第25話 対決

「つまり、うちの雪が、そこの羽生くんと浮気をしていたと?」


 威厳溢れる声がリビングに響いた。

 優に八人は座れそうな大きなテーブルの片側では、まるで外国の傭兵かと思しき屈強な肉体の男性が渋い顔を浮かべていた。

 隣には雪とその母が座っており、向かいには草加くんとそのご両親が座っている。


 一方の俺は雪の隣に座らされているがとてつもないプレッシャーで心臓が破裂しそうだ。


「その通りです、お義父さん。僕は見たんです、今朝彼女の部屋でそこの男が彼女と寝ている姿を」


 怒り散らしたように叫ぶのは草加くんだ。

 彼の密告によって、俺と雪の周りは想像以上の大事になってしまった。


「ふむ。私の娘に限ってそんなことをするとは思えないのだが……」


 雪の父、惣厳(そうげん)さんが困ったように顎をさする。


「どうする、誠一(せいいち)?」


 誠一と呼ばれた男性が軽くため息をついた。

 髪をきっちりと七三に固めた、冷たい雰囲気の眼鏡の男性で、草加くんの父親だ。


「愚息を疑うわけではないが、一方だけの話を聞いてても埒が明かん。三人から詳しい話を聞いて総合的に判断するのが筋だろう。聞き取りは俺と惣厳で行おう」

「そうだな。では、私は羽生くんの話を聞かせてもらおうかな……?」


 惣厳さんの鋭い眼光が突き刺さる。


 まずい。彼からすれば俺は娘さんをキズ物にしたかもしれない間男だ。

 そんな相手に父親が抱く感情なんて一つしかない。

 うぅ……胃が激しく痛んでくる。これから一体、どんな目に遭ってしまうのだろうか。


*


「では、掛けたまえ」


 通されたのは惣厳さんの私室だ。

 ゆったりとしたソファに座るように促される。

 俺は緊張で身体を硬くさせながら、ぎこちなく座る。


「そ、それでは失礼します」


 さて、腰掛けたのは良いのだが。


「うむむ……」


 惣厳さんが深く唸っている。

 一体、なにを考えているのか気になって仕方ない。


「うむむむむ……」


 それに……彼のテーブルの上にあるものがどうにも気になる。

 そこには何故か、漆黒のロボットフィギュアが置かれているのだ。


「そ、その……怒濤戦艦ヒナゲシ、お好きなんですか?」


 つい尋ねてしまった。

 机に飾られた黒いロボットは、一昔前に流行ったロボットアニメにでてくる機体だ。

 劇場版で主人公が搭乗するもので、漆黒の重装甲が特徴だ。


「なんだと?」


 その言葉に反応して、惣厳さんが屈強な肉体を揺らしながらこっちへ近付いてきた。


 まずい!? 怒らせてしまった??


 理由は分からないがこっちへ歩いてくる惣厳さんの迫力と圧は凄まじい。


「あ、あの、自分、失礼を――」

「君、分かるのかね!? ヒナゲシ?」

「はい?」


 しかし、出てきた言葉は予想外のものであった。


「劇場版の機体だというのに、一目でそれを見抜くとは、君も分かるクチだね?」

「え、ええ。その、自分も同じものを持っているので」

「それは素晴らしい!! まさか、君のような若人で、この機体のロマンを解する者がいるとは……誠一はこういうのを理解してくれないからな!!」


 惣厳さんが少年のように目を輝かせた。

 てっきりここで処刑されるものかと思ったが、どうやら不思議に好感触のようだ。


「おっと、いかん。本題に入らなければ」


 しばらくしてハッと我に返るように惣厳さんが目的を思い出した。

 そして、デスクの側の立派なチェアーに腰を掛けると、ゆっくりと口を開いた。


「……さて、率直に尋ねよう。君はうちの娘と付き合っているのかね」


 直球勝負だ。


 惣厳さんはとても真剣な表情で尋ねてきた。

 なら当然、こっちの答えは決まっている。


「はい。娘さんとお付き合いさせていただいてます」


 ここで嘘を言う理由はない。

 俺はキッと惣厳さんの目を見つめ、きっぱりと言い放った。


「……婚約者がいると知りながらかい?」

「事情は全て知っています。彼女と草加さんが婚約していることも、彼女がそれを望んではいないことを」


 ここははっきりと言おう。

 そもそも雪は草加くんとの婚約を望んでいないのだ。


「………………え?」


 すると、それまでの威厳が消え、惣厳さんは間抜けな表情を浮かべた。


「雪が婚約を望んで……いない? それは本当なのかね?」


 まるで寝耳に水といった反応だ。

 やはり、ご両親は雪の考えを聞いてはいないようだ。


「はい、娘さんに直接聞きました」

「なんと……」


 それきり惣厳さんは黙りこくると、険しい表情で考え込み始めてしまった。


「……もう一つ尋ねても良いかね? 君は雪を愛しているのかな?」


 しばらくの沈黙の後、惣厳さんが質問を投げかけてきた。


「……はい。彼女が望むことならなんでもしてあげたいぐらいに」


 嘘偽りのない本心を伝える。

 その質問なら、なんら迷うことはないのだ。


「クリスマスイブの日、雪に手は出したのかね?」

「はい!?!?!?!?!?」


 どんな返答が返ってくるのかと待ち構えていると、惣厳さんは突然、とんでもないことを口走った。

 突拍子もないことを言い出して相手を翻弄するのは血筋なのか?

 しかも、質問が一つだけじゃないし、え? この人は何を聞いてるんだ……


「そ、その……出してません!!」


 ともかく、誠実に答える。

 彼女と風呂場に行ったり、彼女と密着しながらゲームをしたり、匂いを嗅いだり……はしたけど手は出していない。

 それだけは間違いない!!


「だが、娘のベッドで一緒に寝ていたのだろう!?」


 惣厳さんが席を立ち上がり、ものすごい勢いで詰め寄ってきた。

 その威圧感だけで息が止まりそうな迫力だ。


「あ、あれは……停電で彼女が怯えていたので、安心させようと側にいただけです。誓って手は出していません」

「それは私の娘が魅力的じゃないという意味かね!?」

「違います!! 雪は世界で一番かわいくて最高の彼女です」

「なら、何故手を出さなかったんだね!!」


 待て待て待て待て、いつのまにか質問の趣旨が変わっている。

 どうしてあらぬ方向にヒートアップしているんだこの人……?


「僕はずっと娘さんのことが好きでした。友人の少ない自分ですが、彼女と過ごす日々がとても楽しくて。だから、彼女とは大切に付き合っていきたいんです!!」

「ふむ……」


 正直、ちびりそうなほどの威圧感であったが、それでも負けじと言い切った。

 すると、俺の言葉にようやく納得したのか、惣厳さんは落ち着きを取り戻し、再び席に着いた。


「てっきり、私の可愛い雪をたぶらかす悪い男だという可能性を考えていたのだが、どうやら君は違うようだ」

「自分には、あんな魅力的で素敵な人を弄ぶような経験も悪知恵もありません」


 女性経験もないし。雪が初めての恋人だし。


「うむ、それはそうだろうな。失礼だが、君はなんというか童貞っぽいしな」


 え……ちょっと待って。はっきり言ったよこの人。

 やっぱり雪のお父さんだ。間違いない。血は争えないんだ。


「ともかく、君が真剣に私の娘を好いていて、娘も君を好いていることがよく分かった」

「え……?」


 俺の話だけ聞いてどうしてそんなことが分かるのだろうか。

 疑問を浮かべる俺に答えるように、惣厳さんが口を開く。


「ふふ。実は雪は君のことを責めないでくれと懇願していたんだ。停電に怯える自分を励ましてくれただけで、何もやましいことは無かったとな。そして自分のことはいくら叱ってくれても良いから、君のことだけは許して欲しいとも」


 雪、俺のことそんな風に言ってくれてたんだな。

 そこまで真剣に俺をかばってくれていたことに、俺はどうしようもなく胸が高鳴る。


「雪は普段、無口でとてもおとなしい子なんだ。あまり我を表すこともないし、反抗期に入るような様子もなかった」


 意外だ。俺の前での彼女はおしゃべりだし。隙あらば俺をからかおうとするし。家ではだいぶ様子が違うんだな。


「手が掛からないという意味では良い娘なのかもしれないが、私はそのことがむしろ心配だった。雪はなにか本心を隠しているのではないか。私や母さんに遠慮してるんじゃないか。その心の内には途轍もない苦悩を抱えているんじゃないかとね」


 惣厳さんは雪と草加くんの婚約を決めた張本人だ。だから俺はどこか、彼に不信感のようなものを抱いていた。

 しかし、それは俺の考えすぎのようで、むしろ惣厳さんはとても娘想いの父親だった。

 それどころか、想い過ぎて愛情が暴走している気(け)もある。


「でも、君の話になるとあれだけ感情的になるんだ。よほど君のことが好きなんだろうね」


 優しそうな表情で惣厳さんが言った。

 なんか、そうやって他人を介して雪の本心を知るの、めちゃくちゃ嬉しいな。

 俺はつい口元がニヤけそうになるのをなんとか抑えようとする。


「だから、悠くんとの婚約の話を進めてしまったことを後悔しているよ。まさか、雪には君のような想い人がいて、彼女が婚約を嫌がっていたなんて。きっと、雪は私のことを恨んでいるだろうな」


 惣厳さんはそう言って、とても悲しげな表情を浮かべた。


「えっと……」


 でも、それは違う気がする。雪はそんな子じゃない。


「雪は……雪さんはとてもいい子なんです」


 俺に対してはちょっと口が悪いところもあるけど、雪はずっと草加くんが俺にしでかしたことを気にしていた。

 自分には関係のないことのはずなのに、責任を感じてくれていた。そんな子が悪い子なはずがない。


「そのせいで自分よりも他人のことを気にするところがあって、多分、雪さんのご両親にはっきりと言い出せなかったのも、婚約に乗り気だったお二人に遠慮していただけかと」


 惣厳さん相手に、自分のことを差し置いても必死に俺をかばってくれたのも、そういう性格だからだろう。


「そうだと良いんだがな……」


 しかし、惣厳さんの表情は曇ったままだ。

 うまく言葉は紡げないが、そんな彼の様子はどうかしたいと思った。


「そうして、他人を思いやれる子になったのもご両親の愛情の賜物だと思うんです。それに、婚約の話を聞いた時も、ご両親を責めるようなことは一切ありませんでしたし、雪……さんが恨んでるなんて、絶対にないと思います」

「……気を遣ってくれてありがとう。娘の選んだ男が君のような子で良かったよ」


 熱意は伝わったのか、惣厳さんがフッと笑った。

 雪の父親にそう言ってもらえると、まるで自分が認められたようでとても嬉しい。


「とりあえず君たちのことは分かった。男親としては、娘に好きな人が出来たというのはとても寂しいが、本心を明かすほどに君のことを信頼しているのであれば、私も野暮なことを言うつもりはない。娘をよろしく頼む」

「は、はい!!」


 最初はどう裁かれるのかとビクビクしていたが、結果的にうまく話がまとまったようだ。

 それに、これは……雪の父、公認の付き合いになったということで良いのだろうか……?


「ただし、軽い気持ちで手は出すなよ? 娘を泣かしたら許さんぞ」

「は、はい、肝に銘じます」


 惣厳さんに強く釘を刺される。これからも誠実に雪とは付き合いを重ねておこう。まだ死にたくはない。

 さて、こうして惣厳さんとの話は一段落した。

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