第17話 今まで通り、とはいかない
ユーリはどうやら私に恋愛感情を抱いているらしい。私達は出会ってまだ一ヶ月だけれど、恋愛に時間はあまり関係がない。特に私とユーリは出会った初日から感情のやり取りをしていて随分親しくなっているので、出会ったばかりという気もしていない。私としてはもう長年友人をやっているような、そんな気持ちなのだ。……そう、友人である。私にとっての、彼は。
「……すまない。迷惑だろう」
しばらくしてユーリが何か言おうと口を開いたので、少し慌てながら精神感応を使う。ぽつりと漏らされたその言葉に滲む感情はあまりにも苦しそうで、それを受け取った私も苦しくなった。ユーリは私に嫌われるかもしれない、と思っている。自分のような者に好かれても迷惑だろう、と思っている。
決してそんなことはない。今も私にとって彼は大事な友人で、驚いてはいるがその気持ちを迷惑だなんて思わない。どっと押し寄せた愛情と呼ぶべきものを受け取れる気はしなかったが、だからと言って彼を拒絶したくはならない。
『迷惑ではないですよ。私は……友達として、ユーリさんが好きですけど……』
私も彼のことは好きだ。でも、彼ほど強くて不安定な感情を持ってはいない。だからこれは友情であって、恋愛感情ではないのだろう。
そもそも感情の希薄気味な超能力者が恋愛感情など抱くのか、という話だけれども。私がさっき彼から感じたものはとても大きな感情で、そんなものを自分が持つことがあるのかと考えれば疑問に思う。やはり私は恋愛などしないのではないだろうか。
「……よかった。嫌われていないなら、これからも友人でいてくれるだろうか」
私が本当に迷惑だとも嫌だとも思っていないのが伝わって、ほっと安心して笑う彼の頬には赤みがさしている。……もう苦しんではいないようだ。私もそれに安堵した。そうだ、私だって彼には笑っていてほしい。
『それは、もちろんです。ユーリさんと話が出来なくなったりしたら、嫌ですよ。私は貴方といるのが楽しい、です……から……』
「…………すまない。喜んでしまう」
私の言葉一つで一喜一憂してしまうらしい。貴方と居るのが楽しい、と言っただけでとても喜んでいる感情が伝わってきて戸惑った。今までのユーリにこれほど激しい感情の変化はなかったから、不思議だ。恋心を自覚するとこうも変わるものなのだろうか。
「でも、気にしないでくれ。友人だと思ってくれている君に今以上を求めるつもりはない。ただ、今まで通り……君と過ごしたい」
ユーリは本当にそう思っている。私に恋愛感情を抱いているけれど、私がいつか帰ると分かっているし、先を望もうとは思っていない。それに私もほっとした。求められても応えられないというのは、私でも心苦しく思う。……同じ感情を抱いていないのに、関係だけ先に進めても辛くなるのは彼だろうから。これでいいのだ。
『じゃあ、今まで通りで』
「ああ。……ありがとう」
柔らかく笑む表情が、今までと少し違う。夕日の色の瞳に熱がこもっている。伝わってくる好意も今までと変わって、熱のようなものが混じるようになった。……全く今まで通り、とはいかなさそうだ。
ユーリの恋心が露見してしまうという事故は起こったが、その後も調査は続けた。夜になったら宿をとって休み、朝になればまた裏市や、街の中に繰り出す。
結局、五日間の調査で見つけた件の国の物はブレスレットくらいで、他の品やその国の出身の人間も見当たらなかった。裏市に流れてくるものは毎日のように変わるので運が良ければあちらのことが書かれた書物が見つかるかもしれないという話なのだが、やはり難しい。
(ただの買い出しで何日もホームを空けられないし、帰らなきゃ)
滞在できる期間は往復に四日、一日を買い物に使ったとして、五日間という計算だった。私の能力があるので移動時間は要らないし王都にはたっぷり五日間滞在できたのだが、夕日が輝く前には戻らなければならない。
残念だが、今回の調査はここまでだ。調査を早めに切り上げて必要な物も買った。最後に買い出しのリストを見ながらちゃんと全部リュックに入っているかを確認する。……大丈夫そうだ。
『時間かかりそうですね、この調査は』
「そうだな。他の心あたりといえば城の禁書庫くらいだが……あそこには入れないからな」
ある一定以上の魔力の濃さがなければ入れない、王族専用の書庫が城にはあるらしい。ありとあらゆる珍しい書物がおさめられているので、そこになら異世界人の記述がある書物もあるかもしれない。しかし王族として魔力の足りないユーリは入れず、見たことがないと言う。
『侵入しますか。瞬間移動で』
「犯罪だ、さすがにやめてくれ」
見つかれば死刑を免れないくらいの重罪で、そんなことはさせられないと言われた。見つからなければいいのでは、と思うのだけれどユーリの心労が大変そうなので実行するのはやめておく。一応、正攻法がない訳ではないし、わざわざ罪を犯す必要もない。
「私の魔力が増えれば入っても問題ない場所だ。……君を待たせてしまうことにはなるが」
『いえ、悪いことをしなくて済むならそれが一番です。私も犯罪者になりたい訳ではないですから』
郷に入っては郷に従えともいう。例え誰にも見られなかったとしても王族しか入ってはいけない場所に侵入して罪を背負うつもりはない。自分の国にはないルールだから従う必要はない、という外国人が多くなるとその国の治安は悪くなってしまうのだ。ルールは守るものである。……心を読む魔法は禁じられているが私の精神感応は魔法じゃないので法には触れていないしこっちはギリギリセーフだと思う。脱法超能力だ、問題ない。たぶん。
『貴族に対する敬意みたいなのはないので、あんまり悪いって気もしないんですけどね。私の国には貴族なんていないですし』
「……君はそれなりに綺麗な言葉を使っているように感じるが、貴族出身ではないのか?」
『え、全然違います。……こっちには敬語ってないんですか?』
私が知っているのはセルカ達が使っている言葉と、ユーリが素の時に使っている言葉の二種類だ。セルカたちの言葉は語尾の違いやイントネーションなどで受ける印象は違えど、同じ言葉を使っている。ユーリはそれよりも堅苦しく丁寧な言葉を使っている、と感じる。ただどちらも敬語や丁寧語のようだとは感じない。
精神感応は意思のやり取りで、言葉に乗った意思や意味をお互いに感じ取っているだけで、本来の言葉が伝わる訳ではない。ユーリからすると私は貴族の言葉を話しているように感じられていたのだろう。
「君の国には敬う相手に使う専用の言葉があるのか。なるほど、君はその言葉を使って私と話しているんだな」
『まあ、そうですね。と言っても私もかなり崩して使っていますが……敬語、というよりですます調くらいのものですし』
「……よく分からないが、言葉の種類が多いんだな。そちらの世界はなんだかとても面白そうだ。君が育った世界を、見てみたい」
わくわくと浮き立つような好奇心と興味、私への好意からくる強い関心。見知らぬ世界に思いを馳せる彼は楽しそうで、そして同時に叶わないものだという諦めを感じる。
私が元の世界に戻る方法を見つけたら、ユーリも一緒に行けるかもしれない。けれど彼は、ホームの三人を置いて違う世界へは行けない。そもそも、こちらと違って日本には戸籍やら何やら異世界人が暮らすには厳しい事情があるし、体の構造も違うので医者もこの世界の人間を治療するのは難しいだろう。
(……精神感応で映像を直接送れたら、よかったんだけど)
そこまで便利な能力ではないから、私が見ていた光景を実際に見せることはできないけれど。“絵”で良ければ見せられる。世界中を旅したこともあるから、地球の色んなものを見せてあげられるだろう。
『念写という能力があります。絵でよければ、どんな風景だったか見せてあげられますが……どうですか?』
「……ああ。それは、いいな。頼んでいいか?」
『もちろんです。帰ったらやりましょう』
ほぼ役に立たない能力だと思っていたが、使いどころがあってよかった。一昔前のインスタントカメラくらいには正確なものが念写できるので、期待してもらっても大丈夫だと思う。魔物を食べてエネルギーが満ちていれば、そこまで苦も無く色まで付けられるはずだ。
どのような絵ができるかも知らないのにユーリは既に喜んでくれているし『ああ、やっぱり好きだな』という意思まで飛んでくる。……少し赤くなりながら「気にしないでくれ」と言われたけれど。ちょっと落ち着かないが、言われた通り気にしないでおく。
『えーと、じゃあ、そろそろホームに帰りましょう。あ、帰りに
「……そうだな。期待しているだろうから」
ホームで待っている三人はきっととても楽しみにしている。私が何かしらの魔物を狩ってくるかもしれないと。……期待に応えるのは、嫌いじゃない。
荷物の入ったリュックを背負っていたら狭い路地裏には入れないのでまずは徒歩で街を出る。人がいない区域を目指してサビエートの森と呼ばれる場所を進みながら、少し懐かしくなった。ここは私がこの世界に来て初めての「仕事」をすることになった森だ。ちょうど同じリュックも背負っているし、ユーリと一緒なので既視感がある。
「懐かしいな」
『あ、ユーリさんもそう思います?』
「ああ。あの時は……君を助けなければと、思っていたんだが」
魔力なし、無色透明の可哀相な少女。その印象はその日のうちに綺麗に塗り替えられてしまったようで、今のユーリは私のことを爆弾のようなものだと認識している。……おかしい。彼は私のことが好きなのではなかったのだろうか。何故爆弾扱いされているのだろう。
とりあえずある程度森を進んだところで千里眼を使い、魔物を探す。この世界で適当に視線を飛ばすとどうも魔力の強い物に引き付けられやすい傾向にあるので、魔物自体は直ぐに見つかった。見つかったのだけど。
『……ピンクの青虫……いや芋虫が居たんですけど……』
緑色のあの青虫を全身ピンクに染め上げたような姿で、触角の代わりに二本の角が生え、そして人ほどの大きさがある虫がいた。いや、でも、これはさすがに、食べる物としては見られないというか。
「春風蝶の幼体だな、かなり珍しい。記録では透明感があり弾力の強い身で、甘い果実のような味がするらしいが」
『……あれ食べた人がいるんですか』
ユーリによると珍しい上に美味しいらしい。話を聞くとどうもゼリーのような触感でデザートとして認識されているようだがあまり想像したくなかった。
虫が魔物になる確率はかなり低く、幼虫の姿で発見される確率はさらに低くなる。魔物研究者にとっては垂涎の的となるくらいには珍しく、羽化するまでは大した害もないので発見して報告しただけでもかなりの資金になるという。
そう言われても虫の見た目のものを食べよう、という気持ちにはならない。他の魔物を探すことにした。
『うーん……美味しそうな魔物がいませんかね……』
「……魔物を食べる目的で探すのは君くらいだろうな」
美味しいから仕方がない。そういう訳で次に発見した熊のような魔物を狩ることにした。毛の色は茶色でも黒色でもなく濃い紫に見えたけれど、熊には違いない。羊の角というか悪魔の角のようなねじれにねじれた角も生えていたが、熊ではある。虫よりは食べられそうだ。
瞬間移動する時は一緒に、と言われているのでユーリに『行きましょう』と手を差し出した。しかし、彼は私の手を取らずに固まってしまう。
恋心を自覚した今、私に触れるのは恥ずかしさやら何やらで難しいらしい。そういえば彼はいつも私の手を握る時に緊張していた気がする。……あれは無自覚な恋心からくるものだったのかと納得した。
「触れなければ無理か? ……これでは、だめだろうか」
しばらく迷って考えたユーリは、遠慮がちにそっと私の袖を掴んだ。……なんだろう、この気持ち。足元で愛らしく鳴く猫を撫で回したくなるような、まあ、つまり。「かわいい」という感想が浮かんだのだけれど。
自分よりずっと大きな成人男性に抱く感想としては間違っている気がするので、気の迷いかもしれない。
『……触れている方が確実ですよ』
瞬間移動の判定は恐らく私の認識による。触れている、もしくは持っていると認識しているものが一緒に移動するのだろう。常に念動力の壁を張っているので、実際に肌に触れているものという訳ではないはずだ。……そうだったら私は服をその場において全裸で移動先に現れてしまうだろうから。
服の先を掴まれている場合はどうなるかよく分からない。そもそも誰かと一緒に移動しようと考えるようになったのはこちらに来てからなので検証が足りないのである。
「そう、か。変なことを言ってすまない。行こう」
今度はちょん、と指先と指先が触れる程度に重なって、先程と似たような感想を抱くと同時に何故か胸を強く押されたような感覚に襲われ、これは何だろうと疑問に思いつつ熊の目の前に移動した。
手を握っていなくても無事に移動できたようで、ユーリと共に濃紫の熊の眼前に飛ぶ。ちょっと操作感覚を間違えてしまったのか私たちと熊との距離は10㎝もなかったけれど。
「近すぎないか!?!!」
『すみません、ちょっとミスりました』
今回はさすがに私もびっくりしたので、目の前に熊が居ると認識した瞬間にその体を分断した。熊は敵が現れたと認識する間もなく絶命したし、今回ばかりは私も躊躇う余裕すらなかったが一応目的は達成である。……少しだけ心臓の鼓動が早い。余程驚いたようだ。
『いやぁ……驚きましたね』
「本当にな……!?」
私よりもユーリの心臓の方が大変そうだ。とても感情がこもった同意の言葉を聞きながら、あまりないミスを不思議に思う。瞬間移動先がずれるなんて、超能力を使い始めた頃ならともかく扱い慣れてからはなかったのに。
(……熱でもあるのかな)
超能力者と言えど人間なので、体調を崩すことはある。体温は少し上昇気味だが、今驚いて心拍数が上がっているだけで熱が出ている、と言う感覚はない。本当に不思議だと思いつつ、熊の解体を始めた。
もちろんユーリ指導の下で念動力を使っている。……超能力を使う感覚におかしなところはない。さっきのミスは不思議だが、私も人間なのでたまには誤ることもあるのだろう。気にしないことにした。そんなことよりも。
『肉が……紫ですね……』
解体をしている熊が、毛の色よりは薄いが紫色の肉をしている。もう一度言う、紫色の肉である。何をどう見ても不味くて有毒そうな紫の肉である。ついでに背中にもまだら模様の紫のキノコが生えている。……この世界の特殊な色の食べ物にも慣れてきたと思っていたが、そうでもなかった。これは食べたいとは思えない。
「火と水の属性を持った、変異種の茸熊だな。かなり良質な肉だろう」
これは皆喜ぶぞ、とユーリが嬉しそうなので私は黙々と解体を進め、しっかりと包装してリュックに詰めた。……本当に美味しいのだろうか。これ。
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