第21話 前の私のほうが良かった?

 街に並ぶ街路樹の紅葉が一日一日と深まり、パラパラと道路に落ちゆく十一月中旬のとある日曜日。朝から晴れたその日は、お昼過ぎにはポカポカ陽気になっていた。そんなお出かけ日和の昼下がり、早川美波は白いワンピースに薄茶なカーディガンを羽織り、大きめなコンビニ袋を手にさげて住宅街を歩いて行く。

 私服姿の美波がどこへ向かっているかといえば、友人である綾瀬香菜の自宅。香菜は先週の中頃から風邪をひいて学校を休んでおり、彼女はその香菜のお見舞いに来たのだ。

 美波は住宅街のとある一軒家の前で足を止めると、おもむろにポケットからスマホを取り出し、その一軒家の二階でひまにしているであろう友人に電話を掛ける。すると道路に面する二階の部屋のカーテンが開き、パジャマ姿の香菜がスマホを耳に当てながら現われた。

《おう、美波。いま鍵あけるから、ちょっと待ってね》

「うん」

 通話が切れると、家の中から階段を駆け下りる音が漏れ出し、しばらくしないうちに玄関ドアに人影が現われ、玄関の錠を解錠されるカチャッと音が響く。間もなくドアが開かれるとサンダルを履いた香菜が顔を見せた。

「美波、どうぞ中に入って」

 美波はアルミ製の門扉を通って、幅の広い数段の階段を上がり、開いているドアを閉めながら玄関に入っていく。

「おじゃまします」

「いらっしゃい。悪いね、買い物頼んじゃって」

「ううん、顔を見に来たついでだったし、別に構わないよ。それに、一緒に食べようと思ってプリンとかも買ってきちゃった」

 コンビニ袋を香菜に渡すと、美波は靴を脱いで土間から廊下に上がる。

「やけに大きな袋をぶら下げていると思ったら、そういう事」

「一応お見舞いに来たんだから、手ぶらじゃ寂しいでしょ」

「それはどうも。それじゃ私の部屋にいこうか」

 香菜の後に続いて美波も階段を上がっていき、玄関の真上にある香菜の部屋に入る。

「適当に座って」

 部屋の中央に設置されたテーブルにコンビニ袋を置くと、香菜は勉強机の引き出しを開ける。一方、美波は木目調のタンスの横に重ねられている座布団を一枚持ち、それをテーブルのそばに置いて、その上に脚を折りたたんで座る。

「ねえ、相沢から聞いたんだけど、コーチから長距離に転向を進められたという話は本当なの?」

「ううん、転向ではなくて、短距離と長距離の両立をしてみないかという話だよ。ほら私、十月に佐藤君と朝練やっていたでしょ。その様子を顧問が見てたらしくてさ、簡単に言えば駅伝要員として長距離を勧められたの」

 リラックスした感じに喋りながら美波は、コンビニ袋の中身をテーブルに並べ始める。

「そうか、駅伝要員。で、どうするつもり?」

「まだ決めてない。でもまあ、来年に向けての話だから返事は急がないでいいって」

 香菜は財布から硬貨を数枚取り出すと、そのまま美波の斜め横に座った。

「そうなんだ――はい、雑誌の代金」

「うん、確かに」

 香菜から雑誌の代金を受け取ると、コンビニ袋に入れておいたポシェットから財布を取り出し、小銭入れに滑らせる。

「それで香菜、電話では熱が下がってもう大丈夫みたいな事を言っていたけど、本当に大丈夫なの?」

「ダメだったら、美波を呼ばないでしょ。どうして?」

「昼間なのにパジャマ着ているから」

「これは寝坊したのと、今日は特に出かける用もないから着替えるのが面倒だっただけ」

 香菜が可笑しそうに微笑むと、美波は呆れ顔を向ける。

「まったく、友達を呼ぶのなら家着にくらいには着替えなさいよ。相変わらず家ではズボラなんだから」

「私とあんたの仲でそういう堅いこと言わないでよ。お小言は母親から散々言われて、お腹いっぱいなんだからさ」

「ったく、仕方ないな」

 美波は溜め息を吐きながら、自分と香菜の前にプリンを置く。

「美波のそういうところは、お姉ちゃんって感じだよね――はい、袋にスプーン入ってた」

「ん――どういう意味よ、それは」

「なんだかんだと気を配るところとかさ、さっきみたいに口うるさいところとか、良くも悪くも姉という感じがする」

「悪かったわね、口うるさくて」

 ふて腐れたような言い方をして美波はプリンを口に運ぶ。

「でもさ、美波からの小言だと素直に自分のために言ってくれていると思うんだけど、母親に同じ事を言われるのは無性にムカつくのはなんでだろう?」

「それは家族だからでしょ。人間関係で言えば家族は最も近い存在だから、自然と親が自分のことを理解していているだろうという甘えがあるのよ、私たちには」

「ふーん、甘えねぇ。まあ、親が私の気持ちを汲んでくれなくて、普通にムカつく事があるけど」

「私はママに甘えたいよ。お父さんと二人っきりだと何を話していいのか分からなくて、息が詰まりそう。まだ佐藤君と話しをしていた方が楽だもん」

「ふふ、おじさん可哀そ」

 香菜は小さく笑い、美味しそうにプリンを一口食べる。

「私、自分ではしっかりした人間だと思っているから、簡単に親に甘えられないんだよねぇ。この無駄に高いプライドがなければ、お父さんにも小学生の時みたく甘えられると思うんだけど」

「美波も小学生までは素直で良い子だったとは驚きですなぁ」

「はいはい、私が素直じゃないのは弟の件といい、佐藤君の件で思い知っております」

「でもさ、美波は自分の中で答えを見出せれば、それを行動に移せるから、私は凄いと思うけど。だって、月曜日の昼休みにうちのクラスまで来てさ、関係がぎくしゃくしていた佐藤君を連れ出しちゃったんだから」

「あれは佐藤君への嫌がらせの件があったから、何も考えずに一歩を踏み出せただけ。それに佐藤君と話しをしていたことを、別に嫌でなかった事に気づけたのは、香菜のおかげ」

「私は相談に乗っただけ。佐藤君と友達関係を続けると決めたのは美波じゃん」

 香菜に視線を向けられると、美波は困ったような顔を浮かべる。

「でもねぇ、勢いで佐藤君と友達関係を改めてスタートさせたはいいんだけど、今は佐藤君と話す機会がないんだよ……」

「そりゃ、そうでしょ。あんたたち、同じ学校の同級生でもクラスや部活も違うから、日常生活において接点がないもの。今、美波が佐藤君と友達をやりたいのなら、意図的に佐藤君と接点を作らないとね――まあ、分かっていると思うけど」

「……今度は友達として、朝練に誘ってみようかな」

 その美波の呟きに、香菜は心配そうな表情を浮かべる。

「朝練もいいけど、ほどほどにしときなさいよ。先月はオーバートレーニング気味だって自覚していたんでしょ、あんた。中学の時のように、また貧血に苦しんでも知らないんだから」

「大丈夫、今度は佐藤君と張り合う真似はしないから」

「本当かなぁ……でもまあ、美波のそういう負けず嫌いなところは好きだけどね」

 香菜に優しげな笑顔を向けられると、気恥ずかしくなり顔を背けた美波。

 美波と香菜、この二人の関係は中学の陸上部入部から始まっている。

 その中学の陸上部入部時、美波はその外見から何かと注目の的だったのに対して、香菜は学年トップクラスの運動神経を誇っていた。しかし、周りはといえば外見が良い美波をチヤホヤする一方で、同じくらいのタイムの香菜には見向きもしない。そんな理不尽さに中学一年生の綾瀬香菜は、早川美波に対して一方的にいけ好かない奴だという印象を懐いていくのであった。

 そんな香菜が美波に対して一方的な嫌悪感を懐いていた気持ちに変化が訪れたのは、二人が陸上部に入部をして一ヶ月、中学生活にも慣れた五月中旬のことであった。その日、いつものように香菜は部活が終わって帰ろうとしていると、突然美波から呼び止められた。

「綾瀬さん、これから私とちょっとお話ししない?」

「私? べつにいいけど、なんで私?」

 その時の美波はもうすっかり陸上部の一年生女子から持ち上げられる存在となっており、その取り巻きから一歩距離を取っていた香菜とは、同じ部活の部員だから面識がある程度の関係であった。だから、いきなり美波に話し掛けられて香菜は驚いた。

「綾瀬さんとは入部してからあんまり話した事がなかったから、帰り道にでもちょっとお喋りしてみたいと思ってね」

「そう」

 沈みゆく夕日を背にして帰路に就く二人は制服姿であったが、美波のスカートからはジャージズボンが延びていた。そんな帰り道、話し出したのは美波の方からで、陸上部に入部したとき懐いた期待や不安な気持ちをほぼ一方的に楽しげに話していく。そんな美波の言葉に相づちを打ちながら香菜は、横を歩く金髪で黒い瞳をした同級生の意図を読めないでいた。

「それでね綾瀬さん、私はね、走るのが好き。あの地面を蹴って、肌で風を切っていく感覚がすっごくいいの! 足を前へ、前へと運んでいる時なんか、このままずっと走っていられると思えるくらい気持ちがいい。だから陸上部に入ったの」

 美波が本当に楽しそうに話している姿は、本当に同じ十二歳の同級生なのかと香菜に思わせるほどに、大人びて見えた。しかし次の瞬間、満面の笑みを浮かべた美波はなんとも子供っぽい雰囲気が表れていた。

「だから綾瀬さん、私と友達にならない?」

「えっ?! どうしていきなりそうなるの」

「ん、私があなたと友達になりたいからだけど」

「友達ねぇ。私、あんたみたいに外見だけでチヤホヤされている人が気に入らないの。だから早川さん、あんたとは友達にはなりたくない」

 香菜の悪意を込めた率直な言葉、それに対する美波の反応は意外なものだった。

「私は綾瀬さんに興味があるよ。陸上部の一年生のなかで一番、綾瀬さんの走るフォームが綺麗だもん。だから、できたら私の練習相手になってほしいの」

「え、さっきは友達って言わなかった?」

「それは諦める。私が金色の髪に白っぽい肌をしているのは、私のご先祖さまからの血なんだから、私にはどうしようもない。それに、私の珍しい外見で周りがチヤホヤするのも、綾瀬さんがそれを気に入らないのも、私にはどうする事もできないもん」

「美人がそういう言い方をすると、もう嫌みね。それで、私に近づいた本当の理由はなに? 話しだけは聞いてあげてもいいよ」

 警戒心バリバリに向ける香菜に対して、美波は笑顔で返した。

「いや、綾瀬さんみたく走るのが上手い人と練習したほうが、私の上達するのも早いと思っただけで、ほかの意味はないけど。できたら友達になってくれたら嬉しかったんだけど、なんかダメっぽいし、友達がダメなら練習を近くで見たいと思っただけ」

「私が走るのが上手いって、私のタイム、早川さんとそう変わらないでしょ」

「百メートルや五十メートルではそうだけど、ランニングでは差ができちゃうもん。短距離でタイムが同じくらいなのに、ランニングでは差ができちゃうのはなんだか悔しいの!」

 そう言った美波の口調は、香菜にはなんだか駄々っ子のように思えた。

 ここで香菜は美波が自分のことを意識していた事を知り、同時に美波が相当な負けず嫌いである事を感づいた瞬間であった。

「なるほど、あんたは自分が上手くなるために私を利用する気だったんだ」

「利用っていうのはイメージが悪いからやめて。できれば協力と言ってほしい」

「イヤだね、誰があんたと協力してあげるものですか――だけど、部活では一緒に練習しないといけないからね、あんたが私を利用するのは勝手なんじゃないの?」

「わかった。それじゃ私、綾瀬さんのこと勝手にライバルだと思うことにする。そして、綾瀬さんと競って圧倒的な差をつけて、正々堂々と勝ってみせる!」

 あんまり面識がない美波からグイグイと距離感を詰めてこられて、この時の香菜は内心タジタジではあった。しかし、気に入らないと思っていた美波からライバル視される事は、正直悪い気はしなかった。

「ご自由にどうぞ。でもね、早川さんがその気なら、私だって簡単には負けてあげなーい」

「うん、ありがと――綾瀬さん、あなたが思ったとおりの良い人でよかったよ」

 満面の笑みを向けてくる金色でボブカットの美少女を目の当たりにすると、長い黒髪をうしろでまとめた少女は改めて美人はズルいと思うのでした。

 そんな出来事を思い出しながら現在の香菜は、友人の家で友人のベッドで気持ち良さそうに眠る、三年経って更に美人度を増した美波の顔を見る。

「あんたの嗚呼いうところは変わってないよ、美波」


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