそれを「目が腐りそうだ」と思っていた。
だが、愛は空にも愛読するようそれらの雑誌をすすめる。そして、それらのくだらない雑誌にあきると、『家計簿』とやらを書き始めるのだ。だんじて『こづかい帳』などではないらしい。愛は、月に一度支給されるなけなしのこづかいを、その家計簿とやらに細かく記入するのを楽しむかのように、ちびりちびりと使っていく。
一方、空は、そうではない。月のこづかいは最初の一週間でほぼ使い切ってしまう。
『こづかいなんてのは、いっきにつかわないと楽しくない』というのが空のポリシーだ。
さて、そんあ空であるが、家族がいないというだけであれば、彼は、まだ普通の少年と言えただろう。ところが、空のすることといったら、すべてがほかの少年たちとくらべて突飛だった。奇妙な行動をとるようになったのは小学六年も終わりに近いころからだったと空は自覚している。それまでは、そんなに変わったところはなく、ましてや、あんな奇妙なことに挑戦したいなど、それまでは思いもしなかった。それが、あの日から、少しずつなにかが変わり始めたのだと空は思っている。
あれは小学六年も終わりに近い二月のある寒い夜のことだった。空はいつものように、みんなと、この施設のわびしい食堂に置かれたたった一つしかないテレビを見ていた。映りの悪い安物のテレビで、そのとき見ていたのはみんなが毎週、見るのを楽しみにしていた世界の信じられない出来事を紹介する番組だった。
その日は超能力特集をやっていた。密封された箱に入れられて見ることのできない紙に書かれてある文字をみごとに透視する女や、スプーンをクネクネに曲げてしまう男などが次から次へと登場し空やほかのみんなをすっかり興奮させてしまった。番組が終わった後も、みんなの興奮はさめず、そのはけ口は食堂にあるカレーなんかを食べる時に使う大きめのスプーンに向けられることになった。
みんな、それぞれスプーンを手に持ち、顔を赤くしたり、青くしたり、懸命にそれらを曲げようとしていて、それはとてもおかしな光景だった。
愛だけが、そんなことは無視して、一人、もくもくと家計簿の記入に余念がなかった。
みんなはテレビのなかの青年がやっていたように、目を閉じ、スプーンが曲がるのに必要な『精神パワー』なるものを送り込もうと必死になっていた。
けれども、やはり、スプーンは少しも曲がらない。しつこくスプーンと格闘していたが、どんなに頑張っても、誰一人として、曲げることができないでいる。
空もスプーンを手にしてみた。そして、しばらく、じっと見つめていた。じょじょに、ほかのみんなが空に注目しはじめる。空は、スプーンの丸い部分にそっと指先を置いて、ゆっくりと、その部分を押してみた。
『……曲がれ!』
すると、みんなが驚くようなことが起きた。
空がスプーンを曲げはじめたのである。最初はゆっくり、やがて激しく、スプーンは溶けたキャラメルみたいにぐにゃぐにゃになり、そのまるい部分と、柄の部分との間でポッキリと折れてしまった。さらに、そのあと、空は折れて別れてしまった部分を指で押さえ、しばらく、目を閉じていた。すると今度は、折れていたはずのそれが再び一本のスプーンにもどってしまった。食堂内は騒然となった。あの愛までが、冷ややかな細い目をむいて、驚きを隠そうとしなかった。
しかも、空は、その不思議な力をもっと高めようと、毎日、トレーニングにはげみ、食堂にあるスプーンというスプーンをことごとく曲げて園長から大目玉をくらうことになってしまった。空は、曲がったスプーンをあわててもとにもどそうとしたが、時すでに遅く、園長に、折れ曲がった数十本のスプーンが勝手にもとにもどっていくのを見せてしまうことになった。
もうすこしで気がおかしくなるところを、なんとか押しとどめた園長は、
「今後一切、その手品をすることを禁じます!」
と強く言いつけ、新しいスプーンを買ってくるよう空に命令した。
こうして食堂のスプーンはすっかり新しいものになり、それから空はスプーンを一本も曲げていない。
「だって、できるんだもの。しょうがないよ……」
空は夜空に向かってつぶやいた。
それから数ヶ月がたち、空が中学一年生になったある日のことだった。学校の理科の授業でカエルを解剖することになり、授業の終わる頃には、すっかり、息絶えたカエルの残骸が六匹分できあがっていた。
空は、カエルがかわいそうだと言い張り、息絶えたカエルの残骸を一つのパレットに集めた。先生やほかの生徒たちも、おそらく、校庭の端っこにでも埋めてあげるのだろうと思って、空の行為に賛同してくれた。
けれど空は、全く誰もが想像しなかったことをしたのである。
『……生き返れ!』
空はその六匹の死骸に向かって手のひらをひろげ、なにやら力を送り込んでいた。みんなが不思議そうに見ていると、やがて、パレットの中でカエルの足がピクピクと動きだした。
見ていた者の顔が恐怖に引きつった。
あるいは、空の手のひらから、うっすらと青い光が出ていたのを目撃したかもしれない。
そのうち悲鳴があがった。すっかり死んでいたカエルが息を吹き返したのである。
すっかり元気になったカエルたちは、教室の中を自由気ままに跳ね回り、教室の中は大パニックになった。そして空は職員室に連れて行かれた。
こうして、その翌日から、空に話しかけてくるのは変わり者ばかりになった。
空には、それまでも、友達といえるような仲間などいなかったが、この事件は致命的だった。オカルトマニアや超常現象研究会なんかに参加している変人どもは大絶賛。神様か英雄の様にあがめられ、空は覆いに迷惑した。と、こうして空の居場所は、もっか、この施設にある自分の部屋だけとなっていったのである。
その片隅では、その日も愛が貯金の額を計算してはニヤついていた。空がちょうどさっb十個めの二等星を数え終えたとき、愛が急にノートを片付け始めた。夕食の時間になっているのに気がついたのだ。
『……やれやれ、時間にも正確なやつだな』
そこで空も、空を見上げて過去のあやまちをふりかえるのはやめにして愛といっしょに一階の食堂に降りていった。 食堂では、すでにみんながテーブルにつき、ジャガイモもばかりのカレーライスに飢えた目をじっと向けていた。早く座るようにと言われて、二人は、あわてて席についた。そして園長が、ゆっくりと口を開いた。 「食事をする前に、お知らせしたいことがあります」 園長がそう言った瞬間、愛がピクッと表情をこわばらせたのを空は見逃さなかった。 「とてもうれしいことですが、みなさんにとっては、さみしいことでもあります」 園長の言葉にも愛はなんとなく無表情で、目の前のカレーライスをぼんやり見つめている。 「倉瀬さんは明日をもって、この施設とお別れすることになりました」 食堂内に拍手がわき起こった。空は、園長の言った意味が分からず、ただ、呆然とみんなにつられて拍手をした。園長が、さらに言葉を続けた。 「倉瀬さんは親戚の方といっしょに暮らすことになりました」 その言葉でやっと意味を飲み込めた空は驚いて愛のほうをふり向いた。しかし、さっきとかわらず、さらに穴でも開けるかのように目の前のカレーライスを見つめている。 そのあと二人なんの会話もなく、ただ、もくもくとカレーライスを口に運び続けた。 やがて、二人とも少し食べ残してそれぞれ自分の部屋へともどった。 自分の部屋にもどった空は再び窓を開けはなち、東の夜空を見上げていた。ほんのりと生ぬるい六月の夜風が、さびしく頬をなでていく。 「人生なんて孤独なものさ。しょせん、僕は独りぽっちなんだよなぁ……」 おそらく空は、さびしいという感情を理解しきれていない。されど、いま夜空見上げるその胸の中では『独りぽっち』という言葉がぴったりに、そして、いつもより重く感じられてならなかった。 やがて、空がしばらく夜空をみあげていると、部屋のドアをノックする小さな音が聞こえてきた。 そっとドアを開けてみると、そこに愛がぽつんと立っていた。けれど、二人とも声がでない。
やがて、先に口を開いたのは愛だった。
「ごめんなさい。だまっていて……」
それは小さな声だった。
「「いいいよ、べつに……」
それ以上、空も言葉がつづかない。
「部屋に入ったら……」
やっと、それだけ言えた。愛がそっと部屋の中へ入ってくる。
「前から、そういう話があって、じつは叔父さんと一緒に暮らすことになったの」
愛は言いながら、空の前にペタンと座り込んだ。
愛の母親は、愛が小学校に通いだす少し前に交通事故で亡くなっている。名前は俊子とかいったそうだ。神かくし山を抜ける車道わきの歩道で愛をかばうようにして自動車にはねられたらしい。その話をするとき、愛は、すごく悲しそうな顔をする。さらに、父親は愛が生まれて間もない頃に蒸発してしまい、顔すら知らないと前に話してくれたことがあった。祖父や祖母もとっくに他界しており、唯一、母の弟である叔父さんだけが血のつながった親族なのだと愛は言う。
「そうなんだ」
空は愛の顔を見ずに、ぶっきらぼうにうなずいてみせた。
「叔父さんの家は、施設近くの駅から三十分ほどだから、すぐに会えると思うの。空とは学校が別になるけど……」
「叔父さんって、どんな人?」
「お母さんの弟で、科学者なんだけど、おかしな研究ばかりしていて大学をクビになって、しかも独身……」
言いながら、愛はあまり愉快な顔をしていない。
「それから、アインシュタインとユリゲラーを尊敬していて……」
「誰?」
「アインシュタイン?」
「ちがう」
「ユリゲラーは、だいぶ前にブレイクした、有名な超能力者です」
「ふーん」
空は少し自分がえらくなったような気分になる。
「靴下には穴が開いていて、アンパンが好き、シャツはプリント柄のものを好み……」
「もういいよ。ようするに、いい人なんだね……」
空は、ひとまず深呼吸した。
「まぁ、家族ができるってのは、僕にとってはうらやましいことだよ」
すると愛は、少し首をななめにして一瞬だまりこみ、やたら小さくした声で言った。
「ほんとうは、ここを出ていきたくないの」
それからしばらくは沈黙がつづき、やがて、重々しく口を開いたのは空だった。
「夏休みになったら、会いに行くよ……」
「ほんとう……?」
愛の声にはまだ元気がない。新しい生活への不安があるのだろう。空は口をモゴモゴさせるだけで愛を元気づけるだけの言葉を見つけられないでいる。空は約束が苦手だった。とくに愛と約束するのは。
「ほんとうに会いにきてくれるわよね」
愛はやはり疑いに満ちた目を細めている。
「だって、空ったら、忘れっぽいんだもの」
愛はなにかをねだるような顔つきだ。そこで空は『いつものやつか……』と心の中で毒づきながら机の引き出しを開け、そこから、風変わりな宝石箱のようなものを取り出した。これは、空を捨てた母が残していったものだそうだ。物心ついたときに園長が手渡してくれた。色とりどりの宝石のようなもので飾り付けされた、一見、アンティークな箱に見えなくもないが、空は、どうせガラス玉を散りばめた無価値なものだろうと思っている。その奇妙な箱の中には解読不能な外国の文字が記されている金属製のカードや、赤、青、黄、緑、白、紫、朱色と七色の少し大きめのビー玉みたいなもの、まだ、なんとか理解できるものとして銀色の指輪、そして、最も謎めいている、レンズのようなものが真ん中に着いている、持ち手のない虫眼鏡のようなものが入っていた。
その、ガラクタとしか思えない品々だけが母の残してくれた大切なものだと言って、半分笑いながら園長が手渡してくれたのを、空は、今でも覚えている。
空は、その箱を開け、中からまんなかにレンズのついている不思議な虫眼鏡みたいなものを取り出した。
「じゃぁ、今度は、これを預けておくから……」
空は、そのレンズがついたものを、しぶしぶ愛に手渡した。
「なに、これ、すごくきれいだけど……」
愛は不思議そうに目を開き、それをじっと見つめている。
「ぼくにも分からないんだ」
空はめんどくさそうに言った。
それは、手のひらサイズの小さいもので、真ん中にレンズのようなものがはめ込まれており、その周りを小さい宝石のようなものがとりまいている。さらに、そのレンズのような物体からウネウネと配線みたいなものが細い血管のようにのびていて、見れば見るほど不思議な形をしている。
「これって、大事なもの?」
愛は『返したくない』とでも言いたげに空を見つめた。
「一応、大切なものだから返してもらうよ絶対に。だから安心してて」
空は不機嫌そうに答える。とりわけ大事にしているものではないが、たとえ訳の分からないものであっても、母とのつながりがある唯一の物体なので返してもらわないと困る。
「いいかげん、約束するたびに、ぼくから人質を取るのはやめにしない」
愛は空の様子など気にもせず、その不思議な物体に見とれている。もう、すっかり元気なようだ。
「人質じゃなくて、もの質よ。空が忘れっぽいんだもの、しょうがないじゃない。こうでも しないと、自分の世界に入っちゃって、他のことなんて、すぐに忘れちゃうんだから。こんどこそ、約束を破ったらどうなるか、どんなに頼まれたって返しませんから!」
愛は、その不思議な物体をさっそく服のポケットにしまうと、うれしそうに「約束よ!」と言い残し、さっさと部屋から出て行ってしまった。一人残された空は、また飽きもせずに、その目を夜空へと向けた。
『きみは独りぽっちなんかじゃないよ』
そう、星たちが囁いているかのように、その夜空は賑やかだった。はくちょう座の二重星アルビレオ。わし座の一等星アルタイル。今夜も、みなきれいに輝いている。
「でも、どうして星を見てると、こんなに、さみしい気持ちになるんだろ。手を伸ばせば届きそうな気もするのに。いや、絶対にあの輝く場所へは誰もたどり着くことなんて、できやしない。この世界の片隅から抜けだすなんて夢のまた夢だよ……」
そんな独りごとをつぶやきながら、どのくらい星空を見ていただろう。ふと気づくと、輝いていた星たちが消え、真っ暗な世界があたりを包み込んでいた。空は寝ぼけまなこをこすり、「明日は雨か……」とつぶやいてみる。
ところが、そんな目に突然、驚くべきものが飛びこんできた。それは闇を切り裂くまばゆい光。一瞬、流れ星かと思ったが、どうやら、それはそんなものじゃないらしい。オレンジ色の光という光が乱舞し、それらがかたまりとなって、あの神隠し山のほうへと飛んでいった。それは数秒間のできごとだった。
息をするのも忘れた空は、神隠し山の方角をじっと見つめた。目をこすり、もう一度、夜空を見上げてみる。だが、もうすでに先ほどの光はなく、かわりに星たちがあいも変わらず輝いていた。
『……もしかして、ぼくは、ついに見てしまったのかも!……そうだ。さっきの光はUFOにまちがいない!』
あの神隠し山の奥にはストーン・サークルがあってその山の中にはピラミッドが埋まっている。そんな噂を耳にしたことがある。
『……きっと、あの山の中には宇宙人の秘密基地があるにちがいない……』
空は布団の中に潜り込んだものの、頭の中をそんなことでいっぱいにしてしまい、興奮のあまり、なかなか寝付けずにいた。おかげで次の日の朝、思いっきり寝坊した空は、自己の遅刻記録をさらに更新してしまうこととなった。
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