閑話 草加悠の義務

 まだ冬休みが明ける前のある日。

 早朝、部活の朝練に取り組む生徒達の声が響く中、豊陽の教室に一人の青年がやって来ていた。草加悠だ。


「……改めて見ると酷いな」


 豊陽の机には正視に耐えない落書きが大量に施され、引き出し部分には無数のゴミが突っ込まれている。

 ロッカーの方も同様で、中を開けるとビリビリに引き裂かれた教科書がこぼれ落ちた。


 クラスメイト達は、これが草加悠の指示であると考えている。

 愚かにもあの草加悠に逆らった男が粛正されたのだと、だから関わってはいけないのだと。


 これを片付ければ、大物政治家の息子である彼に反抗することになる。

 クラスメイトは疎か先生までも見て見ぬ振りをしていたのが、今になっても豊陽の机とロッカーが片付けられていない理由だ。


「父さんはこれが証拠になるって言ってたけど……」


 結局、これをやらかしたのが誰かは明らかになっていない。

 悠にも心当たりはない。仲間達が自分に忖度したものと思ってはいるが、そこに確証はないのだ。


「とりあえず誰かが登校してくる前に終わらせないとな」


 こんな事が起こる前の状態に、全てを回復させるのが悠の仕事だ。

 ゴミを仕舞い、私物をまとめ、落書きだらけの机は別所に保管し、ロッカーに関しては綺麗に清掃を行う。

 地味で大変な作業だが、悠がやらなくてはいけないことだ。淡々と清掃を進めていく。


「おいおい、悠くんなにしてんだよ」


 そこに、ガタイの良い青年がやってきた。

 悠の仲間の一人で、サブリーダーのような立ち位置を務める郡山茂雄(こおりやましげお)だ。

 高身長な悠よりも更に背が高く、野球部のエースを務める男でもある。


「茂雄か。早すぎるだろう」

「朝練で怪我しちまってな。無理しないように今日は休みにした」

「大丈夫なのか?」

「ああ、大したことじゃない。それよりもお前の方こそ心配だよ? 姫宮にフラれたんだろう」


 茂雄が直球で悠の心を抉った。


「う、うるさい。蒸し返すなよぉ……」

「やれやれ、まだ未練たらたらか。そんなんだからいつまで経っても童貞なんだよ」

「お前みたいなヤリ○ンとは違うんだよ!! 俺は一途なんだ!!」

「その割には女の扱いがなってないんだよなあ……まあいいや、それよりも、なんで今更オタクくんの机片付けてるんだ」


 茂雄が不思議そうに尋ねる。


「決まってるだろう。いつ登校してきても良いようにだ」

「何言ってんだ? お前、あいつのことは嫌いだっただろう」

「それとこれとは関係ない」

「ふーん……それなら、俺も手伝ってやるとするか。授業が始まるまで暇だしな」


 そうして、茂雄と悠は豊陽の机とロッカーの清掃を黙々と行った。


「茂雄、これをやったのはお前なのか?」


 一通りの作業が終わり、ふと悠が茂雄に尋ねた。


「まさか。俺は野球部のエースだぞ? 仲間に迷惑掛けるような馬鹿な真似するかよ」


 茂雄はありえないといった様子だ。


「なら、誰がやったんだろうな?」

「んー? 確かに誰なんだろうな。俺たちのグループの誰かか? あるいはクラスの誰か……いや、分かんねえな」


 茂雄にも心当たりはなかった。

 豊陽と悠のトラブルが起きた翌日には、既にこうなっていた。


 しかし、トラブルが起きた日の放課後、茂雄は他校との練習試合に赴いていた。そして、その疲れから翌朝は寝坊して遅刻したぐらいなので、本当にその件についてはなにも知らないのだ。


「まあいい。とにかく茂雄、手伝ってくれてありがとうな」

「おう、気にすんな。しかし……」


 茂雄が顎に手を当てて思案する。


「なんだよ。じろじろと見て」

「ああ。お前、少し変わったなと思ってな。今まではなんというか子どもっぽいというか、大人げないって感じだったが、今は少しマシになった」

「お前、ずっと僕のことそんな風に思ってたのか!!」

「悪い悪い。でも、そうだな、お前がこいつの件の尻拭いをするなら、俺も手伝うよ。俺だって見て見ぬ振りしちまったしな」


 そうして二人は、教室を後にするのであった。

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