その後の四人
ラナが宮殿から消えたあと、旅に同行した三人の男達はラナを探しつつひたすら自分を磨いた。
大商人のファブリスは人脈をフルに使い、どこそこの街に似たような外見の少女がいたと聞いたらすぐさまそこへ飛んでいった。だがいつも空振りに終わった。
世界中と言っていいくらい探しているのに、ラナの行方は杳として知れなかった。流石におかしいとは思ったが、聖女を散々虐待した過去を思えば女神から何らかの加護を貰って見つかりにくいようにしているのかもと考える。探し続けていればいつかは見つかるはずだ、との希望を捨てられなかった。
ファブリスは現在二十代後半で、未だ結婚できていない。聖女冷遇の件が良いところほど知れ渡っているためだ。一人の女に骨抜きにされて讒言を信じ、よりにもよって聖女を苛め抜く男。誰も嫁にやりたくないだろう。もはや我が子をこの手に抱きたいと思ったらラナと結婚するしかないのだ。
聖女冷遇の件は心から反省しており、商売も誠実、堅実をモットーに一族の当主として動いた。その結果、少しずつ、離れていった貴族も戻ってきた。
「貴殿の事は軽蔑していた。だが……後悔している人間をいつまでも責める権利があるほど自分も清廉潔白ではない」
年月を重ね、少しずつ、過去の所業が許され始めていた。
だがそれはあくまで商売上でのこと。相変わらず結婚相手は来ないし、ラナも見つからない。
三十代が目前に迫った頃には流石に後のことも考えて、遠縁から養子を取ることにした。賢く優しいという評判の良い少年だった。そして――黒髪なのがラナに似ていた。年齢一桁のその男子は無邪気に「当主様」 と呼んでファブリスを慕ってくれた。
「最低だ、当主様は!」
養子にした少年が十代なかばになった頃にそれは起こった。いわゆる反抗期だ。突然ファブリスに暴言を放つ。
「侍女達が言っていました、当主様はあの聖女冷遇四人組の一人だったんですね?」
聖女冷遇四人組。それはもはや義務教育の教科書にも出てくる。女神が召喚せし聖女を魔力を慣らす旅の間中苛めまくった者達のことだ。反面教師として掲載されている。誰の事かはぼかされているが、ある時期から突然出てきた表記だ。勘のいい大人なら察するだろう。ファブリスはそれについては否定も肯定もしなかったが、普通の人間なら畜生以下の行為だと四人組に怒りを持つのにその反応は肯定しているも同然だった。養子の少年は怒り狂った。
「こんな最低な人間を父親だと思っていたなんて、こんな人間が偉そうに当主面をしているだなんて」
その少年の言葉に近くにいた執事が「おやめください。言って良いことと悪いことがございます」 と止めるが、ファブリスはそれを制止する。与えられて当然の言葉なのだ。
「ねえどうして一人で来られた聖女にまともな食事もさせなかったんですか? 服も年頃の少女が着た切り雀だったというじゃありませんか。移動だって一人だけ徒歩って。一体どんな考えをしていればこんな仕打ちができるんですか? 納得いく説明をください!」
「……あの頃は、どうかしていたんだ」
「どうかしていたで世界を救う聖女を虐待死寸前にまでやってちゃ世話無いんですよ!」
少年の怒りは収まらず、「金輪際僕に命令しないでください! 貴方という人間にそんな資格はありません!」 と言って出ていった。侍従は気まずそうにファブリスを見ている。
ファブリスはぽつりと「同じだな」 と呟いた。侍従にはその意味は分からなかった。
あの頃はセレスティアに乗せられて悪を成敗しているつもりだった。養子の少年も、真実を知って悪を糾弾している正義のヒーロー気分なのだろう。あのくらいの年頃の人間がかかる病気だ。
いつかは完治するだろう。自分のように。それまではどんな罵倒も甘んじて受けよう――事実なのだから。
少年は世間でも笑い者になっている人間が自分の父であり一族の当主である事実がとても恥ずかしく、また自分でも聖女を苛めるなんて血も涙もないやつだと四人組を軽蔑していたため、敬愛する父と同一人物と知って絶望していた。父であるファブリスを許せる気持ちになったのはファブリスがとっくの昔に亡くなり、少年が当主になって数回失敗をしてからだった。自分は他人を責められるほどの人間ではなかったと思い知ってから。そして大商会の当主に寄せられる嫉妬や当てこすりを味わい尽くすと、この上冷遇四人組の一人として嘲笑も受けてきた義父は、それでも商会を更に発展させたのだから、どれほど屈辱を耐え歯を食いしばり生きてきたのだろうと少しだけ考えた。その夜、ファブリスの養子は自宅敷地内にある義父の墓前に初めて葡萄酒を添えて弔いらしい弔いをした。
◇
騎士団長のドミニクは部下を統率することが出来ず、平騎士に望んで降格した。魔獣退治の任務中に通りかかった婦女子をナンパする騎士に説教しても「聖女を冷遇した人間が何か言ってるよ」 と笑われる。連絡事項を伝えても全く聞かない。見張りの交代後の人間が困ると予想がつくだろうに火を消えかけで放置する。魔獣の森で生肉を頬張る。武器の手入れをサボって錆びを発生させる。それらの不始末は全て統率する立場にあるドミニクが批判を受けることになる。
どうも彼らはドミニクを困らせるためにわざと不作法を働いてるふしさえあった。
それも全て聖女の件が絡んでいるのだろう。彼らなりの正義感でやっているのだ。
聖女とは女神の使徒であり、この世で最も尊い役職といえる。その聖女を侮ってかかり散々苛め抜いた。前代未聞のことをドミニクはした。
ラナが聖女になるまでは市井で聖女の人気はそう高くなかった。世界を救ってくれるのだから有り難いとは思うが、会ったことは無いし、そもそも雲の上の人だしで、平民側としては凄い人だとは思うけど関わらないからよく知らんというのが本音だった。ただ……聖女の役目を果たしたあとは美貌の男を侍らせまくってもよし、金を湯水のように使ってもよし、王妃になってもよしと恵まれ過ぎていることに多少の嫉妬ややっかみがあったのかもしれない。聖女は元々の魂がこの世界出身で、異世界に居た間は異物扱いされてまともな生活が許されない、戻って聖女の役割を果したら今までの代償として優遇されるということは知られていなかった。
それがラナの件で一気に知れ渡った。
『世界を救う聖女が意地の悪いお貴族様達に苛められ、役目を果したらタダ働きでまたつらい異世界に帰され、やっと女神が気づいて戻った時には既に寿命は尽きかけていてあっという間に死んでしまった。世にも哀れな聖女』
こんな内容を子供すら戯れ歌でよく歌っている。
ラナは皮肉にもその悲惨な聖女生活から歴代聖女で最も人気の高い聖女となっている。なんでもそんな生活を送っても世界を救ってくださったから本当に優しいのだと実感できるからとか。何より他の聖女と違ってその後の人生に税金をほとんど使われていない所がまた庶民――の財布にとても優しいとされた。だが、その優しさは同郷人の虐待を受けたからだと思うと後ろめたさが湧く。
聖女に同情すればするほど、現在も普通に生きて暮らしている冷遇四人組が憎くて堪らなくなる。人間としては普通の心理だった。
ドミニクは貴族の三男だった。どうあっても家督を継げないのだから騎士として生活していこうとはしたが、部下全員に見下されている状況でこれ以上統率するのは難しいと感じてしまった。
もしもあの旅で聖女をあんな目に合わせなくて、世界を救った聖女がクレマンあたりと婚姻していたら……自分は今頃聖女の同行者として皆に尊敬される人間となっていただろう。もしかしたらラナは自分と結婚する可能性だってあった。穏やかで忍耐強くて控えめで笑うと可愛い彼女。時折、彼女が妻になって自分は騎士団長として活躍する夢を見る。周りからは聖女に選ばれた団長すげえと羨ましがられ、国王の信任も益々厚く、清楚で優しいラナは理想の妻。薔薇色の未来に胸を弾ませているところでいつも目が覚める。覚めたあとはつらい現実と戦う時間だった。
降格を頼んだ上司にあたる男からは憐れんだ目で見られたが、それでもその上司もどうにもすることは出来なかった。その上司の男はドミニクを騎士として高く評価していた。自分より何倍も大きい魔獣も恐れない、途中で刀や槍が折れようが手近な石や木の枝などを使って臨機応変に対応する。聖女の件は一切関わっていないし知らない上司からすれば、ドミニクは理想の騎士だった。降格に追い込んだ聖女が憎らしくなるほどの。だがそれを口にしたら自分の身が危うくなるだろう。冷遇された聖女は完全無欠の被害者として世間で扱われてる。そこに疑問の声や加害者を庇う発言を出せば袋叩きだ。結局どうにも出来ずに執務室を去るドミニクを見送った。
一般騎士になったドミニクは、むしろこれで身が軽くなったとばかりにあちこちに赴いた。騎士はよく警備や討伐の任務に駆り出される。方々の街や村を訪ねてラナを探した。どんな大きな街でも入口に立って朝から晩まで通る人間を見張った。魔獣を退治した暁には村にいる人間全員に会わせてくれと頼んでラナがいないか探った。しかしラナは見つからなかった。
やがて放浪するドミニクは都市伝説と化していった。初恋の女性を探す無敵の騎士がいるらしい――と。聖女冷遇の件を知らない女性から熱心に言い寄られることもあったが、ドミニクはどんな美女でも断った。どうせ結婚したらあの四人組の一人だと知られてしまうからだ。それがまた勘違いされてストイックで一途だと評判になった。
しかし無敵の騎士も寄る年波には勝てない。初老を迎える頃、一際巨大な魔獣と戦い、人の頭ほどの大きさな爪の攻撃を避けきれずに致命傷を負い、命を落とした。
魔獣は別の騎士に退治され、治療を受けるドミニクがずっとうわ言で「ラナ、ラナ」 と言って泣いているのを手当てをしていた女性が聞いていた。その女性は評判の騎士が瀕死の際に想い人らしき人の名を呼ぶのを配偶者だろうかと勘違いした。そして今わの際に縋るように呼ぶのをどれほど愛しているのだろうかとときめきを覚えた。だがずっとのちにその女性は、騎士が聖女冷遇四人組の一人だと知った。そしてラナがその時の聖女の名前であることも。女性はただただ、しょっぱい気持ちになった。
彼の遺体は故郷である王都に送られた。王都では一定以上の年齢の貴族はドミニクが聖女冷遇の四人組の一人だと知っている者が多い。そしてその四人組のせいで女神がしなくてもよかった再召喚を行い、それで余計な力を使ったがために穀物が不作とまではいかないが、ずっと豊作がないことも。
ドミニクの葬式は身内の者による静かな式であったが、その最中に全身黒い衣服に包み仮面で顔を隠したいかにも怪しい連中が押入り、ドミニクの遺体の入った棺を抱えて川に投げ捨てるという惨事が起こった。犯人は十年経っても捕まっていない。犯人のほうに共感する人間がずっと多かったからだ。
◇
クレマンは自身の体験から聖女を保護する法律を始め、現体制の不備の指摘や改善案などのちの聖女に多大な貢献をした。ただその最中は「貴方でなければ出ない発想ですよね(普通の人は聖女を大切に迎えるなんて当たり前だから)」 と皮肉られ笑われることが多かった。
女神直々に「聖女が許したのだから責めるでない」 と通達したので面と向かって文句を言う人間はいない。いないが人の感情はそう簡単に出来ていない。何の罪もない少女を苛め抜いた人間が目の前で平然としていると思うとほとんどの人間が義憤に駆られるものだ。
王子でありながら結婚相手が見つからないという事実は他の二人より物笑いの種になった。最も、例え見つかってもクレマンはラナ以外と婚姻するつもりはなかったが。
クレマンが心を入れ替えて善良な人間として振る舞い、また過去の罪を受け入れようとしているのも、聖女の悲劇を知っている人間からすれば「よくも堂々と表舞台に出てこれるな、聖女はお前のせいで病んだのに」 と余計恥知らずな人間に見えてしまう。
クレマンは生きている間ずっと大なり小なり悪意に晒されていた。だが彼には希望があった。
ラナが見つかれば彼女と婚姻してこんな境遇なんか払拭できる。聖女自身が許しているという事実を目の当たりにすればきっと。
しかし王族権限で戸籍をいくら調べてもラナの痕跡は発見できなかった。人口調査のためという名目で何度もあらゆる街や村や都市の人間を調べたが、ついに彼女は見つからなかった。
毎年毎年調べた。きっとどこかにいる。あんな優しい子は誰も放っておかないだろうから、ひょっとしたらどこかで養子になったのかも、結婚したのかもと思ってあらゆる可能性を探った。
だが見つからないまま何十年もの時が流れた。それでも探し続けることについて「未練たらしい」 と陰口を叩かれることも多いが、こうなったらもはや意地だ。
お互い結婚できなくなっても、一目でいいから会いたい。生きている姿を見て安心したい。かつて自分が傷つけた少女の幸せな姿を見たい。その姿を見ればきっと救われる。どうか、ただ一度でいいから。
結局見つからずに最後は老衰で亡くなった。クレマンの最後の言葉は「ラナに会いたい」 だった。
王族の一員ということで葬儀はそれなりのものが行われ、それなりの墓が建てられた。だが四人組の行き過ぎたアンチが度々その墓を壊してしまうということでやがて柵が設けられた。
「独房にいるみたい。死んでからも裁かれてるとか犯罪者に相応しい結末だね」 とその墓を見たものは笑うという。
ただそれらとは別に聖女関係の法を整備したことでのちの世に多大な貢献をしたと、法律家としての面は評価されている。
◇
セレスティアは聖女冷遇の直接的な原因であり聖女苛めの筆頭だったが、彼女は数年で亡くなった。彼女が死んだ時、質素な部屋の少し傾いた壊れかけのテーブルには手を付けられていないお菓子が残っていたという。
「最後は菓子も食べられないくらい衰弱したのか、いい気味だ」 と世間は笑った。
仮にも侯爵家の姫君だったセレスティアなので目立つ墓は建ったが、通りかかる人が唾を吐いて行くことで有名な観光スポットになってしまった。良識のある人は亡くなった人間相手にあまりにも見苦しい光景だと声を上げたが、聖女に同情する人達によって退けられそうになる。いわくセレスティアなど死んだあとまで責められて当然のことをした女だと。しかし最終的には「こんなことを認めていると聖女を慕う人間達の品格まで問われる」 となり、セレスティアの墓は移動した。ただ、それは立派な墓から無縁仏の墓になった。今はもう、誰もセレスティアの墓を知らない。
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