HOP

エリー.ファー

HOP

 跳ねるように歩き出す、雨の中で。

 上等だと口に出した時間は過ぎ去ってしまった。

 午前二時十八分の電車から見える町の静けさは、ラブホテルに近いところでしか嗅ぐことのできない、湿った香りがした。

 混沌とした世の中だから気を付けた方がいいと、家まで送ろうとしてきたあの店長は今頃何をしているのだろう。

 きっと、奥さんに何かサービスをしているのかもしれない。食器を洗って、風呂を洗って、子どもを洗って、自分の体を洗って。

 薄ら笑いばかり上手くなってしまったことを恥ずかしいと思っているくせに、きっとそれで飯を食っているのだ。気持ち悪いと思っているのだろう。自分自身でも。

 だけれど。

 そう、私もそのうちの一人で。

 お父さん、お母さん。

 あなたたちの娘は、薄ら笑いがとっても上手くなりました。今は大学にも通っていません。借金があって、どうにもなりませんし、実家へ帰る予定なんか微塵もないけど別にいいですよね。

 だって、私も大人ですし。

 いい大人になってしまいましたから。

 これでおしまいですと、何かの手段で伝えることもしません。

 嫌な子どもですね。

 さようなら、さようなら。さようなら。

 電車は二回振動して、右へと大きく曲がる。体にかかる重力は私を一度だけ正気に戻そうとする何かの意思にも思える。

 あぁ。

 まだ私は。

 救われようとしている。

 誰かの手を掴んで、時間の経過を待っている。

 今生の別れがしたいなあ。

 ドラマチックな死に方がいい。こんな街に生きていて高望みをしないようにする方が難しいと思う。なのに、失敗した時のネットはなくて、そのまま地面まで落とされる。

 政治家さん。政治家さん、聞いておりますか。

 あんまりですよ。

 これは、あんまりだと思いますよ。

 もうちょい頑張れる気がするんですけど、頑張るためのきっかけも中々見つからないような世の中じゃないでしょうか。

 あぁ。

 政治家じゃあ、ボンボンじゃ、そういうの分からないか。ごめんなさい。なんでもないです。

 そうですよね、自分でどうにかしますよ。もしかしたら、新しいきっかけを見つけてこの街から出られるかもしれないですからね。

 携帯の充電は切れたまま。

 静かのものだから、逆に持っていたくなる。

 不揃いな存在と、丸い角はよく似合うものである。

 下らない。本当に下らない。

 この電車は、どこかに行くそうです。どこにも行かずに回っているように見えて、本当は終点が存在しているそうです。

 政治家さんは、電車とか乗るんですか。満員電車とか、誰も乗っていない電車の寂しさとか知ってるんですか。狭いと思う時もあれば、広すぎると思う時もある、電車の空間が持つ不可思議さをご存じで御座いますか。

 ねぇ。政治家さん。いや、もう政治家さんじゃなくて、他の大人とか、ちゃんとしている人たちでいいや。

 ねぇ、みなさん。

 私のこと知っていますか。

 知らないでしょ。

 私は皆さんのこと知らないですよ。皆さんも私のこと知らないですよね。

 でも。

 皆さんは誰かには知ってもらえてるんですよ。その誰かの中に私が含まれていないだけで、一人じゃないんですよ。

 それだけで、私は十分だと思いますよ。

 あの。

 私。死ぬ予定なんです。

 へぇ、そうなんだって思ったでしょ。

 ね、そうなんです。

 私って、命を使ってもこれくらいの注目しか集められないんです。

 もう、まいっちゃいますよね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

HOP エリー.ファー @eri-far-

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ