鷹目家の食卓
島原と呼ばれるかつて遊郭として栄えた地域の一角にある路地裏の小さな家が鷹目の実家だ。島原に入る東正面には島原大門と呼ばれる門があるが、反対の西側には小さな鳥居や大銀杏の木が目印になっている。霊的感覚が長けている人にとってはこの島原地区に足を踏み入れた瞬間違和感を感じるだろう。これは鷹目の実家が管理している結界によるものだ。鷹目家ではこのかつて遊郭だった場所に未練がましくうろつく輩を追い払うことを主に仕事としている。殆どはこの結界に弾かれ妖怪や悪霊のたぐいは入ることができないが、たまに入り込んでくる多少力をつけたものはこうして妖術師が直々に祓っているのだ。
「ただいまー」
「おかえりなさい。あら?」
玄関を開けると扉の奥から顔を出した、ふくよかな体つきにパーマの女性が鷹目の母、鷹目和子だ。歳は40代後半の年相応の立ち姿。割烹着を着て手を拭きながら玄関の方へ歩いてきた。
「あらー!!優太、今日はシロちゃん連れてきたの!」
「そうだよ。ほらシロ、かわいがってもらえ」
ポケットでぐったりしていたシロをつまみ上げて、母親の両手のひらの上に乗っける。シロは丸まって小さな手で顔を隠している。なにか嫌なことがあるのだろうか。鷹目自身はなんとなく分かっていたし、家に帰るまでの道中シロがなにかぎゃあぎゃあ言っていた気がするが無視した。小さな子どもが地面で泣きわめくようなものだ。
母はシロを両手で抱え心配そうにしている。
「シロちゃん可哀相に...優太にこき使われたのね。それでこんなに丸まってしまって...おばちゃんが治してあげるわ!」
そう言うと和子は目を閉じ口を尖らせて
「ンンンチュウウウウウウ!」
と言いながらシロのお腹に口をうずめて、思いっきシロを吸い込んだ。両手に包まれたシロが薄い緑色に光るとみるみる毛艶が良くなっていく。
「おあぁあああああああああ!もうええ!!もうええって!」
シロが大声で叫びながら、バタバタと暴れ始めた。母の両手から飛び上がって鷹目の頭の上に逃げるように乗っかった。
「良かったじゃねぇか元気になったな」
「元気にはなったけどぉ!何かを失うんや!毎回毎回!」
頭の上のシロは黒い瞳に涙を浮かべている。
和子は妖怪たちに力を与えることや回復させることを得意としている。妖怪のお医者さんとして有名だが、小動物系の妖怪に対しては扱いがひどい。まるでペットのように扱われてしまうので、シロサイズはできるだけ診察されたくないと言っているらしい。特にこのシロはお気に入りらしく、実家につれて帰ってくる度にシロは無駄な治療をされるのだ。ちなみにキスの必要は全くない。ただ和子が吸い込みたいだけだ。
「和子ぉおおお!」
バァン!ふすまが柱にぶつかる音がして出てきたのは、身長は2m近くあろうかという筋骨隆々のこれまた40代のオジサンだった。天井に頭が付きそうな高さから、シロがギロリと睨まれる。鷹目の頭の上に乗っているせいでちょうど目線が同じくらいになっている。
「あ、お、おやっさん。お久しぶりです。ご、ご無沙汰してます...」
シロの口調が突然たどたどしい標準語になって泣きそうな顔になった。
鷹目の父親、鷹目豪は京都妖術師の中でも五本指に入る強者だった。その体格、風格、豪胆差、何よりも圧倒的な霊力量を覇気として放つと弱化の札が貼られているシロは今にも消し飛ばされそうになっていた。
「......。お前、和子に変な気持ちを抱いてないだろうな......」
眉間にシワを寄せギロリと睨む
「メッ!滅相もございません!私はもっとわか.....」
「ワカ......?」
「若い娘」といいそうになったシロは、なんと言って逃げるか必死になっていた。泣きそうだったのが更に泣きそうになっている。
「まぁまぁ親父、そのへんにしてやれよ。マジでシロが怖がってるから。今日こいつは頑張ってくれたんだしな。そうそう、あの足の早いやつは祓っておいたよ」
シロは鷹目に救われてホッとしたようだ。そろそろと頭の上から降りて鷹目の肩に移動した。
「ほう、シロ。よくやったな。褒めてやろう」
「は、はい....」
褒めてくれているのだろうが顔が怖い。シロは豪の顔を見ることができないまま下を向いている。
「今日はシロちゃん用のご飯も作ってあげないとねー」
そう言うと母親は台所へ消えていった。父親は何も言わずにまた居間に戻りふすまをピシャリと閉じてしまった。目の前の驚異がふすまの向こう側に行くと、肩の荷が下りたのかシロがホッと溜息をついた。
「さてご飯ができるまで、俺たちは部屋で待機だ」
「あぁ、今日は疲れた......。鷹目ぇ、お前の部屋で寝てもええ......?」
「いいぞ」
鷹目は2階に上がり自分の部屋に入るとシロをベッドの上に放おった。小さな妖怪がポンポンとベッドの上に跳ねる。シロはすぐに丸くなって眠りについてしまった。
鷹目の部屋には必要最低限の家具とロードバイクの雑誌が数十冊。そして趣味のキャンプ道具がいくつか壁の隅に立てかけられていた。そして机の上には何枚もの御札が並べられている。鷹目は机の上に座ると背伸びをして、書きかけだった御札をまた書き足し始めたのだった。
夕ご飯のいい匂いがしてくるとシロはパチリと目を覚ました。窓の外はすでに日が暮れて、暗くなっている。キョロキョロと見渡し、あぁここは鷹目の部屋だったんだと思い出した。
鷹目は机で御札を書き続けている。夕日があたってオレンジ色に光る鷹目の横書をシロは話しかけもせずじっと見た。真剣な表情をしていると途端にかっこよくなる。
「お前はいつもその顔やったらかっこええんやけどなぁ」
つぶやくようにシロが話すと、どうやら鷹目にはかすかに聞こえたようだ。
「お?シロ起きたのか?なんか言ったか?」
「いや、かっこええなと思って」
「おぉ?分かるやつじゃねぇか!」
鷹目はシロの頭をよしよしとなでるとシロは体が大きく揺さぶられた。起きたばっかりだからやめてくれと鷹目の手を払ってシロは宙に浮かぶ。
ご飯できたわよーという母の声が聞こえると、鷹目は自分の部屋を出て後ろからシロがついてくる。1階に降りるとご飯のいい匂いがしてシロのお腹がぐぅと鳴った。食卓の上には唐揚げとサラダがそれぞれ大皿に乗っていて、ちゃんとシロ用の小さなお皿も用意されている。
「おぉ!鶏肉!最高や!」
「シロちゃんのためよ」
シロは机の上に飛び降り、自分の顔と同じくらいのサイズの唐揚げを両手で持って食べようとしたとき。
「おい」
食卓の上座に座った仏頂面の親父の豪がシロを睨んでいる。唐揚げを持ったシロは大きな口を開けたまま固まった。
「いただきますはどうした」
シロはそっと唐揚げを元の場所に置いて、両手を合わせてそれはそれは丁寧に
「いただきます」
と言った。
仏頂面の親父は納得した顔に戻り、腕を組んで妻が席につくのを待っている。鷹目もいつもの席に座り、母も自分のご飯を茶碗によそって自分の席に座ると、鷹目家の食卓の準備は完了だ。父が手を合わせると家族3人同時にいただきますと言ってご飯を食べ始めた。鷹目家の食卓は言葉少なく進む。テレビをつけていないから、本当に静かな食卓だった。箸が皿に当たるカツンという音や咀嚼音だけが聞こえる。しかし今日は、一家の大黒柱が珍しく話し始めた。
「優太。明日からお前にやってほしい仕事が来たぞ」
「え?珍しい。組合の人から頼まれたやつ?」
「ああそうだ」
神社仏閣に関わる人間が多く在籍する組合のことだ。父親は箸を置くとゆっくりと喋り始めた。
「先日組合の者がプライベートで河原町を歩いていたときに、男女のカップルの後ろに幽霊が取り憑いていたのを見たんだと」
「ふーん。悪霊?」
「いや、悪霊ではなかったそうだ」
「じゃぁほっといていいじゃん」
鷹目はご飯を片手に聞いている。祓うべきは悪霊だけであって幽霊であれば成仏させてあげるべき。そしてその仕事はどちらかと言うと坊さんの仕事だといいたげだ。しかし父親は首を振って話を続けた。
「そうでもない。どうも不思議でな。その幽霊の姿と、そのカップルの女の姿が全く同じだったらしい」
「は?なにそれ?」
鷹目は箸を止めた。シロはガツガツと唐揚げをやっと半分にしたところで、話に首を突っ込んだ。
「幽体離脱ってやつか?それとも生霊ってやつか?」
相棒に話しかけられた鷹目は首を横にふる。
「それはない。幽体離脱は寝てるときの夢だ。生霊が本人の近くにいるって意味分かんないし。むしろ双子の妹が死んでいて、幽霊に...とか?」
「いや、それも違う。組合の奴は完全に同じと言っていた。双子という線は無いと断言していた。何よりもな、その生きている方の女性から感じ取られる殺気が尋常じゃなかったらしい。人1人殺せるくらいのな」
人を殺すという言葉を聞いて鷹目がピクリと固まった。妖怪の力は大小様々だが、人を1人殺せるとなると話は違う。早急に手を売って祓わなければならない。ただ相手は妖怪ではない、人間だというのが問題だった。
母は黙って話を聞いている。いつものことだが母はあまり仕事の話に関わろうとしない。
「まぁ不思議なのは分かったけど、仕事の内容は?」
「女の方の身元は全くつかめない状態らしいが、男の方の身元はつかめた。名前は進藤真司、丸太町あたりにある小さな会社でシステムエンジニアをやっているそうだ」
一枚の写真と地図を息子に渡した。
「来週からお前、そこで派遣社員として働きながら調べろ」
一瞬、鷹目家の食卓に沈黙が戻ってきた。鷹目の目が点になっている。全く理解できないという顔をしていた。
「え!!まじかよ!俺!?仕事するの!?」
「システムエンジニア。かっこいいじゃないか」
父親の顔が珍しく笑顔になった。母親もクスクスと笑っている。
「拒否権は?」
「ない。組合の中でこの調査は若い人間に任せたほうがうまくいくだろう、という結論になってお前に白羽の矢が立ったというわけだ」
「まじかよー!」
鷹目はがっくりと肩を落とした。鷹目は基本的に自由人だ。だいたい昼間はぶらぶらと散歩をしながら地域のパトロール。休みの日はキャンプや釣りをしているだけの生活だったのだ。妖怪が暴れたり悪霊が出たというときだけが鷹目の仕事のタイミングだった。基本的に歩合制の仕事しかしたことのない鷹目にとって、毎日8時間同じ場所に拘束されるというのはたまったもんではない。しかし組合の命令となると絶対だ。歯向かおうものなら目の敵にされ今後仕事を回してくれなくなるのだ。
「はぁ...分かったよやるけどさぁ。やる......やるけど、なんか俺に見返りあるの?」
「臨時収入はあるらしいぞ?」
父親がニヤリと笑いながら唐揚げを箸でつかみ口の中に入れた。
「いくら?」
親父はゴツゴツとした指を5本とも立てた。
「5万?」
いいや、と父親は首を振る。まだ口の中の唐揚げがなくなっていないらしい。
「もしかして、50?」
うん。と首を縦に振ったと同時に唐揚げを飲み込んだようだ。
「マジで!やるわ!」
金額を聞いた瞬間に、さっきまで地の底までがっくりと落ちていた肩が元の位置に戻ったのをシロは見ていた。どうやら鷹目の頭の中は新しいキャンプ用品でいっぱいになっているようだ。ちょうど唐揚げを食べ終えたシロはペロリと口の周りの脂を舐めていた。
「現金なやつやなぁ鷹目ぇ」
パンパンと手についた唐揚げの粉を払い、呆れたようにシロが言う。
「シロにはわかんねぇだろな!現金で50はデケェぞ!いいテントが買える!」
鷹目の父親がフンと鼻をならして、次の唐揚げに手を出していた。
「さっさと解決してこい、優太。お前は組合から期待されてるんだ」
さっきのとは打って変わってハイテンションになっている息子を見て両親は内心、昔から変わらないなぁと笑っていた。
「任せといて!期待に答えるよ!シロも連れてっていいよな?」
シロが突然名前を呼ばれて、ゲホゲホとむせた。
「ゲホッ!なんで俺?」
「俺の初めての就職なんだ。支えは必要だろ?」
シロが後ろ足で立ち上がり、短い前足で腕組みのポーズをする。
「見返りは?」
「オコジョの写真でもコツメカワウソの写真でも何でもやる」
「足らん!」
シロはそっぽを向いた。鷹目の提案では満足できないらしい。
「それなら」
母親が口を開いた。なにか思いついたようだ。
「解決の暁には、東山動物園のコツメカワウソちゃんにでも合わせてあげれば?」
その言葉を聞いた瞬間、シロが大声で叫んだ。
「それなら行く!!!」
俄然乗り気になったようだ。
「それでいいのかよシロ」
「分かってへんな!鷹目!コツメカワウソちゃんの爪と牙、あのたくましさと流線美......。天は二物を与えたんや......」
真剣に話しながらウンウンと頷くこの白い妖怪のおかげで鷹目家の食卓に珍しく笑顔が溢れた。
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