第22話 彼女の思い、彼の想い
朝晩が冷え込むようになってきた十二月上旬のある晴れた日曜日。その日もまた佐藤翔太は叔母が経営する喫茶店で接客していた。昼前からのお仕事はいつもどおりで、お客の席の案内から会計や食器の片付けまでを受け持ち、休日の昼下がりの喫茶店はそんな感じで翔太ともう一人のアルバイトがフロアで動き回っていた。
昼食目的のお客の出入りがひと段落した頃、アルバイトの人がシフトを終えるとフロアには翔太だけとなった。忙しくはないけどポツポツと来るお客に対応している時間帯、そんな彼のもとに、厚手のフレアスカートにダウンジャケット姿の早川美波が現われたのは、おやつの時間の少し前であった。
「いらっしゃいませ、お客様は何名様ですか?」
翔太の若干引きつった笑顔と共に若干甲高くなる声に、美波は可笑しそうに笑う。
「見てのとおり、一名です。佐藤君、相変わらず私に対しての営業スマイルが少し怖い」
「それは失礼しました。それでお客様、お席はカウンター席と窓際の席がございますが、どちらがよろしいですか?」
「今日も窓際でお願いします」
美波は満面の笑みを浮かべて言うと、翔太は溜め息を吐いて窓際の席に案内する。
「こちらになります」
案内された美波が席に着く際にダウンジャケットを脱ぐと、その下からはクマのキャラクターがデザインされたトレーナーが出てきた。翔太はそのトレーナーを見て、美波も意外と子供っぽい洋服を着ることがあるんだなぁ、と思いながらも顔には営業スマイルを貼り付けていた。
最近の翔太と美波の関係はといえば、学校生活においては顔を合わせれば挨拶を交わすくらいで目立った交流はほぼないが、翔太が喫茶店を手伝う時には美波が顔を見せに来るようになっていた。しかし、そんな美波の積極性を翔太は歓迎しつつも、真面目にやっている顔を美波に見られる事にはなんとなく気恥ずかしさを覚えてしまうのでした。
翔太はテーブルに水の入ったコップとおしぼりを並べると、メニュー表に目を落としている美波の耳元まで顔を近づけ、他の客に聞こえないように小声を発する。
「あのね、早川さん。こうやって知り合いに仕事を見られているのは、すっごくやりにくいんですけど」
「そう。でさ、佐藤君、注文いいかな?」
美波に聞く耳を持たないといった感じに注文という言葉を出されてしまい、翔太はしぶしぶエプロンのポケットから端末を取り出す。
「はい、どうぞ」
「ココアと――ねえ、このクッキーの盛り合わせのクッキーって、ここで作っているの?」
「いや、それは駅前の商店街にある洋菓子店から納入してもらってるんだよ。地元の商店組合として、お店同士の連携を深めていこうっていう方針らしいから、その関係でね。でもまあ、その洋菓子店で手作りしているものだから、スーパーのお菓子売り場のクッキーより、味や風味がしっかりしてると思うよ」
「へー、そうなんだ。それじゃ、そのクッキーの盛り合わせとココアをよろしく」
翔太は注文内容を繰り返し、美波に確認をして席から離れようとすると、美波にいきなりエプロンの
「ねえ、佐藤君。ここのお手伝いはいつ終わるの?」
「あと一時間くらいで終わるけど、なに?」
「君と少し世間話でもしようかと思ってね」
「僕と世間話をしようだなんて、よっぽど暇なんだねぇ」
「そうだよ、暇なのだよ。だから、友達として私の暇つぶし相手になってよ」
「わかりました。では、僕の仕事が終わるまで待っていてくださいな」
「うん、小説を読みながら待ってる――んじゃ、お仕事頑張ってね~」
美波はポシェットの中から文庫本を取り出すと、翔太に対して満面の笑みで小さく手を振る。そんな彼女の見え透いた愛想笑いであっても、今もなお翔太の心は目の前の彼女に対して、可愛いという想いを強くしてしまうのであった。
その後の翔太はその気持ちを引きずりながらも、客席フロアをいつものように動き回り、何事もなく仕事を終える。その間、美波は文庫本に目を落としつつ、時折クッキーをつまみながらココアを飲んでいた。
「おつかれ~、佐藤君」
エプロンを脱いだ翔太が美波の前に現れた時には、すでに日が落ちようとしていた。そんな徐々に街灯の明かりが
「どうも。待たせてしまい、すいませんね」
「本を読んでいたから、あんまり時間は感じなかったけどね」
「でさ、そのクッキーは美味しかった?」
「うん、とても美味しかったよ。味もだけど、食感がサクサクしてて良かった」
「それはよかった。そのクッキーを作っているソノ洋菓子店とは、以前からケーキの取引があったんだけど、そのクッキーは最近取引を始めたから、うちの叔母さんがお客さんの評判を気にしているんだよね」
「本当に美味しかったよ。このクッキー、家でも食べたいと思ったくらいだもん」
美波は文庫本を畳んでテーブルの上に置き、残っていた最後のクッキーを口に運んで食べ終えると、彼女は頬を緩ませた。
「その小さいクッキーの包みもそこの洋菓子店で売っているから、気に入ってくれたのなら買いに行ってあげてくださいな。それにケーキの商品が充実しているから、色とりどりなケーキが並ぶ商品ケースを眺めるのも悪くないよ」
「見事な営業トーク。でもまあ、こんど香菜と期末テストの勉強会するから、その時に買ってみようかな。ココのクッキーやケーキは美味しいからね」
「よろしくお願いしますね」
「でもさ、その洋菓子店を勧めていいの? お客さん、ここで注文しなくなっちゃうかもよ」
「美味しいココアやコーヒーと一緒に食べられるのはココだけだよ」
翔太は冗談めかしたように言う。
「へー、私、これからもココに来てもいいんだ」
「僕が手伝いに入っている時にでなければ、いつでも来てくださいな――でもさ、どうして早川さんは僕が働いている時にピンポイントで来れるわけ?」
「それは簡単だよ。ココに来る前に君の叔母さんに連絡取っているからね」
美波は横目でカウンター内の黒いエプロンをした中年女性に視線を送ると、その中年女性が美波に小さく手を挙げ、翔太に対して席に座るなら何か注文しろと言った。すると翔太は力なく肩を落としてモンブランを注文するのであった。
「……早川さんはいつから叔母さんと連絡取り合っているのさ」
「先月からだけど、それは佐藤君が悪いんだよ。あれから君は、この私に対して全くといっていいほど接点を持とうとしないんだからさぁ」
「接点とは言うけどさぁ、どうも振られた相手と友達関係を築くのはなんとなく複雑というか、勝手がよく分からないんだよね」
「私だって分からないよ、振った相手との友達のなり方なんて。だから、こうやって手探りで君にアプローチしているの」
「手探りでねぇ……ひとつ質問していい。早川さんは僕のどこを気に入っているの?」
「それを言っちゃったらさぁ、君、私に合わせちゃうでしょ? それだと面白くないもの、だから言わないよぉ、っだ。それを知りたかったら、私ともっと仲良くなることだねっ」
美波がイタズラっ子のように白い歯を見せてニッと笑いかけると、翔太は耳を真っ赤にして溜め息を吐く。
「僕には早川美波という人間が解らないよ。僕はさ、早川さんは僕のことを気に障る存在だと思っていたから、好きだと告白してもあんまり禍根を残さないと思ったのにさ、こんな事になるんだったら告白するんじゃなかった」
「佐藤君、今になってそんな煮え切らない態度は男らしくないぞ」
「仕方ないじゃん、振られたかといっても君に対する恋愛感情はすぐには消えないし、今でも早川さんを好きな気持ちは変わらないのだから。でもなぁ、好きな相手に自分が好きなことを知られてしまいながら友達関係をやろうとするのは、それなりに照れるというか、やっぱりすごく恥ずかしいものがあるんだよ」
「それでも私の前にこうやって座っているのだから、君は私と友達として仲良くしてもいいと思っているんだよね?」
「早川さんと交友関係を築いておきたい気持ちは確かにあるけど、友達として仲良くしていきたい部分もあれば、君に思っていたよりかは嫌われていないと知って、ワンチャンあるかもしれないという願望もあるんだよね、僕の心の中には」
「それは、なんとも
翔太の自分の気持ちを包み隠さない言動に、美波は呆れた表情を浮かべつつも、こういうところが面白くて私は目の前の彼とお喋りしたいんだろうなぁ、と思うのであった。
翔太と美波が取り留めもない話を繰り広げていると、翔太が先ほど注文させられたモンブランがアルバイトによってテーブルに運ばれてきた。翔太はお礼を言いながらモンブランを受け取ると、嬉しそうにフォークを握る。
「ねえ、もしかして佐藤君って甘い物好き?」
「ん、普通にデザートやお菓子類は好きだけど、どうして?」
「ほら、夏休みに映画観に行った時、帰りの喫茶店でパフェ頼んでいたから、そうなのかなぁって思ったんだ。だって、あの時まで私がデートした男の子達の中には、パフェを注文する人もいなかったし、あんな風に空気も読まずに美味しそうに食べる人もいなかったからね、よーく憶えているの」
「まあ、あの時はね。今なら、あんな早川さんに嫌われるような真似はできないだろうね」
そう言いながらモンブランを口に運ぶ翔太、口の中は栗の風味とカスタードクリームの甘さが合わさって、まったりとした美味しさが広がった。そんな翔太の様子を見ていた美波は、目の前の彼が本当に甘い物好きなんだろうなぁと思った。
「それは君が私のことを好きになったから?」
「うん、そうだね。好意を懐く相手であんな風に試すような事はできないからね」
「あの時も佐藤君は同じような事を言っていたもんね。じゃあ、君はいつ私のことを好きになってくれたのかなぁ?」
「うーん……よく分からないんだよね、僕がいつ早川さんのことを好きになったのかは。気がついたら、いつの間にか意識するようになっていた感じかな」
「ふ-ん、そうなんだ。それじゃ君は、この面倒くさいヤツのどこを良いと思ってくれたの?」
目の前にいる彼がなぜ自分を好きになってくれたのか、美波には本当に疑問だった。それは、あの夏休みデート時、本当に翔太は自分に対して興味がないのだと感じていたからだ。だから美波は安心しきっていた――翔太との関係性は友達以上には変化しないものだと。
「知りたい? 振った相手に自分のどこを好かれていたかなんて」
「興味はあるね。君が私のどこを見て、私のことを好きになったのかは」
「早川さんのどこを好きになったかねぇ……強いて言えば、その面倒くささに
「なによ、それ。それのどこに惹かれるポイントがあるって言うの?」
翔太の返答はからかっているようには感じられず、美波は困ったように笑みを浮かべる。
「そうだね、僕らがこうやって喋るようになる前の、僕がイメージしていたアイドル的な早川さんなら憧れだけで終わっていたと思うし、アイドル的な幻想を君に懐いていたからこそ、試すようなマネもできたんだと思う。だから、そんな憧れがあった分、僕らがこうやって喋るようになって、時々見せる早川さんのおっちょこちょいなところを見ていくうちに、僕は早川さんに対して幻滅していったんだ。それでも、遠いアイドル的な存在かと思っていた早川さんも普通の女子と変わらないんだなぁ、って思うようになってからは、なんだか不思議と早川さんのことが可愛く思えてきたんだよね」
「変なの。普通、幻滅した女子のことを好きにはならないでしょ」
「ただ単に、早川さんが僕にとって手に届きそうな存在に思えただけかもしれないけど」
「ひっどーいっ! そんな理由で私に告白したんだとしたら、本当に怒るよ」
怪訝そうに翔太を見る美波に対して、翔太は急いで取り
「なーに、早川さんとこうやって話すようになったからといって、早川さんは僕にとって手に届かない存在であることは変わらなかったよ。だからこそ僕は、あの教室で安心して告白する事ができたんだから」
「私に100%振られる確信があったから、安心して告白したねぇ……そんなの私、まるで
美波は頬杖をついて、溜め息を吐いた。
「さすがに案山子を好きにはならないでしょ。恋心は相手があってこそだし、自分を相手の受け入れてもらわないと恋人同士にはなれないからね。それでも、あの時に僕が告白できたのは、早川さんと付き合える可能性は皆無だったからであって、これが少しでも付き合える可能性があるなんて思ったら、ちゃんと答えを出すのが怖くて告白なんてできなかったと思う」
「それは佐藤君が私の気持ちを理解しようとした結果だと今なら分かるけど、私は、そんな風に私の気持ちを決めつけてほしくはなかった」
「んじゃ、早川さんは僕と少しでも恋人同士になりたいと思う?」
翔太ができるだけ柔らかい口調で訊くと、美波は視線を逸らした。
「それは……思わないです」
「でしょ」
困り顔の美波を見て、翔太は頬を緩める。そんな翔太を見て見ぬふりをして美波は、両腕を真上に伸ばして背伸びをすると、両手をゆっくりとテーブルに置いた。そして、つまらなそうな表情を翔太に向ける。
「あーあ、私たちの関係が終わると思っていた君と、私たちの関係がなんとなく続くと思っていた私。本当に私たち、相手が自分のことをどう思っているのかという認識、見事に見誤っていたのね」
「そうだね。でも、だからこそ僕は、早川さんとこうやってお喋りをするのが楽しいのかも。まあ、告白は振られちゃったけど、それでも早川さんと関係を持つことで、僕らが知り合う前では考えられないほどに、早川さんの色んな面を見ることができたのは、僕にとっては結構面白かったしね」
「そんなの私、全然面白くない。なんだか佐藤君には格好悪いところばっかり見られている気がするもん」
「そこはお互い様じゃない?」
モンブランを食べ終わり満足そうな翔太を見て、美波はなんとも微妙な笑みを浮かべる。
「そうかもね」
確かにお互いの格好の悪いところを見てきたし、お互いに格好の悪い姿を晒してきたのかもしれないと思い、顔を見合わせて苦笑いを浮かべる美波と翔太なのでした。
さて、こんな特段変わった事のなかった日曜日、翔太と美波はこのあとも期末テストなんかの会話を続け、夕食時になり喫茶店にお客が入り始めると二人は世間話をお終いにすることにした。そんな二人の別れ際、翔太が駅まで送ろうかと提案するが、それを美波にきっぱりと断られるのがここ数回のオチとなっている。
「毎度のことながら、私に断られるのを分かっているのに、どうして君は素直に見送ってくれないのかなぁ? ほかの友達も駅まで見送るのかな、君は」
「社交辞令だからかな――でもまあ、下心があるのは否定しない」
「そこは否定したほうがいいでしょ」
呆れがちに笑う美波。
「それじゃ、またね」
「うん、また。事故とかには気をつけて」
店舗の明かりや街灯で照らされる商店街、手の甲を見せて手を振りながら、雑踏の流れに消えていく美波。そんな彼女の後ろ姿を見送る翔太の心中はといえば、祭りの後の静けさといった感じで、なんと言えぬ寂しさを覚えてしまうのでした。
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