第9話 デートですね、オタクくん
「一時間も早く来てしまった……」
緊張してほとんど眠れなかった。
時間までなんとか二度寝でもしようと思ったが、なかなか入眠できなかったので、予定よりも早く家を出ることにした。
「姫宮さんがあんなこと言うから、妙に意識してしまう」
ただの買い物……のはずだ。
だって、姫宮さんが自分みたいな取り柄のない男を意識するはずがない。
そんなことは分かっている。だけど……
――ふふ……デートですね、オタクくん。
彼女の凜とした涼やかな声が、まるで甘い媚薬のように脳の中を反芻していく。
いや、使ったことないけど。
「姫宮さんは彼氏持ち。姫宮さんは彼氏持ち。姫宮さんは彼氏持ち。姫宮さんは彼氏持ち。姫宮さんは彼氏持ち」
俺みたいな男が勘違いしないように済む、万能の呪文を唱える。
この恋愛ランク・ブロンズの自分の心を鎮めるには、こういった言葉を頭の中に刷り込み続けるしかない。
期待だけして、それが全て空回りしたとなったらつらい。
俺は恋愛において間違いたくはない。すぐに勘違いする男にはなりたくないのだ。
そうして、あれやこれやと頭の中で理屈を立てて、僕はなんとか心の平常を取り戻そうとする。すると――
「こんにちは。オタクくん、早いですね」
「ひ、姫宮さん!?」
そんな俺の葛藤を知ってか知らずか、ひょっこりと姫宮さんが現れたのだ。
「ず、随分と早いな。時間はまだなのに……」
「ええ。実は昨日なかなか寝付けなくて、二度寝しようにもすっかり目が覚めてしまったので、予定よりも早く来てしましました」
その言葉を聞いてドキリとする。
彼女も俺とまったく同じだったのかと思うと、妙な昂ぶりを感じてしまう。
こんな些細な偶然にもなにか特別な意味を感じてしまうのが、恋愛ブロンズの悪いところだ。
「そういえば、オタクくん。今日はジャージじゃないんですね。いつも変なTシャツを着ててかわいかったのですけど。でも、その服はその服でよくお似合いですね」
「そ、そうか? 普通だと思うが」
紺のダウンジャケットに、グレーのセーターを合わせただけの簡素な服装だ。
怜奈が選んでくれただけあって、まともな格好にはなっているとは思うが、やはり姫宮さんに比べたら地味に見える。
「そういう姫宮さんも、おしゃれだな。美少女を自称するだけのことはある」
白の長いコートに、ワインレッドのインナー、そしてグレーのチェックスカート、おしゃれについてはよく分からないが、それでも今日の彼女の服装はとても可愛らしく見えた。
「そ、そうでしょうか? べ、別に、普通ですよ」
珍しく姫宮さんが照れたような仕草を見せた。
その姿がたまらなく可愛いく思える。
そして、しばらくの沈黙が訪れる。
なんだか妙な空気感が漂っている気がする。
「え、えっと、そろそろ行こうか」
俺はなんだか気まずくなって、話題を変えた。
今日の本題は機材購入だ。
早速、店に行かないと。
*
「ということで、配信機材を探していくぞ」
さて、一件目の目当ては、ヨドガワデンキだ。
大通りからは離れたところにあり、PCショップを浚うならここを起点にする方が動きやすい。
それに、駅前スタートよりも圧倒的に人通りが少ないので、人混みが苦手な俺には丁度いいのだ。
「ゲーミングモニターにチェアー、マウス、キーボード……ここ、e-Sportsコーナーになってるんですね」
e-Sportsとは、ゲームを競技スポーツとして捉える時の呼び名だ。
FPSやストラテジー、カードゲームなど、昨今では様々なジャンルのゲームが、一競技として地位を築いている。
「あ、見てください! スタイリッシュトロールさんのポスターです! 私、ファンなんです」
スタイリッシュトロール、通称スタルさんは、最近特に名が知られてる、有名なFPSプレイヤーだ。
トロール(荒らし)という名前とは裏腹な、芸術的なエイム力と、キャラコントロール、立ち回りの鮮やかさが魅力的な選手で、プロチームと契約して競技シーンで活躍している人だ。
どうやらゲーミングマウスを販売している、ロジックストラテジー社の広告塔として、販促をしているようだ。
ポスターの真ん中でデカデカと腕組みをして立っている。
「うーん? 前に見た時と全然髪型が違うな。見る度に別人に見える」
「そうですね。とてもカッコイイ人ですけど、髪型がコロコロ変わるので雰囲気がすぐに変わりますよね」
この前は、なにかの罰ゲームでボウズにしたりしていたし、メガネをしてる時としてない時で雰囲気がガラッと変わったりするので、しばらくぶりだと、スタルさんだと気付くのに数秒かかることがある。
「でも、姫宮さん。ストリーマーの配信までカバーしてるなんて意外だな」
「基本、切り抜きですけどね。テクニックとか情報系の動画が、iTubeのトップページに表示されるのでよく見てます」
「え、じゃあFPSやるの?」
「はい。アル様の影響でAREXを始めてみました。まだランクはシルバーですけど」
「意外だな。姫宮さんはそういう血なまぐさいゲームはやらないと思ってた」
女子のFPSプレイヤーなんて都市伝説、そう思っていた時期が俺にもあった。
もちろん、女性VTuberの中にも腕の立つAREXプレイヤーはいるが、実際にプレイしている女性ユーザーはほとんど見たことがないのだ。
「それは偏見です。FPSぐらい、今どきの女子なら普通にやります」
「へぇ、そうなんだ」
確かに、俺の知る世界は狭い。
一方、姫宮さんは、学園でもトップカーストに所属する人物だ。
そんな彼女が言うのだから、本当なのだろう。
「ということは、姫宮さんの周りでもやってる女子とかいたのか?」
「……………………」
ん? こいつ、急に黙ったぞ。
「待ってくれ。もしかして……でまかせ言ったな?」
「……いえ、間違っていません。私こそが今どきの女子代表なので、私がやっているということは、最近の女子達もやっているということです」
なにいってんだこいつ。
「さては、勢いあまって、つい『今どきの女子は~』とか言い放っちゃったんだな。それで、引くに引けなくてなんとか誤魔化そうとして、訳分からんことを」
「わああああああああ、ち、ちちち、違います。人の心を勝手に読まないでください!!」
心を読むなってことは、図星じゃねえか。
今日の姫宮さんはどこか浮かれているというか、妙にぽんこつだ。
「そ、それよりも機材の話です。ここにあるマイクなどはいかがですか?」
姫宮さんが強引に話を戻す。
彼女が手にしたのはロジックストラテジー社が出しているゲーミングヘッドセットだ。
「うーん、こういったゲームデバイスを扱うメーカーのは悪くはないが、オーディオメーカーのそれと比べると、やや劣るかな」
「そうですか……できれば、音質にはこだわりたいところですが……」
実際、配信者の音声が鮮明かどうかはかなり大事だと思う。
ゲームによっては絶叫することもあるし、そういうときにノイズが乗ったりすると、聞いてる方も苦痛を感じてしまう。
音質に違和感を抱くだけで、ブラウザバックするリスナーも珍しくないだろう。
「だが、ここにはあまり配信向けの機材は置いてないな」
「ゲーミングコーナー以外だと、オンライン会議用の安価なものが多いですね」
「そういう需要が多いんだろうな。ただ、カメラの方は、そういったオンライン会議用ので十分だと思うぞ」
カメラの用途は、あくまでも身体の動きを検出して、立ち絵を動かすだけだ。
そういったトラッキングさえ十分行ってくれれば、画質などは気にしなくていいのだ。
「では、ここでカメラを購入して、他の機器を探しに行きましょうか」
そうして、俺たちは秋葉原を横断し、マイクとオーディオインターフェースを探し求めるのであった。
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