第29話 2月14日(大雪警報発令中)


 オレンジ色の豆電球に照らされている和室で、布団にくるまり寝付けずにいる早川美波は、隣の布団で眠る佐藤翔太の横顔を眺めていた。

 ――大雪で交通機関ほぼストップしちゃって帰れなかったから、陽子さんの家に泊めていただけたのは渡りに船だったけど、まさか本当に佐藤君と同じ部屋で一晩過ごすことになるとは予想外だったなぁ。

 美波は翔太の横顔を眺めながら、今日の出来事を思い返してみるのだった。

 寝坊に起因する遅刻という同じような理由で、美波と翔太は放課後に反省文を書かされる羽目になった。その反省文提出と指導自体は強くなってきた雪のおかげで早めに終わり、一般生徒と比べて少し遅れた程度で帰路に就くことができた。

 ――先生の言うとおり早く帰っておけば……ううん。たぶん、佐藤君をからかって遊ばなくても、あの駅の混雑状況では、今のこの結果は変わらなかっただろうなぁ。

 二人が駅に到着した時、鉄道が完全にストップしていたので駅構内は、子供からお年寄りまでの多くの人々が足止めを食っていた。そんなごった返す駅構内を目の当たりにした美波が、どうやったら自分の家まで帰れるかスマホとにらめっこをしていると、隣にいた翔太からある提案がされた。

 ――あの時、鉄道が再開するまでウチの喫茶店で待たないかという佐藤君の提案に乗ったのは、単純に不安だったんだろうなぁ、私。ほとんどの交通機関が止まっている状況で、このまま帰れなかったらどうしようとか、その場合学校に戻るのか、それともカラオケやマンガ喫茶で一晩を過ごすのかとか、色々と考えて答えが出せずにいたから。あのまま佐藤君と別れていたら私、今頃どうなっていたんだろうか……。

 翔太の提案により、翔太の叔母さんである陽子が営む喫茶店に到着すると、考える事は皆同じなのか暖かい店内は満席状態であった。そこで陽子から客席の食べ終わった食器を下げるお手伝いを頼まれてしまい、美波は一瞬戸惑ってしまう。事情を聞くと雪でアルバイトが来られなくなり人手が足りないらしく、年末にお世話になった縁もあって承諾する事にした。もちろん、シフトに入っていなかった翔太もフロアを動き回る結果となったのは言うまでもない。

 ――いきなりお手伝い頼まれちゃったけど、お小遣い貰えたし、よかったかな。

 美波と翔太が忙しく動き回っているなか、雪は止むことなく降り続けていた。時々、美波はスマホで鉄道の運行情報を確認するも、状況は好転しそうになく、食器を片付けながら窓の外の雪に包まれた街を眺める。喫茶店の正面に通る道路は時折車が通るものの、屋根にはこんもりと雪が降り積もっており、チェーンを巻いていない車が時折甲高いエンジン音をさせては、タイヤを空回りさせながらノロノロと進んでいた。

 ――高速道路や大きい道路では立ち往生が相次ぎ、今も自衛隊が除雪活動やっているみたいだし、こうやって布団で寝られるだけで有り難い。

 いつもよりも早く喫茶店の客足が落ち着いた頃、美波と翔太はカウンター席で晩ご飯を食べながら、今後の行動について相談をしていた。美波がスマホで何度も鉄道の運行状況を調べてみても、ここら一帯のJRも私鉄も運行を停止しており、再開の予定も見通せないという状況であった。そこで美波は帰るのを諦めて、不本意ながらある決断をする。それは翔太の部屋に泊めてもらう事であったが、それを切り出した途端に翔太はビックリしてせてしまい、かたわらで二人の話を聞いていた陽子には全力でやめるように説得された。

 ――佐藤君はどうやら最初から、もしもの時は私を陽子さんに預ける気でいたみたいだけど、そうならそれで最初から言って欲しかった! そうすれば、あんな恥ずかしい事を言わずに済んだのに……。

「もうっ!」

 美波は持って行き場のない感情を抱え、勢いよく布団をかぶった。

 翔太に案内されて、陽子が住む家に向かうことになった美波。その道すがら、道路に降り積もった雪の深さは足首の辺りまであり、一歩歩くごとに足が雪に埋まって、そう遠くもない目的地である井上家にたどり着いた時は、二人の靴下はグチョグチョに濡れて、足は冷え切っていた。そんな二人を出迎えた陽子の娘であるあおいが、慌てて洗面所からタオルを持ってきて二人に渡す。

 ――葵さんとは何度かお店で顔を合わせたことがあったけど、お店のしっかり者というイメージと比べて、今夜の私服姿はちょっと幼くて可愛かったなぁ。おっと、同じ学校の先輩に向かって幼いは失礼か。

 足を拭き終えた美波は葵によって客間に通された。葵が和室の明かりを点けると、座卓の上に置いてあったリモコンでエアコンを稼動させる。美波は畳の裾を踏まないように荷物の置き場所に困っていると、葵から「そんな大層な家じゃないから、気にしなくて大丈夫」と可笑しそうに言われた。その言葉を受け、美波が和室の隅っこに荷物を置いていると、葵から替えの下着があるかと訊かれたから、部活後用に持ち歩いている物があると答えた。その後、リビングで井上家の人々に挨拶をしてから、トイレや洗面所を案内される。その際に葵の友達も泊まっていることを伝えられた。

 ――裸足でご家族に挨拶したのは、ちょっと恥ずかしかったかな。それにしても佐藤君は、あの時いなかったと思ったら、黙って自分の部屋に帰っちゃうなんて、本当にヒドいヤツなんだから。

 美波は心細い気持ちを抱えながら、借りたシャワーを浴び、借りたパジャマに着替え、借りたドライヤーで髪を乾かす。そして、制服などを持って和室に戻ってくると、そこで予想外の光景が待ち受けていた。それは、ちょうど下着を脱ぎ上半身裸の翔太の姿であった。美波がビックリして声を出せずいると、翔太は一度チラッと美波を見ると何事もなかったように着替えを続けた。

 ――なにが、もう水着姿を見られているから僕は気にしないよ、っだ! 別に佐藤君の裸なんて見たくないし、なりより、半裸の男と二人っきりになった私の気持ちを察しなさいよ! それに、いきなり佐藤君の部屋が使えなくなったからって、どうじて佐藤君が同じ部屋で寝なきゃいけないの! 何よりムカつくのが、私がこんなに眠れないでいるのに、佐藤君が平気な顔でスヤスヤと眠っていること! 私、一応君の好きな人なんだから、私が眠れるまで話しくらいしてくれてもいいでしょ!

「佐藤君のアホ」

 朝から想定外のことが立て続きに起きて疲れているのに、慣れない環境で眠りたいのに眠れず、そんなストレスが翔太への不満に変わり、そんな負の感情が抑えられずに美波の心から漏れた。

「……いきなりアホはヒドくない?」

 いきなり聞こえた翔太の声に、美波は思わず布団から顔を出す。すると、なんとも眠そうな目をした翔太と目が合った。

「……ごめん、起こしちゃった?」

「……眠れないの?」

 美波が黙って頷くと、翔太は一度強く目をつむる。そして目を見開くと、勢いよく上半身を起こした。

「ったく、そういう事なら……」

 突然の翔太の行動に、美波は思わず目を強くつむってしまう。しかし、美波が危惧した事態にはならず、次に美波が目を開けたときには部屋が明かるくなっていて、座卓を挟んだ翔太が立って眠たそうに欠伸あくびをしていた。

「ごめん、いきなり明るくして。これからホットミルクを作ってくるよ」

 そう言ってスエット姿の翔太は、足元が覚束無おぼつかない感じで廊下に出ていった。

「……もう、そういう事なら、私が飲むかどうか、意見を聞いて行きなさいよ」

 美波は起きると、翔太のあとを追って冷える台所に向かった。明かりの点いた台所に入ると、そこには二つのマグカップに牛乳を注ぐ翔太の姿があった。

「佐藤君、いくら親戚とは言え、人の家で勝手をするのはマズくない?」

「大丈夫、朝になったらちゃんと言っておくから。それでダメだったら一緒に怒られてくださいな」

「それ、私も共犯ってこと!? やめてよー、お世話になっている家に恩を仇で返すようなマネは」

「そこは深夜のノリということで」

 美波が黙って部屋に戻ろうとすると、翔太は慌てて呼び止める。

「ごめん、今のはただ冗談だからー。大丈夫、ちゃんと叔母さんには許可貰ってあるから」

「本当でしょうね? 嘘だったら許さないんだから!」

「うん、本当。実はここで暮らしていた頃から、眠れない時にはこうしてホットミルクを作っていたんだよ。だから、もしも今夜眠れなかった時の為に、叔母さんには牛乳を使っていいか訊いておいたんだよねぇ」

 そう言いながら翔太は牛乳の入ったマグカップを電子レンジで温める。

「なんだ、自分のためかぁ――ん? 佐藤君、陽子さんに住んでいたの!?」

「うん、中学三年間はここに住んでいたよ」

 翔太がマグカップを電子レンジから取り出すと、片方のマグカップを美波に渡す。そして自分に興味を示した美波に対して、台所は寒いからと暖房が利いた客間に戻るように勧めた。

「それでどういう事? 佐藤君が中学の三年間を陽子さん家で過ごしていたというのは」

 美波は座卓にマグカップを置くと、布団の上に座る。一方の翔太はといえば、マグカップを座卓に置くと、持ってきた自分の荷物をあさっている。

「そっか、早川さんも他人の家の事情に興味があるんだね」

「悪かったわね、下世話な人間で」

「女子は世間話好きだもんねぇ。まあ、親の仕事の事情でここに預けられていただけだし、アオちゃんと生活面で区別されなかったから、特段に面白い話もないけどね」

 翔太は荷物からラッピングされた箱を取り出すと、美波と座卓をはさむ形で座る。

「それは良かったね――って、それ私があげたチョコじゃん」

「うん、一緒に食べようと思って」

 ラッピングをほどくとスマホくらいの白い箱が出てきて、その箱の中には四つ葉のクローバーをしたチョコレートがあった。

「おっ、クローバーだけにチョコが緑色で、形はハートなんだね」

「一応佐藤君は友人だから、幸運を願ってみたんだ」

「そうなんだ、ありがと。それじゃ、幸運のお裾分けということで、半分こしよっか」

「ハァ~、またこうなっちゃうのか」

 そうは言いつつも美波はチョコを一粒まむと、「遠慮なく頂きます」と口の中へと放り込み、少し咀嚼そしゃくしてからホットミルクをすする。

「んー、深夜に甘い物を食べるの幸せ~」

 不意に見せた美波の天使のような微笑みに、翔太は手にチョコレートを摘まんだまま、口を開けて目の前の彼女のことをポカーンと眺めてしまう。そんな感じに目の前の人間から間抜け顔で見られれば、呆れ顔も浮かべられてしまうのは当然と言える。

「あのさ、美人な私に見惚れるのは当然だけど、好きな人の前でそんな間抜け面を見せたら、普通にダメでしょ」

「いやー、あまりの笑顔の可愛いらしさに、心のヒューズが飛んでしまいました」

「なにくだらないことを言っているんだか」

「仕方ないじゃん、見惚れるほど早川さんの笑顔が可愛かったのは本当なのだから」

 翔太にまっすぐ見つめられてそんな事を言われれば、いくら彼に気が無い美波でも照れずにはいられなかった。

「……ったく、また佐藤君はそうやって恥ずかし気もなく、そういう事をポンポンと言えちゃうんだから。普通、好きな人の前では躊躇ためらわない?」

「んー、告白を振られて、こんな風に交友関係を築けている早川さんには、そういう気持ちを伝えやすくなっているかもしれないね」

 翔太はチョコレートを半分かじる。

「ふーん、そっか。ねえ、佐藤君はさ、私のことを本気で彼女にしたいと思っているの?」

 美波のほとんど意識しないで口走った言葉にすごく驚いたのは、言葉を発した張本人であった。

 ――なに訊いているんだ、私!? これじゃ、まるで私が佐藤君にアプローチをしてくるように要求しているみたいじゃない!

「正直、今でも早川さんのことが好きだから、君と恋人関係になりたい気持ちはあるよ。だけど、僕とは友達以上の関係になる気は無いと君が言っている以上、すぐに『付き合ってください』とか告白したところで、また玉砕するのは目に見えているからね。なので、状況が許す限り、少しずつアプローチさせてくださいな」

 座卓に頬杖をついて翔太がゆったりとした口調で言うと、美波はホッと胸をなで下ろした。それは自身が心配したことが杞憂に終わり、しばらくはこの友人関係も急に大きく変わることがないと分かったからだ。

「それはなんとも物分かりがいいことで。でも、もたもたしていたら私が先に好きな人を見つけちゃうかもしれないね」

「僕の片想いが成就するよりかは、そっちの可能性の方がずっと高いだろうね。でも、僕は早川さんのことが好きだから、それまでは可能な限り足掻あがくつもり」

「それを好きな女子の前で言っちゃう佐藤君は本当に格好悪いなぁ」

「自分でもそう思いますよ、ほんと」

 翔太は食べかけのチョコを食べ終えると、ぬるくなったホットミルクをゆっくり飲み干す。そして、そのまま横になり布団にくるまった。

「あーあ、もう。そんな格好の悪い友人Sは寝ます、おやすみ~」

 ――もう、そんな感じにおちゃらけるから、君の私に対する本気度を聞いてみたくなるんだよ。でもまあ、たぶん佐藤君のこんなおふざけがあるから、この友達関係が成り立っているんだろうなぁ。

 美波はそんな事を思いつつ、残っていたホットミルクを飲み干す。そして、部屋の明かりを小さくして布団の中へ潜り込んだ。徐々に暖まる布団に包まれ、だんだんと彼女の意識は気持ち良くボヤけていった。

「ファ~、今日は本当に色んなことがあり過ぎた。ホント、明日は晴れてくれるといいな」

 そんな事を呟くと、美波は欠伸を二度、三度と繰り返して目をつむる。すでに眠っているのであろう翔太の寝息が聞こえ、そんな一定のリズムで刻まれる呼吸音に誘われるように、いつしか彼女も寝息をたてていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る