ドミニク

 虐待レベルの冷遇を受けて心身ともにボロボロになったラナ。冷遇していた四人はセレスティアを除く三人が自分の非を認めてラナに謝罪をしたが、心が死んでいるラナにそれが届くはずもない。ただでさえ自罰的なラナは「皆が無理して謝っている」 と思い込み、女神に頼んで自分の死を願った。そうすれば皆はしなくてもいい謝罪をすることはなくなるし、自分も生きるという苦行から解放されるのだと信じていた。


 王宮で自分の死を偽装し、改めて妖精の花畑で死のうとしたラナを女神は必死で止めた。

『どうか早まらないで。それに、この世界には貴方の両親になるはずだった人もいる。地球の仮初めの両親ではなく、本物の両親が』

 その言葉を聞いたラナは少しだけ考えることがあった。

 異世界トリップもののライトノベルでよく出てくる、優しい両親や仲良しの友達を思い出して涙ぐむ主人公。ラナにはそのどちらもいないので、それは一体どういうものなのだろうとよく考えた。前はただただ自分に愛されるだけの魅力が無いから嫌われていると思い込んでいたが、女神によれば魂が異世界のものだから地球では群れに異物が紛れ込んでいる状態なので、必然的に排除心が働くからという。そしてここではセレスティアという悪女が前もって旅の仲間を誘惑して苛めるように仕向けていたからと。そういう強制力が働かない、本当の両親……。


 ラナは一度でいいから、優しい両親という存在に会ってみたかった。どうせ死ぬなら悲願を達成してからでもいいじゃないかと自殺の決心が鈍る。

 それを見逃す女神ではなかった。すぐさまラナを連れてその場を離れ、山奥の裕福の村長の家に案内する。

『ここよ。本来なら貴方が一人娘として生まれていたけれど、聖女の役目を私が貴方に押し付けたから……。比較的裕福だから子がいなくてもどうにかなるしね』

 では、きょうだいの類はいないのか。この世界は産めよ増やせよが基本だから、夫婦は長年つらかっただろうなとラナは両親を労わる。

『村全体に魔法をかけましょう。貴方は最初からこの村に居た。……でもそれだと色々不都合が出るわね。こうしましょう。行儀見習いとして王都の貴族の家にしばらく行っていたけれど、田舎者として酷い苛めを受けて傷心で戻ってきた……。これなら村の者は貴方を気遣って必要以上に近づかないわ』


 ラナが黙っている間にも女神は話を進めていく。正直嫌ではない。待ち望んでいた普通の少女の普通の暮らしを体験できる。だが自分を気遣ってくれるのは嬉しいが、そのために神に力を使わせるのは申し訳ない。

『そんなものは気にしなくていいの。まあ、次の召喚は少し早くなりそうだけど、それくらいだから。さあ、家に入って』


 音もなく大きな家の玄関が開く。女神に先導されておずおずとラナが入る。女神は適当な部屋を見つけて、そこにふわりと魔法をかけた。すると、あっという間に女児の憧れるような可愛らしい部屋になった。

『ここが貴方の私室。さあ、ベッドに横になって。起きたら今度こそ好きな人生を生き直して。言動がおかしいと思われても認識阻害魔法をかけておくから』

 王都に居た時も綺麗な部屋だったが、召喚し直した時のラナが極度の衰弱状態だったのもあり、四六時中清潔感を保たれ医師が傍に待機していてまるで病室だった。だからこんな生活感があって可愛いもので溢れた部屋にはときめきを覚えた。

『ああそれと、王都で戸籍も操作しないといけないわね。四人組に何か感づかれてもまずいし。ラナ、私はもう行くわ。何かあったらいつでも呼んでね。すぐ飛んでいくから。じゃあおやすみなさい。良い夜を』


 女神がいなくなった静かな部屋。ラナは真っ暗なのもあって強い眠気に襲われた。ベッドに横になる。

 本当はちょっと怖いけれど、女神がああまで言うなら、一日くらいはいいかも。それで駄目だったら今度こそ死のう。

 ラナは目を瞑る。部屋には穏やかな寝息が響いた。


 朝。ラナは村長の夫人に起こされた。

「お早う。お寝坊さん」

 一瞬パニックになった。何せ自分に親し気にしてくる人間自体がレアなのだ。しかしそんなラナの不自然さも女神の魔法で誰もがいいように解釈してくれる。

「……まだ、行儀見習いの夢を見るの? いいえ、無理もないわね。私も、信じて送り出した娘がガリガリに痩せて今にも死にそうな状態で戻ってくるなんて思わなかったわ。貴方は多くを語らないけど、とてもつらかったでしょう?」

 ああそうだ、そういう設定だった。

「そ、そうなの。ちょっと夢見が悪くて。でももう大丈夫よ。……お母さん」

 そう言うと夫人はにこりと笑った。

「ふふ。慰めるはずが慰められちゃったわね。さあ、おしゃべりはこのくらいにして、朝ごはんにしましょう。取れたての卵があるわよ」

 テーブルにつくと村長――ラナの父親が待っていた。

「ラナ、お早う。よく眠れたかい?」

「う、うん。……お父さん」

「少し顔色が悪いな。やはりまだ疲れがとれてないんじゃないか? 栄養のあるものを用意させたから、どんどん食べなさい」

 自分の体調を心配されるなんて、何年ぶりだろう。物心ついた時には地球の両親は冷たかった。体調を崩してトイレで吐くラナに一万円を投げつけて「自分で医者に行け」 と言われたことを思い出す。そっか。優しい両親って、娘の体調を心配してくれるんだ。

「ありがとう。今日は食欲あるから、もりもり食べるよ」

「まあ。でも食べ過ぎてお腹を壊さないようにね?」



 ラナは王宮では体調と体重が戻るまでずっと病人食だった。回復してからは宮廷料理。味は美味しかったと思うけど、何せ「未来の王妃かもしれないから」 とマナーどうこうを常に横で指示されてよく覚えていない。日本でもコロナ禍と両親の不仲でずっと個食だったから人に見られてると食べられないのだ。

 実の両親と一緒なら緊張もしない。出来立てほかほかの料理は美味しすぎた。農業の他に家畜も飼っているこの村は裕福だ。ミルクにパン。滋養のあるスープに肉も。貧乏舌だから高級料理よりこういうのが大好きだ。

 食事を終えて体力育成の名のもとに母と散歩。道行く人が次々に声をかけてくる。

「やあラナちゃん。ふっくらしてきたね」

「あら嫌だ。女の子に失礼よ」

 いきなり話しかけられてどうしていいか分からない時はすぐ母が対応してくれた。

「いやあすまんすまん。でも悪い意味じゃないよ。戻ってきたばっかのころ酷かったからさ」

 

「あ、ラナちゃんお早う! もう大丈夫なの? 今度昔みたいに山歩きしようよ」

 若い女の子が話しかけてきた時はびっくりした。距離が近いけど、こういうのは普通の友達なのだろうか。地球でも旅の間でも人々には距離とられまくってたから分からない。


「あら、ラナちゃんこんにちは。自宅療養でだいぶ良くなったみたいね。もう温泉にも入れそう?」

 中年くらいの女性が意外なことを教えてくれた。ここ、温泉あるんだ。地球に居た時は温泉に縁のない県だったし、そもそも汚れるからお前は風呂に浸かるなと言われてずっとシャワーだったくらいだから入れるなら入ってみたい。

「一日中開いてるから、いつでも入りにいらっしゃい」


 どう答えていいか分からずこくこくと頷いて返事とした。感じ悪いかなとやった後になって思う。けれど女神の魔法の効果なのか、向こうはラナに都合よく受け取ってくれた。

「一時期は声も出なかったものね。本当に都会って怖いところだわ。ラナちゃん、うちの管理する温泉は心身にいいのよ」


 散歩だけで色々な人に気さくに話しかけられてちょっと疲れた。けれど、悪くない。向けられる視線が慈愛に満ちていたものだからだろうか。前まではひたすら敵意ばかりだった。


 数日後、村の同年代の少女とともに山歩きに行った。少女はアメリ―といった。

 山歩きでは主に食べられる野草を摘む。猛獣が出ることもあるので鈴を鳴らしながら道なき道を歩いて行く。

「あたしね、ラナちゃんが王都に行くって聞いた時、すごく羨ましかったんだ」

 不意にアメリ―が零した。

「そうなの?」

「うん。だって王都って何でも華やかで男も女も美人が多いんでしょ。美味しいものもいっぱいで、お洒落な服が洪水みたいにあるんでしょ。村長の一人娘特権でそんなところ行けるんだからずるいとすら思ってたの」

「……そっか」

 王都に居たことは実際はほとんどない。精霊達の力を借りるためにあちこち歩き回っていたし、着る物も食べる物も旅の間はずっと不足していた。でもまあ、自分も東京に住めば色んな特権があるんだよなって羨ましがっていたから人のことは言えない。

「でもラナちゃんがボロボロになって帰ってきた時、自分が救いようのないバカだったんだって気づいたの」

「……」

「王都の人がみんな酷い人は思わないけど、酷い人は田舎よりいると思った。少なくとも田舎ならあんな状態になる前に誰かが手を差し伸べるもの。あんなになるまで放っておかれたなんて……。ごめんね、ラナちゃん」

 アメリ―は何も悪くない。ラナからすればいたいけな少女の可愛らしい嫉妬だ。けれど迂闊なことを言って今の環境に整合性が取れなくなったらと思うとラナは返事ができない。

「もう間違えないよ。あたしは友達としてラナちゃんを守るの」

「……ありがとう。アメリ―」

 友達。ラナは生まれて初めて出来た友達に心が温かくなった。情報操作してる状態で浮かれるのもアレだけど、でもそのぶん私も彼女を守るんだとラナは思った。

 そんな可愛い少女二人の和やかな空気。だがそれは長く持たなかった。


 アメリ―としばらく二人で歩いていたが、アメリ―がある木を見て表情を変えた。

「……熊? それとも魔獣かな。あの木とその周辺に引っかき傷がある」

「え? それって何か駄目なの?」

「あれ? 忘れちゃった? ほら、獣ってマーキングするから。そう遠くないところにいると思う。早くここを離れよう」

 あ、この世界にも熊がいるんだとラナは思った。しかも熊だけでなく魔獣もいるという。あれ、この世界以外と危険がいっぱい?

「魔獣も食物連鎖で大型の獣の子供を食べてくれたりするからさ、女神様も簡単に消せないらしいね」

「そうなんだ……」

「うん。それにしても村に近いところに出たなあ。そのうち討伐依頼をギルドに出すようかも」

「そういうのあるんだ」

「あるよー。まあ滅多に利用しないんだけどね。魔獣だって普通はこんな近くまで来ないし。……今年は冬眠出来ない個体が多いのかな?」


 それから山歩きで疲れた二人は、温泉を管理する女性――ベレニスの所で汗を流すことにしたのだが。

「……っ」

 アメリ―は終始気まずそうにしていた。ガリガリで血色も悪く、所々にぶつぶつのあるラナの身体に言葉が出なかったのだ。これでもだいぶ回復したんだけどなとラナは苦笑した。

 友人に気を遣わせるくらいなら一人で温泉に入るか、とラナは思う。幸い自宅からこの温泉はそんなに離れていない。スープの冷めない距離だ。夜中なら誰も気づくまい。この村は皆早寝早起きだから。



 数日後、恐れていたことが起こった。アメリ―とラナは村長に村の近くに魔獣か熊がいるかもしれないと報告をしたが、村の代表としてはかもしれないで依頼をする訳にはいかなかった。ギルドへの依頼料は安くはないのだ。酷いと村民の不安につけこんでぼったくりされる。だが本日早朝、村の畑が獣に食い荒らされた跡が見つかった。人里近くに降りてきているのは間違いない。ラナの父はギルドに討伐依頼を出した。

 田舎村だから来るのに数日かかるかもしれないね、と言った父の予想に反してすぐ人が来てくれた。責任者として村長である父が真っ先に会いに行った。被害の様子と魔獣の大きさなどを説明する必要もある。ラナも会いに行こうと思えば行けたが……この村以外の人間にわざわざ会いに行こうとは思えなかった。だがアメリ―などは別で、外の世界の人間が珍しくて被害の現場で説明を受けている戦士をこっそり見に行ったという。

「すっごくかっこいい男の人だったよ! 雰囲気もなんか洗練されててさ、あれは絶対都会の人! 話聞いたら元騎士だっていうし、訳アリなのかな? でもそれがまた影を帯びた感じで素敵かも。ラナも見に行く?」

「……都会の人なら、ちょっと嫌、かな」

「あっ、そうだよね、ごめんあたしったら……」


 無関係の人だとは思うけれど、それでも都会の人間なら会いたくなかった。せっかくここで平和に暮らしているのだ。叶うなら王都の出来事も日本での生活も全部忘れて、自分はこの村の人間なのだと思って生きたかった。あのまま王都に残っていれば華やかな暮らしが出来たのかもしれないが、そんなものは自分に向いていない。自分はこういう普通の暮らしこそしたかったのだ。

 まあどうせ討伐に来た男の人も、用が終わればすぐ戻るだろう。この村には都会の人が喜ぶようなものは何もないのだから。ああ温泉があったか。でもそれだって三日も入れば飽きる。



 討伐はあっさり終わった。二メートルにもなる魔獣が山の洞窟を住処にしていたらしい。その元騎士はその魔獣の遺骸を片手で持ち上げて村まで帰ってきて村民を驚かせた。村長はすぐ農業を再開出来ると大喜びで元騎士に駆け寄る。


「いや素晴らしい。一日もしないで終わるなんて。さて、褒美は10万カロンと……別途に条件があるとのことでしたが、それは?」

「……この村の住人を皆集めてくれ」

「はい?」

「事情があってな。村の全住人の顔を確認したい」


 随分珍妙な条件だと村長は思ったが、金や貴重品を要求する訳でもなく、美人な女性を連れ帰りたいにしては全員集めろというところがおかしいし……ともかくそれくらいならと早速村の住人を広場に集めさせた。

 当然、その中にはラナもいることになる。


 母に広場に来なさいと言われて、ラナは理由を聞いた。そうしたら魔獣を討伐した人が成功報酬の一環としてそれを求めたからというではないか。

 ラナは嫌な予感しかしなかった。王都では確かに自分は死んでいることになっている。けれど、実際はこうして生きている。誰か感づいた人が聖女の利用価値を求めてここにやってきたのでは? と。

「お願いお母さん、都会の人が怖いの。私はいないことにして。お願い」

 ラナの母親は娘の必死な様子にすぐ折れた。元騎士というあの男は王家の使者という訳でもないし、ただの依頼で来た人だ。住人の一人を誤魔化したところで何かある訳でもあるまい、と。そうと決まれば根回しだ。足早に広場に行って周りの人間に「うちの娘はいないというころで……はい、都会の人っぽいから怖いみたいで」 と言って協力してもらう。ラナは同情されていたから、そう言われて断る人間はいなかった。


 村人が全員集まった広場は狭かった。しかしそんな中でも元騎士は一人一人入念に観察してまわっていた。特に年頃の女性は鬼気迫る様子で見ていた。事情を知らない村民も誰かを探してまわっているんじゃないか? と勘付くくらいに。そして最後の一人を見終わったところでその騎士は深い溜息をついた。その様子が言葉に出来ないほど深い悲しみを湛えているように見えて、何人かは「実はもう一人……」 と口走りそうになったくらいだ。

「これで全員か?」

 元騎士の男が聞いた。村長は「はい」 と答えてやり過ごす。が、いつの時代いつの場所にも空気を読めない輩というのはいるものだ。

「何言ってんのー? ラナねーちゃんがいないじゃん!」

 四つになったばかりの少年だった。子供すぎて口止めが無意味だったのだ。彼には何の悪気もない。それどころか、ほのかな好意をラナに抱いていたので、そのラナを無視してことを進めるのは酷い、という正義感で口にだした。

 元騎士の男は目の色を変えた。

「村長……約束が違います」

「これは、その……」

「会わせてください、そのラナという少女に」



 ラナはその頃、部屋で一人静かに本を読んでいた。世界が違ってもシンデレラ系統の話があって面白い。地球との差異を確かめるために読んでいる。身分の高い人と実際に接して、その後どうなったかはもうよく分かったので心ときめくようなことはない。

 日が沈んできた。明かりが漏れるかもしれないからランプはつけれらない。横になっていようかなと思ったところで、玄関からばたばたと誰かが入ってくる音が聞こえた。両親が帰ってきたのだろうか。でもそれにしては、足音がずいぶん重い感じが……。


 バタンと勢いよく部屋の扉が開かれた。そこにいたのは両親ではなかった。

「ドミニクさん……?」

 忘れられるはずもない。旅の間自分を冷遇した四人組の一人。ドミニク。

「ラナ……!」

 次の瞬間には抱きしめられていた。美形な異性に抱擁されるというのは普通の女性には喜ぶことかもしれないが、ラナには嫌悪感があった。


 この人、セレスティアさんという人がいながら何やってんの? 浮気じゃない。


「離して!」

 突き飛ばそうとしても圧倒的な体格差腕力差があり振りほどけない。長く抱擁に甘んじるほど浮気の片棒を担いでいる気がしてラナは焦った。

「ずっと会いたかった。ずっと忘れられなかった」

 うっとりしながら言われても浮気は犯罪だ。ラナには受け入れられない。そうこうしているうちに両親が追いついて「うちの娘に何をする!」 と数人がかりでドミニクを引っぺがしてくれた。

「大丈夫? 何があったの? 知り合いなの?」

 母親が心配してそう言ってくる。ラナは頭痛を抑えながら、ともかくこの場を上手くまとめないといけなかった。今の生活を守るためにも。もし聖女だったと知れば、嘘をついていたのかと嫌われるんじゃないかと怖かった。


「この人、ドミニクといって……私が都会で苛められた家に仕えていた騎士の人」

 その場にいる人間全ての空気が変わった。ラナの過去はある種の禁忌扱いなのだ。村長が事実確認のために詳しく聞く。

「ここまでお前を追ってきた、ということか? もしや付き合っていたのか?」

「まさか。……私が苛められていても、見て見ぬ振りをした人よ。それに、私が苛められている間、この人は別の女性に夢中だったの。はっきり覚えてる」

 見て見ぬ振りどころか積極的に苛められていました、と事実を言わないのはせめてもの情けだ。それでもドミニクの周りの人間が汚らわしいものでも見るようにドミニクを蔑む。一応再召喚後に謝罪は受けたのだが、そこまで説明すると話に矛盾が出てしまう。

「ドミニク、どうして私に会いに来たの?」

「……謝り、たくて」

「そう。なら村を助けてくれたことで借りは返したわね。ありがとう。謝罪は受け付けたから王都に戻ってください」

 何人かがそんなあっさり許すなんて、と言うが、ラナとしてはただただ関わりたくない。無かったことにしたい。それだけだ。 

「王都には戻れない」

「え?」

「騎士をやめた。実家からも勘当同然の扱いだ。それも君にした仕打ちを思えば当然のこと。どうかここで君に仕えさせてくれ。奴隷になってもいい」

 場の空気が変わった。直接苛められた訳じゃないなら、ここまで言ってるんだし……と周りが同情モードになっている。情けをかけたのがまずかったか。父親が気を遣ってどうしたいかと聞いてくる。

「……魔獣ってこの辺りに出やすいの?」

「まあ、崖の向こうに飛竜の巣があるくらいだからな」

「じゃあ、魔獣討伐要員としてここで働いてもらえば? でもこの人を私の視界にはいれないで。顔見るだけで思い出すからつらい」


 ――そうしてドミニクはラナの村に住み込みで働くことになった。


 あとになって思えば女神を呼ぶべきだったのではと思うが、今更遅かった。それに今となってはメリットのほうが大きい。タダ同然で魔獣を討伐してくれる人間が村にいる。これがどれだけ農業牧畜を営んでいる村では有り難いか。過去の因縁には目を瞑ることにした。

 ドミニクは村の隅に家を与えられてそこで寝泊まりしている。頼まれれば牛の乳しぼりや薪割り薪運び、畑の手伝い、害獣討伐と何でもこなした。

 村の何割かはドミニクを評価しているが、娘のいる家は必ずと言っていいほど「ラナちゃんをあそこまでボロボロにした人間の関係者なんでしょ」 と敬遠している。



 ドミニクはここに来るまで世界中を回っていた。死んだように生きる自分達に女神が『ラナは生きている』 と教えてくれた。生きているなら何年かかろうと見つけ出す覚悟だった。それは他の二人も同じだったようだが、幸運にも自分が真っ先に見つけた。

 見つけた時は浮かれるあまりはしたない真似をしてしまったが、もう気は済んだ。

 あとは、このまま朽ち果てるまで彼女と同じ村にいたい。間接的にでも彼女の力になれればいい。


 その日、村の祭りが近いということでひと狩りして魔獣の妨害を退けつつ獲物を大量に捕まえたドミニクは、疲れから玄関でばたんと倒れてしまい、起きたら真夜中だった。固いパンをかじってひとまず飢えを満たしたあとは、汗臭い身体を何とかしようと風呂に向かう。



 ラナはいつも真夜中に温泉に浸かっていた。「皆驚いちゃうから」 と両親に言うと彼らは悲しそうな顔をした。……ぱっと見自然な身体になったら夕方に入るようにしたいけれど。肉はだいぶついた。おかげで出るところも出てきた気がする。血色も良くなった。身体のぶつぶつも少しずつ綺麗になりつつある。温泉効果だろうか。これならもう皆と一緒に入ってもいいかも。でもそもそもおしゃべりが得意じゃないからと悩む。身体がだいぶ温まってきて、そろそろ上がろうかと立ち上がる。ずっと座っていてなまったほぐすため身体をうーんと伸ばした。

 そんなタイミングでドミニクが入ってきた。

 文字通り全て見られた形になった。


 悲鳴をあげなかったのを誰か褒めてほしい。夜中だし近所迷惑になるから我慢した。驚いたのは向こうも同じだったようで一瞬ガン見したあと慌てて目を逸らしていた。それに関してはこちらも思わず股間を凝視してしまったのでお互い様とする。

「し、失礼した! 人がいると思わず……。まさか君がいたとは……すぐに出るから!」

 慌てて出ていこうとするドミニクを引き留めた。確か彼は今日は一日中狩りで野山を駆け回っていたはず……。

「出なくていい。私もう上がるから、明日のためにもちゃんと洗ってから家に帰りなよ」

 村長の娘ということでほとんど家にいる生活をしていると分かる。働いた人間の汗は臭い。無駄に悪臭まき散らすくらいならちゃんと身体洗って湯に浸かってほしい。頭に乗せていたタオルで身体を隠しつつ歩く。

「横通るから隙間空けて。扉の前に立たないで、通れない。湯のほうまで来て。……そう。こっちは見ないでね」

「わ、わかった」

 無防備すぎやしないかと思うけど、叫べば誰かが気づくし、何かおかしなことをすれば彼は社会的な死だけでは済まないだろう。あと本当にやばくなったら女神を呼ぶし。ゆっくり通り過ぎようとする。


「……綺麗に、なったな」

 容姿のこと、ではないな。ボロボロだった身体のことだろうか。

「この村で良くしてもらってるから」

「そういえばこの村出身ということになっていて驚いたが、それも女神のお力なのか?」

「うん」

「……そうか」

 必要最低限しか話さない。謝罪は受けつけたけど、顔を合わせれば罵倒ばかりされた日々を忘れた訳ではないから。あの時は毎日三人揃ってセレスティアセレスティアって……あれ? そういえば。

「セレスティアさんはどうしたの? 王都に居た時から姿が見えなかったけど」

 ラナのその質問にドミニクは苦い顔をした。

「軟禁されてる」

「え? どうして」

「聖女を貶めたんだ。本当なら死刑だっておかしくなかった。父親が金を積んで一生外に出さないからって約束して幽閉になったんだよ」

 そうだったのか。知らなかった。ラナは自罰的でありお人好しな性格でもあったので、今まで甘やかされた人が急に落ちぶれるとつらいだろうなと考えてしまう。あんなチヤホヤされてたのに処罰される時に味方はいなかったんだろうか。

「ドミニクさんは彼女を助けなかったの? 好きだったんでしょ?」

 ボチャンと大きな音がした。耐えきれずにドミニクが拳で水面を打った音だった。

「あんな女! 俺もファブリスもクレマンも騙されていたんだ! 元は貴族でも何でもなく娼婦の娘だったと聞く。道理で考え方が違う訳だよ。今思うと貴族の子女らしい女神への滅私奉公の精神もなくいつも自分が自分がと出しゃばりだった。セレスティアにも腹が立つがそれ以上にあっさり騙された自分にも腹が立つ。美貌に目がくらんで本物の聖女を侮るなんて世界一の愚か者だった」

 ラナは王都に居た頃、彼らはまだセレスティアを好きなのだろうと思っていた。好きだからこそ自分が虐待されていたんだろうし、特に理由がなく苛められるよりは誰かへの愛を貫くために、と確かな理由があったほうが、不快感は残っても頭では納得できた。だが目の前で彼女への怒りの言葉を聞いて、それが間違いだったと気づいた。同時に……。


「信じられないだろうけど、あの女は幽閉の身で君を暗殺しろとまで俺に頼んだんだ。最低だよ。女神の裁きを受けても自分は悪くないの一点張りで。それに比べて君は俺達を一言も責めなかった。広い心で許してくれた。人間は容姿じゃない。君こそわが剣と心を預けるに相応しい聖女だった。俺の真実の愛は貴方とともにあった」





「……本人に聞こえないところで悪口ばかり。それが一度は好きだった人への礼儀なの?」




「え?」

「セレスティアさんが可哀想。確かに彼女は冷遇の原因だけど、実行犯は軽い罰で済んでるのにね」

「ラ、ラナ?」

「今度は私に貴方の理想を押し付けるの。旅が終わるまで聖女だって自力で証明出来なかった無能な私に」

「そんな……ことはしない。俺は、ただ、ただ――」


 ドミニクの声が震えている。何だか苛めているみたいで気が引けた。それにだいぶ熱い。足早にその場を離れることにした。温泉から出る時にぽつりと本音を呟いた。


「……私のこと好きって言うけど、私も貴方が好きだった」

 ドミニクが振り向く気配を感じた。

「でもそれはきっと、あの頃はそう思わないとやっていけなかったから。……貴方のもきっとそう。もういい加減終わりにしよう。昔を引きずるのは」


 ラナの後ろですすり泣く声が聞こえる。聞こえなかったことにしてラナは自宅へと戻った。



 ドミニクは後悔していた。

 セレスティアはラナと比べられるのが好きだった。見た目はセレスティアの圧勝だったし、旅の間はラナに良いところなんて一つもないと思っていたから、ラナを落としてセレスティアを持ち上げていた。そうすると彼女はとても嬉しそうにするのだ。ついついあのノリでラナにも対応したら酷く不快感を示された。最初は何が悪いのか分からなかったが、ラナを好きと言いながら一度は好きだったセレスティアを馬鹿にする様子に人間性の浅さを読み取られたのだ。そのことを自覚して情けなさで泣いた。

 反省も後悔もしているのに、性格が悪いから何も届かない。一縷の望みはあったのに、性悪さからで自分でその糸を断ち切った。

 もし、ラナに見直されるとしたらあとはもうどんな手段があるのだろうか……。

 







 数日後、村で収穫祭が始まった。女神にその年の収穫物や取れた獲物を捧げる祭りで、ダンス大会や様々な出店があって大賑わいとなる。華やかな祭りを楽しんでいるラナに、父親が軽く耳打ちした。


「ラナ。今日は早めに祭りを閉めようと思う」

「え? 何で? いつもは一日通しでやるよね?」

「魔獣の目撃情報がある。一件や二件じゃない。一応あのドミニクにも見回ってもらってるが……。数年に一度、冬眠出来なかった個体が暴れる年があるが、今年はそういう意味で当たり年なのかもな」


 魔獣と聞いてもピンとこないが、地球の日本でいう熊の事件はよく聞いている。村一つが消えた事件とか……うん、早めに手を打ったほうが良さそう。


 村長の娘としてあちこちを周り事情を説明する。残念がる声も多かったが、安全のためだ。日のあるうちから静かに片づけが始まったその広場で、事件は起こった。


 突如、絹を裂くような悲鳴が響いた。

 まずドミニクが走る。その先には女性がツノが二本生えた熊のような生き物に襲われていた。女性の救出を急いだが、獣は一度口にした獲物への執着が強い。やっとのことで女性を引き離したが、その頃にはもう下半身だけとなっていた。


 恐怖に陥る村の住人を村長はよく指揮した。ともかく避難せよと村で一番頑丈な石造りの家に村人を誘導する。村長の妻も同行し、ラナも村長の娘としてついていった。既に家に帰った村人もいる。この村は木でできた家が大半なので危ない。一軒一軒回っていたところに、魔獣が咆哮をあげて襲い掛かってきた。味をしめたのか、狙いはラナの母とラナだった。

 二人が今にも食われそうな瞬間、ドミニクのボウガンが魔獣の左目を射抜いた。撃たれた魔獣は悲鳴をあげて山のほうに去っていく。魔獣が見えなくなった瞬間、ラナはぺたりとその場に座りこんで、足が動かなくなった。腰が抜けたのだ。

「あいつは女を狙っている。避難誘導は私とドミニクが行うから、ラナ達は避難所に行ってくれ。ここにいるほうが危ない」

 母がラナをおぶって避難所に向かう。突如襲った日常の崩壊に、ラナは気がつけばドミニクを心配していた。彼は今や村で一番の戦士。何もなければいいが……。


 父親が戻る頃には日が暮れていた。村人を誘導し終えてホッとしているかと思ったが、その表情は暗い。

「悪い知らせがあります。……村の端っこ、一番森に近い所に住む一家が、全員お亡くなりになられていました」

 獣害なのだろうと誰もが察した。

「大変危険な魔獣です。一刻も早い討伐のために……その家の死体を囮にしようと思います。もちろん倫理的に許されることではありません。もし反対意見がございましたら……」

 どこからも反対意見は出なかった。皆、それほど魔獣が恐ろしいのだ。



 ドミニクは村長とともに人の死体だらけの家の梁に登り、魔獣を待った。分厚い筋肉に直接攻撃は危険だ。協力なボウガンなどで遠距離攻撃が一番安全で確実と言える。

 死臭に満ちた家で魔獣を待ったが、待てど暮らせど魔獣は来ない。

 そういえば、やつらは鼻が利く。生きている人間の匂いに警戒しているのだろうか。それとも……。

 ふと、今一番女子供がいる建物を思い出す。二階建ての家は上から下までみっしり人が詰まっていて、窓の隙間などから匂いが漏れてるかも……窓?

 窓なら成人男性の力があれば簡単に壊せる。まして魔獣は……。




 避難所に悲鳴がこだました。魔獣が窓を破壊して進入してきたのだ。不幸にも一番近いところにいた男性は一撃で頭をえぐられていた。恐怖に怯える村人を慰め歩いていたラナはその時二階にいて難を逃れていた。いや、魔獣の身体能力を思えば、これからかもしれない。


 パニックになった避難所は外に出ようと入口に押しかける人の波で人が押しつぶされそうになったりと更なる事故が起きていた。

 ラナは魔獣をどうにかしようと日本の知識であるものを作っていた。唐辛子パウダーだ。魔獣に目がけて投げると一時動きが止まる。その隙に近くにいた子供を助けようと走った。

 しかし思わぬ攻撃に逆上した魔獣は長い爪のある手をぶおんと振り回した。先程一撃で人間の頭をえぐった爪だ。

 あ、当たる。

 ラナはせめて子供だけは守ろうとその背に庇った。

 ――そのラナを別の誰かが庇った。

 何の衝撃もないことに不安になって目をあけると、背中の肉をえぐられたドミニクが魔獣と対峙していた。

「……ドミニク?」

「怪我が、なくてよかった……離れて」

 魔獣は相変わらず目を瞑って腕をぶんぶん振り回している。重傷のドミニクはそれでもボウガンを構え、急所に隙が出来た直後に放つ。魔獣は唸り声をあげ、どうと地面に沈んだ。

 それを見て気が抜けたドミニクも、背を庇うように地面に倒れた。

 ドミニクは意識が遠のきながらも、ラナが自分の名前を呼びながら泣いている姿を目に焼き付けた。

 名誉回復、少しは出来たのかな。少しは、ラナに自分を好きになってもらえたかな。  



 数年後、村ではおしどり夫婦が有名になった。男のほうは村を救った英雄でもあり、女のほうは村長の一人娘で力が無いながらも魔獣に立ち向かったとして勇敢な女性だ。

 二人はいつも真夜中に温泉に入る。夫の背中の傷を妻が世話するためだ。相思相愛夫婦として村中から羨ましがられている。

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