第19話 本心

 一体どれくらいこうしていたのだろうか?


 俺は姫宮さんを抱きしめたままその場に佇んでいた。

 初めて抱き寄せた女の子の感触はとても柔らかく、そしてほんのりと甘い香りが漂っていた。


 好きな女の子を抱き締めるというそのシチュエーションと相まって頭がくらくらしてくる。


 こ、これが女の子の感触……

 すごい……なんだ。なんで女の子ってこんなに柔らかいんだ!?!?!? どうして、こんないい匂いがするんだ……!?!?!?


 俺は不思議な高揚感を抱いていた。

 これまでの俺と姫宮さんの距離感だと、気安い異性の友人という方が近かった。


 姫宮さんが、女子に不慣れな俺をからかって俺がムキになってイヤミを返す。

 そんなやり取りをしていたからか、俺はあまり彼女に異性感を抱いていなかった。


 もちろん、彼女は息を呑むほどかわいいし、彼女が女子であることは十分認識していた。

 でも、俺たちの距離感はそれを覆い隠して、異性であることを意識させないようにしていた。

 少なくとも、俺はそう感じていた。


 しかし俺は、彼女をあきらめる最大の障壁だった婚約関係が、彼女の望むものではないと知り、彼女の想いを知った。

 そして、こうして肌身に彼女を感じることで、俺の意識は完全に彼女に囚われていた。


 ど、どうする???

 ここから俺は、一体どうすればいいんだ……?


 しかし、悲しいことに俺は、こういった時の立ち居振る舞いを知らない。

 俺は彼女が好きだ、彼女も間違いなく俺の事を好いてくれている。

 だから俺は彼女をそっと抱き寄せ、彼女も受け入れてくれた。


 だけど、そこからは……?

 そこからは何をして、何をしちゃダメなんだ???

 誰か説明してくれよ!!!!


 俺は助けを求めるように姫宮さんの表情を伺う。


 ダメだ……この体勢じゃ何もわからん!!

 つむじしか見えん!!


「えっと……」


 とりあえず俺はそっと彼女を放してみる。

 よく分からないけど、ここは彼女の反応を伺ってみるとしよう。


「~~~~~~~~~~~~っ……なんで!?!?!? なんで、私こんなことしてるの!?!?!?!?!?」


 姫宮さんもまた、錯乱していた。

 先ほどまでの強気な彼女はどこに行ってしまったのか。


「な、なんでって、言われてもな」


 どうやら彼女もどうしたらいいか、さっぱり分かっていないようだ。

 互いに目を逸らしながら、さらに時間がたつと、姫宮さんがゆっくりと口を開いた。


「お、おふろ……」

「……はい?」

「お風呂に入ってきます。オタクくんはここで待っててください」

「え……」

「待っててください!!」

「はい……」


 有無も言わせぬ迫力に圧されて。俺は彼女の入浴を待つことになった。


「……待っててって言われてもなあ」


 心の中がすっかりかき乱されて、落ち着いていられない。



*


「~~~~っ……た、大変なことをしてしまったあ……」


 湯船に浸かりながら、私は先ほどの出来事を振り返る。

 初めての配信……頭が真っ白になって、ワケの分からないことばかり話してしまった。


 しかもその後は……


「ちがうちがうちがう!! あ、あんなの私じゃないもん……」


 これまでだって羽生くんをからかうことは何度もあったが、あんな風に迫るなんてどうかしてる。

 きっと、初配信の高揚で、色々と舞い上がってしまっただけだ。

 そして、その心のドキドキを私が勘違いして……


「ちがう。勘違いなんかじゃない……」


 そこだけは確かだ。

 私はずっと羽生くんが好きだった。


 ――お前は、俺に見合うように容姿を磨いていればいい。政治家の息子の女としてふさわしくない趣味はやめろ。


 私の婚約者は嫌な人だ。

 世界が自分を中心に回っていると思っている。


 彼の父親は地元の有力な議員で、彼自身のスペックも高いことから、周りは彼をもてはやしてきた。

 私は特段、彼に幼馴染みであること以上の関心はなかったけど、強引に婚約関係を結ばれてしまった。

 そのことから、自分には普通の女の子のような恋愛は無理なんだと諦め、せめて自分のやりたいことをやろうと思った。


 新し物好きの父の影響で、幼い頃からパソコンやインターネットに触れていた私は、自然とコンテンツ文化にのめり込んでいた。

 動画サイトの影響で、漫画にアニメにゲームに夢中になり、女の子らしいおしゃれや流行については嗜み程度で、趣味に没頭した。


 そうでもしないと私は自分の人生を歩んでいる実感が得られなかった。


 進路は父の経営する会社を継ぐことが決まっており、将来の相手は有無も言わさず決められてしまった。

 だから、夢中になれるものに全力を注いだのだ。


 だけど、それをあの人は否定した。


 ――なんだ、この部屋は……気持ち悪い。


 今でも覚えている。

 心からの嫌悪と侮蔑が入り交じった、あの見下したような瞳を。


 ある日、彼は私の部屋に押し入った。


 彼の家と私の家は、新年を共に過ごすのが常だ。

 その日、アニメショップで新年の福袋を買って帰ると、我が物顔で彼は私の部屋にいた。婚約者なのだから当然と言わんばかりの顔で。


 そして、開口一番に私の部屋を馬鹿にしてきたのだ。


 最悪の気分だった。

 確かに自室にアニメやゲームのポスターやタペストリー、フィギュアなんかを飾っているのは、人によってはちょっとって思うかもしれない。

 だけど、そこに無遠慮に踏み入れて、勝手に馬鹿にするなんて酷すぎる。


 それから私は、部屋に飾っていたあらゆるグッズをクローゼットにしまいこんだ。

 まるで心の中を荒らされたような不快感だけが残った。


 そして、冬休みが明け、学園であの人と顔を合わせることが苦痛になった私は、昼休みに彼とその仲間達との食事を断り、屋上に上がった。

 そして私は……


「はぁ……本当にルナルナはかわいいなあ……」


 死んだ魚の目をした黒髪の男の子と出会った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る