第26話 はじめての二人だけのデート(前編)


 二月最初の日曜日、早川美波は白いロングコートにモコモコブーツ姿で、とある駅のホームに降り立つ。普段この駅をあまり利用することがないが、家族とは何度も来たことがあり、今日久しぶりに訪れてみると、家族との思い出も手伝って彼女を懐かしい気分にさせた。

 ホームから人々の流れに乗って改札口から出てくると、美波は駅構内を見回す。東西に伸びる通路には何軒かの飲食店などが並び、ところどころにベンチが設置されている。美波はキョロキョロとそのベンチの中から空いている席を見つけると、ゆっくりとそこに腰を下ろす。

「三十分も早く来てしまった」

 美波はスマホで時間を確認すると、佐藤翔太との待ち合わせ時刻には十分な余裕があり、暇を持て余しそうな程には待ち合わせ場所に早く来てしまっていた。その理由、それは彼女が心配性であり、事故や何かで鉄道が大幅に遅れてしまった時のことまでも考えてしまい、その結果、三十分前行動という不本意な形になってしまったのである。

 ――これじゃ私、初めてのデートを楽しみにしている人みたいじゃない!? こんなところを佐藤君に見られたら最悪だ!

 美波は自分の性分に落ち込みつつも、そんな風に翔太に対する見栄も懐いてしまい、とっさに立ち上がって周りを見回す。休日のお昼前ともあって駅構内には、家族連れなどの多くの人々が行き来しており、キョロキョロと東西の出入り口や改札口に目を向けても、そこに翔太の姿は無かった。

 ――よかった、佐藤君はまだ来ていない。そうだ、暖かい物でも買ってこようっと。

 翔太の姿がないことに一安心した美波は、その場から一旦離れる事にした。

 そして約束の時刻近くとなり、緑に近いカーキ色のジャンパーを着た翔太を見つけたのは、買ってきた飲み物をほぼ飲み切った頃であった。

「おー、居た」

 改札口を出た翔太は、目ざとくベンチに座る美波の姿を見つけると、小走りで彼女のもとへ駆け寄る。それに気が付いた美波が、蓋の付いた紙カップを片手に立ち上がると、翔太に向かって小さく手を挙げた。

「遅かったね、佐藤君」

「ごめん、待たせちゃった?」

「私、二十分も待っちゃった」

「えっ、そんなに!?」

 思わず驚き、緊張した表情を浮かべる翔太。彼は彼なりに、待ち合わせ時刻には余裕を持たせて来たつもりであったから、美波がそんなに早く来ていた事は予想外であった。そんな困ったような翔太の顔を見ると、美波は愉快そうに笑みを浮かべる。

「ふふふ、今のはただの冗談。私も少し前に着いたところだから安心して」

「なんだ、冗談か。それはよかった~」

 美波の言葉を聞いて、一気に安堵の表情を浮かべる翔太。そんな翔太を見ている美波の視線は自然と翔太の表情から、その下の上着に移っていく。

「ところで、そのジャンパー」

 待ち合わせ場所に現われた翔太のジャンパーには、ヘリコプターや災害派遣といった自衛隊をモチーフにしたワッペンが貼られている。そんな普段とは違う翔太の装いに、美波は珍しいものをみるように、翔太の顔とジャンパーを交互に眺めていた。

「どお、格好いいでしょ?」

 翔太が腕を軽く広げてジャンパーを見せつけると、美波は真面目ぶった表情で口を開く

「うん、そのジャンパーは格好いいよ。ただ佐藤君、そういうミリタリー系を着るんだとしたら、もう少し髪型とかにワイルド感がほしいかなぁ。ほら、佐藤君は童顔だから、いつものコート姿なら何とも思わなかったけど、今日のそれは違和感しかないよね」

「ハッキリとダメ出しをしてくれるなぁ、もう。結構格好いいヤツを着て来て、キメられたと思ったのに」

「ジャンパー自体は格好良かったのにねぇ、残念でした! だけどさ、そんな風に格好付けてきた所を見るに、やっぱり佐藤君も男の子なんだね――なんだか、カワイイ!」

 そんな風に言われながらも、美波に楽しげな眼差しを向けられてしまうと、翔太は言い返すに言い返せず、惚れた弱みを実感するしかないのでした。

「じゃあ、佐藤君。お昼ご飯を食べに行こうか」

 愉快そうに笑みを浮かべ美波は、若干しょげた面持ちの翔太を引き連れて駅から出て行く。

 二人が歩いて行くこの地域は、古くから続く商家にそれに連なる蔵が建ち並び、その歴史がある街並みを観に多くの観光客が訪れ、時の断片を感じている。そんな観光地に美波と翔太は目もくれず、時折美波の髪をなびかせる程の冷たい風が吹きつけるなか、二人して目的地に向かっていく。

「着いたよ、ここが目的地の平々凡々亭」

 その美波が案内した洋食店のたたずまいはといえば、長年のあいだ日に当てられ扉や外壁は日焼けをし、外壁の一部にはツタがっていた。そんな光景が、このレトロな建物がこの地に有り続けた時間を感じさせる。しかし、そんなレトロな外見とは違い、その店内はというと手入れが行き届いており、木目調に統一された内装やテーブルなどは古くささを感じさせなかった。

「予約した早川ですが」

 美波と翔太が入店すると、愛想のいい中年の女性店員が対応してくれた。

 四人掛けテーブルに案内され、上着を脱ぎ、向き合うように座る美波と翔太。その両者の服装はというと、美波が赤いタートルネックに黒いパンツ姿、翔太が黒いタートルネックに白いパンツ姿であった。二人がお互いの服装に類似性がある事に気がつくと、美波は気まずさを覚え、翔太は小さな喜びを感じるのであった。

 そんな両者の感じ方の違いも、二人の前に料理が運ばれてくる頃には忘れ去られ、意識は自ずと目の前に並ぶオムライスなどに向かうのだった。

「ん~、美味しい。このほんわか甘いソース、コクもあっていいね」

 デミグラスソースが掛けられたオムライスを口に運んだ翔太は、味わうように咀嚼し、ゆっくり飲み込むと、満足気な表情を浮かべる。すると、翔太の反応をうかがっていた美波は、途端に得意げに口を開く。

「でしょ、めっちゃ美味しいでしょ! よかった、佐藤君の口にも合ったみたいで」

 自分の顔が微笑んでいるとは思いもよらず、美波は嬉しそうにオムライスをすくう。

 今日の二人のデートは、美波が頼んで翔太に共にさせた朝練の対価だ。そのデートをどんなものにするか二人で話し合った結果、お互いがお互いの行きたい場所に付き合ってもらう形になった。そう提案した美波の意図としては、頼み事を聞いてくれた翔太に対して、自分が行きたい所を言う事で、翔太が自分に対して遠慮しないで済むと思ったからだ。

「よかったの? 今日はここでお昼を食べて、その後に君の買い物に付き合うという、ゆったりデートプランで」

「ん? こうしてオシャレなお店で、早川さんと一緒にオムライスを食べられるのだから、すごく嬉しいよ」

「はいはい、君の気持ちは言われなくったって分かっています」

 自分の気持ちを隠さない翔太に対し、美波はそんな彼の言動をあしらう。

「そうじゃなくてさ――ほら、休日のデートと言えばさ、遊園地や水族館なんかの遊興施設に行くのが定番だと思うのだけど……佐藤君にとって今日のデート、ちゃんと朝練の対価になってる?」

「なんだ、そういう意味か。大丈夫、こうやって好きな人と食事をしているのだから、それだけで十分対価になっているよ」

 翔太は本当に嬉しそうに微笑む。

「……そう。なら、よかった」

 あまりにも素直な言葉に美波はドキッとしてしまい、心が狼狽うろたえているのが自分でも分かる。でも、そんなことを目の前の彼にさとられるのは面白くない感じがして、意地で微笑んでみせた。

 その後、二人の昼食デートは何事もなく進み、二人の前にはコーヒーが置かれている。

「そういえば、このお店はよく来るの?」

「以前は家族で年に数回は来ていたんだけど、弟がイギリスに行っちゃってからは、あまり来る機会がなかったんだよね」

「そうなんだ、家族との思い出の味なのか」

「そうだよ、思い出の味なのだよ。あっ、でも! だからといって、君を特別扱いしている訳ではないからね。たまたま私が久しぶりにここの味を堪能したかっただけなんだから、そこは勘違いしないようにっ!」

「もちろん、そんなことは……ごめん。正直に言うと、家族の思い出があるところという事で、何らかの意味があるんじゃないかと、一瞬、そんな都合のいい期待しちゃいました」

「あら、それは残念でした! 私、佐藤君とは友達以上の関係になれる気がしないもの」

 翔太のバカ正直な言動に、あっけらかんと可笑しそうに笑みを返す美波。

「そのことはちゃんと理解しているつもり。だけどなぁ、今の僕の精神状態はどんなに脈がないと分かっていても、そんな風に都合のいい想像をしてしまうのだから仕方ない」

 翔太は翔太で何事もないような顔をして、自己分析した自身の内面を言葉にする。

「はいはい。それで、その恋する乙女の佐藤翔太君は、この私にこれからのお買い物で何を求めていらっしゃるんですか? 言っておくけど私、男の子のファッションとか分からないからね」

「そこは大丈夫、今日は僕の洋服を買いに行くわけではないから」

「じゃあ、佐藤君は何を買いにいくの?」

「母親の誕生日が近いから、そのプレゼント選び。それで、早川さんにはそのプレゼント選びの助言をしてくれたら助かります」

 翔太の思わぬ頼み事に驚きはしたものの、母親に対して誕生日プレゼントを贈りたいという彼の気持ちに、美波はどことなくイギリスの母親のことを連想してしまい、ほんわかと心が温まる思いがした。

「ふーん、そう、お母さんのプレゼント選びね。うん、それなら私にも力になってあげられるかもしれない」

「本当にいいの?」

「うん、別に構わないけど。なによ、私が君のお母さんへのプレゼント選びに付き合わないような非情なヤツだと思ってるわけ、君は?」

 翔太が意外そうな顔を向けてきたので、美波は冗談めかすような口調で返した。

「そうではないけど。ただ、デートで母親のプレゼント選びに付き合わせるのも、どうかと思ったりもして……でも、女性物のプレゼント選びなんて経験がないから、女性の意見も聞きたくて、こうして恥を忍んで切り出してみたんだ」

「なるほど、今日まで何処どこに買い物に行くのか言えなかったのは、そういう事だったんだ」

「まあ、そんなところです」

 恥ずかしそうに顔をそむける翔太を見るに、彼は彼なりに自分に対して見栄を張ろうとしていたのかもしれないと思う、美波なのでした。

「久しぶりに味わったオムライスの味はどうだった?」

 ふたりが食後のコーヒーを飲み終えた頃、翔太がそう美波に訊いた。

「もちろん美味しかったよ! 今回は足を伸ばした甲斐があったかな」

「それは成りよりで」

「だけど、いつも家族と来ていたところにさ、こうして佐藤君と一緒にいるのは、なんだか変な感じ」

「変な感じね」

「別に悪い意味ではないから、誤解しないでね」

「別に誤解はしていないよ。いつも家族と来ていた場所なら、いま僕といる事に違和感を覚えたり、不思議に思ったりすることは当然だと思うし」

「そう。それじゃ、そろそろお会計すまして、佐藤君のお母様へのプレゼント選びに向かいましょうか」

 美波の言葉に翔太も頷(うなず)くと、ふたりは上着などを持って席を立った。

「本当に美味しかった!」

「そう言ってくれるなら、ここを選んで良かった――きゃっ!」

 高校生のデートには少し高めな会計を済ませて表に出た途端、二人に寒風が吹きつけてきた。一瞬息が詰まりそうな程の突風を受けて、しかめ面で身を縮こませる翔太に、暴れる髪の毛を必死に両手で押さえる美波。そして、突風が吹き抜けていった瞬間、見つめ合った二人はお互いの顔を見て、思わず笑みを浮かべてしまった。

「笑わないでよ、佐藤君!」

「そっちこそ」

「本当に今日は風が強いんだから、イヤッ! 佐藤君と服装が被ったのも、イヤッ!」

 美波は陽気な声でそう叫ぶと、スッキリした顔で翔太を見る。

「今のは、どさくさにまぎれてヒドくない?」

「だって今日のデート、佐藤君と服装が被るなんて気まずいったらないんだから、仕方ないでしょ」

 そう髪を押さえながら愉快そうな眼差しを向けてくる美波に、やっぱり目の前の彼女のことが無性に可愛いと思ってしまう翔太。一方、口をポカーンと開けて間抜け面を浮かべる翔太に、やっぱり目の前の彼はどこか変で面白い奴だと思う美波なのでした。

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