第10話 彼女の事情
それから俺たちは、大通りの脇にある小路で、電気屋を浚い、マイクとオーディオインターフェースを手に入れるのであった。
「それじゃ、こっちは俺が持っておくよ」
そう言って、俺は店員から商品を受け取る。
「え、えっと、どうしてオタクくんが荷物を?」
「どうしてって……姫宮さんに持たせるには重いだろ?」
妹の怜奈と買い物をする時はいつもこうしている。
重い持ち物率先して持つのが、男性のたしなみですとかなんとか、いつも言っている。
「そういうところ、少しずるいです……」
姫宮さんが頬を赤らめた。
「え、なんで?」
何がずるいのか分からず、俺は困惑する。
「リア充カップルがいちゃいちゃしやがって……」
脇で、店員の男がこぼした。
そういうことか……
怜奈との買い物ではこうするのが当たり前の事で、まったく気が回らなかった。
確かに、男が女の子の代わりに重いものを持つという構図は、その様に見られてもおかしくない。
だが、店員よ。そんな本音を堂々と漏らすな。
「いや、違うんだ。姫宮さん、これはあくまでも厚意で、下心があったわけじゃ……」
「し、下心……?」
まずい、姫宮さんが意地悪な笑みを浮かべ始めた。
「へ、へぇ……そうですか。オタクくん、やっぱり私に気があったんですね」
「な、そ、そんなわけないだろ」
図星だったが、俺は慌てて誤魔化そうとする。
「か、隠さなくても大丈夫ですよ。こんなに可愛い美少女の私に、好意を持つのは人類であれば当然のことです!! ですから、遠慮なく私に尽くしなさい、オタクくん」
相変わらず照れたまま、姫宮さんが早口でまくしたてる。
「まじで、何言ってんだ……うぬぼれが過ぎるぞ……大体、姫宮さんの本性を知って好きになるわけないだろ」
「な、なんですって!?」
嘘だ。本当は、そんな性格も魅力的に思える。だが……
「大体な。お前には婚約者がいるんだろ? こんないたいけな童貞をからかうんじゃない」
そう。俺はその想いを認めるわけにはいかないのだ。
だって、彼女にはもう決まった相手がいるのだから。
「…………」
しかし、その言葉を聞いた、姫宮さんは口を閉ざしてしまった。
「えっと、すまん……もしかして、悪いこと言ったか?」
なんだか申し訳ない気分になって、俺は謝罪する。
「いえ……そんなことはありません……」
どうやら失礼を言ったわけでは無さそうだが、さっきまでとは打って変わって、姫宮さんの雰囲気は暗い。
一体なんだというのだろうか。あまりにもテンションが違いすぎて、困惑する。
「……そうですね。帰る前に、少し話を聞いてもらえませんか?」
姫宮さんが尋ねてきた。
先ほどまでとはまるで違う、その真剣なまなざしに、俺はただ静かに頷き返すのであった。
*
姫宮さんに連れられてやって来たのは、駅前にあるカフェだ。
そこは一面がガラス張りになったシックな空間で、上の階には二人で座れるような席がいくつも並んでいる。
ちょうど人の少ない時間帯らしく、俺たちは人気のないところで向かい合って座るのであった。
「オタクくんはなにか誤解しているようですが、この婚約に少なくとも私の意思は一切介在していません」
「え……? それってつまり……政略結婚ってやつか?」
そんなの、漫画やアニメでしか聞いたことないが、本当にあるんだな……
「そこまで、重いものではありませんが、私の父と悠さんのお父上が親友同士で、私が生まれた頃にそう言う約束を交わしたそうです」
そりゃまた勝手で前時代的な話だ。
子どもにも、というか当事者なのだから子どもにこそ選ぶ権利があるだろうに。
「もちろん、昔の話なので、嫌なら断ってもいいと言ってくださったのですが……」
姫宮さんが目を伏せた。
「悠さんが乗り気だったのです。それで私達は相思相愛なんだとか、私の話も聞かずに勝手な事を吹き込んで……両家にとってもいい話だったので、すっかりみんなその気になってしまって……」
ええ……それはダサすぎるよ、草加くん。
彼女の気持ちも確認せずに、外堀を強引に埋めるなんて、なんというか小狡(こずる)い。
「それだけでも不服なのに、その後、彼が私のオタク趣味を知った時、なんて言ったと思います?」
オタク趣味……草加くんはそういうのに、あまりいい印象を持ってなさそうだが……
「お前は、俺に見合うように容姿を磨いていればいい。政治家の息子の女としてふさわしくない趣味はやめろ……ですよ?」
「な……!?」
予想を遥かに超える、最低の一言だった。
「周りのみなさんは、私達のことをお似合いだとか、あんな人が婚約者で羨ましいと言いますけど……私、あの人だけはお断りです」
当然だ。そんなこと言われたら、誰だって嫌になる。
そうか……彼女はそういった他人の冷やかしに、心底うんざりしてたんだな。
「すまん、そんな事情とも知らずに、俺も姫宮さんを冷やかしたりして……」
「別に怒ってはいませんよ。実際あの人は、そういった傲慢な本性を他人には見せませんから。でも、オタクくんには、私がこの婚約に乗り気でないことを知って欲しくて」
話というのはそういうことか。
まあ、彼女の事情を考えれば、俺の発言は軽率にも程がある。
今後はもっと気を付けよう。
「……事情はよく分かったよ。それにしても、許せないな。オタク趣味の否定もそうだが、なによりも姫宮さんを、自分のアクセサリーとしか考えてないそのセリフに吐き気がする」
「オタクくん……他人の私のことで、そんなに怒ってくれるなんて、少し嬉しいです」
「当たり前だろ。こんなに怒りが湧いたのは初めてだ」
「え……?」
「え……?」
俺は姫宮さんの怒りに共感したつもりなのだが、何故か、姫宮さんはきょとんとした表情を浮かべるのであった。
「な、なんだよ。俺、そんなに変なこと言ったか?」
「い、いえ、あんな仕打ちを受けたのに、彼に怒りを抱いたのは今日が初めてなんですか……?」
「あ……」
そりゃそうだよな。
確かに俺が受けた仕打ちを考えれば、今の返答はおかしい。
彼のことをなんとも思っていないのは、俺がVTuberとして成功し、そうなった切っ掛けの一つが彼だったからだ。
しかし、その事情を姫宮さんに知られるわけにはいかない。
「ああ、それはあれだ……俺が受けた仕打ちへの怒りよりも、姫宮さんを貶められたことの方が許せなかったってことだ」
これなら嘘は言ってない。
なにせ、姫宮さんへの発言が最低すぎて、心底腹が立ってるのだから。
「オ、オタクくん……そ、それって……」
しかし、一方の姫宮さんは、顔を赤らめて視線を逸らしてしまうのであった。
「な、なんだ。また、変なこと言ったか?」
「いえ……オタクくんは、女たらしです……」
「なんでさ!?」
それから、しばらく妙な空気が漂ったので、俺たちはとりあえず今日のところはお開きにすることにした。
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