第9話 青い燐光亭
青い燐光亭はギルドから三つほど先の路地を曲がった先にあった。
なるほどアンティックな店先に、その名のとおりほの青く光る魔法光マジックライトが輝いている。
築年数は古そうだが、それがむしろ上品に感じられる手入れの行き届いたよい宿であった。
「これはいいところを紹介してもらったかな」
松田はゆっくりとレンガ色に塗られた重厚なオーク材の扉を開けた。
「探索者ギルドから紹介されてきたんですが、部屋は空いていますか?」
「良かったですね。ちょうど最後の一部屋ですよ」
愛想よく微笑んで出迎えてくれたのは、三十も半ばほどの美しい女将であった。
栗色の髪を編み上げヘッドドレスで飾っているが、それが少しも嫌味に感じないのは女将の持つ清楚で可愛らしい雰囲気のおかげであろう。
「食事は六時からで二食付き銀貨三枚、ですがお客様はギルド割引で銀貨二枚になります」
「お風呂はありますか?」
「ええ、大銅貨五枚いただくようになりますが」
「構いません!」
食い気味に松田は答える。やはり日本人として風呂のない生活は一日であっても精神的にきついのだ。 シャワーは邪道、湯船に浸かってこそ日本人だと松田は思う。
「食後に準備いたしますので、準備ができ次第声をおかけします。部屋は二階の右手奥をお使いください」
「御厄介になります」
夕食を迎え、食事を目にしたステラは目を爛々と輝かせていた。
今にも口から涎を零さんばかりにしていながら、食べずに瞳で松田の許可を訴えている。
人狼というのはワンコかと疑いたくなる松田である。
「いいから早く食べろ」
「わふう! 食べるです!」
鼻息も荒くステラは目をつけていた羊肉のステーキにかぶりついた。
肉! 肉! とか無意識に呟いているあたりはなるほど肉食系の狼っぽいと言えなくもない。
「今日はいい羊肉が入りましたから、おかわりもありますよ?」
「わふわふ! ほひいえふ!」
「ちゃんと食ってからしゃべれ! 全く」
「ウフフ……こんな可愛いのに随分と食べるのねえ…………」
どこの欠食児童かという勢いで肉をほおばるステラに女将は生暖かい目で苦笑した。
なまじ美少女だから違和感がおびただしいようである。
もっともステラからすればこんな美味しい食事をとるのは、捕えられて以来何日ぶりになるのかわからないのだから夢中になるのも当然なのかもしれなかった。
「おいっ! 酒だ! 早くしろ!」
粗暴な声が後ろから響いて、女将は名残惜しそうにステラから離れていく。
顔は動かさずに目だけを動かして松田は声の主を探った。
『いつの世でもああいう輩はいるのですね』
「いつの世も、どこの世界でも、というべきかな」
特に松田のいた日本では本来対等なはずの売買契約でも、お客様である買い手の地位が不自然に高かった。
商品に不満があれば買わなければよいのである。飲食店の店主にはマナーの悪い客を断る権利がある。
にもかかわらず往々にして責任を追及されるのは売り手ばかり。お客様至上主義の行き過ぎた弊害であると松田は思っていた。この異世界がどうかは知らないが。
「おい女将、ここで酌をしろ」
「すいませんが他のお客がお待ちですので」
「てめえは俺よりほかの客を優先するってのか?」
声を荒げて男はドン、とテーブルを叩く。明らかに弱者に対して我を通すことに慣れている様子であった。
こうした人間ほど、実は強い人間には媚びを売ることを松田は知っている。
「あまり俺を怒らせないほうがいいぜ? これからもこの宿を続けていきたければな」
そんな男の言葉を聞きながら、松田は無表情でギルドからもらった冊子のページをめくった。
「うちの宿に泊まるからにはうちの宿の規則を守っていただきます」
「なんだと? このアマっ!」
「キャッ!」
乱暴に腕を振るわれ、女将は突き飛ばされたかのように尻餅をつく。
激昂した男はそのまま女将を押し倒そうとして凍りついた。
喉元に冷たい鉄の感触が走ったからだ。
「――民間人への暴行は規則第四十七条違反じゃないか。あんたも探索者ならギルドの規則を破っちゃいかんだろう?」
松田は先ほどから男の首から探索者証がぶら下がっていることに気づいていた。
だからこそギルドの冊子に目を通していたのである。
「てめえの仲間か? エルフ野郎!」
男と女将の間には頑強な騎士ゴーレムが立ちふさがっていた。
そして大振りな両手剣が、今にも男を突き刺そうと抜き身の鈍い光を放っている。
どうやら男はゴーレムが松田の仲間の人間であると勘違いしたらしかった。
男を無視して松田は冊子をめくると……
「探索者同士のいさかいは基本的に関与せず、か。これじゃ迷宮内の犯罪は王国法が適用されるといっても抑止力にしかならんかも」
自己責任という言葉は便利だが、社会的弱者は自己の判断では決して避けることのできない問題がある。
だからこそ公的救済は与えられるべきであるし、自己責任という言葉に逃げてはいけないと松田は思う。
問題はこの世界が、あのブラックな世界にほんよりも公的救済の観念に薄いようであることだった。
「てめえ、馬鹿にしてるのか? 俺は暴風のラスネイル! この町で唯一の銅級探索者だぞ!」
「――はあ、それで?」
「俺がどれだけこの町に貢献してるかわからねえのか?」
「貢献してるから好き放題していいという考えがまず理解できません。貢献したといえば、私は今日野盗の一党を引き渡しましたが」
松田の言葉を聞いたラスネイルの顔色が驚愕に染まった。
「まさか、陽炎のガイアスを捕まえたってのはてめえらか?」
「まあ、そうです」
「嘘をつくな。たった二人であの陽炎のガイアスが捕まるはずがあるか!」
ラスネイルはこのとき、騎士ゴーレムと松田の二人を戦闘員として認識していた。もちろん小さなステラが戦えるなど考えてもいない。
森の地形を知悉し、引き際を熟知しているガイアスが仲間ごと捕まるとすれば、それはガイアスの倍以上の戦力を揃え、包囲するしかないはずだった。
「捕まえたのは私一人で、ですよ。もっともゴーレムを百体ほど召喚しましたが――――
「何を馬鹿な……んなっ?」
松田の詠唱とともに現れた三体の騎士ゴーレムが、瞬く間に自分の前後左右を包囲している。
ようやくラスネイルは目の前の騎士が人間ではなくゴーレムであることを信じた。
「こんな見かけ倒しが…………」
通用するものか、と言いかけてラスネイルは先ほどの松田の言葉に違和感を抱く。
――今やつはなんと言った? 聞き違いでなければゴーレムを百体召喚した、と言ったのではなかったか?
人間ならば一笑にふすところであるが、生憎と相手はエルフである。
それに魔法の素養のないラスネイルは、たとえエルフでも扱えるゴーレムは二体程度であることを知らなかった。
戦闘には自信のあるラスネイルも、百体ものゴーレムを相手にするなどまっぴらごめんであった。
というより、目の前の四体のゴーレムですら敵にするべきではないと第六感が告げている。
「ふん! 興が冷めた! いいか、もうこの宿は二度と使わないから覚えておけ!」
捨て台詞を吐いて、逃げるようにラスネイルは青い燐光亭を後にする。
ラスネイルの姿が見えなくなると、食堂に集まっていたほかの探索者たちからドッと歓声が上がった。
「溜飲が下がったぜ!」
「いい啖呵きるじゃないか!」
「あのラスネイルが青い顔をしてたぜ! いい気味だ!」
どうやらかなりラスネイルに対して鬱憤が溜まっていたらしいが、それなら助け舟の一つも出してほしかったと思う松田であった。
「すいません、客を一人なくしてしまったようです」
松田が女将を助け起こすと、女将は豪快に笑ってバンバンと松田の肩を叩いて首を振った。
「助けていただいてありがとうございます。あんな客はこちらから願い下げですよ。お詫びに今日はとっておきの酒を開けましょう」
再び食堂の客がドッと歓声をあげる。女将のとっておきというのは彼らの周知のものであるようだ。
「私のことはリーシアと呼んでください。十八年物の当たり年ワインがあるのです」
そう言ってリーシアは楽しそうに少女のように笑った。
「くそっ! すかした顔しやがって!」
青い燐光亭を出たラスネイルは、乱暴に地面を蹴ってくだをまいた。
この町で自分より強い人間はいない。守備隊長のゴドハルトは別格だが、探索者で最強は自分であると確信していた。
――――その自信が木っ端みじんに打ち砕かれた。
感情のない冷たい鉄の塊であるゴーレムの威圧感は、かつてラスネイルが迷宮で遭遇したいかなる魔物にも勝っていた。
たとえ一体であっても勝利を確信しきれないほどの相手が四体、しかも百体召喚が可能となれば勝負にすらならない。
あの優男エルフのしたり顔が思い浮かんで、ラスネイルは腹立ちまぎれに街路樹を抜き打ちに両断した。
「ええ~~いっ! 畜生め!」
これまでずっと腕に物を言わせてきた。だからこそラスネイルは自分の腕が通用しない相手に対してどうすることもできないのだった。
「荒れてますね。ラスネイルの旦那」
「――――耳か」
耳と呼ばれた子供のように貧相な小男は、黄ばんだ歯をむいてシシシ、と笑う。
「困った塩梅になりました。まさかあのガイアスさんが捕まっちまうとは」
「全く今日は厄日だ。得体のしれないエルフ野郎があのガイアスを捕まえてわが物顔とはな」
「こりゃ驚いた。ラスネイルの旦那は件のエルフをご存じで?」
「青い燐光亭に泊まっている」
これはやりあったな、と耳は思った。しかも負けたに違いない。ラスネイルは決して弱くはないが、ガイアス一党を一網打尽にするほどの力はない。やはり相手のほうが一枚上手と考えるべきであった。
「――逃げなくていいんですか?」
「俺が? なぜだ?」
「なんでって、ガイアスと組んで甘い汁を吸っていたのは旦那でしょう? ばれたらまずくないですかい?」
耳の言葉にラスネイルは目に見えてうろたえる。
実のいい金づるがなくなってしまったとは思っていたが、それが自分の破滅につながるとは思ってもみなかったらしい。
「だ、だがガイアスは死んだのだろう?」
「手下は全員生き残っておりますよ。旦那とガイアスの関係を誰も知らないという自信がありますか?」
そういわれるとラスネイルも一言もない。
普段からそれほど秘密に気を使って連絡を取り合っていたわけではないからだ。
「しょ、証拠はあるまい!」
「といいましても、漏れた情報と証言がそろえば、あとは領主様の腹ひとつということになりましょう」
逃げるべきだろうか?
ラスネイルはここを逃げた後のことを考えた。
きっと碌なことにはならない。外国に逃げてももはや探索者ギルドに登録はできないし、金遣いが荒かったせいで貯金も数えるほどしかなかった。
どこかの町で犯罪を犯して捕まるのが関の山であろう。腕には自信があっても自分の生活能力には自信のないラスネイルである。
「どうせ逃げるなら旦那」
「お、俺は逃げると決めたわけじゃないぞ!」
わかっていますわかっています、と耳は両手を胸まであげてラスネイルをなだめる。
彼にとってもガイアス一党の捕縛は他人事ではないのだ。
「このまま他国へ逃げるのは悪手です。旦那は他所の犯罪組織に伝手があるわけでもないでしょう? すぐに金を失くして行き詰りますよ」
「む、むう……」
自分でもそう思っていても、他人に指摘されると腹が立つ。短気なラスネイルが後先考えずに激発しそうになったのを察して、耳は慌ててフォローした。
「あっしはね、旦那。ガイアスの後釜に旦那に頭領になってもらえないかと思ってるんですよ」
「うん? 俺が頭領に? いやしかし連中はみんな捕まっているんだろう?」
「ですから油断してる今のうちに助け出して身を隠すんです。守備隊も少しは手なづけてありますしね」
「う~~~~む」
ラスネイルは唸る。難しいことを考えるのは苦手だ。
耳の話に乗った場合と乗らなかった場合、そのケーススタディがラスネイルにはできなかった。
ついに考えることに疲れたラスネイルは耳の提案に乗ることを決めた。
「よし、貴様らの新たな頭領になってやる。やるからには勝算はあるんだろうな?」
「もちろんです。ついては…………」
そのまま二人の姿は夜の闇に溶けるように消えていった。
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