第107話 明使節団の接待

 秀吉と淀殿の情事を目撃して以降、彼女から頻繁に誘いを受けていた。


 吉清と繋がりたいのか、あるいは秀吉と繋がるところを見せたいのか。


 いずれにせよ、危険な橋には違いない。


 始めは適当な理由をつけて断ってきたが、それが何度も続くようではなんとも気まずい。


 そこで、吉清は自分の仕事量を増やし、自ら多忙となることで、淀殿の誘いを躱すことにするのだった。


 その手始めに、来たる明使節をもてなすべく、饗応役を願い出ることにした。


 さっそく腕利きの料理人を用意すると、吉清の領地のみならず、各地から珍味を取り寄せたのだった。






 日本との講和交渉のため、大坂城に明使節が来訪した。


 本来であれば伏見城で交渉を進めるはずだったのだが、先の地震で伏見城が倒壊したため、損傷の軽微な大坂城で謁見することとなったのだ。


 彼らの先導をしつつ、まずは明使節の寝床となる寺へと案内した。


 そうして長旅を労うべく、しばしの間休息をとってもらう。


 秀吉との謁見は後日行われるため、それまでもてなすのが吉清の仕事である。


 使節を部屋に通すと、吉清は挨拶にあがった。


「此度の饗応役を仰せつかりました。それがし、名を木村吉清と申します」


「木村……吉清……」


 吉清の名を聞き、明使節が顔をしかめた。


 木村吉清といえば、華南を騒がせる倭寇の頭領である。


 その木村吉清が接待をするとは……。


 使節たちが顔を見合わせる。彼らの胸中に、一抹の不安がよぎるのだった。




 彼らの不安をよそに、吉清はさっそく料理を運ばせた。


 膳に乗せて運ばれてきたのは、タイの姿焼きを始め、贅を尽くした食事である。


 使節をもてなす料理なのだろうが、いかんせん相手はあの木村吉清である。


 あの悪名高き倭寇の頭領は、何をしてくるかわからない。


 明使節たちが戦々恐々と顔を見合わせる中、使節の一人が煮付けに箸を伸ばし、恐る恐る一口食べる。


「是鮫肉! 超絶珍味!」


 使節の言葉を聞き、他の使節たちも次々と箸を伸ばす。


「こちらはフカヒレの煮付けにございます」


 明との貿易略奪の中で、向こうではフカヒレが高級食材であることがわかっていた。


 そのため、彼らに振る舞うべく、新鮮なフカヒレを用意したのだ。


 使者の一人が汁物に口をつけた。


「芳醇的風味……。磯之香漂」


「こちらは昆布でダシを取った汁物にございます」


 昆布は樺太で取れる特産品だ。


 現代日本でも欠かせない食材であり、豊富な栄養と豊かな風味を備えた万能食材である。


 これを使わぬ手はないと思い、吉清は食事に使わせたのだ。


「味覚之宝庫的御馳走……。味之玉手箱……!」


 口々に驚く明使節団を見て、吉清は確かな手応えを感じていた。


「次の料理は隣の部屋に用意しました。どうぞ、こちらへ」


 吉清の招きに応じて明使節たちが隣の部屋に移った。


 部屋の中央には置かれた台の上に、見目麗しい女性が一糸まとわぬ姿で横たわっていた。


 あまりに突拍子もないものを見せられ、さすがの明使節たちも動揺を隠せなかった。


「大和撫子!?」


「何故裸体!? 何故今就寝中!?」


「驚愕的光景……。理解不能……」


 その場に固まる明使節たちをよそに、吉清が料理人に指示を出した。


 女性の身体に次々と新鮮な刺身が乗せられていく。


「食器的女体!?」


「変態的所業……!」


「理解不能! 理解不能!」


 驚きの言葉を口にする明使節たちをよそに、身体の上に並べられた女性を見せつけ、吉清は高らかに宣言した。


「こちらが、本日の目玉である、女体盛りにございます」


 あまりの光景に、明使節たちは言葉を失った。


 食べるのか、これを。女の身体に並べられた刺身の盛り合わせを、食べろと言っているのか。


 気が進まないとはいえ、出されたものを一口も食べないというのも無礼にあたる。


 ここは敵地なのだ。自分の命が惜しい以上、怒りを買わぬよう、最大限努力しなくては。


 やがて、覚悟を決めた明使節の一人が、恐る恐る刺身を一切れ取る。


「あっ……♡」


 女が僅かに身をよじらせた。


 一瞬動揺しつつ、一息に刺身を口の中に放り込んだ。


「不可思議的美味! 幸福感急上昇!」


「本当? 是美味?」


「美味! 食事推奨!」


 毒味をした使節に促され、他の者も恐る恐る口に入れる。


「美味!? 何故美味!? 微妙的温度、生温……」


「女体之神秘……! 衝撃的事実発覚……! 驚愕的伝統文化……!」


 一口食べたのを皮切りに、明使節たちは次々と箸を伸ばしていくのだった。




 やがて、使節たちの腹が膨れると、吉清は後片付けを進めた。


 それをよそに、明使節たちは互いに顔を見合わせた。


 世界の中心的国家である明と軍事面で肩を並べ、明の食事と遜色のない料理の数々を見せられては、もはや疑うべくもない。


 日本は、そこら辺の後進国とはわけが違う。


 自分たち明こそが世界の中心なのだと驕り、日本をただの辺境の国だと侮っていては、いずれ手痛い目に合うことだろう。


「油断一秒、怪我一生……」


「先進的変態国家……」


 この日見たものを深く記憶に刻み込み、明使節たちは日本への評価を改めるのだった。






 翌朝。吉清は彼らを起こしつつ朝食を用意した。


 ふと、使節の一人があくびを堪えた。


「昨夜酒池肉林……。眠気暴走気味……」


 吉清が合図を出すと、小姓たちが膳に茶碗を乗せてやってきた。


 茶碗の中には、なみなみと黒い液体が注がれている。


 あたり一面に独特の香りが漂う中、使者の一人が尋ねた。


「摩訶不思議的芳香……。是何? 日本流黒烏龍茶?」


「こちらはコーヒーにございます」


「珈琲?」


 この日に備え、吉清は南蛮貿易により中東からコーヒー豆を取り寄せていたのだ。


 南蛮貿易によりもたらされたコーヒー豆を惜しげもなく粉々にし、ドロドロに煮詰めたそれは、脳を覚醒させる大量のカフェインが含まれている。


 さらに、大量に加えた砂糖により、いち早く脳に栄養が行き渡るのだ。


 使者の一人が口をつけると、目を見開いた。


「脳味噌覚醒! 魔剤的効能!」


「頭脳回転数上昇! 我気力十分!」


 使者たちが口々に驚く中、吉清はにこりと微笑んだ。


「これで今日の謁見も成功間違いなしですぞ」


「感謝感激雨霰!」


「謝謝茄子!」


 こうして明の使者たちは大坂城に向かっていった。






 始めは当初の予定通り講和交渉は進展した。


 しかし、小西行長を始め、日本側、明側、双方の講和担当者が嘘の講和条件を結ぼうとしていたことが発覚すると、秀吉の怒りに火がついた。


 こうして明との講和は失敗に終わり、日本と明は再び鉾を交えることになるのだった。

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