第40話 義父と嫁

 秀次のいる京を離れ、吉清は大坂にやってきていた。


 京にいては、幾度となく秀次から誘いが来てしまう。


 そこで、大坂に足を運ぶことで物理的に距離を取ることにしたのだ。


 大坂城に入ると、見知った顔に出くわした。


「おお、婿殿ではありませんか!」


「義父上! お久しゅうございます!」


 やってきたのは郡宗保だ。吉清の正室である紡の父である。


 久しぶりに会えたことに気を良くしたのか、郡宗保が笑みを浮かべた。


「婿殿の活躍は聞いているぞ。先の遠征では、明国侵攻の一番槍だったとか!」


「なんと、お義父上の耳にまで届いていようとは……」


 吉清が照れ臭そうにすると、郡宗保が賞賛するように肩を叩いた。


「大坂中で噂になっておる。木村殿こそ、先の遠征の第一功だとな!」


「義父上にそうおっしゃられては、面映うございますな」


 そうして、しばし世間話に興じていると、郡宗保がふと思い出したように尋ねた。


「時に婿殿、紡は元気にしておるか?」


 何気ない世間話のつもりか、あるいは吉清を責めようというのか。郡宗保の質問に吉清の顔が引きつった。


「は、はい、それはもう……。これから会いに行こうと思っていたところです」


「紡は儂の大切な娘ゆえ、くれぐれも悲しませるようなマネはせんでくれよ?」


「はっ、肝に銘じておきます」


 郡宗保と別れると、吉清は早足で城を出た。


「殿、どこへ行かれるので?」


「紡のところだ。高山国から帰ったら顔を出そうと思っていたのだが、すっかり忘れてしまった!」


 大坂の町へ走り出した吉清を、小姓の浅香庄次郎が慌てて呼び止めた。


「殿! 屋敷は反対ですぞ!」


「先に土産物を用意する。長い間放っておいたのだ。手ぶらで帰れるか!」


 浅香庄次郎が早足で吉清を追いかけた。


 どれだけ焦っていても、この抜け目のなさは殿らしい、と思うのであった。






 大坂の町で土産物を購入すると、屋敷の門をくぐった。


「今戻ったぞー」


 遠慮がちに声を潜める。


 自分の屋敷へ入るのに、なぜこうもビクビクしなければならないのか。


 そう思うと、急にビクビクしているのが馬鹿らしくなった。


 佇まいを正すと、自分を鼓舞するように声を張り上げた。


「紡はおらんかー?」


 吉清の声に、屋敷の奥から足音が聞こえてきた。


 そうして吉清を見つけると、ぱぁっと花が咲いた。


「お前様!」


「お、おう、今戻ったぞ」


 挨拶をするなり、紡が吉清の胸に飛び込んできた。


「まったく……文も寄越しませぬし、顔も見せぬので、心配していたのですよ?」


 怒らない紡に面食らいつつ、背中に腕を回した。


「う、うむ。それは悪いことをしたな。奥州再仕置軍の奉行をしたり、高山国を制圧したりで、忙しかったのじゃ」


「わかっております。清久から文で聞いてますから」


「おお、それなら話が早いな」


 吉清が感心したように頷いた。


 流石は清久。この根回しの上手さは、間違いなく自分譲りだろう。


「清久からすべて聞きました。……本当は、わたくしに会う暇があったのに、横着して会おうとしなかったことも……」


 吉清が舌打ちした。


 清久め。余計なことを。このクソ真面目なところは誰に似たんだか。


 吉清が言い訳を考えていると、紡が吉清の胸に体重を預けてきた。


「……紡?」


「……良いのです」


「えっ!?」


「お前様がこうして無事に帰ってきてくれたことが、何よりも嬉しいのですから」


 心から安堵した様子の紡がいじらしい。


 ふと、腕の中の紡と目が合った。


 長いまつげに潤んだ瞳が、じっと吉清を見上げる。


 桜色の唇が、誘うように息をもらした。


 抱き締める力を強めると、腕の中で「あっ」と可愛らしい声が聞こえた。力を込めれば折れてしまいそうな華奢な体つきが、着物越しに伝わってくる。


 手を這わせると、女性らしい曲線を描くくびれを通り、ほどよく肉付きのいいお尻にたどり着いた。


 指先から己の熱を伝えるように撫でると、腕の中で紡が身をよじった。


「んっ……」


 無意識にでたものか、艶っぽい声が脳を舐める。自然と呼吸が荒くなっていくのがわかった。


 ふんわりと漂うクチナシの香りが、吉清の理性を溶かしていく。


 吉清の中で、むくむくと情欲が膨れ上がっていくのがわかった。


「紡っ……!」


「んっ……」


 紡の唇を強引に奪うと、着物の胸元にに手を差し込んだ。


「こ、ここでするのですか……? せっかくお前様が帰ってくると聞いたので、布団を敷いて待っていましたのに……」


「そうか。では、二回目は布団でやろう」


「お前様……!」


 そうして、会えなかった時間を埋めるように、お互いの愛を確かめたのだった。




 思う存分夫婦仲を確かめると、二人は乱れた布団の上で生まれたままの姿で寝そべっていた。


 吉清の腕を枕にして、紡が吉清の胸に「の」の字を書いた。


「またすぐに帰ってきてくれ、などとワガママは言いませぬ。

 ……ですが、たまにで良いので、わたくしに会いに来てください。

 わたくしを、お前様で満たしてください……」


「うむ。心得たぞ!」


 紡の懇願に、吉清は力強く頷いた。


 この時、吉清は慢心していた。


 一度ハメてしまえば、すべてが元の鞘に収まるのだと。


 身体を重ね、絆を深めれば夫婦の溝も容易く埋まるのだ、と。


 完全に油断しきった吉清に、「それと……」と紡は言葉を続けた。


「……外に女を作ったら、承知しませんから……!」


「の」の字を描いていたはずの指先が、ぐりぐりと吉清の胸に押し付けられる。爪先が肌に食い込み、血が出てしまいそうだ。


「お、おう、気をつけよう」


 この時、吉清は決して外に女を作らないと心に誓うのだった。


 しかし、後に侍女にお手つきしたことがバレ、大目玉を食らうこととなるのだった。

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