第5話 戸惑いの食文化、されど美味
よろしくと握手を交わした手を離し、改めてユーリを見上げた。目が合えば優し気に微笑んでくれる彼は私に対して好感を持っているし、私も彼に対して結構な親しみを感じている。
誰かに好意を持ったのは初めてだ。超能力者であることを隠すためにも、他人とは一線を引いてきた。どうせ友人になれないのだから、と。今まで他人に興味を持たなかった。
(能力を隠す必要もないし、自分を偽る必要がないからか……気楽な関係が築けたらいいな、と思ってしまう)
おそらくこれは精神感応のせいだ。本来、人同士は交流を重ねることで心を交わして親しくなっていく。けれど、精神感応は直接心を伝えてしまう。お互いの性質のようなものを感覚で理解してしまう、というか。気が合わない人間ならおそらくここで悪感情を抱くことになるのだが、私達はそれなりに相性のいい性格なのだろう。友人くらいにはすんなりとなれそうな気がした。
『ところでユーリさん』
「ん? どうした?」
『食べ物を、持っていませんか。できれば甘い物が助かります。能力を使いっぱなしなので、エネルギー補給をしないとそろそろパタンと倒れそうで』
私は今日、目が覚めてからジュースを一杯しか口にしていない。この世界の時間はよく分からないが、太陽に似た光の塊は傾いてきているので昼は過ぎているのではないだろうか。
そして今日一日、私はずっと超能力を使っている。一つ一つは大した消費ではないが、補給することなく使い続ければエネルギー切れを起こすのは自然の摂理というものだ。
「そういう大事なことは早く言ってくれないか!?」
ユーリは慌てたように自分の荷物を漁り、紙に包まれた携帯食料を取り出した。食べやすいように持ち手以外を開封してから渡してくれる親切ぶりで、本当に人がいいなと思いながらありがたく受け取る。
乾燥させた小さな果実をクッキーに似た生地で包んで焼いているような、棒状の携帯食料だ。一口齧ってみるとザクリと音を立てながら割れ、口の中には香ばしさと甘みが広がっていく。たかが携帯食料だと侮れない美味しさだ。
「あー……おいしい……」
携帯食料でこの味だ。この世界の料理はもしかして、相当レベルが高いのではないだろうか。朝のジュースと同じように、これも口にした瞬間染みわたる甘さによって体が癒されるような感覚があった。思わず感嘆の言葉を漏らしてしまうほどだ。
「……なるほど。たしかに意味は分かるのに言葉は知らないものだな」
『ああ、すみませんつい。落ち着かないでしょう?』
「そうだな、慣れないので混乱しそうだ。でも君はこういう状態で私の言葉も聞いているんだろう? 疲れないか?」
『まあ、それなりに。でも言語の勉強にはなりますよ』
感覚的には字幕付きの映画を見ているようなものだ。繰り返し出てくる単語くらいなら早めに覚えられそうではある。できるだけ早く言葉を覚えたいものだ。そうでなければ精神感応を使い続けることになって他人の心を常に覗き見てしまうし、ユーリと話す時は感情のやり取りまでしてしまう。
今のところお互いに悪感情を抱いていないのでそこまで深刻な問題は(秘密は暴いてしまったけれど)起きていない。会話の途中相手の言動にいら立ったりなどしてしまったら、それも伝わってしまうから。お互いに心を隠せないというのは不便なものだ。
「君の世界の言葉にも興味が湧くが……いや、でも先に食事だな。せっかく火山猪を倒したから、あれを捌こう」
『え……あれ、食べるんですか?』
「当然だろう? ……君の世界では肉を食べないのか?」
肉はもちろん食べる。食べるけれど。背中からマグマを吹き出すような化け物の肉は食べない。というか、食べるという発想がなかった。
私が真っ二つにした猪の体は少し離れた場所に転がったままだ。血の匂いが充満していてもおかしくないのだけど、不思議なことにあの嫌な鉄臭さは感じなかった。……むしろちょっとだけ、焼き肉店の前を通りがかったような、香ばしい匂いが漂っている。
「魔物は魔力が濃いから美味しいんだ。火山猪なら軽く炙るだけでも立派な料理になるし、魔力も回復できる。……君の力は魔力ではないから、勝手は違うかもしれないが」
『……ああ、道理で。この世界の食べ物はやたらと回復するなとは思っていました』
「よかった、効果があるんだな。じゃあ私はあれを捌いてくるから、君は休んでいてくれ。くれぐれも無理はしないように」
まだ食べるとは言っていないのだが。……いや、でも、これは、食べるべきなのだろう。これから私はここで生きていくのだから、こちらの食生活を受け入れなければならない。
ぼんやりとユーリの解体作業を眺めていたのだが、どうもこの世界の仕組みは元の世界と違う部分が多い。猪からほとんど血が流れでてこないのもそうだし、切り出される肉の色はやたらと濃い赤で、一番不可解なのはその体から“火の魔石”が出てきたことだ。生物としての構造が別であるとしか思えない。
(……そもそも、人間もちょっと変だね。ユーリさんの体には血栓みたいな、魔力の塊? があるように見える)
この世界の人間には魔力という、元の世界の人にはない力が備わっている。血液が巡るように魔力も巡っているのだが、ユーリの体には他の異世界人とは少し違う様子が見て取れた。
魔力の流れを阻害する、塊のようなもの。それが体のあちこちにあって、魔力の流れが悪いのだ。彼が纏っている魔力はかなり多く見えるのに、石の色はそんなに濃いものではなかった。何か関係があるかもしれない。
「待たせた。かなり魔力の多い火山猪だったみたいだ。肉の色が濃い」
ユーリは鉄板のような、薄く平たい金属の板に肉塊を乗せて戻ってきた。ちなみにこの鉄板は二人組の荷物に入っていたものだ。それは別段おかしなものではないが問題は肉の方でーー私が普段目にする肉は鮮やかな赤だが、今目にしている肉はなんというか、まるでレバーのような深すぎる赤でとても良い肉には見えなかった。
しかしユーリからはとても質がいいもので喜んでいる意思が発せられている。それを信じるならこの肉は上質でとても美味しいのだろうけれど、私の常識ではありえないので脳が混乱気味だ。
『この色、魔力の色なんですか?』
「ん……そうか、君の世界では違うのか。魔物の肉は魔力を多く含んでいるから、その濃さでどれくらい魔力を持った魔物だったか分かるんだ。出てきた魔石もかなり大きかったしな」
肉の色は魔力の色。火山猪は火属性だから真っ赤だが、他の魔物なら違う色の肉であることもあるようだ。火と水の二属性の魔物だったら紫の肉が出てくるらしく、想像してちょっとげんなりした。……初っ端からその肉に当たらなくてよかったと思う。それを口にするのはかなり勇気が要りそうだ。
ユーリは鉄板を火にかけ、肉を焼き始めた。ジュゥ、と肉の焼ける音と食欲を誘う香りはたまらないが、いくら焼いても肉の色が変わらないのがとても不可解だ。自分の常識、価値観のようなものが全く通じない、本当に異世界にきてしまったのだ。
常識を更新する、というのはかなり難しい。暫くは戸惑いの連続になるだろう。早く慣れてしまいたい。
「充分焼けたな。ほら、君の分だ。たくさん食べて回復するといい」
真っ赤なままの肉が皿に取り分けられ、善意に満ちた笑顔でそれを手渡された。生焼けにしか見えないが、彼が焼けていると言うのだから焼けているのだろう。
フォークに似た、先が二股に分かれている匙を差し出されたのだが、持ち手が太くて使いにくそうだったので断った。使い慣れないもので食べるのは不便する。
『自分で用意しますから大丈夫です』
「……用意する? 専用のカトラリーを持っているのか?」
『持っていませんけど、作ればいいですからね』
私は超能力者である。先ほどはナイフを使いながら火起こし器を作ったが、やろうと思えば刃物は必要ない。
薪として拾ってきている枝から良さそうなものを選んで引き寄せ、念動力で木を割り、削って二本の棒を作りだす。つまり箸を一膳用意した。加工に使わなかった分はそのまま火の中に放り込み、出来上がった箸だけを手元に引き寄せた。
「……待ってくれ。今何をした?」
『超能力で木を加工して、元の世界で使っていた食器を作りました。箸っていうんですけど』
「いや、そうではなく……そういえば、さっき火山猪を倒した時も詠唱がなかったな。君のその能力は、一体なんだ?」
この世界の魔法には二種類あるらしい。呪文を唱えて魔法を発動するものと、道具に魔力を込めて限定的な効果の起こすもの。後者は火をつけるための魔石のような、特殊な道具が該当する。
宙に浮かび上がった木が勝手に削れて形を変え、棒二本は私の手に、残りは火の中に飛び込んでいった光景がユーリには理解不能だったらしい。彼の知っている魔法とは全く別の法則で動いているからだ。
異世界から来たという話の方にばかり意識が向いていたが、落ち着いてきた今、改めてその力を目にすると訳が分からないと言われた。
『ああ、じゃあどんなことができるかは詳しく説明します。ユーリさんには分かっていてもらった方がいいですもんね。……あ、おいしい』
肉を見ないようにしながら口に運んだのだが、想像以上の旨味に驚いて思わず味の感想までユーリに伝えてしまった。柔らかい肉が口の中で溶けるように消えていく、一度食べたことのある高級和牛を思い出す味わいだ。いや、それよりも脂っぽさがないので食べやすく、柔らかくてどこか甘みがあってとにかく美味である。
「食事のあとにしよう。相当気に入ったようだし、ゆっくり食べたいだろう?」
微笑ましいものを見る目で見られてしまった。私の食に対する喜びの感情が伝わったせいだろう。そして彼が運営する施設で待っている人たちにも持って帰ってあげたい、という意思も彼から感じ取った。
とても美味しい肉であったし、仲間にも食べさせたいと言う気持ちは分かる。私も取り分けてもらった分をぺろりと平らげてしまったのだから。
『持って帰ったらいいのでは?』
「ん? ……ああ、肉のことか。それは難しくてな。魔物の肉はその日のうちに食べないと魔石化してしまうから」
腐るのではなく魔石化する、と言われてつい自分の体を見下ろして食べたものを透視してしまった。そして驚くことに、肉が溶けてなくなっていることに気づく。食べた瞬間回復する、と感じていたのは間違いではなかったらしい。消化吸収のプロセスをすっ飛ばして飲み込んだら吸収されるものだったようだ。
超能力は魔力として換算されないのに、魔力は超能力のエネルギーとして吸収できる。その仕組みは謎だが、互換性が全くないよりはよかったと思うべきか。補給には困らなくて済む。
「氷の魔石があるといいんだがな。あれは魔石化を遅らせる効果がある」
『なるほど。じゃあ氷っぽい魔物を退治して氷の魔石を取ってくればいいんですね』
「…………待て。君、一体何を考えているんだ。今おかしな計画が流れ込んできたぞ」
別に、ちょっと千里眼で氷系の魔物を探して瞬間移動で行って退治して帰ってくればいいんだな、と思っただけで大したことではない。超能力者にとっては朝飯前だ。……正確には昼飯後の軽い運動だろうか。
『氷の魔物ってどこにいるんですか? ……なるほど、そっちの方ですか』
「……待ってくれ、今思い浮かべたのは違う。というか本当に何をするつもッ」
質問した者勝ちである。ユーリは思考が速いので、一つの質問で様々な連想をしてくれて必要な情報がすぐに揃うのだ。少々遠いが、方角が正確に分かったのでさっと千里眼で当たりをつけ、それらしい魔物の姿を捉えたら即座に移動した。
眼前に広がるのは湖だ。ただし、青く輝くようなものではなく、一面が白い湖。水の表面がシャーベット状の氷で覆われており、あちこちに魚の背びれのようなものが飛び出ている。
(薄氷魚だっけ。頭に生えた角で刺しに来るとかなんとか)
この魚の魔物はあちこちに生息しているが、捕らえるのは結構難しいようだ。氷だらけの湖の中心部で基本的に活動している魚で、捕まえようと船を出せば群れで船を襲い、穴を開けにくる。魔力の防御で防げても、船を揺らされてバランスを崩し、落ちたらそこで串刺しだ。群れから離れて水辺のあたりを泳ぐ薄氷魚が運よく罠にかかるのを待つ、というのが捕獲の基本である。
まあ、念動力で空中を移動できる私には関係ないのだけれども。体を浮かべて泳ぐ背びれに向かって飛ぶ。すると、私がたどり着くより先に背びれの方が反応を見せた。
先程までゆったりと泳いでいたのに、急に方向を変え、とてつもない勢いでいくつもの背びれが私に向かってくるではないか。
(全部で五匹……でも、五匹も要らないよね。とりあえず一匹持って帰ろう)
私に向かってくる五つの魚影が、水面から勢いよく飛び出して真っ直ぐ飛んできた。出てきたのは頭に角が生えた巨大魚で、その姿を例えるならカジキマグロが近いだろうか。五匹すべてが私を鋭い角で突き刺そうとしているのだが、私と魚たちの間には念動力の壁を張っている。当然、魚たちは跳ね返されて湖に落ちていく。
その中の一匹だけをそのまま念動力で掴んで捕獲し、びちびちと暴れまわる振動を感じながら瞬間移動でユーリの元に戻った。
「ッハルカ!!」
『あ、はい。ただいま戻りました』
「急に消えたから心配したじゃな……待ってくれ。何故薄氷魚がここに……?」
『捕ってきました』
「訳が……分からない……ッ」
片手で顔を掴むように目を覆ったユーリの混乱ぶりが精神感応から伝わってくる。彼が状況を整理するのには少し時間が必要であるらしい。私としてはユーリを喜ばせたかったのだが、氷の魔石が手に入ることよりも私の扱いについていろいろと考え直すことに忙しそうだった。
彼が落ち着くのをとりあえず大人しく待っておこうと私は焚火の傍に腰を下ろし、ユーリは無言で思考に浸っているので、びたんびたんと地面を跳ねる薄氷魚の暴れる音だけがその場に響いていた。
……ところで、この魚も焼いたら美味しいんだろうか?
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