第182話 第二次上田合戦の後
家康率いる本隊と別れた秀忠軍は、上田城に攻撃を開始した。
世にいう、第二次上田合戦の始まりであった。
開戦当初は数にものを言わせて戦いを挑んだ秀忠だったが、昌幸の弄する策の前に敗れると、秀忠軍は大した戦果も得られず美濃へ向かっていくのだった。
真田昌幸は追撃をせずに城に留まっていると、物見の者がやってきた。
「秀忠軍、大門峠を越え、木曽路を抜けるとのことにございます!」
「大門峠を越えていったじゃと!? 和田峠ではなくか!?」
和田峠は武田信玄が治めていた頃に信濃での行軍路として利用され、大軍が通るに適した道であった。
一方、大門峠は狭く険しい崖際の道のりであり、大軍が通るのに適していなかった。
「これは……好機やもしれんな……!」
戦場で采配を取る時のように昌幸がギラリと目を輝かせると、信繁は嫌な予感がした。
「…………父上、何をなさるおつもりですか?」
「我らが和田峠を越え、秀忠に先んじて戦場に躍り出るのよ。うまくいけば、家康の背後を奇襲できるぞ!」
大坂方の話によれば、家康を迎え撃たんと関ヶ原の地に布陣しているらしい。
秀忠より先に関ヶ原に着陣し、徳川方の背後を突き大阪方と挟撃できれば、いかに百戦錬磨の家康とてひとたまりもないだろう。
「行くぞ、源二郎。我らで家康の首を挙げようぞ!」
「はっ!」
決戦の地、関ヶ原に到着すると、あまりの惨状に言葉を失った。
大坂方のものと思わしき兵の屍がうち捨てられており、人がいないのをいいことに鳥が群がっている。
戦場のいたる所には大地を穿ったような穴が開けられており、戦いの激しさを物語っていた。
木村や石田、大谷といった、主要な大坂方の旗は倒され、無残にも踏み荒らされている。
勝利を確信していた昌幸だったが、思わずその場にふらついた。
「なんじゃこれは……。もう決着がついたというのか……!?」
情報を集めてきたらしい忍びの者が、昌幸に膝をつく。
「大谷様は討ち死に。木村宗明様をはじめ、木村方についた大名の多くは退却したとのよしにございます!」
「なんということじゃ……」
関ヶ原に布陣した大坂方の軍は敗走し、残っているのは本戦に参加しなかった一部の軍と、どういうわけか敵軍を中央突破してきた島津軍のみだという。
早い。あまりに早すぎる決着であった。
真田家が連れてきた軍は1000あまり。これでは、どうやっても徳川方を倒すには至らない。
「…………仕方あるまい。一度国元に戻るとするか……」
「ち、父上、ですが……」
信繁が呼び止めるのを遮るように、物見の者が報告にやってきた。
「大変にございます! 秀忠軍がこちらに迫っているとのこと!」
「なんじゃと!」
正面には徳川軍の本隊が進路を塞ぎ、後方からは秀忠率いる別働隊が迫ってきている。
「…………こうなれば、一か八かじゃ。家康の背を追い、徳川軍に背後から奇襲する」
「父上!」
「止めるな、源二郎。儂は決めたぞ。戦に敗れ、逃げ道もないのなら、せめて家康を道連れに一矢報いてくれるわ」
「ですが、逃亡した大坂方の諸将は、大坂城に向かっていると聞きます。合流できれば、まだ立て直せるのではないかと」
「それを先に言わんか! ……我らも大坂城へ向かうぞ」
即座に昌幸が決断する。
あまりの手のひら返しに呆れつつ、信繁が真田軍を見渡した。
「しかし、我らの率いる軍では……」
昌幸が連れてきた軍は1000あまり。正面から戦うにはあまりに少なく、隠すにはあまりに多い。
また、大坂までの道中には関所が張り巡らされている。
徳川の目を逃れて大坂まで行軍するのは至難の業だった。
昌幸がううむと腕を組んだ。
「どうしたものかのぅ……」
「せめて、この軍をどこかに隠せればよいのですが……」
旗を捨て、足軽たちに鎧を脱がせたとしても、これだけの数の人を隠す場所などどこにもない。
「大坂へ向かったとて、徳川軍も向かうことでしょう。鉢合わせずに先に城に入るとなると……」
信繁の声が沈む。
秀忠を出し抜き、先んじて決戦の地に躍り出るはずだったのが、今や戦わずして風前の灯火。
もはや、万事休すか……。
諦めの滲む中、昌幸は迫りくる秀忠軍の方に目を移した。
「…………あったぞ。一つだけ、大坂まで徳川とやり合わずに行ける方法が」
家臣からの報告に、真田信幸が耳を疑った。
「なに、兵が増えているだと?」
それも、十や二十ではないらしい。
「どこかから紛れ込んだのやもしれませぬ」
「…………陣を敷いたら、一度点呼をとるか」
そうつぶやく信幸だったが、何かがおかしいと感じていた。
軍の規律を保つべく、他の軍や敗残兵が紛れ込まぬよう、雑兵たちにも厳しく言い含めてあるはずである。
それなのに、雑兵たちが素直に兵を匿うというのは、何か裏があるように思えてならなかった。
同郷の者や顔見知りの者ならいざ知らず、いったいなぜ……。
夜。信幸が点呼の前に陣を見回っていると、見覚えのある顔に出くわした。
「ち……父上ではありませぬか! なぜここにおるのですか!?」
「おお、すまんな。わけあって、お主の陣に紛れ込んでおるのよ」
「こんなことがもし徳川様に知れたら、ただでは済みませぬぞ!」
声を荒らげる信幸をよそに、どこからか信繁が現れた。
「父上、秀忠軍より、糧食をくすねて参りました」
「おお、ご苦労であった」
「源二郎まで……」
信幸が小さく呟いた。
信繁がくすねてきた握り飯を受け取り、大きな口で頬張る。
「おお、徳川軍の飯は美味いの〜。武田軍ほどではないが、大したものじゃ」
「父上……」
「このままいっそ、徳川軍で戦うというのも、悪くないかもしれんのぉ」
「父上!」
信幸が声を張り上げた。
「なぜここにおられるのですか! 父上は上田に向かったのではなかったのですか!?」
昌幸と信繁が食べながらこれまでの経緯を説明する。
秀忠軍の足止めを行なったこと。隙を見て家康の背後を奇襲する予定だったが、既に大坂方の軍が壊滅していたこと。一縷の望みを託して大坂城に向かったこと。
一連の話を聞き、信幸が呆れ半分に驚いた。
「なんと……」
「安心しろ。大坂に就き次第、お主の軍から抜ける。そうしたら、我らは再び敵同士よ」
「…………私が父上を徳川様に引き渡さないとは思わぬのですか?」
「思わぬ」
「ですが……!」
「まあまあ、よいではないか。お主も今日は疲れていよう? 細かいことは、また明日にでも考えればよかろう」
昌幸に促され、渋々といった様子で信幸が腰を下ろす。
そうしてずるずると話し合いを引き伸ばされ、大坂に着く頃には昌幸と信繁の姿はこつ然と消えていたのだった。
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