第70話 対処要領
「いったいなんなんだ、この騒ぎは?」
翌朝、宿を出た松田は関所の方から怒声や罵声が飛び交っていることに気づいた。
よく見れば関所に向かって延々と長蛇の列ができている。
その先から荒々しい商人たちの抗議の声が響き、女性と思われる金切り声が商人を罵倒している様子であった。
「おい、ちょっと待ちな」
怪訝そうに喧騒を見つめていた松田を呼び止めたのは昨日の商人アランである。
「確か――――」
松田がそう答える間もなく、アランは松田の腕を掴んで路地裏へと引きずり込む。
抵抗することもできたが、物言いたげだったアランの表情を見た松田は大人しくそのまま引っ張られていった。
「――リノア、という女に聞き覚えはないか?」
真剣そうな表情でアランに問われた松田が眉を顰めて首をひねると、ディアナが囁くようにして補足した。
「お父様、昨日の話の通じない騎士の女ですわ」
「ああ、あの地雷女か」
「やっぱりお前らだったか」
顔を顰めてアランはピシャリと自分の額を手のひらで叩いた。
「あんた、騎士に暴力を振るったうえ、幼女を誘拐した犯人にされてるぞ?」
「誰が幼女誘拐犯だ!」
「お父様に山賊に辱められようとしていたところを助けられたのになんてことを! 殲滅しましょうお父様、お命令リクエストオーダーを!」
「殲滅したらいかんでしょ」
ごつん、とディアナの頭に拳を落として松田はアランに頭を下げた。
「知らせてくれてありがとう。といっても濡れ衣なんだが、もしかしてこの騒ぎは俺のせいなのか?」
「ああ、名物女リノアがエルフと子供二人連れを探して臨検してるんだが、横暴極まりないうえに見当違いな疑いをかけてくるから収拾がつかなくなってる」
「なるほど、さすがは地雷だ」
関所は日ごろの何十倍もの人の群れが喧騒を響かせていた。
その中心でリノアは鼻息も荒く、バンと大きく馬車の荷台を叩いた。
「どうしてご禁制のハナハがあるのかしら?」
「だから輸出する分には構わないんだって何度言ったらわかるんだ! おい、なんとか言ってくれよ!」
商人に促されて関所の監督官である役人が怒りも露わにリノアに食ってかかった。
「この臨検は誘拐犯の捜査のためであったはずだ。これ以上我々の職権に手を出さないでもらおうか」
「法を犯しているのに職権もなにもないわ! それとも賄賂でも受け取っているのではないでしょうね!」
「そ、そんなことはないっ!」
顔を真っ赤にして役人の男は叫んだ。
リノアの言葉に全く身に覚えがないわけではなかったからだ。
輸送品のごく一部を付け届けとして渡されるのは、厳密には賄賂かもしれないが古くからの慣例であり親しい商人とのコミュニケーションのひとつでもあった。
そんなお土産程度で役人が検査に手心を加えることなどないし、商人のほうでもそんなことは期待していないだろう。
当たり前のこととして世間が見逃していることを、わざわざ意味もなく声を大にして弾劾するのがリノアのような人間であることを役人の男は知っていた。
建前では正しいことを言っているから性質が悪い。
世の中は建前が通るほうが難しいのだが、それを理解していない、というより都合よく解釈する人間は意外に多いのだ。
例えば道路交通法では歩道を横断する際、自動車は一時停止することとされているが、ガソリンスタンドやファミレスの駐車場に入る際に一時停止している車など皆無であろう。それをわざわざ通報してくる輩もいる。
だがそんな奴に限って建前を本気で信じているわけではない。ただ攻撃する材料として利用しているだけだ。
自分だけは安全なところから他人を批判したいだけの人間は確実にいるのである。
役人の男が感じているのはそれと全く同じではないにせよ、反論の難しい理不尽さに対する怒りであった。
「ハナハは我が国では禁制でも他国への輸出は禁止されておらん。素人が国法も知らずに出過ぎた真似をするでない!」
「本当に輸出するかどうかわからないじゃないの! 大方賄賂でももらってここで売るのを見逃してるんじゃないの?」
「貴様……侮辱するか!」
激高する役人の男をリノアは冷ややかな目で嗤った。
「何よ…………相手になりましょうか?」
武力行使をほのめかされて役人の男は明らかにひるんだ。
もとより関所の役人にすぎない彼が、純粋な武装集団である騎士に勝てるはずがなかったし、リノアは 困ったことに腕前だけは人並みはずれていたのである。
何より実はハナハを少量だけ、土産に受け取っていたという負い目もあった。
こんないいがかりで本当に公に捜査されてはまずい。
「本当に信用できない人たちね!」
誰一人信じていない目でリノアは嗤う。
ただの検査であるならともかく、最初から犯罪者のような扱いをされて面白い人間はいない。
それでもかろうじて暴動が起こらずに済んでいるのは、やはりリノアが戦闘の専門職である騎士ということが大きかった。
とはいえ、昨日から謂れのない罵倒を受けるストレスは限界に達しようとしていた。
「やれやれ、この街ではいつから守備隊にそこまでの権限が与えられたのだ?」
大きく響くその声に、リノアは柳眉を逆立てて視線を向けそのまま口を開けて絶句した。
そこにはリノアが探し求めていた松田が、可愛らしい少女を二人引き連れてあきれ顔で肩をすくめていた。
「――――引き返すというわけにはいかんよな」
下手に引き返してマクンバからの追手に捕まるわけにはいかない。
今頃は大掛かりな公開捜査が始まっていてもおかしくないので、近づくことすらしたくなかった。
「殲滅しましょう!」
「だからいい加減お前は殲滅から離れろ!」
ごつんとディアナのつむじに拳を落としておいて松田は考える。
「……そういえば護衛の勧誘はまだ有効かい? アランさん」
「まあ有効といえば有効だけど、さすがにあんたを庇う心算はないよ?」
腕利きとはいえ見ず知らずの男を庇うほどアランは慈善家ではない。もちろん損得次第ではいつでも変わる心算ではあるが。
「地雷女が凹むところ、見てみたくないですか?」
松田はどこか遠い目をして不気味にくつくつと引き攣れるように嗤った。
「ご主人様、また嫌なことを思い出したみたいです。わふ」
「ステラ、それはわかっても黙っていてあげなさい」
「うるさいなあ! お前らっ!」
決め顔をダメ出しされるほど切ないことはない。松田はあっけなく恥ずかしそうに顔を伏せた。アランが呆れるほどの緊張感のなさであった。
「……断っておくが、俺はそれほど大物じゃないぜ?」
「ですがそれなりに名が知れた商人でしょう?」
アランの身なりや情報網は、平凡な商人の範疇を大きく超えている。
ぱっと見にはそれほど裕福には見えない恰好をしているだけに、松田がそれを見抜く程度には目端が利くことにアランは感心の目で見つめた。
「ということは俺のするのは商売仲間の煽動か?」
権力のないアランに求めるとすればそれしかない。商人は敵か味方かはともかく顔が広いものであるからだ。
「ああいう女がいると、商売の邪魔でしょう?」
ふっふっふっ、と悪い笑みを浮かべて二人はがっちりとお互いの手を握った。
「現れたわね! この女の敵!」
憤然と肩を怒らせ、リノアは視線で斬るかのように松田を睨みつけた。
否、睨みつけるだけではなくそのまま抜刀して松田に向かって突進した。さすがは地雷女である。期待を裏切らない。
「この国の騎士は他国の使者にいきなり斬りかかる習慣でもあるのか?」
土壁によってリノアの突進を軽く弾き返すと松田は傲然と胸を張る。
半ば以上演技であるが、リノアに対する牽制として腰を低くするわけにはいかなかった。
下手に出るのが逆効果にしかならない人間というのはいるものなのだ。
憎まれっ子世に憚ると言うが、理不尽でも声の大きいほうが得をするというのは残念ながら事実であった。
「何よ! 逆らう気?」
「そちらこそ何様のつもりだ? この五槌が一人、ドルロイの一番弟子松田毅が恩試のためスキャパフロー国王陛下に拝謁を賜るのを邪魔する権利があるとでもいうのか?」
正直ここで松田の足取りを残してしまうのは気が進まないのだが、このままでは進めないのだから仕方がない。
「まさかあの偏屈ドルロイが弟子を……?」
「五槌だと? ドワーフの工匠でも並ぶものがないという達人ではないか!」
「確かに五槌なら国王陛下に謁見を許された貴族も同然だからな」
瞬く間にざわめきは拡大した。
もちろんその仕込みはアランの手筈通りだが、それ以上に五槌の名声が高かった。
正直なところ手段を誤った、と松田が背中で冷や汗をかくほどに、混乱は増幅していった。
「冗談を言うんじゃないわ! どこの世界にエルフを弟子にするドワーフがいるのよ!」
一般人の常識ではリノアの発言は全く正しいが、ここには生き馬の目を抜く商売人が検査を待って集まりすぎていた。
彼らの情報量は、市井の一般人とは比較にならない。
「…………いや、マクンバのドルロイ工房にエルフの弟子がいるという話は聞いたことがあるぞ?」
「そういえばゴーレムを操る探索者もやってなかったか?」
「ああ、あの偏屈ドルロイが初めて弟子をとったというのは彼か?」
「するとスキャパフローのドワーフ王に拝謁するというのも…………」
「十分にありえる話だぞ」
「そんな人にいきなり斬りかかるとか……」
「これ、もしかして処罰案件なんじゃ? 下手すると外交問題?」
どうやら松田が考えていた以上に重要な人物であるらしい。そんな空気にさすがのリノアも気づいた。
無能な働き者は銃殺にするのが最適解ではある。
しかしこの世の中そうそう理想通りになるはずもなく、無能な働き者を排除できないことのほうが多い。
そうした場合松田の経験上対処方法は二つあった。
まずひとつは権威を利用することだ。いろいろと空気を読まない無能な働き者であるが、自分本位であるがゆえに自分を脅かす権威には従う傾向がある。
特に恥を嫌う日本では、権威を利用して満座で恥をかかせるのは有効だ。
大抵の場合プライドが高い無能な働き者を萎縮させることができれば、それでもやらかしてしまうとはいえ、被害を許容範囲内に収めることは可能なのである。
「け、権力と地位で人を好きできるとは思わないことね! 私は可愛い女の子の味方なのよ!」
「なんのことかな?」
「そんな小さな子供を己の欲望で欲しいままにしているような鬼畜を放置するわけにはいかないの!」
「いろいろと誤解があるようだが…………」
大仰に松田はため息を吐く。
上下の立場を理解できない、自分の立場がやばう、という危機感地能力すらない相手にはもうひとつの手段しかなかった。
「残念だ。この手は使いたくなかった」
「お父様、ものすごくいい笑顔なのはなぜですか?」
「人はどうしようもなく哀しいときには笑ってしまうものなのだよ」
絶対に嘘だ、と思ったが、ディアナはリノアよりは空気の読める女の子であった。(当社比)
「この子たちなら同じ探索者パーティーのメンバーで従者だぞ? 師であるドルロイ様も認めておられるが何か問題でも?」
「ふざけないで! こんな小さい子が探索者のわけないでしょう!」
「いい加減にしろ。正式な探索者カードを否定する権利などお前にはない」
悔しそうにリノアは唇を噛みしめる。探索者の手続きにまで介入する権限がないことくらいは理解していたからだ。
「こんな子を戦わせるなんて! あなたには羞恥心というものがないの?」
それでもなおリノアは屈しなかった。
最初から彼女の行動基準は理屈ではなく感情によるものであった。
それに根拠もなく、自分の正しさを周囲にわかってもらえるものであると彼女は疑っていなかった。
「えらそうにいうけど、この子たちの足元にも及ばない、弱っちいお前が言っても説得力ないね」
「――――なんですって?」
松田の言葉はリノアのもっとも大切な部分を見事に抉った。
リノアにとって強さというものは、騎士の家柄に生まれた自分を律する最も大事なよりどころであった。
その拠り所を松田に穢されたとリノアは感じたのである。
「お前のように弱い女が騎士など務まるのか? ステラにも片手で倒されてしまう程度の雑魚にすぎないお前が」
「いい度胸だ。騎士に対する侮辱、万死に値する」
リノアはキレた。松田がキレるようにしむけたのである。地雷女だけにちょろいことこの上ない。
「ステラ、あの馬鹿に分際というものを教えてやれ」
「お任せくださいです。わふ」
無能な働き者を矯正する最後の手段は、単純に身体に覚えさせることだ。
少なからず現代でも、軍では命令に対する絶対的な服従を担保するため、過大な訓練が強制される。
なんといっても命令によって人を殺さなければならない。場合によっては死ねを命じられることすらあるのが軍隊である。
旧軍が上官の命令に必ず「はい」と答えさせた(その後で否定するのはよい)のは伊達ではなかった。
意識が朦朧となるほどひたすらに走らせるのも運動学的に意味はない。走るのを止めたら鉄拳制裁が待っている。痛い思いをしたくなければ命令を遂行する。それを無意識の領域まで刷りこませるというのが軍隊の訓練の在り方なのだ。
さすがに一般社会で大っぴらに体罰を行うことはできないが、嫌がらせのようにキツイ訓練を行うのは不可能ではない。
特に松田は職業柄、護身術の訓練があるので、素人の身体を虐めるのをよく使った。
武道経験者やアスリートでもないかぎり、素人は玄人には敵わない。
さすがの無能な働き者でも、身体で実感として敵わないと知った人間に逆らうことは難しいのである。
「あんな鬼畜の命令なんか聞く必要はないのよ? 安心して、手加減はしてあげるから」
「行くです! わふ」
リノアが無警戒に一歩足を踏み出した瞬間、ステラは一瞬にして五メートル近い距離を潰してリノアのどてっぱらに正拳を叩きこんだ。
「げふうううっ!」
乙女があげてはならない悲鳴をあげてリノアは吹き飛ぶ。
かろうじて皮鎧が衝撃を吸収してくれたが、そうでなければ悶絶で反吐をぶちまけていたのは確実だった。
震える足を踏みしめて、リノアは虚勢を張って笑う。
「な、なかなかやるようだけど、この私を本気で怒らせたわね!」
「無駄口叩いている余裕があるですか? わふ」
「ええっ?」
音もなくリノアの足元に忍び寄ったステラは、足払いをかけ前のめりに倒れそうになるリノアに膝蹴りを叩きこんだ。
「おろろろろろろろろろろ」
今度こそ乙女の尊厳にかかわるやばいものをまき散らして、リノアは腹を抱えて蹲うずくまる。
「ちょ、調子に乗るんじゃ…………」
――――ドゲシ!
「ま、待って。私はあなたの敵じゃない」
――――バキバキバキ!
「お願い。こんなの卑怯よ!」
――――ゴスッ!
「や、やめ…………」
――――ビシッ! ビシッ!
「もう助けて! 勘弁して!」
――――(無言で)腹パン! 腹パン!
「……………………」
「ご主人様、反応がないです。わふ」
「俺が言っても説得力ないけど、ステラも大概容赦ないな」
襤褸雑巾のようになって、鼻血を流して痙攣しているリノアを見ると同情を禁じ得ない松田であった。
同時に自業自得だとも思っている。
家柄がいいことと、実力はあるために腫物のように扱われていたリノアであるが、子供にコテンパンにされたとなればもはや救いの道はないだろう。
騎士が子供に負けたという恥辱は、確実に進退問題になる。
というより越権行為で関所を混乱させた罪を合わせれば、本家に監禁、あるいは遠隔地に嫁入りという名の追放の可能性が高かった。
「――――さて、邪魔ものもいなくなったことだし、速やかに出国の手続きをお願いしましょうか」
「いやいやいやいや、見事なもんだね! こりゃ護衛の心配はいらないみたいだ」
機嫌よくアランが松田の肩をバンバンと叩くのと、商人たちから一斉に歓声が上がるのは同時であった。
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