第6話  彼の色と、魔石


 ユーリによって捌かれた薄氷魚の分厚い切り身は、火山猪を焼いたのと同じ板の上でジュウジュウと音を立てている。その身の色はかき氷のブルーハワイを思い起こさせるような鮮やかな青でとてつもなく食欲を減退させるが、漂う香りはバジルを思わせるスパイシーさで食欲をくすぐってくる。調味料は使っていないので、これはこの魚が発している香りだ。

 この世界の食材は色々とおかしい。食べたくないような食べたいような、妙な気分にさせられる。どっちかにしてほしいものだ。できれば後者の方で頼みたい。



「君の能力は常識外れだ。高等魔法と同じ現象を起こす力を、何の詠唱もなく簡単に使えるということになる。……転移魔法を使える者なんて過去にも数えるほどしかいないぞ」



 魚が焼けるのを待っている間、ユーリに能力の詳細を説明することになったのだけど。瞬間移動の話を聞いた後、理解しようと努力していたのか彼は無言でぱちぱちと瞬きを繰り返していた。

 戸惑わせて申し訳ないのと同時に、なんだかちょっと可愛いなと思ってしまったのは秘密である。……精神感応はしっかり切っておいたから、伝わっていないはずだ。大人の男性に「かわいい」は失礼だろうし。



(でも、こっちにも魔法としても一応あるんだね。瞬間移動って)



 魔法として元々似たようなものが存在するなら別に可笑しくはないと私は思うのだが、ユーリはかなり驚いていて混乱状態にある。伝わってくる意思も混乱気味で、色んな方向に思考が飛んでいた。

 過去に移動魔法が使えた者は当時の国王に重用されたが、消費する魔力も大きくついには“魔力切れ”というこの世界特有の症状で亡くなってしまっている。この力が知られれば私が危険だろうから能力の扱いに注意しなくては、しかし息をするように能力を使う私をどうやってとめたらいいのか、と。色々考えてくれている。



「……危うさがよく分かってないだろう、君。本当に貴重かつ有用性が高い能力なんだぞ? 拉致されてから逃げ出したあたりの話がよく分からないと思っていたら、本当に移動能力を使っていたとは……」


『あ、うまく伝わってなかったんですね。……同一言語じゃないから仕方ないですけど』



 こうして会話してはいるが「こちらの言葉に直すならこんな意味」という翻訳された意思同士を交わしている状態なので、話が食い違う可能性はゼロではない。

 さっきも「知らぬが仏」と似た意味の慣用句が使われているのは分かったけれど、本来の言葉は分からないということがあったように。こちらの世界に仏がいるはずはないし、本当は何と言っているかは知らない。こういう部分から食い違いが起きていてもおかしくないのである。……だからこそ早く言葉を覚えたいのだけど。



「じゃあ遠視、と言っていたのは本当に遠くが見えるのか?」


『遠視……ああ、千里眼ですか。どこでも見えますし、なんなら透けますよ』



 私は一度も遠視という言葉を使って伝えた記憶がないので、千里眼という単語はこちらの言葉で「遠視」に訳されて伝わっているのだろう。少々ややこしい。しっかりすり合わせをしていかないと、どこかで齟齬が起きそうだ。



「……遠視魔法と透視魔法ができると……本当に多才だな。猪を倒した力はなんだ?」


『念動力ですね。これは……うーん、空気中に自由に動かせる手があるって感じですかね。手より便利なので人がいないとついこっちを使っちゃうんですけど』



 念動力を説明するなら感覚のある空気の手、というのが一番近い。ただし大きさや形は自由自在、使用範囲も広く見える距離なら離れていても難なく扱え、力の強さも固さも細かい調整が出来て、やろうと思えばナイフより切れ味のいい刃も再現できる。とりあえずそのあたりの小石を浮かべたり、真っ二つに分断したり、圧縮して粉々にしたりして見せた。



「ネンドウリョク……風の魔法に似ているがやはり別物だな。かなり自由度が高い。では、火を起こしたのも君の異能か?」


『火を扱う能力はありますけど、さっきのは自然の力ですね。私の世界じゃあんなに簡単には燃えませんが』



 人差し指を一本立てて、その先に火を灯した。発火能力は私の半径一メートル以内でしか発動できないが、自分の傍で起こした火を遠くまで伸ばすことは可能だ。とりあえず少し弱くなってきた焚火に念動力で枝を投入し、発火の火を投げ入れておいた。

 ……ユーリがどこか遠い目になって私の行動を見ているのがすこしばかり心外である。同じような魔法はある、とさっきから彼自身が言っているのに理解を超えたものを見ているような反応をしないでほしい。



「……もしかして、他にも扱える能力があるのか?」


『ああ、はい。あと私が自由に使えるのは念写とアポート……物を遠くから取り寄せる能力です。未来を見ることもありますけど、こっちは突然勝手に見えるものなので役に立ちません。あ、サイコメトリーも出来ます』



 念写は思い浮かべている映像を紙に映し出せる能力だ。人相書きと美術の絵の課題をさぼりたい時くらいにしか使えないと思う。カメラの代わりにはなるかもしれないが、現代人はスマホを持ち歩いているので本当に必要なかった。

 アポートは物体取り寄せ能力で、別の場所にあったり、箱の中に入れられたりしているものを手元に引き寄せられる。これは瞬間移動の能力を自分ではなく物に使っている感覚だ。ただし、生物には使えない。命あるものと移動するなら自分と一緒に瞬間移動する必要がある。

 サイコメトリーは物に宿る意思、物の記憶を感じる力だ。色判定の時のローブが残っていれば、これで私をこの世界に連れてきた人間のことが分かったかもしれない。そんな能力である。


 と、そんな説明をしていたらユーリはまた片手で目を覆ってしまった。頭を整理したい時の癖なのだろう。



「……ハルカ。君の能力は非常に高く、貴重で、それが魔法によるものだったら国家の中枢へと至れるほどの才能だ。けれど君は透明と判断されてしまっている。……君の力が知られればどのような扱いを受けることか……」


『ああ……使いつぶされる心配をしてくれるんですね。ありがとうございます』



 魔力の色がすべての世界。魔力がないけど有能な人材は、いくらでも消耗していい資源に他ならない。少なくとも、そう思う人間は多くいる。ユーリからは私を蔑むような感情を全く感じないけれど、二人組や役人のことを考えれば私を普通に“人間”として扱っている彼の方が少数派なのだろう。



『でも大丈夫じゃないですかね。私の能力が有能なら大抵のことはどうにかできそうです。元の世界でも超能力で大抵どうにかしてましたから』


「…………君、実はかなり大雑把だろう。よく言われないか?」


『あーちょっと翻訳が微妙で、意味が分からないようです』


「こら、嘘なのは分かるんだぞ。君の能力のおかげでな」



 そう言いながらもユーリはフッと笑って見せた。かなり心配してくれていたようなので、笑ってくれて何よりである。

 この世界で味方になってくれる人ができたせいか、私は不安を感じなくなっていて。超能力でゴリ押しすれば大体なんとかなるだろうという楽観的な思考が戻ってきたのだと思う。

 元々性格的にポジティブな方なのだ。どうせすぐには帰れないし、せっかくの異世界を楽しまなければ損ではないか。



『どうやって生きていけばいいのかって不安がなくなったので……ちょっと楽しくなってきたところなんですよ。この世界、私にとっては食べ物一つすら不思議で面白いんですから』


「……そうか。それは、よかった。薄氷魚も焼けたみたいだから、たくさん食べるといい。君は食べ盛りだろう?」



 一番大きな魚の切り身を皿に盛って渡してくれるのはユーリの優しさなのだろうが、しかし、なんだろう。なんというか、彼から伝わってくる意識でなんとなくわかったのだけれども。



『ユーリさん、私を子供だと思ってませんか? ……うわ、魚も美味しい』



 青いくせに。見た目は全く食欲をそそられないくせに。調味料だってかけられていないくせに。何故しっかりと塩味と旨味を感じるのか不思議でならないが、これは魔力の味、というやつなのだろうか。触感としてはよく脂の乗った鮭のとろけ具合が近い。身の色は真っ青で美味しくなさそうなのだが、全く箸が止まらない。

 そんな私の様子を微笑ましそうにユーリは見ていて、やはり子供だと思われている気がしてならなかった。


 ……一応、十八歳というのはそれなりの年齢だと思っているので、なんだか落ち着かない。元の世界では成人間近なのだと伝えるべきだろう。


 ここは、異世界。私の常識とは違う世界なのだから。違和感を覚えたら、一つずつ確認していくべきだ。そうでなければいつかきっと、大変なことになる。……別に、子ども扱いされて“もう大人なのに”と拗ねているわけではない。ユーリからそういう子供を見る時の『背伸びしたい年頃なんだな』的な意思を感じるが断じてちがう。



(……子供っぽい言動はしていない、はずだし)



 だからきっとこれは見た目の話なのだ。日本人が海外で若く見られるように、この異世界では私も若く見えるのだ。……言動のせいではない、はずである。たぶん。


 ユーリは柔らかく笑いながら言葉を探していた。子供の自尊心を傷つけない言葉選びをしているのが伝わってくるのがいたたまれない。精神感応で丸わかりなので、彼の優しさが無駄になってしまっている。……まあ、私は子供ではないから傷つくことはないのだが。



「子供というほど幼くはなさそうだが……まだまだ若いだろうな、と思っていた。違うのか?」


『……分かりません。この世界ではどのくらいで成人扱いですか』



 ここは異世界だ。色判定を受けていた子たちは若く見えたが、実はあれでも成人に近い年齢だったのかもしれないし、そもそも見た目通りの年齢でもないのかもしれない。私の常識は、こちらの世界の非常識だ。まずは確認する必要がある。



「成人は十八歳だ。でも、十六歳までには色判定を受けて仕事に就く。ゆとりのない家の子は十歳前後で判定を受けることもあるが……君はいくつだ?」


『私は十八歳ですから、この世界では成人になりますね』



 元の世界では二十歳が成人の年齢であったが、こちらでは私も成人扱いになるだろう。ユーリからは驚きと『十四、五くらいにしか見えない』という意思が伝わってきて、広場に集まっていた少年少女の姿を思い出した。

 あの場にいたのは十歳から十六歳の子供ということになるのだが、それよりは少し年齢が上であるように思えた。この世界の人間は人種的に、日本人よりも体が大きいというか、成長も早くて大人っぽいのではないだろうか。



『人種の差、ってところでしょう。私はこれ以上背が伸びることありませんからね』


「そうか。……すまない、それなら子ども扱いをしていたな」


『いえ。見た目が違うのでしかたありません。……ユーリさんはいくつですか?』


「私は二十三になった。髪色で老けて見えるだろう?」



 この世界の人間は年を取ると白髪になるのではなく、元々の髪色が薄くなっていくらしい。ユーリは自分の髪色がコンプレックスであるようで、自嘲気味に笑った。

 たしかに元の世界でも老人は白髪になっていくが、彼の髪色とは質が違うように見える。二十代前半の若々しい青年にしか見えないので、首を振って否定した。



『綺麗な白髪なので老けて見えたりはしないですよ。艶々じゃないですか』


「……本当にこの色に対して何とも思っていないのが分かるから、不思議だ。君の世界では白髪は珍しくないのか?」


『いや、そもそも髪色の仕組みが全然違いますからね。魔力もないし、地毛が青や赤の人なんていませんよ。私の国では黒か焦げ茶がほとんどです』


「……君みたいな人ばかりなのか。それは、とてつもないな」



 私からすればこちらの世界の方が驚きなのだけれど、ユーリからすれば黒髪や茶髪だらけの世界が信じられないらしい。それほどに、黒に近い色というのは珍しいのだそうだ。

 そして、白髪というのはそれ以上に珍しい。それこそ“透明”でなければこの色にはならないはずだから、とユーリは言った。



「私も、生まれた時は濃い赤茶系の色だったんだが……一度死にかけてな。それから色が抜けてしまったんだ」


『私の世界でも強いショックを受けると白髪になる、みたいな噂はありましたが……』



 彼の白髪は生まれついてのものではなかった。しかし、そんなことはきっと関係ないのだろう。元々の髪色は濃かったのだからと期待される中で受けた「色判定」の結果は、元の髪色には程遠い橙色だった。王族として、その色は薄すぎる。そして、彼は“なかった”ことにされた。



「魔力も少なく、髪の色も戻らない。……王族としての資格がないんだ」


『うーん……でもユーリさんは、私が今まで見た人の中で一番魔力が多いですよ。ただ、ほとんどが体の外に出られないようになってるだけで』


「…………うん? 待ってくれ、どういうことだ?」



 改めて見ても、彼の体の様子は少し変なのだ。魔力の流れを塞き止めるような塊が体の中にいくつもあって、そのせいでうまく魔力が流れていない。体内にたまっている魔力がかなり濃いのに、外に放出される量が少ない。



『ユーリさんは魔力の流れが悪いんです。体の中に魔力の塊ができていて、それが邪魔をしてるように見えます。……魔力放出障害、でしたっけ? それじゃないんですか?』


「…………いや。放出障害の人間は、君みたいに透明という結果が出る。生まれつき、体の外に魔力を出す機能が壊れているからだ」



 話を聞けば、この世界の人間には魔力を作る器官と魔力を放出する機能が体に備わっている。この時点で形は似ているが地球人と同じ人間でない、ということがよく分かった。

ちなみに魔力を作る器官は「クウィヤ」と発音されている。だが元の世界に存在しないものなので上手く翻訳出来ず、その単語が出る度「魔力を作り出す器官」という言葉が浮かんでくるのだ。心臓や肝臓のような、いわゆる内臓器官であるらしい。言葉を作るなら「魔臓」と称するのが適当だろう。



「魔臓は死ぬまで魔力を作り続けるから、放出障害でも魔法自体は使っている」


(……あ、魔臓で理解できるようになった)



 造語でも私が理解していればそれでいいのか。精神感応について一つ新たな事実を知った。とそんなこと気を取られている間にもユーリの説明は続く。


 魔力放出障害という魔力を外に出せない人間は、魔臓が機能していても外に出す能力がないため、作られた魔力は体内を巡ることしかできない。しかし魔臓が活動をやめるのは死ぬ時だ。たとえ外に出せなくても魔力が作り続けられてしまう。

 そこで体の防衛本能が働くのだという。外に出せないのだから中を、つまり身体を強化する魔法となって魔力を消費しながら常時発現し、人の限界を超えた身体能力を得ることになる。



「私は橙色、という判定が出ている。放出障害というのはありえないが……塊ができている、というのはどういうことなんだ? 言葉の読み違いか?」


『いえ……これは……魔石に見えますね。それがユーリさんの体のあちこちにあって、そういう場所で魔力がかなり塞き止められています。道を細くして通りづらくしている、みたいな……』



 彼の纏う魔力の流れが悪く見える原因を見ようと、その体を透視した。ちょっと一瞬、服の下の筋肉質でよく引き締まった体を見てしまい、覗きをやったようで悪い気がしたが許してほしい。不可抗力である。

 そんな透視の結果、体の中に魔石が埋まっているのが分かった。とても小さく一つ一つは小指の爪ほどの大きさしかないのだが、そのせいで魔力が流れなくなっているのだ。……血管の中にもう一本管が通っていて、心臓のすぐそばにある見たことのない臓器から魔力が送られ、その管を通っていく仕組みらしい。やっぱり生物としての構造が別である。



『というか、何故体の中に魔石が?』


「…………私が死にかけたせいかもしれない」



 この世界の魔力を多く含む生き物は、死ぬと魔石になる。魔臓は真っ先に魔石化し、そのあと体のあちこちが結晶化していくのだと。だから火山猪の肉も普通なら一日と持たない。氷の魔石がなければすでに魔石化が始まっているはずだ、と言われた。

 ユーリは一度、暗殺されそうになったのだという。心臓も止まって本当に死ぬ寸前だった。それでも一命をとりとめ、息を吹き返すことができたのだが――。



『魔臓って心臓の近くにありますか? 一番大きい塊がそこにあります』


「……ああ、そうだ」


『なら、やっぱりユーリさんは魔力が多いんじゃないでしょうか。今、外に出せているのは二割くらいですよ』


「…………そう、だったのか」



 その時流れ込んできた感情は、なんと表現したらいいか分からない。悲しみ、喜び、空しさ、期待、諦め、悔しさ。そのすべてがぐちゃぐちゃに混ざった、あまりにも重たい気持ちに驚いて肩が跳ねた。……私は、こんな感情を経験したことがない。驚いて精神感応を切ってしまうくらいには、酷いものだった。



「……――――……」



 精神感応を完全に切ってしまったので、彼が零した言葉を正確には読み取れない。ただ、それでも、空を仰ぐその表情と声色から――彼が、どこかほっとしていることだけは、何となく分かった。



「ハルカ」


『あ、はい』


「……ありがとう。何だか、心の整理がついた。自分のせいではない、と思えたから……諦められる」



 名前を呼ばれて慌てながら再び精神感応を使う。言葉の通り、あきらめの滲んだ柔らかい笑顔を浮かべる彼の顔を見ていると、少しだけ胸を押さえられたような心地になった。……苦しい、と思う。普段、あまり感じない種類の感情に戸惑いを覚えた。

 これは、嫌だ。あまり感じていたいものではない。だから、ユーリにはそんな顔をしないでほしい。



『ええと、まあ、その魔石壊せば多分魔力も出せるようになりますから、元気を出してください』


「…………………………なんだって?」



 だって、魔力を塞き止めている原因は明白なのだから取り除けばいいだけじゃないか。……単純な話では?

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