第71話 放たれた厄災

 リノアが意識を取り戻したのはそれから三時間ほど後のことであった。


 襤褸くずのように哀れな姿を晒していたのに、誰も助けようとしなかったのは推して知るべし。


 しかしようやく意識は取り戻したものの、肋骨に罅が入ったのか呼吸をするだけで胸は痛むし、下半身に力が入らず起き上がることもできない。


 ふらふらと立ち上がったリノアを、侮蔑と嘲りの視線が包む。


 自業自得というべきか。むしろ彼女の様子はさらし者にされ、これまで迷惑をかけられてきた住民たちの格好の清涼剤となった。


 それだけなら問題はなかったのだが、彼女は歴とした騎士である。


 ランカスターの街を守護するべき騎士が、子供にあしらわれたあげくさらし者にされた。それも隠ぺいなどできないほど長時間にわたって。


 それなりの家柄であるがゆえに、こうした不名誉は放置するわけにはいかなかった。


 リノア以外に子がいない以上、リノアが婿を取って子を産まなければヘイゼルバーン家は断絶する。そう思えばこそこれまで煙たがりながらもリノアの横暴は見過ごされてきた。


 しかしこうして騒動を引き起こしたあげく恥をさらすようでは誰も擁護することは不可能であった。


 即日リノアは騎士の地位を解任され、実家へと連れ戻された。


 自分は悪くない、とリノアは必死で抵抗したのだが、怪我で満足に動けない状態ではされるがままである。


 「このヘイゼルバーン家の恥さらしめ。せめて我が家のために男の子を産みなさい」


 「こんなことなら最初から騎士などにするのではなかったわ」


 「冗談じゃないわ! 悪いのはあいつらよ!」


 唯一の味方であった母親にも見捨てられたリノアは、遠い親類から見繕ってきた男と結婚して子孫を残すため、体のよい軟禁生活を送るはめとなった。


 普通であれば、不幸な物語であるがあくまでも相対的なものであり、その程度の不幸はどこにでも転がっている。


 リノアにしても子を産み、女の幸せを手にすることも本人の努力次第では難しくなかったであろう。


 だが、ステラに叩きのめされた程度ではリノアの性質を変えるにはいたらなかった。


 身体に覚えこませる躾ともいうべき方法は、無意識下まで沁みとおるほどの反復が必要なのだ。


 倒れたら鉄拳や竹刀が飛び、さらに過酷な訓練という苦痛を与えられる。それを身体が反射的に思い出すからこそ兵士は限界を超えて戦うことができる。


 そして上官の命令で敵を殺すということも。


 半殺しとはいえただの一回で無能な働き者を矯正できるのなら、誰も苦労はしない。


 松田が本気でリノアを矯正するつもりなら、一か月以上は肉体と精神を極限まで苛め抜かなければならなかったであろうが、そんな暇があるわけもなかった。


 「――――私は悪くないわ! あの男が何か卑怯な手を使ったのよ!」


 至極当然のようにリノアはそう信じた。


 自分がステラのような子供に負けるはずがない。ということは松田が見えないところで邪魔をしたか、あるいはステラは変装した大人であったのだ。


 そしてそんな手段を使う男が、善良な人間であるはずがない。


 恐るべき発想の飛躍でリノアは自分を正当化した。


 「このままでは私は子供を産む道具で一生を終わってしまう。私の器はその程度のものなの?」


 その程度なのである。


 劇的で歴史に名を遺すような運命を持つ人間が、その辺に転がっているわけがない。


 夢を持つことは自由だが、そこに客観性が皆無となれば誰にとっても悲劇しか生まないのである。


 少なくともリノアにはこのとき、よき母となって人生を再構築するチャンスがあった。


 日々の食事にさえ苦労する庶民に比べれば、遥かに恵まれた環境にいるということをリノアは理解できずにいた。


 自分の正しさを信じるがゆえに、その未来に対する認識も甘くなる。


 なんとかなる。きっとわかってもらえる。わかってもらえないのは周りが悪い。




 『私はここで朽ち果てるつもりはありません。過去より未来に知己を求めて旅立ちます』




 一通の手紙とともにリノアが警護の兵を殴り倒し行方不明となったのは、拘束から一週間ほど後のことであった。


 「いやあああああああああああああああ! あの馬鹿娘があああああ!」


 やはり殺しておけばよかった。銃殺しておかなければならなかった。


 母親がそう認識したかどうかはわからない。しかしそれに近い憤怒と絶望を感じたことだけは確実であった。


 母親は連日、娘にせめてよりよい未来を与えるべく、亡き夫の伝手を辿って東奔西走して頭を下げまくってよりよい婿を見つけてきたばかりだったのである。


 表には出せない不詳の娘ではあるが、少しでも幸せな人生を送らせるため両親は自分のプライドを捨てて懇願した。


 その結果、同じ騎士家から将来性のある青年を婿にもらうことが内定したというのに……恩を仇で返すという言葉があるが、これはそのなかでもとびきりであった。


 面目と跡継ぎを同時に失ったヘイゼルバーン家は、その後何処ともなく引っ越してその消息は永久にわからなくなったという。




 「…………あのくそども……スキャパフロー王国に行くと言ってたわね……」




 困ったことに自分が傷つけられることにはひどく敏感な無能は働き者であるが、自分の復讐心を満たすためには泥水を啜ることも厭わないという二面性を持つものがいる。


 リノアはそうした性質の悪い例外であるようであった。


 誤った方向に対してだけは、非常に勤勉で才能もあるのだから、もはや厄災としか言いようがあるまい。


 ろくでもない人生を送るのが大半の彼らだが、ギリギリのところでは悪運が強い傾向がある。そのため一度狙われると厄災から逃れるのは困難なのだ。








 「――――なんでやねん」


 怪しい関西人になって松田が頭を抱えたのも無理はない。


 ステラがリノアを意識不明になるまでしばいたら、なぜか松田がレベルアップしていた。


 この世界のレベルアップシステムはどうなっているのか、無性に小一時間問い詰めたい松田であった。


 「――――お父様?」


 「どうして俺は戦っていないのにレベルアップするんだ?」


 「正確にはレベルアップは魂の器の拡張ですから、戦闘以外でもあがることはありますよ? もちろん、敵の生命を奪うことが一番効率がいいのは確かですが」


 「よっぽどあの手のタイプが嫌いだったんだなあ…………俺」


 トラウマになりそうな部下を持ったことはある。


 クライアントの父親を門前払いにするどころか、不審者として通報してしまったり、警護するべき要人を無断撮影から庇うために突き飛ばしてしまったりした奴が。


 あいつも自分が悪いとは認めない奴だったなあ。


 「……うっ……胃が…………」


 「お腹痛いですか? ご主人様。わふ」


 「いや、あの手のタイプを叩き潰せるというのはいいことだ」


 そう考えれば実によい世界であると言えなくもない。


 改めて松田はしばらくぶりにレベルアップした自分の能力を確認した。




松田毅 性別男 年齢十八歳 レベル5


 種族 エルフ


 称号 ゴーレムマスター


 属性 土


 スキル ゴーレムマスター表(ゴーレムを操る消費魔力が百分の一) 秘宝支配(あらゆるアーティファクトを使用可能) 並列思考レベル5(五百体のゴーレムを同時制御することができる) ゴーレムマスター裏(土魔法の習得速度三倍の代わりに土魔法以外の魔法が使用できなくなる) 錬金術レベル1(素材なしに魔力から錬金した物質を維持する消費魔力十分の一 位階中級まで)錬金術レベル2(レシピ理解、レシピさえあればなんでも再現できる。ただし性能はワンランク落ちる。位階中級まで)


錬金術レベル3(錬金再現、一度見た錬金を理解し再現することができる)


錬金術レベル4(使い魔創造 触媒によって使い魔を創造することができる。使い魔の強さは触媒と魔力に依存する) ←今ココ




 「……ゴーレムと違って使い魔は一応生命体なんだな」


 メリットとしてはある程度の自立行動が可能であることと、目立ちにくいことくらいであろうか。


 魔力がある限りいくらでも修復できるゴーレムと違い、使い魔は攻撃を受ければ死ぬ。


 もっともまた創造すればよいだけと言えなくもないが、自立性があり成長もするので使い捨てにするのも心が痛む。


 というよりこれはもしかするとリアル○ケモ○マスターも目指せるのでは?


 「――――使い魔ですって?」


 形のよい眉を吊り上げてディアナがぐい、と松田の袖を握りしめた。


 「どうしたディアナ?」


 「使い魔は敵です! 思い出すのも汚らわしい奴らですわ!」


 「ええ…………」


 「絢爛たる七つの秘宝の私たちをいつまでも新参者扱いして! 戦ったら絶対にこちらの勝ちですのに!」


 「要するに昔の縄張り争いなのね……」


 「乙女には退くことのできない事情があるのです!」


 憤然とディアナは頬を膨らます。


 その様子が実に小さな女の子らしくて、松田は思わず噴き出した。やはり精神年齢は外見に依存するのだろうか。


 「何がおかしいのですか、お父様!」


 「いいじゃないか。今度はディアナが先輩になるのだし」


 そもそも使い魔はゴーレムと違って消すことができないから、迂闊に創造するつもりもない。


 「はっ! そうよ今度は私のほうが先輩! あのとき受けた屈辱の数々を何倍にもして返してやるわ!」


 「使い魔は無実だからやめろください」


 くつくつと俯きながら不気味に笑うディアナが、過去のわだかまりを捨てるにはまだまだ時間がかかりそうであった。


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