第20話 情報と、芸術



 現在私は浮遊している。正確に言えば、王都上空に念動力で浮かびながらユーリの様子を千里眼で見ている状況にある。

 そう、今日は黒髪の少女わたしを探している相手の情報を探るために王都にやってきたのだ。こちらに来てすでに二か月が経っているし、そろそろ何かしらの手がかりを得たいものである。



(ユーリさんは目立つなぁ……魔力の量が増えてきたから)



 この世界で千里眼を使うと魔力が多いものに引き付けられやすい。そろそろ魔石除去の治療回数は100回に到達する頃で、ユーリの体の魔石も残すところあと9個となっている。出会った頃に比べると随分と魔力の流れがよくなって、彼が纏う気の量も増えた。そのせいだろう、普段の私の視線もよく彼に引っ張られるし、度々目が合ってしまう。……直ぐに恥ずかしそうにそらされるのだけども。

 この街の人間の中に居ると、ユーリは目立つくらい魔力の量が多いのだ。今の状態でも本来の半分程度の魔力しか出せていないのだから、元々は本当に魔力が多く、その色も濃かったのだろう。そんな彼が血族から存在を認識されない生活をすることになったのだから、この世界は残酷だ。


 というか、神が酷いのではないだろうか。この世界で生まれ育っていない私には信仰心のかけらもないし、信仰されている宗教についても詳しく知らないので割と頻繁に「神様は酷いな」と思っている気がする。


 いけない、思考がずれていた。ユーリは今、捜索依頼紙を出していた情報屋で店主が来るのを待っていて、特に動きがないので暇だったのだ。

 一時間ほど待たされているので本当にやることがなく、ユーリと“しりとり”でもしようとしたらお互いの言語が違うのでゲームが成立せずに暇が潰せなかった。例えば日本語の「ねこ」とこちらの「クヌルワ」は音が違うが、精神感応ではその音が分からない。私が「猫」と伝えれば、ユーリは「ワ」の音で始まる単語を思い浮かべて「ワストト」と返ってくるのだ。しりとりができるはずもない。


 それで他に何かやることがないかと考えていたら『頼むから何もしないでくれ』と心配そうに言われてしまい。暇すぎてそろそろ眠気にも襲われようかというところでようやく店主が現れた。



「黒髪の少女を見たって?」


「ああ。ただ、その人物で合ってるかどうか、この情報だけじゃ分からないしな……依頼人に直接話がしたいと思って来たんだ。そいつに連絡が取れるか?」



 精神感応と千里眼を使っていればその場の人物が何を考えているのかもわかる。店主はユーリが目深にフードを被っていて顔や髪を隠しているのを訝しんだが、さらされている手首には橙石のブレスレットがあるのである程度は信用できる者だと認識しているようだ。

 ユーリは王族としては認められないが、平民の中であればその色も濃い方であるという。色が濃ければそれだけ信用されやすくなり、薄ければ信用も薄くなるのがこの世界だ。本当に差別が激しい。



「連絡を取ってみようじゃないか。ここで待ってな」



 情報の確認をするために依頼主とやらは連日この店を訪れており、今は別室で待機している状態なのだがまずはその相手に確認を取ってからユーリに話をするつもりらしい。

 千里眼では同時に二つのものを見ることはできない。ユーリに店主の様子を見ているので、何かあったら強い意志で話しかけてくれと頼んでから視点を切り替える。



「目撃情報を持ち込んだものが居るが、どうする? 橙色だし、金に困って偽の情報を持ってきてる訳じゃないと思うんだよな」



 ユーリが待たされている、店内の固い椅子とは違って高級な設えの待合室だ。一人で座るには広すぎるソファに腰かけた男に店主が話しかけている。がっしりとした体格で、真っ赤な髪を高い位置できっちりと結い上げたその男が依頼主であるらしい。



「話を聞こう。どの程度正確な情報かは私が直接確認する」



 おや、と思った。依頼人の男の方の口調がユーリに似ていたからだ。彼が普段使っている、貴族の言葉遣いである。それにぱっと見ても街を歩く人々より体に纏う魔力が多い。

 以前、私を召喚したのはこの国の権力者ではないのかと推測したこともあったがそれが現実味を帯びてきたのではないだろうか。この人物は貴族、もしくはその関係である可能性が高い。



「じゃあ、情報提供者を連れてくる」



 店主が「ちょうどよく依頼主が来た」とユーリを呼び出して、男の待つ客室まで案内する。部屋に通されたユーリがその依頼主の男を見た一瞬、ピタリと動きを止めたのを疑問に思った。話しかけるのは邪魔だろうから精神感応でその思考だけ読んでみると――どうやら知り合いらしい。

 そして『これ以上の捜査は必要なさそうだ』という意思も飛んできた。詳しい話を聞きたいが、会談が始まるという時に横から話しかける訳にもいかない。話が終わるまで大人しくやり取りを見守ることにした。



「どんな情報か聞かせてもらおう。報奨金を払うかどうかは、情報を確認してから決める」


「……ああ。ここから日没の方向の、ジャグア村の辺りで見たんだがな。黒髪で、十五歳くらいの娘だった。変な服を着ていたんで、目立ってたな。魔力の色は分からないが、風の魔法を使ってたのは見たぞ」



 私達が住んでいるホームは王都から見れば日が昇る方角だ。ユーリは真逆の方角にある村の名前をあげており、全くのでたらめ情報なのだが、男は“変な服”という部分に反応した。この世界に来た時に私が着ていたジャージはこの世界だと奇妙に映るようなので、彼はその服装を知っているのだろう。

 目を開けていた訳でないし私が召喚された場所のことは分からないが、複数の人間がいたことはなんとなく知っている。『奇妙な服なら信憑性が高いな』と思っているこの男もその場にいたようだ。



「そうか、情報をありがとう。そのあたりを探してみよう。見つかれば賞金を渡すので、また近々この店に来てくれ」


「わかった。見つかればいいな」


「……ちょっと待て。私とどこかで会ったことはないか?」



 用は済んだと言わんばかりに立ち去ろうとしたユーリを、赤髪の男が引き留めた。ユーリはフードで顔と髪を隠していて、容姿は殆ど分からないはずなのに「どこかで会ったことがあるか」と尋ねてきた男に対し、ユーリが抱いたのは――怒りと、諦めと、自嘲の混ざった、暗い感情で。それを感じ取っていた私も背筋が冷たくなる。……ユーリから、こんなにどろどろとした暗い感情を受け取ったのは初めてだ。



「さあ。ないんじゃないか」


「……そうか。もう行っていい」



 男の言葉で今度こそ部屋を出たユーリは、そのまま店も出て街中を歩き始める。このあとはサビエートの森まで歩くので、到着したら人目がないことを確認してから来てほしい、という意思が飛んできた。

 今の彼は気が立っているので、歩くことでそれを落ち着かせる目的もあるようだ。了解したことを伝えて、暫く空中をふらふらと漂う。サビエートの森の方に向かいながら。



(あの人は城の人間っぽい。ユーリさんを無視した人たちのうちの、誰か)



 会ったことがあるかと尋ねられたユーリは『目も合わせたことがないのに何を』と思っていた。そして暗く重く感情が沈んでいったのだ。フードをとって顔と髪を晒せば誰か分かるだろうが、その姿を見せている時に会話したことはない、という意思を感じた。



(ユーリさんの心の傷、なんだよね……この先の調査、無理してほしくないな)



 依頼主がユーリが暮らしていた城の者であるということは、この先を調べるために城へ赴く可能性がある。そこは、ユーリにとっては苦痛の記憶しかない場所ではないのか。

 人の感情に疎い超能力者であっても友人の心は思い遣る。ユーリの心がこれ以上傷つかないか、傷口をえぐられやしないかと心配だ。



『ハルカ、そろそろこちらに来れるか?』


『あ、はい。じゃあ降りますね』


『降り……?』



 念動力で浮かびながら結局ユーリについて来ていたので、そのまますとんと地面に降りてきた。上から降ってきた私を見たユーリは何度か瞬きを繰り返し『そういえば空中にいると言っていたな』と驚きつつも納得していた。



「依頼人は近衛騎士のザックアという男だった。彼を動かせるということは、君を召喚したのはやはり王族の誰かだろう」



 ザックアは元々ユーリの護衛騎士になるはずの男だったようだ。通常は色判定を終えて王族として認められたら、専属の護衛の騎士がつき、専属の執事や召使いを与えられて、専用の新しい部屋で、王族としての新しい暮らしが始まる。しかしユーリは色判定後、誰も傍に居なくなった。そして誰とも目が合わなくなった。

 ユーリはザックアをよく知っている。いや、よく見ていたというべきか。騎士の訓練場で稽古に励むザックアの姿を真似て剣を振るうことで剣術を覚えたようだ。

 他にやれる事といえば図書室で本を読むくらいで、一日を訓練に費やすこともあったから、剣の腕はそれなりに立つ、と。そんなユーリの姿は彼らの視界に入っていたはずだが、声をかけられることも目が合うことも当然なかった、と。そんなことを考えている。……本当に酷い話だ。



「城の者なら誰でも入室可能な図書室には異世界人を召喚する記録はなかったからな。禁書庫の情報が有力だと思う」


「わかった。……ユーリ、魔石、こわす?」


「ああ、そうだな。私の魔力を増やして禁書庫を探すのが一番、安全だろう」



 結局、ユーリの魔石を壊して王族専用の禁書庫とやらに入り、情報を探ることになった。あとどれほどの魔石を壊したら入れるようになるのか分からないが、相変わらず痛そうな荒療治を繰り返し、そのうえ心の傷に関係する場所に赴かせるというのは、なんだか。



「……痛い。大丈夫?」


「ああ、大丈夫だ」


『本当に大丈夫ですか。……貴方に無理はしてほしくないです』



 下手な言葉では伝えきれないと思って精神感応に切り替える。するとユーリはほっとしたように笑って、本当に大丈夫だと言った。……確かに、その感情はとても落ち着いている。



『君が居れば、私は大丈夫だ』



 声にされることはない、彼の思い。私の存在は彼の支えとなっている。私が、彼を助けられる人に、彼を支えられる人になりたいと願ったように。ただ、それは。私が彼の寄りかかる柱であるということは。



(私が元の世界に帰ってしまったら、どうするんですかって……訊けない)



 これは伝えられない。訊いてはいけないと思う。だって、彼は必死に自分の感情を抑えて、私の望みを叶えようとしてくれている。これを聞くのは無神経というものだ。この世界に残るとも、絶対に帰るとも、決断できていない私にはそれを訊く資格などない。



(……普通に考えたら帰るべきなんだけど)



 今、ようやく私を召喚した人間の手がかりを得たところだ。そしてもうすぐ、元の世界へ帰る方法が見つかるかもしれない。

 けれど私にあるのは期待ではなく、迷いとユーリへの心配の感情で。何故、こんな気持ちになってしまうのだろう。



(最近の自分が分からなくて困る。……本当の私はどうしたいんだろう)



 この戸惑いをユーリに伝えるのは、きっと失礼だ。彼は私のためにと思って頑張ってくれているのに、その私が悩んでいてはだめだろう。だから精神感応で言葉を送るのはやめて、まだまだ下手な異世界語で話した。



「魔石、壊す、がんばる。今、やる?」


「…………ああ、そうだな。でも寒気が収まるまで待ってもらってもいいだろうか」



 両腕をさするユーリはどうやら鳥肌が立っている様子で、やはり魔石を壊すのに無理をしているのだろう。

 彼の魔力は大分戻ってきているし、鎮痛効果のある薬がそろそろ作れたらいいのだけれど。そう思って尋ねてみた。



「薬、まだ、できない?」


「ん、そうか。そうだな……一度試してみるか。材料を集める必要があるな」


「私、とる、できる、思う」



 材料がどんなものでどのような場所に生えているか教えてもらえれば、千里眼で見つけてアポートや瞬間移動で集められると思う。ユーリの苦痛を減らせるなら、いくらでも手伝おう。



「君にばかり動いてもらうことになってしまうな……ありがとう。絵を描くので参考にしてほしい」



 今回は調査だったので、大量の紙を鞄に詰めてきた。その紙の束と鉛筆のような筆記用具を取り出したユーリは手慣れた様子で絵を描き始める。デッサン画のような、大変出来のいい植物の絵が見る見るうちに出来上がっていった。



「ユーリ、絵、うまい」


「……君はもっとうまいだろう?」


「ちがう。……かして」



 紙と鉛筆を渡してもらい、さっそく絵を描き始めた。彼が言う私の「上手い絵」というのは念写のことだ。あれは見たもの、私の記憶をそのまま映し出せるという超能力であって、私の絵が上手い訳ではない。

 美術の教師がとても困った顔でどう指導したらいいものかと悩むレベルの私の絵は、いうなれば幼稚園や保育園に飾られていれば違和感がないような、そういうものである。



「……それはなんだ?」


「薄氷魚」


「……薄氷魚……?」



 私が書き上げた薄氷魚の絵を見たユーリは暫くその絵を見つめ、そしてバッと口元を抑えた。肩が震えているので必死にこみあげてくるものを抑え込もうとしている。もう一押しだな、と思った私は薄氷魚の隣に火山猪の姿を描いて「火山猪」と言いながら見せる。

 角の生えた魚というよりはしゃもじのような薄氷魚、山のように背中の盛り上がった猪というよりは手足の生えたおにぎりのような火山猪になったが、自分でもこれ以上をどうやって描けばいいのか分からないのだ。……絵が描ける人はすごいと思う。



「くっ……い、いや、すまな……ッ」


「次、春風蝶、幼虫。かんたん」



 細長い円に縦線を入れてもこもこしていた体を表現し、あとは角を生やす。箸の刺さったコッペパンのようなものが出来上がったが、一番似ていると思う。ユーリはついに堪えきれないように笑い出したが、それでいいと思った。彼が笑ってくれれば、それでいい。



(こうして過ごす時間、好きだな)



 ユーリが笑っていると、私も楽しい。調子に乗って雷鹿や茸熊も描いて、セルカやイリヤやダリアードも描いた。ユーリに見えない妖精はこんな形だったと説明しても通じなかったし、火龍に至っては難しすぎてよく分からない物体になったがたくさん笑ってくれたので、よしとする。


 ……とても楽しい、大事な思い出の一つになった。



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