第23話 早川美波の少し忙しい一日
十二月二十四日といえばクリスマスイブであるが、この日は全国の洋菓子店が一年でも最も忙しくなり、子供がサンタクロースからプレゼントをもらえたり、恋人達がお互いの親密さを確かめ合ったりするような、年末年始に掛けて続くお祭りのスタートを切る存在と言って過言ではないだろう。
そんな風に世間が浮かれる日、早川美波が所属する女子陸上部もまた、この一大イベントに乗っかり、ちょっとしたパーティーを開こうとしている。そのパーティー会場となる喫茶店には、そのパーティーの準備要員として美波と、
「それにしても佐藤君の叔母さん、急な話だったのに、よくココを貸し切らせてくれたよね」
「うん、この事を話したら、午前中は地元の子供会が使うから、そのあとでよければ使わせてくれるという事になったんだよね」
女子陸上部の恒例行事として、卒業していく三年生部員を含めて小さなクリスマスパーティーを毎年行っていたのだけど、ところが今年は毎年使っていたお店が潰れてしまっていたのだ。その事は十一月には把握されていたのだけど、顧問と二年生が中心となり色んなお店に問い合わせてみたものの期末テスト期間中にも決まらず、そこで美波がダメで元々で、叔母が喫茶店を営んでいる友人の佐藤翔太に、その喫茶店を借りられるかどうかの打診をお願いしてみたのだった。
「急なお願いだから、二人程度が準備のお手伝いをするのが条件だったんだけど――よかったの? 香菜もお手伝い要員で」
「本当はやりたくなかったよ――最初は、美波となら準備係をやってもいいと言う人たちはいたの――あんたは部活では人望があるからね。でも、あいつら、なんと今日になって他の急用が入ったとかで、ここの準備に来れなくなっちゃったの。で、一年であんたと親しいという理由で、このお役目が私に回ってきたわけ……あーあ、ついてない」
黒いエプロンを身に着けた美波と香菜は、雑巾でテーブルを拭きながら話している。
「それでも何だか楽しそうに見えるけど?」
「そりゃ、クリスマスだしね。今日は部活のちょっとした食事会だとしても、楽しまないともったいないでしょ」
「知ってる、香菜がそういう奴だってことは。そのせいで私がどれだけ振り回されたことか……香菜、ちゃんと解ってるんでしょうね?」
「さぁ、何のことでしょうか?」
香菜はわざとらしく
「一番は中学の生徒会会長選。最初は香菜が出たいっていうから私は手伝うつもりでいたのにさ、いつの間にか香菜たちの口車に乗せられて私が出ることになって、まさか私が選ばれるとは思いもしなかった」
「最初は生徒会選挙がどんなものか体験したかっただけだったんだけどねぇ。なんか欲がでちゃってさ、どうせやるなら勝ちたいと思ったから、だから私の代わりに美波に舞台にあがってもらったの。どう考えても私が出ても選ばれることはないからねぇ」
「なにが『舞台にあがってもらったの』っよ。あれは私のコンプレックスを利用して、私が出たくなるように仕向けたくせに」
「それをやったのは私ではないもん」
「それはそうかもしれないけどさ、ことの
美波はそう嫌味に受け取れるような事を言いつつも、顔は微笑んでいた。
「なかなか派手なピエロだったよねぇ、良くも悪くも」
「私は派手なだけのピエロで、急なアクシデントにはアドリブが利かなかった」
「いや、制服の件は上手くやったと思うけどね」
「制服の件にしたって、先生達の道筋どおりに立ち振る舞っただけじゃない、生徒会はさ。それでも周りはさ、私のことを結構持ち上げてくれたから、私もその気になって頑張ったつもりだったけど、結局は実態が伴わない虚像に過ぎなかったなぁ」
「生徒会長になる前の美波は、自分の意見をはっきり言うキャラで人気を集めていたからねぇ、反対派役の先生たちと戦わせるにはピッタリだったと思うけど」
「あの時は生徒会長の私しか出来ない事だと思っていたから、ノリノリでディベートを頑張っていたからね。ただ振り返ってみると、周りの私に対する評価や期待に比べて、その私の実態が伴ってはいなかったんだろうなって、今はそう思う」
テーブルを拭きながら淡々と話す美波。
「女子の制服でズボンを選択できるようにする事を反対していた植田先生が、あんたのディベートの台本作りに関わっていたからね。そういう舞台裏を見ていた私ら生徒会メンバーにとっては、結構楽しめた茶番劇だったよ」
「そうだね、みんなを騙している気がして楽しかった。それでいて私に与えられた役はズボン派の味方という立場だったから、気持ちはもう正義の味方気取りだったなぁ」
美波がそこまで話したところで、美波と香菜は揃って顔を見合わせる。その二人の表情は双方に苦笑いといった感じで、このままこの会話を進めていいものかと
「この話は、もうヤメ。クリスマスイブに面倒くさい気持ちになりそうなことを、話す必要もないでしょ」
そんな香菜の提案に美波は素直に
食事会の準備を終えると、美波から連絡を受けた女子陸上部の面々が店内に揃う。そして、全員が席に着くと顧問と主将が短く挨拶を済ませると、女子陸上部のクリスマスパーティーは始まった。
「早川」
部員達が大皿に盛られた料理を小皿に取り分け、お喋りをしながら口に運ぶ光景を、カウンター席の端っこで眺めていた美波のもとに、主将の前田先輩がやって来た。
「早川たちに今日の準備任せちゃって悪かったね」
「いいえ、ほかの人はこの喫茶店の事は知らなかったですから、ここの事を少しでも知っている私が準備をやるのは適当だと思います」
「そう言ってもらえると助かるよ」
前田先輩は申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる。
「このクリスマス会の中止も考えていたけど、早川がこの喫茶店を紹介してくれたおかげで、今日こうやって集まれたよ。本当にありがとう」
「私も少しはお役に立てたのなら、よかったと思います」
美波と前田先輩はお互いにホッとしているのを感じた。
「そうだ、改めて彼にもちゃんとお礼言わないとね。えーと、佐藤、翔太君。今日も手伝ってくれたみたいだし」
「佐藤君なら一旦帰っちゃいましたけど、片付けにまた戻ってくるみたいですよ」
「そっか。なら、その時にお礼を言えばいいっか――それでさ、早川と佐藤君はどういう関係なわけ? ここのオーナーさんに橋渡ししてくれたのも彼なんでしょ」
「友達ですよ、佐藤君は」
前田先輩に興味津々な眼差しを向けられると、美波はニコッと微笑んで見せた。
「私、ちゃんと佐藤君にお願いして、彼の叔母さんにこの話をしてもらったんですから。決して佐藤君の気持ちを利用したわけではないです」
「ふーん、そっか。まっ、私としては今回のことが上手くいったから、そこら辺はどうでもいいけどね。ただ私は、早川の色恋事情は興味があるだけぇ」
「前田先輩、それは余計なお世話です」
「おー、そうやってハッキリ物を言う早川の姿勢、私は嫌いではないよ。でもね、気になっちゃうんだから仕方ないじゃん。私のようなミーハーな人間はさ、早川みたいな目立つ人間の一挙一動に、どうしても目が行っちゃうんだからさぁ。で、早川はその佐藤君を
「それを本人の目の前で言いますっ? 先輩、本当にデリカシーがないですよね!」
美波はどこか楽しげな口調で言う。
「で、本当のところはどうなの?」
「ご期待に応えられないのは残念ですが、本当にただの友達ですよ、佐藤君は」
「そっか、それはつまらない。こんだけ美人なのに、噂になるのがあの佐藤君だけっていうのも、なんか華がないよねぇ。そうか、私たちが知らないところで付き合っている人がいるんでしょ?」
「さぁ、どうでしょ。けど、こんな美人ナ私に恋人がいない方が不思議ですもんね」
胸を張ってみせる美波に、なんとも可笑しそうに笑う前田先輩。
「珍しいじゃん、早川がそういうこと言うなんて。いつもはやんわり否定しているのに、なんか心境の変化でもあった?」
「別にないですよ。たまにはいいじゃありませんか、こういう冗談も。なにせ、今日はクリスマスなんですから」
どちらかと言えば、こんな戯れ言を平気な顔をして言っていたのが、一年前の美波だった。だから今の冗談は、本来の彼女が持つ茶目っ気が表われたのかもしれない。
「そうね、クリスマスだしね。まっ、早川も楽しんでくれているようで良かったよ」
前田先輩はニコッと安心したような笑顔を浮かべると、前主将が中心となった引退した三年生たちの輪に飛び込んでいった。
そして、女子陸上部の食事会が無事に終わり、その後片付けも済ませ通常営業に戻った喫茶店。冬の低い夕日が差し込む窓際の席で、役目を果たした美波はテーブルに突っ伏していた。
「早川さん、お疲れ様。ご注文のココアとクッキーです」
美波の前にココアとクッキーを並べた佐藤翔太は、彼女と向き合う形で席に着いた。
「佐藤君もおつかれ。ごめんね、陸上部に関係ないのに手伝わせちゃって」
「叔母さんのお願いという名の命令だから、早川さんが気にすることはないよ」
「それはそれは、本当にご苦労さまでした。でも、陽子さんには私たちの急なお願いを聞いてもらった上に、予算内でお腹いっぱいの料理を用意してもらっちゃって、もう感謝の言葉しかないよ」
「叔母さんの場合、料理が仕事であり、趣味みたいなものだから」
「趣味と実益が伴ったお仕事かぁ、私も将来そういうお仕事に巡り合いたいなぁ」
美波はゆっくりと身体を起こすと、カフェオレを飲む翔太の姿があった。
「何か飲んでいるかと思えば、カフェオレか。私、ここのカフェオレも好き」
「それはお客様、いつもご利用いただき有り難うございます。今後も
翔太がわざとらしく演技がかったオーバーな仕草を見せたものだから、疲れていた美波には
「ウザい」
「その鬱陶しそうな目、本当に疲れているみたいだね」
「これでも私、ここに来てから緊張しっぱなしだったんだよ。お店にも、部活の部員にも何か
「真面目だねぇ、さすが元生徒会長」
「元生徒会長は関係ないでしょ――って、なんで佐藤君が、私が生徒会長やってた箏を知ってるのよ?」
翔太の口から予想外の言葉が出てきたものだから、美波は素直に驚いてしまった。
「聞いたから」
「誰に?」
「早川さんたちと同じ学校に通っていた友達」
「へー、そう。私たちが行っていた中学に友達がいるなんて、佐藤君は意外と顔が広いんだ」
「別に顔は広くないと思うけど。あいつとは小学生まで、たまたま同じテニススクールに通っていたぐらいだし」
「それでも、そのお友達とは今でも仲が良いんだ。私が中学で生徒会長をやっていた事を話せちゃうくらいには」
「うん、まあね。僕が地元のテニススクールに移ってからも、時々、お互いの近況を話す程度には関係が続いてるから。何だかんだで気が合ったんだろうねぇ、あいつとは」
美波にとっては、中学で生徒会長を務めた事は良い経験であったと思っている反面、ほろ苦い経験もあったりして、あんまり他人から触れてほしくない部分であった。
そんな美波の事情なんて翔太が知る由もなく、そんな彼は思ったままを口にする。
「それにしても、あいつから最初に聞いた君のイメージと、僕が見てきた早川美波という存在が、まるで別人のことを話しているみたいで驚いたなぁ。今のおっちょこちょいさからは、中学の頃のカリスマ生徒会長っぷりがまるで想像できなくて」
「生徒会長をやっていた時は、思いっきり背伸びをして頑張っていたんだよ。まっ、佐藤君には私の変なところばっかり見られているし、信じられないだろうけど」
美波はどこか気の抜けた声で言うと、クッキーを摘(つ)まんで口に運ぶ。
「たしかに信じられない。告白した相手を腹いせに文化祭の準備委員にさせるという、意味の解らない行動をする人と同一人物とは思えないよねぇ」
「あれは君がちゃんと断ってくれればよかったのよ。そうすれば、私が人前であんな派手なドレスを着ないで済んだのに」
「あの場合、断っても断らなくても、どっちにしても僕には罰ゲームだったよ。でもまあ、あのドレス姿を見られた分には準備委員をやった甲斐はあったけどね」
「そんな嬉しそうに言わないでくれる、ムカつくから」
美波がつまらなそうに睨み付けてくると、翔太はちょっとやり過ぎたかと思い、困ったような笑みを浮かべる。そして、脇に置いておいた可愛らしくラッピングされた小包をテーブルに出す。
「という訳で、クリスマスプレゼントです」
「どういう訳よ」
「クリスマスは好きな人にプレゼント送る日だから――ああ、中身は焼き菓子も入ってるから、食べるなら早めにね」
「佐藤君がくれた物はすぐに捨てる気はないけどさぁ、何でお菓子?」
「ん、友達関係でクリスマスに形が残る物を送られるのは、なんだか嫌かなぁって」
「そう、気を使ってくれたんだ……じゃあ、有り難く
美波が翔太から小包を受け取ると、その場で包み紙をほどき、白い箱の蓋を開ける。
「ん? 焼き菓子って、どら焼きと
「マカロンみたいなオシャレなのがよかった?」
美波は翔太の自信無さげな表情に気付き、口元をほころばせる。
「別に悪いとは言っていないよ。ただ、クリスマスにどら焼きを貰うとは思ってなかったから、少し意表を突かれたかな。でも、その君の感性が面白いなぁって、思った」
「面白いと思ってくれたのなら良かった。内心、『こんなつまらない物いらない』とか言われて、突き返されたらどうしようって、思っていたから」
「ちょっと、君の私のイメージ悪くない? いくら私だって、よっぽどの事がない限り人様から貰った物を、その場で突き返すような真似しないよ」
「貰ってもらえるか不安で想像が膨らんじゃっただけだから、実際の早川さんとは関係ないよ」
「ふーん、恋する乙女は大変だねぇ。でも、ありがとうね、翔太くん」
翔太を真っ直ぐ見つめてそう言うと、美波は小悪魔チックな微笑みを浮かべた。
「…………」
好きな人にいきなり下の名前を呼ばれ、可愛らしい微笑みを向けられてしまえば、心中は戸惑い、驚き、照れくさい気持ちが一気に湧き出して、頭から煙が出そうなほど身体が熱くなるのを感じ、翔太は耳を真っ赤にさせて間抜けな表情を浮かべるしかなかった。
「本当に大変だね、恋する乙女は。ねっ、佐藤君」
「……まったくです」
「でも、こういうクリスマスプレゼントも悪くないでしょ?」
「そりゃもう、早川さんからそんな風にされたら、すごく嬉しいに決まってるよ。でも、この嬉しい気持ちの分だけ、あとから切ない気持ちもやってくるんだよなぁ」
そう言って、翔太は力なくテーブルに突っ伏してしまう。
誰かに恋をするという事は自分の心の中が意中の人のことでいっぱいになり、
「ホント、佐藤君は難儀なことをやっているもんだね」
「本当にねぇ……」
クリスマスイブ、お互いがお互いに微妙な友達関係をやっている事を改めて思う、美波と翔太なのでした。
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