第22話 心、乱れて
ユーリの自室は城の中でも中心部からほど遠く、建物の端の方にある。人が寄り付かないのか、転移の前に千里眼であたりを調べても誰の姿もなく、転移後も周りから物音がしない、あまりにも静かな場所だった。
(……ここがユーリさんの部屋か)
千里眼で見てはいたが、あらためて見ても物の少ない部屋だ。ベッドと机と椅子、あとはクローゼットくらいしか家具がなく、そのすべてが埃を被っていて手入れされていないのが一目で分かる。そんな部屋の隅に金の入った小袋が積まれているのが異様に見えて、なんというか。……寂しい部屋だ。
「禁書庫へ行ってくる。この部屋には人が来ないから、ここで待っていてくれれば君が誰かに見つかることはないだろう」
『分かりました。千里眼で見ていますし、精神感応も使いますから何かあったら話しかけてくださいね』
「ああ。……君が見ていると思うと心強いな」
彼がそう言って浮かべた柔らかい笑みは本物だ。ここへ来る前、私は結構彼の心を心配していたのだけど思っていたよりも平気そうで安心した。
また『ハルカが居れば大丈夫だ』と思ってくれている。……私が居れば、彼はあまり悲しい思いをしなくてすむのだろうか。それなら、私はここに残っても――。
(この世界に残りたい理由ばっかり、増えていく)
そのせいで元の世界に戻る理由を忘れてしまいそうになる。そもそも私はどうして元の世界に帰りたかったのか、と昨晩は宿のベッドに寝転がってじっくり考えることになったくらいだ。
戻る理由は大きく分けて二つ。まず両親に別れを告げていないし、私の異様さを知っていて命の心配はしないとしても音沙汰がなければそれなりに気にはするだろう。消えるならばここまで育ててくれた礼と、心配はいらないと一言くらい残すべきだと思う。
そして二つ目、こちらの方が大きい。そもそも私はこの世界にとっては異物であり、存在するはずのないもの。その上に本来異世界人に与えられるはずの魔力を持っておらず、超能力者なので尚更に異質な存在である。
魔力がなくても同じようなことができ、魔法よりも強い力を使う私はこの世界のバランスを一人で壊していると言っても過言ではない。……だから、帰れるなら、帰るべきなのだと、思うのに。
(ユーリさんの願いを叶えたいって思うのは、変かな)
彼は決して口にしないし、できるだけそう考えないようにしているが私にこの世界に残ることを望んでいる。私が傍に居れば幸せだと思っている。そんな彼を置いて元の世界に帰れるのかと問われれば――帰りたくないと答えたくなる。帰らなければ、ならないはずなのに。
感情の起伏が少なく、常に冷静でいられるはずの超能力者であるのに、理論的ではない、感情の部分でここに残りたい気持ちが強くなってしまっている。
(気分を変えよう。……埃っぽいから、ちょっと掃除しようかな)
部屋を出ていくユーリの背中を見送った後、窓を開けて念動力を使い、文字通り部屋の空気を入れ替えた。埃を吹き飛ばして一気に掃除を済ませたのだけど、加減を間違えてベッドのシーツまで飛ばすところだった。……最近、時々だが力の調整を間違える。危なかったと思いながらとりあえず綺麗にシーツをかけなおしたベッドに腰かけて、ユーリの様子を千里眼で見た。
彼は現在、壁に取り付けられた照明の魔道具に明かりを灯しながら薄暗い階段を下りている。やがてたどり着いたのは重厚な扉の前で、その扉には「色判定」の広場で見た透明な水晶と似たような石がはまっていた。ユーリがその石に触れると透明だったそれはみるみるうちに焦茶の色に染まっていく。……色判定の水晶と同じ効果があるものだとすれば、彼の魔力の色は随分濃くなっている。
『……本当に、色が濃くなっているな』
その瞬間に彼の心の内にあふれた喜びの感情を受け取って、私も笑みがこぼれた。彼がずっと欲しかった色は本当に、手に入ったのだ。……よかった。とんでもない苦痛の治療だったはずだがユーリがこれだけ喜んでくれたなら、それだけでも私がこの世界に来た意味はあっただろう。
分厚い扉が開かれると、暗かったその部屋が一気に明るくなった。どうやら扉の水晶に触れた時に魔力が室内の魔道具に補充される仕組みであるようだ。それをすべて満たせるだけの魔力がないと扉が開かないように作られているのではないだろうか。
『ハルカ、聞こえるか? 禁書庫には入れた。時間がかかりそうだが、ここにならきっと異世界人を召喚するための資料があるはずだ。読める文字は少ないかもしれないが、君も遠視で探してみるといい』
『分かりました。私も探してみます』
この書庫は筒のような円形の部屋で、壁一面に本や資料がずらりと羅列されており、それが天井まで続くような空間になっている。高い位置の本は魔道具の台に乗って上に上がって取るようだ。棚で視界が遮られるよりは本を探しやすいだろうか。……いや、高い位置は上がらないと見えないのでやっぱり不便だろう。
ユーリは下の本棚から探し始めたので、私は天井近くに並ぶものから探してみることにした。千里眼に高低差は関係ないからその方が効率が良い。
背表紙や中身を透視し、見えた単語で必要な情報が載っていそうかどうかを判断するのだけれど。……私には読めない単語の方が多いし、時間がかかりそうだ。残り四日で手がかりを見つけられるだろうか。
そんな調べものを初めて一時間近く経ち、そろそろ休憩を提案しようかと思い始めた時のことだった。
『……これは、読めないな』
『どうしました?』
『異国語で書かれていて読めない本がある。手書きで……手記のように見えるが』
ユーリが手に持っているのは小さな、手帳程の大きさの本だった。開かれているページを見て驚き、思わず「あ」と声を漏らした。
そこにあった文字は、十八年間慣れ親しんだものと同じだったから。……どこからどうみても日本語だ。
『ユーリさん、それ私の国の文字です。異世界人の手記じゃないですか?』
『本当か? 何か有力な情報があるかもしれないな……しかし持ち出しはできない。書き写すか?』
『念写でやりましょう。紙を用意するのでちょっと待っててください』
『……その手があったか』
紙の束を鞄から取り出して手元に用意し、ユーリにページをめくっていくように頼んだ。内容を読むのは後にして、ひとまず写真を撮るようにその手記を念写していく。
分厚いものでもなかったので作業自体は直ぐに終わった。他の資料を探してもいいのだが、休憩するのに良いタイミングだ。ユーリも一度部屋に戻ってきて、一緒に手記の確認をすることになった。その後は少し休んで、必要な情報が足りなければまた資料探しを再開すればいい。
『じゃあ、いまから戻……』
彼が書庫を出ようと扉を開けるより先に、誰かが反対側から扉を押し開いた。この部屋に入れるのは魔力の色が濃い王族だけだったはずだ。……彼の、家族だろうか。私もつい、扉の方を注視してしまう。
そこから現れた人間を見てユーリは固まった。彼が年齢を重ねればこのようになりそうだ、というよく似た面差しの男も同じくユーリを見て驚いている。年齢としては三十代くらいだろうか。雀の頭の色のような、赤茶系のよく手入れされた髪を一つにまとめて背中に流した背の高い男だ。彼は青い瞳を瞬かせながらユーリの全身をくまなく見つめて、首を傾げた。
「君は……ユリエス、だったか。驚いたな、ここに入れるようになるとは……君の色が変わったということか? しかし、なぜこのような場所に」
ユーリの名前は「ユゥリアス」だ。精神感応で意図せず知ってしまった名だったが、彼自身がそのあとに名乗ってくれたので発音までしっかりと覚えている。千里眼と精神感応を使っていても音が聞こえる訳ではないけれど、その男が口にした名前が別物であるのは分かった。血族なのに名前すらまともに覚えていないらしい。
「……色々あって魔力が増えたみたいでな。ここに来れば、色が分かるからと来てみただけだ。すぐに出ていくから、兄上は何も気にしないでくれ」
男の顔を見て過去を思い出したユーリから伝わってくる感情が、痛くて苦しい。相手は現国王たる実兄のセァニウスという男らしいが、最後に言葉を交わしたのは十年以上昔の事で。目が合ったのも、子供の頃に受けた色判定以降初めてのこと。
兄と呼ぶことすら抵抗感がある。名前も覚えていないくらい、自分の存在を消していた相手が急に自分を視界に入れるようになって、湧いたのは喜びではなく拒絶の気持ちだった。
彼はずっと家族に、自分が見えなくなった彼らにもう一度自分を見てほしいと思っていた。そのために色が欲しかった。でも、もう、それは要らないものになった。……私が、いるから。自分を捨てた家族に縋る必要はもうないと、そう思っている。
「そうはいかない。魔力の色が変わるなんてそうあることではないだろう? 何があったのか詳しく教えてくれ、気になるじゃないか」
「兄上に話せるようなことはない」
「そう邪険にするな。兄弟だろう?」
――何をいまさら。そう思ったのは、ユーリであったのか、私であったのか。気が付いたら手元、もとい超能力元が狂って念動力を使っていた。さほど遠い場所ではないので操作性は落ちるが念動力の範囲内だ。国王の頭上の本棚から一冊どころか十冊ほど本を引っ張り出してしまったのは手が滑って、いや念動力が滑って調整を誤ったせいだろう。
「あぶない!!」
ユーリが慌てて兄を突き飛ばしたおかげでセァニウスが分厚い本の犠牲になることなかったが、なんだかすっきりしない気持ちだ。落とした物の中で一番薄い本の角くらいなら痛いだけで怪我もしないだろうしクリーンヒットしてもよかったと思う。
『君の仕業だな!? 何をしているんだ!?』
『……あれ? そうですね、何をしてるんでしょう。なんか、気づいたらつい……』
ユーリの痛くて苦しそうな感情と、自分たちがしてきたことをなんとも思っていないセァニウスの意思を受け取っていたら、何故か。カッと胃の中が熱くなるような感覚に襲われて、気づいたら念動力を使っていた。……あれはどちらの感情でもない、私のものだ。
(これは怒りの感情……? なんで?)
何故私は、今、怒ってしまったのだろう。分からないけれど、ただどうしてもセァニウスの言葉が許せない気がして。それで、人を傷付けようと超能力を使ってしまった。
それは超能力者として絶対にやってはいけないことだ。超能力は大きな力だから絶対に悪意を持って使ってはいけない。これは人の命も簡単に奪えてしまう力だから、それは禁忌なのだ。……なのに、誰かにこんな感情を抱いたことなんてなかったのに、何故、私は。
『ユーリさん、私、変です。なんでこんなことをしてしまったのか……』
『……ああ、いや。すぐに戻るから、待っていてくれ。そっちで話そう』
尻もちをついた格好で降ってきた本を見つめながら暗殺の可能性を考えているセァニウスに「用事が出来た」と言い残して書庫を出たユーリは、真っ直ぐこの部屋に向かって歩いて来ている。それが確認できたので千里眼をやめて、ぼんやりしながら念写した紙をまとめて鞄にしまい、彼が戻ってくるまでぼーっとしていた。
私は超能力者だ。感情の起伏が少なく、心が乱れることもほとんどない。誰かに失望したこともなければ、怒りを覚えたこともない。それは裏を返せば、誰にも期待をしていないし、怒りという感情を持つほど誰かに興味を持ったことがなかったということでもある。……それが、何故。
「ハルカ、大丈夫か?」
『……今は落ち着いています、大丈夫です』
部屋に戻って来たユーリは心配そうな顔で私の前までやってきて、その場に膝をついた。顔を見るためなのだろう。綺麗な夕日のような瞳にまっすぐに下から見つめられ、本物の太陽のように眩しい訳でもないのに、見ていられなくてそっと目を逸らした。……なんだろう、また落ち着かない気分だ。
「君は、さっき……私のために」
ユーリの言葉は扉が開く音で遮られた。音の方へ顔を向けると、先程千里眼で見た顔がそこにある。実際に見てもユーリとよく似た顔立ちなのに、その顔を見ると腹の底がうずくような気がするのが不思議だ。
「ユリエス、まだ話は……おお、君が見つけたのか! この少女を!」
私と目が合うと途端に嬉しそうに笑ったセァニウスは、両腕を大きく広げながらベッドへ近づいてくる。ユーリが立ち上がったので、私もベッドから降りてその男と向かい合った。
ユーリの背がいくら高くても彼から威圧感を与えられたり、彼を避けたいと思ったことはないのだが、よく似ているはずの彼の兄が近づいてくるのはなんとなく、後ろに下がりたくなる。……彼が発している、意思のせいかもしれない。
(この人が、私を召喚した。……魔力目的で)
異世界からやって来た人間は神から加護を受ける。強大な魔力と特別な魔法の二つを与えられて、この世界に生まれ直す。そして魔力の多い人間の子供は、その色濃く豊富な魔力を受け継ぎやすい。
セァニウスは、いや。代々のドルア王はその“豊富で色濃い魔力”が欲しくて異世界人の召喚の実験を続けており、彼の代で私という成果を出すことができたのだ。……まあ、私には魔力が全くないので失敗している訳だが。子供もたぶんできないし。
「異世界より訪れた黒髪の乙女よ、どうか私の妃となってくれ。絶対に苦労はさせない。君の魔力がこの国には必要でな、君のためならどんな望みもかなえようではないか」
「兄上、彼女は……」
「邪魔をするなユリエス。君は黙っていろ。……全く、君はいつまでも邪魔だな」
その言葉に含まれた意思は精神感応のおかげでしっかり伝わってくる。……伝わってきて、しまった。ユーリを湖に突き落とすよう指示をしたセァニウスがその過去を思い出したせいで、知ってしまった。
元々ユーリの髪の色はとても濃い色だった。セァニウスよりも色濃く、次期王位継承者はユーリだと目されるくらいには。王位を狙う兄にとって、魔力の色が自分よりも濃いであろう弟は邪魔だったのだ。消えてほしいと思うくらいに。
「あの時、沈んだまま浮かんでこなければよかったのだ」
その言葉を聞いた途端、耳の中でぶつりと何かが切れたような、鈍い音がしたような気がした。
ふと気が付けば、物が少ないこの部屋の家具が宙に浮いている。そしてパシ、パシ、と何もない空間から鞭でも打つような音が聞こえてきた。
私の力には違いないが、操作している訳ではない。私は今、超能力の制御を失っている。……超能力者がその力の制御を失ったことで起きる異常現象。人はそれを、ポルターガイスト現象と呼ぶ。
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