第18話 秋晴れの日に(後編)


 文化祭の余韻に包まれ、夕日に照らされてオレンジ色に染まる校舎。その校内、赤いワンピースドレスを身につけた早川美波が、長い金色の髪を揺らしながら階段を駆け上がっていく。どうして彼女がそんな格好で階段を駆け上がっているかといえば、その理由はこれから向かう教室にいる佐藤翔太にある。

 話はさかのぼること一週間ほど前、美波が翔太からハッキリしない告白じみた事を言われた翌日のこと、文化祭実行委員である彼女は文化祭実行委員会の会議に参加をしていた。でも、その実態は――

「お願い、仮装大会に出てください。早川さんじゃないと、このドレスは似合わないの」

 生徒会や裁縫部の主に女子の先輩達から、仮装大会へ出てくれるように懇願こんがんする場だった。

 実行委員とは言っても美波の場合、クラスで誰もやる人がおらずに言葉通りの貧乏くじを引いた格好であった為に、実行委員会を主導する教師や生徒会とは違い、文化祭へのモチベーションは与えられた役割をこなせばいいと思う程度だった。それなのに体育祭が終わったあたりから、仮装大会でモデルをやってほしいとお願いをされるようになっていた。

「……私、そんなに頭を下げてもらっても困ります」

 いくら頼まれても美波は乗り気にはなれないが、このまま先輩達に頼まれ続けるのは場の空気が悪くなり、精神的に辛いものがあった。しかも、翔太の中途半端な告白のせいで気持ちがモヤモヤとしていて、なんだか何もかも考えるのが面倒くさくなってしまう。

「わかりました、出ます。出ますから、頭を上げてください」

「本当に?」

「はい、出させていただきます。ただ、一つだけ条件を出させてもらってもいいですか?」

「なに?」

 そこで美波が出した条件は、翔太を実行委員会に入れる事だった。そんな翔太を巻き込むような条件を付けたのは彼女として思惑と呼べるものはなく、ただ、気持ちをモヤモヤとさせてくれた彼に対する腹いせである。でも、彼女の願望として、翔太が実行委員入りを断ってくれたらいいのにと思っていた。

 当然、そんな事があったとは知らず、いきなり実行委員入りを要求された翔太が驚愕することになったのは言うまでもない。

「あの日、私のドレス姿を見たいとは言っていたから断る理由はなかったんだよね」

 一連の流れを思い返すと、我ながら優柔不断な性格をしていると思いつつ、目的の教室に向かう美波なのでした。

 再び話は十分程前に遡る。仮装大会の出番を無事に終えた美波は独り、裁縫部の部室で余韻に浸っていた。そんなところに彼女の親友である綾瀬香菜が顔を見せに来た。

「お見事な立ち振る舞いでしたね、お姫様。まさか、一週間足らずでハイヒールでダンスを披露しちゃうんだから、練習に付き合った甲斐があったよ、本当 」

「ありがと、練習に付き合ってくれて。不格好ながらもなんとか見せられる物になったのかなぁ、私のダンスは」

「あんだけ拍手をもらったんだし、文化祭の出し物としては成功でしょ」

 香菜はハンガーに掛かる何着もの制服や綺麗に並ぶミシン、テーブルに出されたままの裁縫道具や布切れを見回しながら、窓辺に座っている美波のところまでやって来た。

「それに、コレをやると決めてからの覚悟の決め方を見ていると、去年のスラックスでの事を思い出したよ、私は。やっぱり責任感はあるよね、美波は」

「そんなことないよ。今回も押しつけられたくなかったのに、またちゃんと断れなかっただけだもん。それでも失敗した時の周りの反応が怖いから、出来るだけの事をやっているだけ。これを責任感と言ったら、生徒会やココの人達に失礼だよ」

 美波が疲れた顔で笑うと、香菜は大きな溜め息を吐いた。

「あのね、やりたくない事でも、ちゃんと努力できるのは凄いことなの。たしかに優柔不断ではあるけど、そういう部分はあんたの良いところだと、私は思っている。だから、滅多に褒めない私が美波を褒めているんだから、素直に喜びなさい」

「うん、ありがとう。そう言ってもらうと、やっぱり気持ちが楽になる」

「それはなりより。んじゃ、お母さんに送る用の写真撮ってあげようか」

 香菜はそう言うと、おもむろにポケットからスマホを取り出し、カメラアプリを起動させた。

「美波、少し窓側に顔を向けて――そう。そこでストップ」

夕日に照らされた美波は、秋風に靡く稲穂のように髪の毛が黄金に輝き、身につけている真っ赤なドレスと合わさり情熱的な印象ではあるが、それに反して何かを憂うようなその表情はなんとも儚げであった。そんなアンバランスさは思春期の彼女を現わしたかのようで、その姿に、同性でありながらも言葉ならないほどに心を惹きつけられてしまう。

「ズルいよなぁ、美波は。そんなに美人に生まれてきちゃって、まったく不公平過ぎるわね」

「いきなり、なに?」

「はい、こんな風に撮れたから、そっちに送るね」

 美波はテーブルに置かれたスマホを取ると、送られてきた画像を確認した。すると、戸惑ったように笑みを浮かべてしまう。

「いくらなんでも美人過ぎるでしょ、コレは。こんなの私じゃないみたい」

「嬉しそうに笑っちゃって、お化粧してくれた人に感謝しなさいよ」

「あ、そうだ。悪いんだけど、ママに動画を送りたいから、私のスマホで撮って」

「お任せあれぇ」

 香菜にスマホを預けると、美波は軽く前髪を整え、スマホのカメラに向けて笑みを送る。

「ハーイ、ママ。今日は高校で文化祭があったんだけど、そこで私、こんな可愛いドレスを着させてもらったんだよ――」

 美波は普段では見せないような高いテンションで語り掛け、その場でドレスの裾がひるがえりそうな勢いでクルリと回って見せる。その後、言葉が日本語から英語に変わってもテンションはそのままに、今日あった出来事をい摘まみながら語った。

「あんたはホントに英語で喋っているときは、普段とは別人みたいになるよね」

「ほら、ママ達に心配させたくないし、元気な姿も見せたいじゃない」

「それは親想いなことで――はい、スマホ」

「ありがと」

 美波がスマホを受け取ると、ついさっき香菜に撮ってもらった動画を見返す。その様子を眺めていた香菜は自分のスマホを手に取ると、あるイタズラを思いついてしまう。

「ねえ、美波。さっきの写真、佐藤君に送ったら怒る?」

 香菜のあまりに自然な口調に、美波はとっさには何を言っているか理解できなかった。が、すぐに何を言っているか理解すると、少し動揺した感じで口を開く。

「怒るもなにも、香菜はなんで佐藤君に私の写真を送ろうとしているの?」

「いやー、今日の彼、あんたのせいで色々大変そうだったから、そのご褒美的な感じ?」

「もう、ひとの写真を勝手にご褒美にしないでよ」

 イタズラである以上はもちろん香菜には、画像を了承なく翔太に送る気はほぼ無く、美波が驚いてくれたらそれで満足だった。しかし、思った以上に美波が必死にスマホを奪いにくるものだから、つい香菜も抵抗してしまい、二人がじゃれ合っているうちに、どちらかの手がうっかり画面を触れて写真が送られてしまう。

「香菜のバカ! 佐藤君とはもの凄く気まずいのに、どういうつもりよ」

「いやー、本気で送る気はなかったんだけどねぇ……ごめん」

「あー、しかも、何でよりによってメールなのよ。これじゃ、こっちから消せないじゃない」

「ほら、SNSだと間違って拡散しちゃったらもったいないかなぁって、思って」

「もったいないって何よ、もったいないって。本当はワザとなんじゃないのっ」

 美波から問い詰められた香菜は肯定も否定も明言することはなく、ニカッと白い歯を見せて微笑むのでした。

 そして、翔太のいる教室の前までやって来ると、美波は胸に手をやり深呼吸をする。

「もう、なんで私がこんな緊張しなきゃいけないの。はぁ、佐藤君は電話に出ないし」

 香菜とじゃれ合った後、美波は急いで案内係の先輩に連絡を取り、翔太の居場所を教えてもらった。なぜ翔太の居場所を聞いたかといえば、いま微妙な関係の男の子に自分の画像を持っていられるのは、何だかいい気分ではなかったからである。そして、翔太のスマホにある画像を消してもらうべく、美波は裁縫部の部室から飛び出していったのだった。

 美波が教室の扉を開くと、そこは誰もいないかのような静かな教室。その教室を見回すと、オレンジ色の夕日に包まれた窓際の席で、机に突っ伏している翔太を見つけた。美波はそんな翔太にドレスを揺らしながら近づいて行き、ゆっくりと彼の後ろから顔をのぞき込む。すると翔太はなんともリラックスした顔で寝息を立てていて、そんな彼の寝顔を見てしまうと、急いで画像を消してもらおうとしていた、その気が削がれてしまう。

「おーい、佐藤君。おきてよー」

 目の前の彼が気持ちよさそうに眠っているからといって、美波としては画像の消去をあきらめる訳にはいかず、声を掛けてみたり、肩を揺さぶってみたりするも翔太の反応は薄かった。

「かわいい寝顔、女の子みたい。練習試合の時とはまるで違うなぁ」

 美波はまじまじと翔太の寝顔を見つめ、眠っている彼の前髪をそっと触れる。彼女としてその行為に特別な意識を持ってはおらず、ただ無意識的に取っていた行動であった。

 髪の毛を触れられた翔太は頭を少し動かすと、寝坊でもした時かのようにパッと目を開き、とっさに頭を上げた。すると、目の前には昔のアイドルばりに真っ赤なドレスを着た美波がいたものだから、寝起きなのに目を大きく見開いてしまう。

「おはよ。どう、よく眠れた?」

「……なんで?」

 頬によだれをつけた翔太は寝起きの頭で、なぜ赤いドレスを着た美波がいるのかを考えてみる。漠然ながら今日の出来事を思い返すと、美波が裁縫部に向かうとき、自分に対して言いたい事があると言っていたのを思い出す。

「なんで、って。それは、もちろん君に用があるからに決まっているでしょ」

「そう。なら、僕も早川さんに言いたい事があるんだよね」

 翔太にそう言われ、美波のなかでついさっき翔太の髪の毛を触れたことだと思った。

「私に言いたい事? なによ、先に言わせてあげるから、早く言いなさいよ」

「――僕は、早川美波さんのことが好きですっ。いや、でも、本当は僕のこの気持ちが恋なのか、いまいち判らないけれど、でも、僕のなかで君と過ごした時間は、ほかの誰かと過ごす時間よりも楽しかった。だから、そのー」

「ちょ、ちょっと待って!」

 耳を真っ赤にして告白した翔太に対して、美波は自分が告白されていることに気がつくと慌ててそれを止めた。彼の予想外の言動に感情の処理が追いつかず美波は、自分が彼から再び告白されていると認識するのに少し時間が掛かったのだった。

「ど、どうして今なのっ?!」

「どうしてって、それは、今を逃したら自分の気持ちをちゃんと君に伝えられる機会がなさそうだから……だけど」

「それでも、なにも今でもなくてもいいでしょ、君は寝起きでそんな顔なんだし。告白するなら、もう少しムードというものを考えてくれないと。ただ闇雲に告白しても、その気持ちは伝わらないよ」

 告白した相手にその場で説教をされるというのは、翔太にとって何とも惨めな結果ではあったが、それでも自分の想いの断片でも美波に伝えられた事で、これはこれでいいか、とも思ったりするのでした。

「それに私、はっきり言って、佐藤君とは恋人関係になりたいとは思わないもの。私としては、君から告白される前のような、適当に世間話とかができる関係のほうがいいの」

「……本当にはっきり言ってくれるなぁ」

「そっちじゃない、私に言いたい事があればちゃんと言えと言ったのは」

「うん、わかってる。僕としては苦しい結果だけど、ちゃんと早川さんの答えをもらえたから、変に未練を残さずに済むよ。ありがと、ちゃんと言ってくれて」

「うん、そう。なら、よかった」

 そこから少しのあいだ、二人の間に沈黙が訪れた。ポケットティッシュで机を拭いている翔太は振られた直後とは思えぬ程、普段どおりの表情を貼り付けている。一方の美波は、暴走気味だった思考回路が落ち着いてくると、目の前の彼から告白されたのだと再認識する。

「そういえば早川さん、僕に話があるんだったよね。ごめんなさい、驚かせちゃって」

 自分がなぜ翔太のところにいるかを、美波はすぐに思い出せなかった。それは、翔太からの再告白が彼女にとって、少なからず気持ちを動揺させる出来事であったからだ。

「佐藤君はさ、私の答えがほしいから、また告白したわけ?」

「たぶん、そうかな。あのままハッキリさせなかったら、もしかしたら君にいつかは好きになってもらえるかもしれない、そんな有り得ない願望が大きくなりそうだったからね。だから、恋愛感情が暴走する前に、この想いを終わりにしたかったんだ」

 何でもない風を装う翔太の言葉に対して美波は、翔太から一方的に“好き”という感情を押しつけられた気がして、そんな彼の態度が何だかズルく思うのでした。

「そうね、私と佐藤君とでは釣り合わないもんね」

「そういうこと。早川さんだって、いつまでもこんなヤツを構いたくないでしょ――」

 翔太としては至って普通なことを言ったつもりだったのに、ふと見上げた美波の表情はなんとも寂しげであった。彼女にそんな顔をさせるような言葉を放った覚えはなく、彼は彼女の反応に戸惑ってしまう。

「どうしたの?」

「……私の気持ちを勝手に決めるな、バカ」

 美波は不満そうにつぶやいた。次の瞬間、彼女はハッと我に返ると、そこには驚く翔太の顔があった。

「いま言ったことは忘れて……ごめん」

 美波は自覚するくらい動揺をすると、逃げるように翔太のもとから立ち去る。後ろから椅子の倒れる音と共に、翔太の声がするも、彼女はそれらを振り切った。

 教室を飛び出した美波自身、どうして翔太に対してあんな言葉が口をついたのか、自分でも自分の本心は分からなかった。ただ、嫌だったのだ。なにが嫌なのか分からないけれど、本当に嫌だったのだ。

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