京都駅決戦

ここはどこだろうか、角が取れた丸い石がいくつも転がる川岸に私は立っている。サラサラと流れる川は私が見たこともないほど透明で穏やかだったが、魚や虫は一匹たりとも見当たらない。ふと向こう岸を見てみると、丘になっている草原の向こう側に色とりどりの花が咲く綺麗な花畑が見えた。あたりを見渡してもここを渡る橋は見当たらないが、幸い川は浅く勢いはない。

「これならいけるかな」

私は足首を川につけた。冷たいが我慢できないほどではない、ふくらはぎまで水に沈めたときに私の手首がなにかに引っ張られた。

「あれ?」

私の手首に橙色の細い糸がくっついていて、その糸は私が初めに立っていた川岸の方に続いていた。

「行っちゃ駄目......」

周りに誰もいないはずなのに声が聞こえる。普通だったら不安になるはずが、その声に私はなぜか驚かなかった。どこかで聞いたことがあるような気がする。思い出せそうで思い出せない。

「だれ?」

相変わらず私の手首に巻き付いた糸はピンと張られている。



京都十条東寺の上空、鷹目とシロは風を切り裂くようなスピードで飛んでいた。

「鷹目!シンシンは今どこや!?」

寒空の下、暴風のごとく吹き付ける風でスマホを握る手はかじかんでいる。鷹目が画面を見てみるとシンシンの場所を示す赤い点は、京都駅のど真ん中で止まっている。

「京都駅!!止まってる、多分、新幹線のホームだ!」

「よし!!ぶっ飛ばすで!!」

鷹目を乗せたシロがギュンと速度を上げる。シロの毛を鷲掴みにして風に吹き飛ばされないように体制を低くする。斜めに傾いて高度を下げ始めると、鷹目の体と内臓の全てがふわりと浮かび上がった。今まで乗ってきたジェットコースターの比にならないレベルのスピードで、京都駅新幹線乗り場の八条口まではあっと言う間もなく着いてしまう。

「いた!あそこだ!」

シロの視線のその先にはホームで新幹線を待つ千代田観月の体とシンシン。彼は呆然と立ち尽くしている。彼に生気はなくぼーっと立ち尽くすばかりで目に光がない。きっとナミに操られているのだ。そして気を失いグッタリとしている千代田観月の霊が浮かんでいた。

「まずい!シロ!」

鷹目が指差した方向には、ちょうど大阪方面から新幹線がやって来ている。北浜ナミはあれに乗りシンシンとともに姿を消すつもりだろう。

「そうはさせへんで!荒っぽいけど!止めさせてもらうで!」

シロはどこからともなく紫色のモヤを放つ禍々しい黒光りする鎌を取り出しブンと振った。巻き起こった強烈な風は駅ホームを襲い、その新幹線が停止するかどうかのタイミングで、バツンと生命線たる電線を切り裂いた。切り裂いた電線から火花が飛び、新幹線の中が一瞬真っ暗になる。

新幹線は完全に停止した。新幹線に乗る扉も開かない、客も駅員も混乱して慌てている。今が北浜ナミを捕まえるチャンスだった。




「私が出来るのは、もうここまで......」

「誰なの!?」

掠れ手消えてしまいそうなその声に私は問いかけた。その返事は帰ってこない。ピンと張っていた糸が緩み、少しずつ私の手首から解けていく。

「お見舞い来てくれてありがとう。迷惑かけてごめんね......」

「待って!」

「ほら、来てくれたよ......」

細い糸がするりと手首から離れていった。


「千代田観月!」

地面が震えるような低い怒鳴り声と吹き飛ばされそうな猛烈な霊力にレイコが目を覚ますと、信じられないような大きさの白蛇とも白龍とも言えるような妖怪が12番乗り場を逆走して飛び込んで来た。その白い毛の生えた龍はホームに急停止してホームへと乗りあげた。

レイコと北浜ナミ以外にその姿は見えていない。他の一般人は新幹線の緊急停止と電線の切断であたふたしている。

「シロ!?」

「助けに来ましたよっと!」

「鷹目さん!?」

シロの背中から降りてきたのは鷹目だった。4号車前に仁王立ちした鷹目の後ろに10メートルはある輝く爪と牙に黒い鎌を肩にかけたイタチがとぐろを巻くように浮かんでいた。その姿は勇ましく、神々しく、今ここにいる悪霊を遥かに凌ぐ力があるのは明白だった。

千代田観月の体をした北浜ナミの顔は歪み、憎しみ、殺意に満ちた表情で鷹目とシロを睨んでいる。鷹目はリュックの中からウェディングドレスを着たぬいぐるみを取り出した。

「北浜ナミ!封印させてもらうぞ!」

そのぬいぐるみを見た途端、北浜ナミの顔が焦り、そして頭を掻きむしり目を真っ赤に充血させた。

「嫌だ!私は幸せになるんだ!」

悲鳴とも聞こえるような叫び声とともに新幹線乗り場のベンチがフッと浮かび上がる。ナミが腕を振るとシロと鷹目に向かって飛んでいく。

「危ない!」

レイコが悲鳴をあげ目を覆ったが、鷹目は微動だにしなかった。

シロが軽く鎌を降るとベンチは真っ二つに切り裂かれ、鷹目の左側と右側にガンガンと落ちた。切り裂く風はホームの待合室の茶色いガラスに当たると、そのガラスにピシッとヒビが入った。周りにいる客が突然浮かび上がった椅子やガラスのヒビに悲鳴を上げながら駅構内へ逃げていく。

「諦めろ。お前はここで封印させてもらう!」

鷹目がゆっくりとシンシンとナミに近づいてくる。

「嫌だ!幸せになる!生きて私は一緒になるんだ!ずっと一緒に!あああああ!」

ナミが獣のごとく叫んだ瞬間、鷹目とシロの後ろから駅ホームの自動販売機が浮かび上がり2人めがけて飛んでくる。それに気づいたのはレイコだけだった。

「後ろ!」

レイコが叫ぶとシロと鷹目が咄嗟に後ろを向いて間一髪で避ける。レイコがホッと安心したのも束の間、違和感を感じた。自分の体を奪った北浜ナミが笑っていたのだ。どこかで見たことのある邪悪な笑顔、レイコの記憶が走馬灯のように蘇った。


『こういう終わりが、私の理想。だって一人は辛いもの』


不治の病に苦しむ女と男が無理心中をする映画のエンドロールが流れる中、この悪霊が私に向けてきた邪悪な笑顔だった。その時の笑顔と全く同じだった。

違う、あの自動販売機は鷹目を狙って飛ばしてきたんじゃない!こいつ、シンシンと一緒に死ぬつもりだ!

北浜ナミはシンシンの手を握り、向かい来る巨大な鉄の塊に幸せそうにしている。これしかない!とレイコは咄嗟にシンシンの中に潜り込む。3ヶ月寄り添った男の体を奪ったのだった。シンシンの目に光が宿った。

レイコはシンシンの体を使い、悪霊の入った自分の体を思いっきり横に押した。

「させるかぁあああああ!」

男女の体が斜めに傾くと、レイコは世界がスローモーションになった気がした。2人が地面に転がったと同時に自動販売機はガシャーンとガラスを割って待合室の中に入った。

「観月さんナイス!シロ!今しかない!」

鷹目が叫び、懐から封の文字が書かれた札を取り出した。

「任せろ!」

鎌を振りかざして倒れた千代田観月の胸元にそれを突き刺し引っ張り出すとこの世の終わりのような叫び声が京都駅ホームに響いた。シロがグンと引っ張ると黒い影が私の体から飛び出していた。

「レイコ!今や!取り返せ!」

「出ていけぇえええええ!」

シロが引き抜き、レイコが後ろから押し出すとその黒い影は千代田観月の体から抜け出し、鎌に刺された状態で吊るされた。

「鷹目!!」

「悪しき亡者が魂、その依代として此処に封じる!北浜ナミ!」

鷹目が札を貼ったウェディングドレスを着たぬいぐるみに黒い影が悲鳴を上げながら吸い込まれていく。徐々にその声は小さくなっていき、そして全てがぬいぐるみの中に入っていった。

「......封印」

小さく呟くと辺りは静寂に包まれた。

千代田観月がパチリと目を覚ます。体をムクリと起こして自分の腕を見た。そして自分の手で自分の顔をぺたりと触った。暖かい。血の通った顔だった。

「私の体......!私の体だ!!やった!」

観月が地べたに座り込んで、自分の両手を閉じたり開いたりしている。シンシンは観月の膝の上に頭を載せたまま、まだ気絶していた。

「よっしゃぁ!これで一件落着やな!鷹目!」

巨大な白い妖怪がニッコリと笑っているが、鷹目は真っ青な顔色をしていた。喜んでいる場合ではなかったのだ。

「馬鹿野郎!さっさと逃げるぞ!やりすぎだ!」

粉々に砕け散った茶色いガラス、待合室に寝転がった自動販売機、そして真っ二つになったベンチに火花を散らす電線。京都駅のホームは悲惨な状態だった。向かいのホームにいた一般人たちは騒然としている。

「シロ!観月さんと進藤先輩持って俺の家まで飛んでくれ!」

「あぁ!?」

「早く!」

鷹目はシロの背中に飛びついた。シロはわけも分からずシンシンと観月を脇に抱えて言われるがまま空へと飛び立ったのだった。

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