第10話 お風呂回

 「わふうっ! お水が温かいです! 気持ちが良いです!」


 「人狼は風呂に入る習慣はないのか?」


 お湯を手で掬ってはしゃぐステラを生暖かい目で見て松田は苦笑した。


 「水浴びなら毎日してるです! わふ」


 そういってステラはまるで犬のようにぶるぶると全身を震わせた。


 生まれたままの素肌が揺れて、瑞々しい素肌の上を水滴が滑るように流れ落ちていく。


 そろそろ男女の羞恥心が芽生える歳のはずなのだが、ステラは松田が脱衣場に入ると、当然のようについてきてなんの躊躇もなくいっしょに服を脱ぎ始めた。


 服を脱ぐ仕草にも一切羞恥心が見えないので、おかげで松田のほうも意識せずに済んだというのが本音である。


 裸になったステラは身長のわりに痩せており、あばら骨が浮き彫りになった、お世辞にも栄養状態がよいとは言えないありさまであった。


 傷跡のようなものが見当たらなかったのは不幸中の幸いというべきだろうか。


 もっとも本人にはそんな自覚はないようで、はしゃぐあまり人狼化して尻尾を全開で振り回しているステラの姿に松田は癒される。


 肩まで浴槽に浸かり、ふう、と親父のような溜息を吐くと、ステラが松田の横に擦り寄ってきて尻尾を太ももに巻きつけてきた。


 本能的な人狼の親愛表現なのであろう。


 「すごいですご主人様! ステラはあんな美味しいお肉もお風呂も初めてなのです! わふっ」


 「おいおい、それは少し貧しすぎないか? 人狼ぇ……」


 薄い胸の尖った蕾が、松田の二の腕のあたりに押し付けられる。


 成長しきっていないそれは、すでに女性らしい柔らかさを帯びていた。


 そんな幼児嗜好者ロリコンには楽園のような状況でも、ノーマルな松田にとってはただの癒しの空間でしかない。


 ――もし社畜にならずに結婚していたら、自分もこんな娘がいただろうか?


 そんな風に思うと邪な気持ちになどなれるはずがなかった。


 とはいえ汚れを落として輝きを取り戻した銀髪に、垢を落とした肌理の細かい肌のヌラリとした光沢は格別である。


 ステラは将来間違いなく美人になる。


 体温の高いもちもち肌をぴったりとくっつけられ、こんなに無防備で大丈夫かとステラの将来が心配になる松田であった。


 (……これは五年後にはもしかすると危険かもしれないな)


 いつの間にか無意識に頭を撫でていたようで、ステラは気持ちよさそうに身体を預けてご満悦であった。


 「ご主人様に会えて本当に良かったです。わふ」


 「少し落ち着いたらステラの里を探しに行くぞ?」


 親の了解もなくこんな可愛い子を連れまわしてたら、未成年者略取と言われても言い訳できないからな。


 松田は当然のようにそう考えていたが、ステラは力なく首を振るだけであった。


 「いいです。どうせ里に帰っても私の居場所ないです。わふ」


 「でもお父さんお母さんが心配してるだろう?」


 「お母さんが死んで、お父さんは変わってしまったです。とてもとても強い人だったけれど、その強さが通じないことには弱い人だったです。わふ」


 ステラの不健康にやせ細った姿は、監禁されていたせいだけじゃなくその父親のネグレクトのせいだったのか。


 「大好きなお父さんですけれど、もうステラが傍にいないほうがよいのです。わふ」


 哀しそうに笑って、ステラはぽつりぽつりと語りだした。


 「お父さんは人狼族マフヨウ支族の中でも族長に次ぐ戦士と言われたです。腕っぷしだけなら族長にも負けないのが自慢だったです。わふ」


 ステラにとっても自慢の父親だったのだろう。このときばかりはペタンと伏せられていた耳がピコピコと機嫌よさそうに動いていた。


 「お母さんは村一番の美人で、二人はとても仲良しでしたです。でもお母さんは病気になりました。ステラもよく知らない病気です。お父さんはモリエンテ山に薬草を取りに行きました。でも、すごくすごく頑張ったのに……間に合わなかったです」


 モリエンテ山というのは、それこそ軍隊が必要なほど魔物が跳梁跋扈する魔境であるらしい。


 そこからたった一人で生きて戻ってきただけでも十分にすごいことだが、最愛の妻を亡くした男にとって、そんな称賛にはなんの意味もなかった。


 「それ以来お父さんはやる気をなくしてしまったです。狩りも行かず酒を飲んで不貞寝してたです。族長や親せきもみんな励ましてくれたけど、いつまでも治らなかったです。わふ」


 最初は同情的であった仲間たちも、半年、一年という月日が過ぎるなかで一人また一人と離れていった。


 「去年ごろからステラは家を追い出されるようになりましたです。家にいると殴られるので、お父さんが寝てから家に戻って、お父さんが起きる前に家を出ました。そのとき、寝言を聴いたです。私がお母さんに似てきたのが悪かったです。わふ」


 折れてしまった心を治すことができるのは本人だけだ。


 折れる前であれば周囲の励ましが心を立ち直らせることはある。しかし折れてしまった後には自分の心を見つめなおす作業が絶対に必要であった。


 そんなとき周りの励ましはむしろ逆効果である。その気持ちがわからない松田ではないが、ステラをネグレクトしたことは許せなかった。


 「――ステラはいい子だな」


 こんないい子を虐待するとは父親の風上にも置けぬやつめ。


 「わふうっ! 耳をいじられると、なんだかぼうっとするですぅ」


 頭を撫でるついでにステラの耳の軟骨のコリコリする部分をもてあそぶと、ステラの口から熱に浮かされたような声が漏れた。


 そういえば犬を飼っていた同僚が、犬耳はかなり鋭敏な器官で他人に障られるのを嫌がると言っていた気がする。


 嫌がられないということは気を許されているということなのか、と松田はステラの耳をもてあそぶ指に力をこめた。


 「わふわふぅっ! ご主人様! 気持ちいいですぅ!」


 ステラはもっともっとというように頭を松田のほうにこすりつけてきた。


 ――――下手なマッサージよりも効果がありそうだな。


 猫が喉をくすぐられるとゴロゴロと喉を鳴らすのと同じレベルで、松田は犬、もとい狼の耳はいじられると気持ちのよいものだと認識した。


 「わふ~~~~」


 まだどこか上の空のステラを抱き上げて、何事もなかったかのように松田は脱衣場へと向かったのであった。


 その晩ステラは片時も松田から離れず抱き着いたままであったという。


 「えへへ、ご主人様~~ステラはいつまでもいっしょです~~わふ」


 ご機嫌のステラをよそに、もう一人の相棒ディアナは部屋の片隅にぽつりと立てかけられたままであった。


 『私、忘れられてますね。いいです、どうせ杖ですし(ぐすん)』




 ちょうど松田とステラが眠りに落ちたころ、ラスネイルと耳は守備隊が囚人を一時的に拘束する拘置所へと足を踏み入れた。


 借金で首が回らなくなって協力者となっていた歩哨の手引きで、なんなく敷地へと侵入した二人は慣れた手つきで拘置所の門番の首をひねり殺した。


 くぐもった声を漏らして門番は絶命する。迷宮には雄たけびで仲間を呼ぶ魔物がおり、ラスネイルは獲物の声を出させずに殺す術を心得ていた。


 「耳じゃねえか。どうやってここに?」


 「ラスネイルの旦那に感謝しな。お前たちが処刑される前にこうして助けに来てくれたんだからよ」


 門番から奪った鍵束で、手際よく耳は仲間たちを解放していく。


 「恩にきますぜ。ラスネイルの旦那」


 「おう、これからガイアスにかわって俺がしきるからな。しっかりと仕事しろよ」


 「は、はあ…………」


 ガイアス亡き今、ラスネイルに武力で敵う男はいない。


 釈然としないものを感じながらも、だからといって助けてくれた恩もあり、消極的に彼らはラスネイルを頭領として認めるしかなかった。


 「ところで頭領、これからどこに逃げるつもりで?」


 「ん? そ、そうだな……」


 基本的にノープランであったラスネイルは言葉に詰まる。


 座して捕まるより仲間を引き連れて逃げようと思っただけで、深く将来を考えたわけではない。何より難しく考えるのはラスネイルは苦手であった。


 「……アジトは使えませんかね?」


 「無理だな。あのエルフにアジトまで突き止められてる。すぐに守備隊の手入れがあるだろう。かといってあれ以上森の奥にいくのは危険だぜ」


 森を住処として活動してきた野盗たちは、人が手を出してはない領域というものを熟知していた。


 彼らの真剣な表情から、耳は森に逃げこむのは無理であることを確信した。


 「――となれば、もう一度ラスネイルの旦那に一肌脱いでいただくほかありますまい」


 「また俺に何かさせようってのか?」


 ラスネイルは憮然として耳を睨みつけた。


 その表情には厄介ごとに巻き込みやがって、という理不尽な怒りがある。


 もとより仲間のために尽くそうなどと考えていたわけではない。一人で逃げるより成算がありそうだからという気分で決めたようなものだ。


 「いえいえ、旦那はいつか言ってましたよね。迷宮で人が暮らせそうな安全な場所を見つけた、と」


 「ああ、最下層前の休憩所か。確かにあそこなら二十人くらいは楽に入れるだろう」


 「ではありったけの食糧を盗み出して、ほとぼりが冷めるまで迷宮に籠るというのはどうですかね。最下層前となればラスネイルの旦那以外で下りてきた探索者はいないでしょう?」


 「まあ、鉄級あたりでは難しいだろうな」


 リジョンの町の迷宮はわずか二十階層と小規模なもので、出現する魔物や秘宝も大規模迷宮とは比較にならないほど低い。


 そのためリジョンの町には探索者としては最低レベルである石級や鉄級の探索者しかおらず、将来有望な探索者はすぐにリジョンの町を出て行ってしまうのだった。


 そんな低レベルの争いだからこそ、ラスネイルが探索者最上位として幅を利かせていられたともいえる。


 「迷宮の中は旦那にとっては庭みたいなもの。万が一下りてきた野郎がいたら、隠れるなり殺すなりすればいい」


 「よい考えだな、耳。そうと決まれば酒と食い物を奪いに行くぞ! ひと月ほどはゆっくりと迷宮で羽を伸ばせるようにな!」


 安全なはずの町の内部に、狂暴な野盗たちが解き放たれた。


 夜明けまでのわずかな時間に、襲われた商店の数は十以上にのぼり、守備隊の兵士を含め被害者数は数十名にも及んだのだった。


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