第142話 講和交渉
家康は南光坊天海を使者に命じると、前田の本拠地である金沢に向かわせた。
「それはまことか!?」
南光坊天海から和睦の条件を聞き、前田利長の声から喜びが滲み出た。
前田・木村連合双方の軍を撤退させる代わりに、加賀征伐を取りやめること。
その具体的な日取りや手順などが、細かに和睦の条項に盛り込まれていた。
和睦案を見て、清久が口を挟んだ。
「お待ちくだされ。……そもそもなぜ急に和睦をするなどと言い出したのですか? 加賀征伐を言い出したのは、徳川様のはず……。それを急に覆すとなれば、それ相応の理由があるのでしょうな」
清久がジロリと天海を睨みつける。
清久の顔を見るに、徳川に何が起こったのか、ある程度掴んでいるように見えた。
……ここで嘘をつくのは得策ではない。
天海は顔に刻まれたシワをより深くした。
「…………木村様の水軍が江戸湾に居座っておりましてな。漁船や商船を問わず、目につく船を片っ端から壊しているとのこと……。このままでは江戸が干上がってしまいますゆえ、双方の犠牲が大きくなる前に手を打とうとしたのでございます」
「おお……木村殿が、そのようなことを……!」
前田利長が内から湧き上がる熱いものを堪えるように胸を押さえた。
「…………なればこそ、和睦は呑むべきではありませんな」
毅然と言い放つ清久に、前田家臣たちの視線が集まった。
「この戦は徳川様が前田に言いがかりをつけたのが、そもそもの発端。……それを、今さら我が身可愛さに和睦を結ぼうなどと、むしが良すぎるではありませんか」
「むしのいい話だということは否定しませんが、和睦は双方の利となる話にございます。……このまま睨み合いを続けているより、よほど建設的かと……。木村様はわずか一代で100万石もの大名となられた方ゆえ利に聡いかと思いましたが、利にならぬ戦を続けるなどと、らしくないではありませんか」
「話を逸らすな。今は前田と徳川の話をしていましょう。…………見たところ、この和睦の条件には双方の軍を引かせることが書かれていますが、ことの発端は前田利長様が徳川様の暗殺を手引きしたとのことだったはず……。そこに触れずして和睦を結んだところで、徳川は再び攻めてきましょう。
このような和睦、それがしには体良く木村の軍を引かせるための方便にしか見えませんな」
前田家臣たちが顔を見合わせた。
戦を回避できるに越したことはないが、たしかに肝心の部分には触れられていない。
「……まず、軍を引くという話より、先に前田様が暗殺を手引きしたなどという言いがかりを撤回して頂くのが先決かと思われますが……」
「清久様の言い分、実にごもっとも……。されど、これ以上の話を拙僧の独断で決めるわけにはいきませぬゆえ、この話は一度持ち帰らせて頂きます」
天海が去ると、前田家臣たちがわっと駆け寄ってきた。
「天晴じゃ!」
「あの徳川を引き下がらせたとは、胸がすく思いじゃ!」
前田家臣たちが思い思いに清久をもみくちゃにする。
そんな中、前田利長が歩み寄った。
「清久殿……今日ほど、お主が味方で頼りになると思った日はない……!」
「もったいのうお言葉にございます」
「惜しむらくは、木村との婚姻でお主に当家の娘を嫁がせられなかったことよ……お主が義理の息子だったらと思わずにはいられん……」
バツが悪くなり、清久が顔を曇らせた。
「…………その節は、まことに……」
「いや、もうよい。……結果的に、木村殿と懇意にしようという父上の判断は正しかったのだ」
徳川と和睦も目処が立ったこともあり、その晩、利長と清久は盃を交した。
それから半月後。徳川が全面的に非を認める形で和睦が結ばれるのだった。
前田、徳川両者の和睦が成立したことで、残るは木村軍の撤退を待つのみとのなった。
立会と催促のため、徳川方から井伊直政が派遣された。
「それでは、木村清久様率いる北庄軍、並びに江戸湾に居座る木村水軍を速やかに引いて頂きましょう」
「待て」
「なにか?」
「軍を引いた途端にだまし討ちのようなことをされても困るゆえ、人質を寄こしてくれ」
「……………………」
清久の要求に苦々しい物を感じながら、井伊直政は条件を受諾した。
こうして、榊原康政、大久保忠隣を人質とし、清久率いる北庄軍、並びに木村水軍は撤退を始めるのだった。
加賀征伐が失敗に終わり、家康は思い知らされることとなった。
天下を取るためには邪魔な大老や豊臣に忠義を誓う豊臣恩顧の大名を滅ぼす必要があると思ったが、違うのだ。
木村吉清こそ、自分が天下を取る上で最大の障壁だ。
明や朝鮮水軍を打ち負かした水軍。南蛮貿易から得た莫大な資金。商人のように目敏く、マムシのように老獪な策略。
そして、今回の騒動で木村家の名声はより高まった。
そのすべてが、徳川にとって脅威となるのだ。
……わずか一代で100万石にまで上り詰めただけのことはある。
木村家への認識を改め、家康は次なる策を練るのだった。
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