閑話 私は有能……私は賢い……私はかわいい……私は優しい……

 私――羽生 怜奈(はにゅうれいな)には一つ上の兄がいる。

 背は高いが少し猫背気味で、髪はボサボサ、いまいち覇気がなく愛想の良くない目つき、典型的な陰キャで冴えない兄だ。

 おまけに学校ではいじめを受けて、今では学校にも行っていない。


 身なりをちゃんとすれば、それなりに整った顔立ちだというのに、本人はそういうことに無頓着で、結果として暗い人間というレッテルを貼られてあんなことになってしまった。


 そんな、彼の支えになってくれるような恋人はおろか、友達すらいない。

 世間的にこれ程ダメな人間もいないだろう。


 だけど問題ない。


 彼には、世界一有能で、賢く、可愛く、優しい妹がいる。

 どれほど彼がダメ人間でも、この私が終生面倒を看続けるから問題ないのだ。


「怜奈〜、助けてくれ〜」


 今日もダメダメな兄さんが私を頼ってくる。

 そのことに頬がゆるみそうになるのを抑えて、私はいつものクールな表情を作る。


 そうしていると、兄さんが私の部屋に入ってきた。


「兄さん、私の部屋に入る時はノックを。いつも言っているでしょう」


 本当にデリカシーのないダメな人。

 だけど、そこがいい。


「ご、ごめん。次から気を付けるよ」

「それで、一体どうしたの?」

「いや、日曜に秋葉原に行くんだけど、何を着ればいいかわからなくて」

「何をって……いつものジャージにクソダサTシャツで行けばいいのでは? 兄さん、普段そんなこと気にしないでしょう?」


 兄さんはこれで肝が据わっている部分がある。

 基本的に自分と無関係な他人からどんな悪意を向けられても、あまり気にしないのである。


 学校に行けなくなった時も、心配していたのは自分がいじめを受けていることよりも、進学がどうなるのかということだけだった。


「いや、それだと、少し困るというか……」

「困る……?」


 何か嫌な予感がした。

 あの兄さんが、服装を気にする?


 街中で笑われようと、陰惨ないじめを受けようと、意にも介さない兄さんが、今更服装を気にするなんて……

 一体、どんな心境の変化が?


 私は兄さんらしくない言動に、なんだかモヤモヤしたものを感じながら探りを入れてみる。


「いや、俺一人が笑われるだけなら問題ないけど、そのせいで一緒にいる人まで笑われるのは嫌だから、少しはまともな格好をしようと思って」

「は………………………………………………………………?」


 頭がフリーズした。


「あ、あの、あのあの、兄さんそれはどういう……」


 理解が追いつかない。

 あの兄さんが、他の誰かと出掛ける?


 女? 男?

 いずれにせよ心当たりはない。


 無論、あの様なくだらないいじめ騒ぎがなければ、兄さんも誰か心許せる人と交遊して、休日に出掛けるなんてこともあり得たかもしれない。

 しかし、今の兄さんは引きこもり。

 誰かと出掛けるようなことは考えづらい。


「えっとだな……その、友達に配信用の機材を選ぶのを手伝ってって言われて」


 配信機材……VTuberとして活動している兄さんなら確かに適任だけど、一体誰なのだろう?


「兄さん、その人とはどこで知り合ったの? 兄さんの活動で知り合った人とか……」

「えっと一応、学園の知り合いになるのかな」

「学園の?」


 兄さんをつまらない理由でいじめ、ここまで追い込んだ学校に知り合い……?

 とてもそんな人間がいるとは思えないが、趣味の合う男友達が実はいたのだろうか。


「その、大丈夫……? 何か脅されているとか……トラブルに巻き込まれているとか、そういったことは?」

「はは、さすがにそれはないな。悪い人じゃないし、本当にただ買い物に付き合うだけだし」

「そ、そう……」


 兄さんがそう言うということは、それなりに信頼できる人物なのだろう。

 お人好しで人を疑うことを知らない兄さんだが、人を見る目はそれなりにある。

 あまり友人は多くないが、その中に、彼を貶めるようなものはいなかった。


「ということで、俺は何を着ればいいのだろうか?」

「……そういう話なら、兄さんの服から、私が選んどく」


 この世界で兄さんの味方は家族だけだ。

 だから、私はいついかなる時でも、兄さんの力になれるように準備をしている。

 服を用意するぐらいお茶の子さいさいだ。


「ありがとう!! 怜奈にはいつも助けられてばかりだな」

「気にしないで。兄さんの助けになるのが、妹の役目だから。だけど、気を付けてね。また、あの時みたいになったら私が耐えられない」

「はは、本当に心配性だな。でも、気遣ってくれてありがとう。怜奈みたいな妹がいて、俺は幸せだよ」


 兄さんがそっと私の頭に手を置いた。


「兄さん、軽々しく女性の頭を撫でちゃいけないって、いつも言っているでしょう」

「ああ、悪い。怜奈も、もう十五歳だもんな」


 そう言って、兄さんが慌てて手を放す。

 離れていく感触に、名残惜しさが募る。


「私は例外だって。いつも言っているでしょ? 兄さんのために働く私をちゃんと労ってください」

「分かった分かった。ありがとうな、怜奈」


 兄さんが再び、私の頭を撫でる。

 頭を包む、兄の大きな手の感触に身を委ねながら、私達は兄妹の親交を深めていく。




 日曜日、私も兄さんの後を尾けようかしら?

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