第11話 これだからおえらいさんは

 温かなステラの体温を感じて松田は目覚めた。

 すでに室内は明るい光に満ちており、松田の生活習慣から考えれば朝の五時半あたりではないかと思われた。


 『よくお眠りのようでしたね』


 なぜかディアナの言葉にとげを感じる。秘宝でも寝起きというのは機嫌が悪いのだろうか。


 「ああ、ついいつもの癖で起きてしまったが、こんなに熟睡したのは何年振りかな?」


 管理職を呼び出す電話は時と場所を選ばない。

 松田の警備業界では問題が発生するのは大抵の場合深夜である。

 午前零時を回っていても、もちろん残業代など発生しない。しかし必ず電話には出なくてはいけない。社畜に真の休息が訪れることはないのだ。


 「わふう…………ご主人様?」


 寝ぼけ眼をこするステラはまだ眠そうである。


 右手はしっかりと松田の腕にしがみついており、顔を胸元に埋めるようにしている。高めの体温がまだまだ子供らしくて顔が緩んだ。


 「もう少し寝てていいんだよ?」


 「わふう…………」


 全く離れようとしないステラに苦笑して、松田はもう一時間ほど微睡むことにした。


 かつて社畜であったころには感じられなかった穏やかな時間であった。




 軽い朝食をとり、昨日ゴドハルトに呼ばれていた守備隊の詰め所へ赴くことにする。


 焼きたての香ばしいパンを、ステラは栗鼠のように頬張ってモキュモキュと咀嚼していた。


 あまりのよい喰いっぷりに女将が土産にもたせてくれたのだ。


 この小さな体のどこにあんな量が入るのだろうか。いずれにせよステラの栄養状態はすぐに改善されることになるだろう。


 青い燐光亭から町の大通りに出た松田は、町がざわざわと騒がしいことに気づいた。


 城壁にほど近い、守備隊の詰め所が近づくと、その騒がしさはさらに大きくなっていった。


 「何かあったのですか?」


 野次馬の一人に松田は尋ねる。三十代ほどの露天商の男は眉を顰めて声を潜めた。


 「どうやら昨日捕まった野盗が脱獄したらしい。さすがにもう町の中にはいないだろうが、もしかしたらって噂になってる」


 「――なんですって!」


 「しっ! 声が大きい!」


 口元に指を立てて男は松田を制した。


 「この話はあまり大きな声では言えないが、いくつかの商家が襲われて家族ごと皆殺しにされたって話だ。しばらく一人歩きはしないほうが身のためだぜ」


 「貴重な話をありがとうございます」


 暗澹たる思いを抱えて松田は男に頭を下げた。


 逃がした守備隊の不手際とはいえ、自分が捕まえてこなければこんな被害もなかっただけに心が痛む。


 それに野盗が逃げられてしまったのでは報奨金ももらえないのではないか?


 引き返したほうがいいかもしれないと、逡巡する松田を待っていたかのように、詰め所の入り口でゴドハルトがこちらに向かって手を振っていた。


 「マツダ殿! お待ちしておりました!」


 ゴドハルトは丁重に松田に対して腰を折った。そのあまりの腰の低い態度に思わず恐縮して松田はワタワタと両手を振る。


 「そ、そんな気を遣わないでください! ゴドハルト殿!」


 周囲の視線が痛い。町の治安責任者であり、騎士でもあるゴドハルトがこれほどに気を遣うのは領主であるリジョン子爵くらいなものだ。


 いったいあのエルフは何者であるのか、と周りから奇異の視線が集まるのは当然のことであった。


 「わざわざ足をお運びいただいたのに申し訳ないが、少々困ったことが起きまして」


 「道すがら噂を聞きました。あの野盗どもが逃げたとか」


 「ええ、リジョンの町に協力者がいることは想定してしかるべきでした。私の手落ちです」


 いくら野盗でも二十四時間監視を続けるのは容易ではない。


 また襲ったはいいが、護衛に撃退されるリスクを考えれば、ある程度の情報を収集していると考えるのが普通である。


 現にガイアスは耳から護衛の少ない商人の情報を仕入れ、確実に襲撃を成し遂げる戦略をとっていた。


 だからこそ耳は自分の身の安全のためにも仲間を助けなくてはならなかったのだ。


 「隊長、その男怪しくはないですか?」


 胡乱な目で松田を睨みつけ、一人の騎士がゴドハルトに言った。


 彼からすれば、旅のエルフが野盗を根こそぎ捕縛したなどということは到底信じられないものである。


 ましてわざわざ生かして連れてきたというのがどうにも怪しく考えられてならなかった。


 「無礼だぞ! ガラハッド!」


 「リジョン守備隊長であり、領主様一の騎士である貴方こそ探索者ごときに簡単に頭を下げないでいただきたい」


 迷宮から貴重な資源を回収する探索者も、重要な産業の担い手といえば聞こえはよいが、結局のところ食い詰め者というのが世間の認識である。


 実際ラスネイルのような無法者がリジョンの町の探索者のトップであったのだから、町の評価はお察しというところだろう。


 そんな輩にゴドハルトが頭を下げるのに批判的な人間は多かった。


 「部下が申し訳ない。それでは約束の報奨金をお渡ししましょう」


 苦々しくガラハッドを睨みつけ、ゴドハルトは手早く要件を済ませようとした。


 松田の力をその目で見たゴドハルトは、松田を決して怒らせてはならない自然災害同然であると考えている。


 下手に不興を買う前にこの場から立ち去らせるべきであった。


 「何を馬鹿な! 野盗はみな逃げ去ったというのに報奨金を出してしまっては、意味がないではありませんか!」


 「逃がしたのはこちらの落ち度だ。改めて支払うほかあるまい」


 「さては貴様の差し金だな? 連中を逃がせばもう一度報酬をせしめられると思うたか!」


 「いい加減にせぬか! この愚か者!」


 ゴドハルトは赫怒してガラハッドの右頬を打ち据えた。


 手加減をしたはずのその一撃は、恐るべき膂力で体重八十キロはありそうなガラハッドの身体を数メートルほど吹き飛ばす。


 松田のゴーレムと互角かそれ以上、このリジョンの町最強の守備隊長ゴドハルトの名は伊達ではなかった。


 戦えば勝てるだろうが、松田は本物の騎士の迫力に顔を青ざめて息をのんだ。


 「――――何を怒っているゴドハルト?」


 声だけは優しいが、迂闊な返答を許さぬ威圧感を伴って四十代ほどの豪奢なローブを纏った男が現れたのはそのときであった。


 「こ、これはご領主閣下」


 反射的にゴドハルトは頭を垂れて膝をつく。


 鍛えられた体が俊敏に動く様は、まさに騎士らしく絵になる光景である。


 「不心得ものがおるようじゃな」


 「はっ! まこと申し開きのしようもございませぬ」


 ゴドハルトの声は痛切である。言葉こそ穏やかだが、紛れもなくそれは主君であるリジョン子爵の叱責であった。

 守備隊の中に野盗に協力した者がいることを、子爵は暗に言っているのである。


 「ガイアスの一党を捕縛したというのはそなたか?」


 「……は? そうでございますが」


 まさか自分に振られるとは思ってもみなかった松田は、うろたえつつもかろうじてそう答えた。


 「何ゆえ奴らを生かして捕えた?」


 「――――尋問して聞くべきこともあるかと思いましたゆえ」


 子爵から感じるよく見知った気配に、松田は警戒感を最大限に引き上げた。


 目の前の男は間違いなく自分を捕食すべき対象としてみていることに気づいたのである。


 経営者かれらは甘い利益の匂いには敏感だ。あるいは松田から美味しい社畜の匂いを感じ取ったのかもしれなかった。


 「肝心のガイアスは死なせたのにか?」


 「死なせるつもりはございませんでした。それはゴドハルト殿がご存じのはず」


 「ふむ、だがこうしてあっさり逃げられるとガラハッドのように勘ぐってしまう気持ちもわからないではない」


 「――――閣下!」


 松田の力をもってすればそんな真似をする必要はないことをゴドハルトは知っている。


 そして下手に激怒させればこのリジョンの町が滅びかねないことも。


 あまりに真剣なゴドハルトに、子爵は困ったような顔で松田に対する威圧を弱めた。


 「残念だがそう疑ってしまうのは人情というものよ。そこで相談だが、今一度連中を追ってくれぬか。今度は殺してしまって構わん」


 「――――報酬は?」


 「無論二回分……といいたいところだが一・五回分で許せ。領主としては領民の不安を解消するのが務めゆえ」


 松田は子爵のしたり顔を殴りつけたい衝動に耐えた。


 ナチュラルに報酬を値切っているうえ、負担を押しつけている子爵に忘れがたいかつての上司を思い出さずにはいられなかったからだ、


 空中分解寸前のプロジェクトを押しつけて、しかも予算まで値切りやがったあげく、天罰覿面で心不全で死んでしまった上司のしたり顔に子爵の笑みはそっくりであった。


 同時に、正面から逆らっても何もよいことはないことも松田は承知していた。


 (……ディアナ、できるか?)


 『問題ありません。あの程度の人間が私の索敵から逃れることは不可能です』


 一流の魔法士や伝説級の秘宝アーティファクトならばいざしらず、野盗ごときが絢爛たる七つの秘宝筆頭ディアナの魔法から逃れられるはずがない。


 絶対の自信に満ちたディアナの返事に、松田は覚悟を固めた。


 「では疑いを晴らすために微力を尽くすといたしましょう。お約束どうかお忘れなきよう」


 「うむ、良き返事じゃ。期待しておるぞ」


 そしてそのまま立ち去ろうとする松田の背後に、子爵は猫なで声で声をかける。


 「しかし血なまぐさい修羅場にか弱い幼子を連れていくのはいかがなものかな? そなたが戻るまで預かっておいてもよいのだぞ?」


 「ステラはご主人様といっしょにいくです! わふっ」


 子爵の言葉にかぶせるようにしてステラは松田の腕に抱きついた。


 可愛らしい反応に一瞬、松田もステラを同行させることに抵抗を覚えるが、それ以上に感じたのは得体のしれぬ悪寒であった。


 子爵の言葉が決して善意からくるものではないことを松田は直感で察した。


 もしかしたら松田に対する人質にでもするつもりなのかもしれない。


 旅館に預けることも考えたが、どうやら一緒に連れて行ったほうが危険が少ないようであった。


 「お気遣いなく。彼女に手を出させるようなヘマはしません」


 「…………そうか。大言したからには必ずや彼女を守って見せよ」


 「承知」


 「だめですご主人様! ご主人様を守るのはステラの役目なのです! わふ」


 ぐっと拳を握りしめて気合を露わにするステラを、松田は思わず抱き寄せて乱暴に頭を撫でまわした。


 癒される。ろくでもない子爵を相手にした後だからなおのこと。


 まるで親子のようにじゃれながら去っていく松田たちが見えなくなったのを確認して、子爵はゴドハルトに愉快そうに尋ねた。



 「――――それであの娘が人狼だというのは本当なのであろうな? ゴドハルトよ」


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