第28話 2月14日(天気予報はくもりのち雪)
放課後、早川美波と佐藤翔太の姿は生徒指導室にあり、二人揃って机に向かい反省文を書いていた。今朝の天気予報では朝からお昼に掛けて雨か、雪が降り始めるという予報どおり、窓の外は白い雪が舞い落ちている。そんな寒々とした景色を横目に、二人はシャープペンを走らせて原稿用紙を埋めていく。さて、どうして二人揃って反省文を書いているかといえば、その原因は今朝の出来事だったりする。
今朝、美波は寝坊をした。寝付きのいい彼女にしては珍しく、昨晩はなかなか寝付けなくて、なんとなくテレビを点けてしまい、そこでたまたま放送されていた映画を見入ってしまったのが寝坊の原因だ。彼女が起きるとスマホのアラーム音がけたたましく鳴り続け、いつもとは違う寝起きに彼女はイヤな予感を覚え、とっさにスマホの画面を確認すると、もうすでに家を出ていないといけない時間だった。そこから彼女は朝ご飯も食べずに、大雑把に最低限の身支度を整えて、急いで家を飛び出すのであった。
今朝、翔太は寝坊をした。よく夜更かしをする彼にはさほど珍しくはないが、昨晩はテレビゲームを終えた時にテレビリモコンを押して、たまたま点いていた映画をボケーッと見続けていたのが寝坊の原因だ。彼が起きるとテレビでは朝の情報番組が放送されており、それで時間を確認すると、急いで朝ご飯用のおにぎりと昼食用のお弁当を作り、慌てて身支度を整えて学校に向かうのであった。
なんとかギリギリ遅刻しない電車に駆け込んだ美波。その姿は寝癖の付いたままの髪に、コートのボタンは掛け違えてしまい、ストッキングには長い伝線が走っているという散々な有り様であった。なんとも不格好な姿に彼女はこのまま家に帰ってしまおうかと思いもしたが、根が真面目な彼女であるため、コートのボタンを掛け直し、手で寝癖を
駅の連絡橋を駆け足で通っていく翔太。改札に入っていく人達や改札から出てくる人達の流れに逆らわないように、いつものように学校に最寄りな出口を目指していた。そして、丁度改札前を通りかかった時、突然柱の影から飛び出してきた長い金髪の人物と出会い頭に衝突し、その衝撃で固くて冷たい床にヘッドスライディングを決めてしまう。
電車が高校の最寄り駅に到着すると美波は、急いで車両から飛び出すと階段を駆け上がり、一目散に改札へと駆けた。そして、改札を抜け再び駆けだすと、柱の向こうから走ってきた人と衝突をした。一瞬のことで運動神経のいい彼女でも体勢は保てず、気がついた時には彼女の身体は冷たい床に倒れ込んでいた。
利用者の多い朝の駅構内で、高校生がふたり、出会い頭に衝突するという出来事は否応なく瞬間的な注目を集めた。そんな周囲の目を気にする余裕はこの時の二人にはなく、徐々にやってきた痛みを感じながら身体を起こすと、お互いの顔を認識して驚くのがやっとだった。その後、周り人達から声を掛けられ、二人が衝突した瞬間を目撃した人に呼ばれた駅員に事情を聞かせてほしいと言われ、駅員室で事情を聞かれるとともに、無暗に走らないように注意をされたのだった。
そして、そのあとの美波と翔太はといえば、二人して仲良く遅刻をした。
「今日はなんて最低な日なんだろう。寝坊をした上に駅では誰かさんにぶつかるわで、朝は遅刻して、今は反省文を書かされている。ホント、ツイてない」
「それはご愁傷様。でもさ、早川さんも遅刻するんだね」
「なによ、それ。中学で生徒会長だったから遅刻しないとでも?」
「いや、朝練しているとき電車一本遅れたことがなかったから、珍しいなぁ、って」
生徒指導室の長机を前に二人並んでパイプ椅子に座り、お互いの顔を横目に見ながら反省文を書いている
「私だって寝坊くらいするのよ。佐藤君は寝坊しないわけ?」
「僕は結構夜中までゲームしちゃうから、寝坊はよくするよ。これまでは学校が近いから、走ればどうにか遅刻しなかったんだけどね」
「それでよく私の朝練に付き合っていたよね。まったく、恋愛パワー恐るべしね」
「早川さんにも分かるでしょ、好きな人に会えるウキウキした気持ち」
「さーてね、知らなーい」
わざと
「さいですか」
翔太は一時的に書くのをやめて顔を美波の方を向けると、眠たそうに目をこすった。
「眠たそうだね。やっぱり、今日の寝坊もゲームのやり過ぎだったりするの?」
「そんなところかな。あと、ゲームをやめてチャンネルを戻したら、たまたまやっていた映画を最後まで見ちゃったのも痛かった。最初はそんなに見るつもりはなかったんだけど、何気なく眺めているうちにどんどん引き込まれちゃった」
「それって、交換日記のやつ?」
「そうだよ。もしかして、早川さんも見てた?」
「そうだけど……」
美波はバツが悪そうに溜め息交じりに答える。
「佐藤君と同じ映画を見て、同じような理由で寝坊しただなんて、自分が許せないわ!」
「同じような理由で遅刻って、早川さんも夜中まで何かやっていたの?」
「特に何もやってないよ。ただ寝付けなかっただけ」
「ふーん、そっか。それでさ、映画は最後まで見た?」
「えー、見ましたよ。テレビを点けてテキトウに番組を流していたら、いつの間にか眠れると思ったのに、結局最後まで見ちゃったわよ」
美波は大きく溜め息を
「なによ」
「面白かった?」
「面白くなかったら最後まで見てないよ」
ここで一旦会話が途切れ、生徒指導室には二人のシャープペンを走らせる音が響いた。
「あのさ」
二人が反省文を書き終えようとしていたとき、静かに口を開いたのは翔太だった。
「さっきの映画の話だけど、あの二人は同じ十七歳だったけど、本当は十年の差があったんだよね。短い回想シーンはあったけど、あの先生は十年間過ごしてきたんだよなぁ」
「
「うん、本編は良い感じにまとまっていたね。でもさ、エンディング後の二人の関係はどうなったと思う? 同い年だからこそ仲良くできた部分もあるんじゃないのかな、って」
「二人の間の十年という時間をどう捉えるか、ってこと? そうね、私の素直な感想を言えば、あの二人の関係が生徒と教師に変わったとしても、あの二人の友情は変わってほしくはないかなぁ」
「変わるものもあれば、変わらないものもあるか。それも有りだね。でもさ、ああいう作品を現実的な尺度で語りたくなる気持ち、早川さんには分かる?」
「まあ、創作物に対して現実の尺度を持ち込むなんて野暮だと思うけど、それも作品を楽しむ一つなんじゃないの。で、そんな佐藤君はあの二人がどうなったと思うわけ?」
美波の方から話を振ってきたことに、翔太は少し驚きつつも口を開いた。
「子供と大人の価値観の違いから、元の生徒と先生の関係に戻って行ったんじゃないかと、思ったりして?」
「それだと物語として夢がないわね」
美波は可笑しそうに笑みを浮かべると、シャープペンを置いて背筋を伸ばした。そして、視線を窓の外に移す。
「あーあ、雪が強くなってきてる。これ、電車動いているかなぁ」
「もしも電車が止まっていたら、うちに泊まっていく?」
「それ、冗談だよね?」
「もちろん冗談です」
ニコッと笑みを浮かべる翔太。美波はそんな翔太の耳に目を向ける。これまでの付き合いで彼がこんな小っ恥ずかしい事を言ったときには、必ずと言っていいほど耳を赤くさせていた。そして、今回もまた彼の耳はほんのりと赤くなっている。
――ったく、何でもないような顔をしちゃって。君が照れてるのはバレバレだぞ。
美波がそんなことを思っていると、扉が開き一年生担当の生徒指導の女性教師が入ってきた。
「反省文はそこまで。書いたところまででいいから提出して」
美波と翔太が原稿用紙を渡すと、女性教師はさっと二人の反省文に目を通すと、二人の顔を見る。
「この反省文、作り話ではないんでしょうね?」
「残念ながら事実です」
美波はきっぱりと言う。
「それはまた、仲が良いことで。えーと、駅のような多く人が利用するところでは無暗に走るのは危険ですから、もう二度とやらないでください。今回はあなた達がぶつかったから大きな怪我をしませんでしたが、相手がご高齢だった場合、相手に大きな怪我をさせてしまう事もあります。もし、そうなったら自分の家族や相手の家族にも多大な迷惑を掛けることになりますから、遅刻しそうで慌てる気持ちは分かりますが、どうかそういう時こそ慎重な行動をしてください――はい、指導おわり」
美波と翔太は小さく息を吐いた。
「あと、夜更かしもいいけど、遅刻はしないように。それと、予想以上に雪が強くなってきているから、もしも交通機関が止まって帰れそうにもなかったら、学校に戻ってきなさい。今日は二名の先生が泊まりがけで学校にいることになったから」
女性教師は原稿用紙を折りたたみ、二人に連絡事項を伝えると、「気をつけて帰ってね」と声を掛けて生徒指導室から出て行った。
「あーあ、疲れた。さてと、電車が止まらない事を祈って帰りますか」
美波は筆記用具を仕舞いながら立ち上がると、パイプ椅子に掛けてあったコートを羽織り、椅子の横に置いてあったカバンに筆入れを仕舞う。
「早川さん、駅までご一緒してもいいですか?」
美波よりも先に身支度を調えた翔太にそう尋ねられ、美波は何も考えずに二つ返事で承諾するのであった。
昇降口で靴に履き替えた美波と翔太は、校舎から出ると折りたたみ傘を広げる。
「人が通るところはそんなんでもないけど、校庭に続く通路は靴が埋まりそう」
一歩先に歩き出した翔太は、踏み跡のない積もった雪に足を突っ込む。
――まったく、子供みたい。
美波は雪にはしゃぐ翔太の姿を可笑しそうに見ていた。しかし、小さくちぎった綿のような雪が翔太の傘に降り積もっていく光景に、このままだと交通機関が止まってしまうのではないかという一抹の不安も覚えるのであった。
「佐藤君、遊んでいる場合じゃないよ。もしも私が帰れなくなったら、佐藤君にも学校に泊まってもらうから」
「えっ! 早川さんと一晩過ごせるとか、僕にはご褒美なんですけど」
「もう、君って言うヤツは、本当にそういうところ隠さなくなってるよね。まったく、もう少し困った顔とかをしてくれた方が、男子として可愛げがあるってものよ」
「すいませんね、可愛げのない男子で」
美波は楽しげな表情で近づいてきた翔太の腕を捕まえると、とっさに自分の腕を絡めてギュッと翔太の腕を抜けないように締め付ける。
「な、なに!?」
いきなりの美波の行動に、翔太は慌てて自分の腕を美波から引き抜こうとするものの、しっかりと締め付けられた腕は抜けない。それでいて、可愛らしく微笑む美波の顔が近づいてくるものだから、翔太はあからさまにドギマギしてしまう。
「どお、暖かいでしょ?」
「……そういうところ、早川さんは本当に負けず嫌いだよね。時々、こんな風にスキンシップ取ってくるけど、絶対僕のこと異性として見ていないでしょ」
「いやだな、ちゃんと男子として見てるよ。ただ佐藤君のことは、女の子みたいな男子としか思えないだけで」
「女の子みたいねぇ……僕が女の子ではないことを解ってもらうために、このまま送り
「そんなこと言ってぇ、佐藤君は好きな女の子の嫌がることはしないでしょ?」
「そこで『うん』と言えるほど、僕は僕の理性を信用できないよ」
「おー、それは怖い怖い」
翔太をからかうように笑みを浮かべる美波と、耳を真っ赤にさせて身体を緊張させる翔太。そんな二人の関係は、良くも悪くも仲の良い友人関係という感じであり、当人同士もこの関係がそう簡単には変わらないものだと認識していた。
「あっ、そうだ」
何かを思い出すと美波は翔太の腕をパッと放すと、傘の中棒を首で押さえ、カバンの中から綺麗にラッピングされた小さな箱を取り出し、それを翔太に差し出した。
「佐藤君、君に友チョコをあげよう。まあ、いつかの高級チョコとはいかないけど、こんな美人から貰えるだけ有り難く思いなさい」
翔太は戸惑いの表情で美波から差し出された友チョコを受け取ると、瞬時に表情を一変させ、満面の笑みを浮かべて口を開いた。
「ありがとっ! まさか早川さんからチョコ貰えるとは思ってなかったから、すっごく嬉しい!」
「う、うん、喜んでもらえたのなら良かったよ。ただし、それはただの友チョコだっていう事は忘れないように! いい、分かった?」
予想外の翔太の喜びように、美波も思わず釘を刺してしまう。
「それは分かっているんだけど、なんかもう幸せで。予期もしない好きな人からのプレゼントが、こんなにも嬉しい気持ちにさせるとは思ってもみなくて」
「あー、もうっ! それ以上恥ずかしい事を言ったら、そのチョコ返してもらうから!」
翔太が大事そうにチョコをカバンへ仕舞う姿に、美波はやっぱり彼のことを女の子みたいだと思うのでした。
この後、美波たちは駅に向かって雪降る街を歩いて行ったものの、公共交通機関は完全にストップしており、駅構内は黒山の人だかり状態であった。
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