第21話 残りは、少し
鎮痛の魔法薬の材料は、本来ならそう簡単に集められるものではない。しかしどこへでも一瞬で移動出来て、無生物であれば簡単に手元に引き寄せることができる超能力者がいればそう難しいものでもないのである。
サビエートの森の中、懐かしい小川の傍でユーリは魔力を使った薬作りをしている。私は彼の邪魔にならないよう、静かに見守りつつ魔獣や魔物が寄ってこないか周囲の警戒をしていた。
(見てるのは面白いね……理科の実験とか、手品みたいな)
魔石に魔力を通し、それと一緒に植物を煮たり、魔石を砕いて植物と一緒にすりつぶしたり、そのような作業工程の中で作られている薬は実に様々な色に変化していく。おそらく含まれる魔力の属性で最も強い色が反映されているのだと思うが、この世界の原理は私の知るものとは別なので実際どうなのかは分からない。分からないからこそ不思議で、興味をそそられる。
最終的には茶色でとろみのある液体が出来上がった。植物や魔石が跡形もなくなっているのもやっぱり不思議だ。固体、液体、気体の原理が謎である。
「……できたな」
『できましたね。材料もまだまだたくさん余ってますよ』
ユーリ曰く集中力が必要であり魔力の調整が難しくて簡単ではない、ということだったが一度目で成功した。材料はかなり多めに集めてきたので、この薬もいくつか作れるだろう。
魔石除去のあとはとてもじゃないが集中できないということで、そのまま残った材料も薬にしていく。できたのは全部で五回分の魔法鎮痛薬だった。
『これが効いてる間だったらたくさん壊して大丈夫ってことでしょうか』
「…………どうだろうな。試してみないことには……」
ユーリから恐怖の感情が伝わってくる。魔法の鎮痛薬であっても動けなくなるくらいの痛みが完全になくなることはなさそうだし、どの程度軽くなるのかも分からないので私の“たくさん壊す”発言は不安になるようだ。
「一つ、ためす?」
「ああ。………………やろう」
覚えた言葉で話せそうな時は拙くてもこちらの言葉を使う。それでもちゃんと「一度試してみよう」という意味は伝わったのだろう。たっぷり間を開けてから覚悟を決めたユーリは、出来上がったばかりの魔法薬を飲んだ。
私の目には飲んだ瞬間その薬の魔力が彼の体を巡っていったように見えて、数秒でそれの効果が体中に行き渡ったことが分かった。即効性が抜群である。
「……頼んでいいだろうか」
「うん」
背筋を正して深呼吸するユーリの背中に手を当てる。彼の心臓が激しく鼓動し始めた。治療の時はいつもこうだ。恐怖やら何やらいろいろと混ざった感情で、いつもドキドキしている。
今壊しているのは魔蔵の下、位置としては体の中心で胃のあたりにある魔石だ。それをいつものように念動力で割って、アポートで取り出した。
「っ……終わり、か?」
「おわった。……大丈夫?」
ユーリは一瞬息を詰まらせたけれど、いつものように蹲ったりはしなかった。顔色も悪くなっていないし、呼吸の乱れや、冷や汗をかいている様子もない。普段の魔石除去に比べれば随分と楽なのだろう。彼自身も驚いているし、想像していたよりも感じる痛みは減っていたようだ。
「……そうだな。魔獣の突撃を貰ったくらいの衝撃だ。これなら耐えられる」
……それはかなり痛いのではないだろうか。私には痛みの想像ができないが、つまり猪に突進されるようなものだろう。一般人は結構な大怪我をすると思う。
この世界の人間は魔力がある分、元の世界の人間より丈夫なようだけれど。魔石を取る時は精神感応も切っているし痛みの程度が分からないので、彼が我慢強いだけなのかどうかも判断できない。
「薬の効果がある間にできるだけ魔石を壊してほしいんだが、頼めるか?」
『私は構いませんが……無理はしないでくださいね』
心配している、ということも伝えたくて精神感応を使う。するとユーリは優しい顔をして笑って、嬉しそうに「大丈夫だ」と言った。
『ハルカの好意はくすぐったくて、心地いい。……勘違いしてしまいそうになる』
ユーリには私の感情が伝わっている。彼は、私に向けられる感情が心地よくて好きらしい。そしてそこに籠った彼への好意は――しっかりと強いものなのだろう。彼が「勘違いしそうだ」と思うくらいには。……自覚はあまりないのだけど。私がユーリを大事に思っているのは、間違いない。彼のためにここに残りたいと、考えることすらあるのだから。
休憩を挟みつつも20回ほど魔石を壊したので、またひとつ塊が取れた。私の手には結構な量の魔石の欠片がある。
1つの魔石が無くなれば彼の魔力は目に見えて増えるし、ユーリの魔力は今日だけで随分増えた。
「残る、8つ」
「あと8つか。……薬が効いてる間にもうひとつくらい壊せるだろうか」
ふぅ、とため息を吐く姿からはそれなりの疲労感が滲んでいるのだが、ユーリはまだやるつもりらしい。
ここでつい、どれくらい痛いのだろうかと考えてしまった。心配だったのもあるし、耐えられる程度の痛みと言っても何度もそれを味わうのは大変だろうから「これくらいなら大丈夫」というその苦痛のレベルを知りたかった。
それを知るために精神感応で意思を読み取りながら、彼の魔石の除去をやった。……やってしまったのである。途端、流れ込んできた彼の意思は、とてつもなく。
「ひっ!?!」
「っ…!? どうした!?」
どうした、ではない。精神感応は意思や感情を読み取るものであって、相手の痛みを私が痛覚として感じる訳ではないが、その苦痛がどれほどのものなのかは伝わってくる。十八年間一度も出したことのないような声がでるほど、ユーリが感じている痛みは強い。
しかもこれでかなり軽減されているというのだから、信じられない。もう少しでアポートも失敗するところだったではないか。
『とんでもなく痛がってるじゃないですか。これ以上はやめましょうよ』
「私の痛みを感じ取ったのか?! 何をしてるんだ、大丈夫か……!?」
『いや、私の心配よりも自分の身を大事にしてくださいよ。……我慢強いにもほどがありますって……』
私が人生で感じ取った意思の中で「一番痛そうだ」と思った歯医者の前で受け取った痛みの叫びよりも数倍痛そうだったのだが、元々の痛みは一体どれほどのものだったのだろう。彼自身のためでもあるが、なんというか、かなり気が引ける。毎回、治療が始まる前に怯えて心臓がおかしな挙動になっているのも納得だ。
「この程度なら耐えられるんだ。君には私がそう思っているのが分かるだろう?」
『それはそうなんですけど……』
ユーリは確かに、この程度の痛みなら耐えられると思っているし、私のためにもはやく魔石を除去して禁書庫にいかなければと思っている。しかしそこには確かに苦痛と、私にもっとこの世界に居てほしいと願う彼自身の気持ちもあって。
それらを押し込めて、私のためにと我慢している。それは己の身を削る優しさ、自己犠牲の精神だ。……あまり、見ていたくない。何故かは分からないが、胸を押さえつけられたような苦しさを覚える。
(もっと自分を大事にしてほしい。……でも、私がユーリさんの行動にとやかく言える立場ではない、か……)
元の世界に帰りたいという私のために身を削る彼に、私が何か言えるはずがない。「帰らない」という選択肢を選べていない私は、何も言ってはいけないだろう。
何か言えるとすれば、それは。私がこの世界残ることが決まってからだ。その理由が「帰れない」なのか「帰らない」なのかは、分からないが。
「やすむ」
「ああ、そうだな。そろそろ昼食の時間か? 食事を摂ってからまた再開しよう」
「魔物、さがす、たべる」
「…………君は本当に魔物が好きだな」
呆れたように言いつつも楽しそうに笑うユーリ。私が魔物を食べたいのもあるけれど、彼を労いたいという気持ちもあるからやっぱり、食事には美味しくて疲労回復の効果がある魔物が必要だと思う。
そういう訳で久々に薄氷魚を獲ってきた。魔力放出障害だったとしても水中を自由に泳ぐこの魔物を狩るのは不自然なので、ホームには持って帰れないし外でしか食べられないからだ。
そんな昼食をとった後は、魔石の除去を再開した。あの痛みをできるだけ小さくしたくて、壊す魔石の大きさを小さくしてみた。ユーリはそれでもっと痛みが減って楽になったと言ったが、それがどの程度なのかはやはり分からない。……そして精神感応で苦痛のレベルを調べる勇気はもうない。
結局、夕方まで薬を使いながらゆっくり魔石を壊していき、彼の体内に残るのは魔蔵の中の一番大きな魔石だけというところまできた。途中から削る魔石を小さくしたとはいえ、今日行った除去の回数は200回近いのではないだろうか。
数えるのを50回目くらいでやめたので正確には分からないけれど、流石にこの回数は堪えただろう。ユーリも額に汗を浮かべている。『今日はもうやめましょうよ』とこれまでにないくら心配しながら伝えたら彼もようやくやめる気になってくれた。……止めなければ最後の一つまで続けたかもしれない。
『……九割くらいは魔力が出せるようになってます。元々の魔力量からすればかなり増えたと思いますけど……っていうか本当に大丈夫ですか?』
「ああ。……なんだか体が軽い気もするし、倦怠感はあるが……悪い気分じゃないな。ありがとう、ハルカ」
気怠げだが満足そうにも見える顔で笑って礼を言われた。礼を言うべきは私の方だろう。彼は今回の五日間の調査の間に禁書庫に入るために無理をしてくれたのだから。
まるで、必死になることで、自分の感情を忘れようとしているみたいに見えた。
『こちらこそ、ありがとうございます。……明日は、王城に行くんですよね』
「そうだ。書庫を調べる間、君には……私に与えられている部屋で待っていてもらおうと思う」
『私がお城の中に入っていいんですか?』
貴族の仕組みはよく分からないが私のイメージでは平民ときっちり隔てられた存在で、城という場所には身分がないものは入れなさそうなのだけれど。
首を傾げると、ユーリが笑う。自嘲気味に。……城の話題になると彼が過去を思い出して、暗い感情を持ってしまうのが少し、嫌だ。
「私の部屋に、私の友人を招くだけだ。何も悪いことじゃない」
血族中から存在を見て見ぬふりされていても、ユーリは城内に一室を持つ王族の一員なのだ。髪を切りでもしない限り、彼は王族としての行動を咎められることはない。そもそも、誰も彼を見ていないので咎めてくれる相手なんてものはいない訳だが。
『……瞬間移動でいきましょうか?』
「……そうだな。それで問題ない」
ユーリが部屋にたどり着くまでの道で誰かとすれ違いたくない、と考えていたからこその提案だ。彼もほっとしている。城へホームの資金を取りに行くと、すれ違う人間はやっぱりユーリを“見えないもの”にして決して視線を向けないらしい。
(それは誰にも会いたくないって思うよね……わざわざ無視されたくはない、だろうし)
ユーリの自室が城のどのあたりにあるかを教えてもらい、千里眼で探す。見つけたのは部屋の主がほとんど帰ってこないからか寂しい雰囲気で生活感のない、埃の積もった薄暗い部屋。
家具など必要最低限しかないのに、部屋の隅に積まれた小袋がやけに目立っていた。その中身は金貨であり、そんなものが無造作に置かれていることに驚く。……ユーリに割り当てられるという、王族の資金だろうか。
『……念写します。この部屋で合ってますか?』
明日瞬間移動するべき場所だ。間違えていたらいけないと、確認のために数枚の紙に部屋の様子を念写した。ユーリにとってもいい思い出のある場所ではないからだろう。嫌そうな感情と共に軽く眉間に皺を寄せたが「その部屋だ」という確認も取れた。
彼の視界にいつまでも残していたくなかったので、さっさと発火能力で燃やしてしまう。……明日は現場に赴かなければならないが。
『念写なら魔物も上手く写せるんですけどね。ほら』
ユーリの気分が沈んでしまったので話題を変えようと新しい紙に火山猪の姿を念写した。超能力者でも友人にはそれくらいの気遣いができるのである。
描いたのは遭遇したその瞬間の、濁った黄色の目が睨む姿。先程描いたおにぎりに手足が生えたような絵とは大違いで、臨場感がある。経った二か月前だが色々あったのでとても懐かしく感じた。
ユーリはその火山猪を見て『見事なものだ』と思っているが、どことなく残念そうである。
『なんで残念そうなんです?』
「……君の異能で描く絵は素晴らしいと思うが……私は、君の絵が嫌いじゃなくてな」
どうやら私の芸術作品が見たかったようだ。ユーリの趣味は変わっている。お世辞にも上手いと言えない私の絵が好きらしい。
仕方がないので、紙の端の方にお手本となる念写の火山猪を見ながら正面の顔を描いてみる。それでもおにぎりに顔や棘がついたような何かが出来上がったが、ユーリは実に楽しそうにその絵を眺めていた。
『ユーリさんは物好きですね』
「……そうだろうか?」
「うん」
私のいびつな絵や、私のような異質な超能力者を好きになるのだから、物好きとしか言いようがない。その物好きな友人と過ごす時間が好きな私も、もしかすると物好きなのかもしれない。
類は友を呼ぶ、同じ穴の狢と言うし。……私とユーリに似ているところがあるとは思えないけれど。一緒に居て楽しいのだから、どこか近いところがあるのだろう。
(明日、お城で手掛かりが見つかったら……いや、まだ帰らない)
手がかりを見つけたとしても、私はユーリの魔石を壊し終わるまではここに残る。まだ大きな魔石、最後の一つが残っているのだ。それまでまだ、時間がある。一緒に居られる時間が。
(……帰りたく、ないな。手がかりが見つかって、帰れると分かっても……この気持ちは変わらないんじゃないのかな)
自分の感情がよく分からない。そのせいで、あまりにも優柔不断だ。十八年の間、自分の感情がこんなに複雑に揺れたことなどなかった。この世界に来て、ユーリに出会い、初めての友人になって、初めて人から恋心を向けられて。私自身が今まで知らなかった感情を覚えるようになった。そして、それをいまだに理解しきれていない。
(残り、四日。手がかりが見つかっても、見つからなくても……もう、決めよう。決めてないから、私も揺れるんだ、きっと)
元の世界に戻れると分かった時、帰るのか。それでもここに残るのか。あと四日のうちに必ず決めようと、自分に誓った。
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