第19話 彼女が求めるもの、彼が求めたもの

 文化祭の振替休日を経た火曜日、校内では顔を合わせたら最初に文化祭のことが話され、祭りの余韻が確かに残っていた。そんな浮かれた空気に包まれた一日を終えた早川美波は、地元の駅前にあるファストフード店で、制服姿で頬杖をついてポテトフライを頬張っていた。

「つまんなそうな顔をしちゃって、また佐藤君のことで悩んでるの?」

 テーブルを挟んで美波と向かい合って座るのは、同じく制服姿の綾瀬香菜。

「だって、佐藤君からまた告白されて、それを断ったところまでは大丈夫だったんだよ。それなのに、佐藤君から『いつまでもこんなヤツを構いたくないでしょ』と言われた瞬間、なんだか凄く嫌な気持ちになって、自分でも思いがけない言葉が口を突いてさ……」

「それで頭が真っ白になって、目的も忘れて佐藤君から逃げてきたんでしょ――昨日、電話で聞いて驚いたよ。でもさ、また佐藤君に告白された事で、写真のデータを消してもらうのを忘れたのなら、それはもう動揺してたんでしょ」

 あの夕日が差し込む教室で、翔太に不用意な事を言ってしまい教室を飛び出した美波が、半分放心状態で裁縫部の部室に戻ってきた時には、裁縫部部員や仮装大会に出演した女子生徒でごった返していた。でも、そこにはすでに香菜の姿はなかった。

「本当に分からないんだもん、自分の気持ち。今まで何回も告白されて、何回もそれを断ってきたけど、あんな嫌な気持ちになったことがないんだもん」

 美波は浮かない表情を浮かべ、ストローをくわえてバニラシェイクを飲む。

「美波の話を聞くかぎり、佐藤君は自分の気持ちを伝えたのは美波に振られる覚悟があったと思うし、美波との関係をこれ以上続ける気がなかったと思うけど」

「それは言われなくても分かってる。だけど、佐藤君の言葉を聞いたら、なんでか知らないけど、心いっぱいに寂しい気持ちがわき上がってきちゃったの」

「寂しいねー。あんたの言葉を言葉どおりに受け取るなら、佐藤君との関係を終わりにしたくないように聞こえる」

「やっぱりそう思うよね。私、このまま佐藤君との関係が終わるのは嫌なのかな?」

 翔太のことで何度も頭を抱える美波を間近で見てきた香菜は、翔太と事があることに美波から相談されることをウザったく感じつつも、特定の男子にここまで振り回される美波の姿を見たことがなかったから、友人の新たな一面が見られて面白くもあった。

「私から見ていて思うのは、美波あんた、佐藤君への警戒心薄れてない?」

 香菜は柔らかい口調でそう指摘すると、両手でコーヒーの入ったカップをグルグル揺らしながら、楽しげに微笑む。

「最近だと佐藤君に告白された腹いせに、文化祭の実行委員会にわざと彼を巻き込むような真似をしてみたりさ、自分の秘密を握られているはずの相手なのに、美波はずいぶんと大胆な事をやっていると思うけどね、私」

「それは……佐藤君が私のことを好きなら、多少のことをしても、佐藤君が私たちの約束を破ることはないと思って」

「そうやって、あんたが自分に向けられた好意を利用して、男を手玉に取れるような真似ができるようなら、佐藤君のことでこんなに悩んでないでしょ」

「わ、私だって、やろうと思えば佐藤君を手玉に取ることくらい、容易(たやす)いんだから!」

「本当に? ならさ、佐藤君との関係も美波なら自分の望むものに持って行けるんじゃない。よかった、これで無事に解決するね」

 香菜はいじわるそうにニコッと微笑み、納得いかないという風にムスッとした顔になっていく美波を見る。

「いじわる」

「くだらない事で意地を張る、美波が悪いんでしょ。もう少し自分に素直になりなよ、色々とさ」

「なによ、それが出来たらこんなに悩んでない」

 美波はあからさまに不機嫌な表情を浮かべる。すると、香菜は母親が子供を諭すようにゆっくり目な口調で喋り出す。

「美波、あんたがクラスの人らとSNS上のグループ交流を最小限にしたいから、親にスマホを見せているという嘘をついた気持ちは理解できるし、嘘を吐いてまで周りの人らを遠ざけていた事をバレたくない気持ちも理解できる。それに、その事を知られたかもしれない佐藤君に疑念を懐く気持ちも分かる」

「なにが言いたいの?」

「あんたはこれまで佐藤君と付き合ってみて、彼があんたの秘密を誰かにペラペラと喋るような奴に見えた? たぶん、違うよね。もしも、美波が夏休みのように佐藤君への警戒心がバリバリに強いままなら、あんたは佐藤君のことでこんな風に悩みはしないでしょ」

「香菜は、私が佐藤君に気を許していたって言いたいの?」

「ちがう?」

 香菜にジッと見つめられると、美波は俯いてしまう。

 美波のなかで翔太との関係において、たしかに距離感は夏休みの頃と比べたら多少なりとも親近感を懐いていた。しかし、彼女がそんな意識でいた罰ゲーム最終日、翔太とは会う頻度は落ちるだろうけど、これからも何となく翔太との関係は続いていくのでないかと思っていたが、突然の翔太から告白で何となく近まっていた距離感は分からなくなってしまった。

「正直、佐藤君とはあのまま友達関係を続いていけたらいいなぁとは、思っていたと思う。でも、いきなり佐藤君から告白されちゃってさ、よく解らないけど凄くムカついたんだ。なんでココで告白するのって」

「どうして佐藤君にムカついたと思う?」

「それが解っていたら、こんなに悩んでない」

「ムカついたって事は、美波は佐藤君の言動が気に入らなかったんだろうね、きっと」

「告白された時、佐藤君の自分勝手なヤツだと思ったんだ。だって、自分の気持ちだけを私に押しつけて、私の気持ちは全然考えてくれないんだもん」

「佐藤君、あんたの気持ちを考えてはいなかった訳ではなかったと思うけど?」

「私は佐藤君からの告白なんて望んでなかったのに」

「美波――ていっ!」

 美波は香菜に名前を呼ばれ顔を上げると、不意打ちでデコピンを喰らう。

「あうっ……な、いきなり何するのよ!」

 涙を浮かべながら美波は抗議するも、香菜には呆れ顔で返された。

「あんた、バカなの? 超能力者じゃないんだから、佐藤君があんたの気持ちなんて見抜けるわけがないでしょ。それに、佐藤君は美波のことが好きなのに、どうしてその関係を続けようとしなかったと思う?」

「どうしてって、私が知るか。佐藤君に言わせれば、私に告白したのは自分の気持ちを整理するためと、私への未練を残さないためだってさ。どう考えても、私に告白して断られる前提だったんだよ、佐藤君は。私はあのままで良かったのに」

「あんたはその気持ちをちゃんと伝えたの?」

「どうしてそんな事を伝えるの? 佐藤君には思うところはあるけど、もう友達なのに」

 美波のそんな無邪気な言葉に、香菜は苦笑いを浮かべるしかなかった。

「美波、あのね、たぶん佐藤君はそうは思っていなかった。彼はあの罰ゲームが終われば、あんたとの関係も自然消滅すると考えていたみたいだからね」

「自然消滅……。だから、自分の気持ちを整理するための告白。でも、なんで。私のことが好きなら私との関係を保っておきたいと思うんじゃないの、普通」

「それは佐藤君があんたの気持ちを読み間違えたのと、空気を読んだ結果だろうね。ほら、佐藤君はあんたが懐く佐藤君への不信感を知っていたし、それに一般的な学校におけるグループやカーストの構成だと、あんたら二人はどう見ても不釣り合いだからね、そういう考え方も影響しているんじゃないのかな」

「それじゃ、佐藤君に私、佐藤君との関係を続けたくないと思われていたの?」

「少なくとも積極的に関係を続けたいようには思われていなかったんだろうね。って言うか私も、あんたは佐藤君との付き合いは表面的なだけのものだと思っていたから、だから、佐藤君のことで美波がこんなに悩んでいるのは結構意外」

 美波は頬杖をついて小さく溜め息を吐くと、愉快そうに笑みを浮かべる香菜を見る。

「私だって、私の気持ちが分からないよ。私は佐藤君に疑念を持っていたはずなのに、佐藤君の言葉一つでこんなにも気持ちが揺れ動くなんて」

「気持ちの変化なんて、あやふやなものでしょ。私だって中学で出会った頃の美波を、どうしようもなく気に入らなかったけど、いつの間にか二人で喋るようになってさ、今ではこんなにも気持ちをさらけ出せるような仲になっているのだから」

「それはそうだけど、私はどうすればいいのさ」

「それは簡単。美波が佐藤君との友達関係を続けたいなら、その気持ちを佐藤君にぶつけたらいいし、佐藤君との関係を続けたくないのなら何もしなければいい。つまりは美波、あんたの気持ち次第だよ。まあ、私はいつでも相談に乗ってあげるから、あんたはせいぜい思いっきり悩んで、自分の中の答えを見つけ出すんだね」

「……私、佐藤君のことを二回も振っちゃってるのに?」

「そういうプライドを含めて、美波がどういう答えを出すのか楽しみにしてるよ」

「香菜のいじわる!」

 美波は不満な気持ちを顔に隠さずに出し、一方の香菜は相変わらず愉快そうな表情を浮かべるのでした。

 さて、時間も場所も打って変わり、同日の完全に日が落ちた翔太の叔母が営む喫茶店。そのカウンター席が酒呑み達で埋まった頃、佐藤翔太は喫茶店の仕事を終えて、歩いて間もないアパートに向けて帰っていく。

 どうして翔太が親元を離れて一人暮らしをしているかといえば、翔太の高校への進学が決まったのと同時期に、急に両親の転勤がそれぞれ決まってしまい、親戚を含めた家族会議の結果、翔太は高校の同じ市内に住んでいる母親の妹に預けられる事になった。ただ、叔母さんには思春期の娘さんがおり、その彼女に配慮する形で、翔太は祖父が営むアパートで一人暮らしをする事になったという訳だ。

「ただいま。とは言っても、返ってくる返事はないんだよなぁ」

 翔太はアパートの自室に帰ってくると、靴を脱ぎながら台所の明かりを点ける。自分以外に誰もいない部屋に上がり、奥の部屋の明かりを点けて勉強机にスマホや財布を並べ、着ているワイシャツとスラックスを脱いで、洋服掛けの高校の制服の隣に掛けた。

「さてと、課題をやる前に動画でも見るか」

 そう呟きながら翔太は勉強机の上のノートパソコンを開き、電源を入れると、すぐさま台所で手を洗う。そして、小さい冷蔵庫からプリンを取り出すと、そのままパソコンの前に座った。

「いただきます」

 スプーンでプリンをすくい口に運ぶと、口の中には“ぷるるん”とした食感と甘い香りが広がる。この九十八円のカッププリンを食べながら動画を見るのが、最近の日課になりつつあるのだった。

 時間が経ち、プリンを食べ終えて動画鑑賞がひと段落したので、翔太は勉強道具を机に並べてシャーペンを握る。しばらくして課題が半分くらい進んだ頃、スマホにSNSのメッセージが来た。そのメッセージに目を通すと、翔太は送り主の鈴木浩介に電話を掛ける。

《お、佐藤。こんな早く反応してくるとは思わなかったよ》

「まあ、僕に関する噂話だからね、そんで要点だけ言うと、僕が早川さんに告白して振られたのは本当だから、別に否定しなくていいよ」

《それでいいのかよ、一部で結構好き勝手なこと言われてるぞ、お前》

「ありがとう、心配してくれて。でもまあ、僕が早川さんに告白した事は、僕も身の程知らずな行為だと思っているから、周りがそう思うのは仕方ないかな。それに僕はただ告白に失敗しただけで、別に恥じる様なことはしてないんだし、笑いたい奴には笑わせておけばいいさ」

《そうか。で、お前、本当にあの早川美波に告白したのかよ》

「うん、告白したよ。そして見事に振られました」

《なんだか軽く言うよな。ショックや未練とかはないわけ?》

「そりゃ振られちゃったから、多少の後悔はあるさ。でもまあ、好きになっちゃったからは自分の気持ちを伝えたかったんだよね」

《それは分の悪い勝負をしたもんだ。それで佐藤は、早川のどこを好きになったわけ? やっぱり外見か》

「早川さんは誰が見ても美人だしね――でも、よく分からないんだよなぁ、自分が早川さんのどこに惚れたのか。まあ強いて言うのなら、一ヶ月近く早川さんと接してみて、なんだか悪い方向でイメージと違ったんだよな」

《おいおい、イメージは悪い方向に違って、なんで惚れるんだ?》

「イメージが違ったとは言っても、遠くから見ていた僕が勝手に願望していた早川さんのイメージだしね、まあ、それは違って当たり前だと思う。それでも、始めた頃は面倒くさくて仕方なかった彼女との朝練が、続けていく内にいつの間にか楽しく思えてきて、そうしたら早川さんともっと仲良くなりたいと思うようになったんだ」

《それなら、告白なんかしないで友達関係を続けた方がよかったんじゃないか》

「そうも考えてみたんだけど、どのみち友達以上にはなれそうにはないからね、だったらとっとと告白して諦めた方がいいと思ったんだよね。なら、うじうじと恋愛感情を抱えるよりかは、明確に答えが出たほうが諦めもつくでしょ」

《それはまたバカ正直な正面突破をしたものだ。俺なら交友関係があるのなら、しばらくは友達関係を続けてみるけどな。そんで脈がありそうなら告白するし、脈がなさそうなら友達として遊んでそのまま諦めるけどな》

「残念ながら僕には、その脈があるのかどうかを判断するだけの経験値がないんでね。当分の間はこういう失敗を繰り返していくんだろうなぁって、早川さんに告白してみて思い知ったよ」

《いい勉強になったな。次は上手くやれよ》

「まあ、頑張ってみますよ」

 この後、翔太と浩介は学校関連や動画サイトの話題に会話を繰り広げると、あっさり通話を切った。そして、翔太は何事もなかったかのようにやりかけの課題を再び取り組む。

 そう、翔太にとって美波との関係は、あの文化祭の日に彼女へ告白をして振られた事により、彼にとっては明確な答えは出ているのであった。

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