第17話 秋晴れの日に(前編)

 ――どうして、早川さんが逃げるの? 意味が分からない。

 ぽつんとひとり、西日が差す教室に取り残される翔太であった。


 文化祭当日の校内は普段の学校生活では有り得ないほどに賑やかで、老若男女の人々が校内を行き交い、学校全体がお祭り気分に包まれている。それは、この文化祭がPTAや近隣の住民の協力のもとに模擬店が出店されており、長年地元の人らに愛されているイベントだからだ。

 そんな賑やかな校内にあって、屋根に生徒会と書かれたテントの下、営業スマイルで来場した小学生に対応しているのは、腕に案内係と記された腕章をした佐藤翔太である。この日の翔太は本来、クラスでの役割が終わったあとは、片付けまで自由時間のはずであった。

 一週間前までは文化祭の実行委員ではなかったはずの翔太が、どうして校門の近くで文化祭の案内係をやっているかといえば、その元凶は翔太と同じように腕に案内係の腕章をつけ、彼の隣で小学生に向けて手を振る早川美波にある。

「上手く対応するよねぇ。さすが、アルバイトで接客しているだけの事はあるね」

「それは、どうも」

 パイプ椅子に座る二人の前には、『案内』と書かれた張り紙がされた長机がある。

「そんなあからさまに、余所余所よそよそしくしなくてもよくない?」

「ただ、普通に気まずいだけだよ。今、早川さんとこうしているのが」

 翔太は背もたれにもたれ掛かり、机のうえの生徒会が作製したパンフレットを手に取り、それに目を落とす。

「私のことが好きならさ、こんな風に肩を並べている状況は嬉しくないの?」

「嬉しくないと言えば嘘になるけどさ、振られた相手とどう接したらいいのか、分からないからね」

「あのね、勝手に私のことを好きだと言って、勝手に私の気持ちを察したのは佐藤君でしょ。私、あんな逃げ腰な告白をされたのは初めてだったんだから」

 美波は横目で何事もなかったかのようにパンフを目にする翔太を確認すると、足元のスポーツバッグから水筒を取り出す。

「逃げ腰な告白かぁ。どうせ振られるって分かっていたのに、あの時は、どうしても君に好きだという気持ちを伝えたくなったんだよねぇ。だからなのかな、気持ちだけが先走っちゃって、なにも考えずに言葉にしちゃった」

「他人事みたいに言うんだね。本当に私のことが好きなわけ?」

 翔太は顔を上げるとテントの前を行き交う人々に目をやり、テーブルに置いてあるペットボトルのお茶を口に含むと、それをゆっくりと飲み込む。

「早川さんのことを好きじゃなかったら、今、こんな居心地の悪い思いをしないで済んだのに」

「君のその態度は、居心地が悪そうには見えないんだけど?」

「そう? 僕はすぐにでもこの場から逃げ出したい気分だよ」

 暖かいジンジャーティーをすすりながら美波が横目で見る翔太は、なんともリラックスしている感じに見える。でも、直後に来客した老夫婦に案内を頼まれると、営業スマイルを顔に貼り付けて対応していた。そんな風に老夫婦に対してちゃんと対応をしている彼を見ていたら、なんだかムカついた。

「――と言う訳だから、早川さん。ご案内してきますから、少しの間、一人でよろしく」

「うん、わかった」

 テントから出て、手慣れた感じに老夫婦を案内し始めた翔太を、美波は笑顔で睨み付けた。

「なんなのよ、あの愛想の良さは」

 まるで自分に対する態度とは違う翔太に、美波は心底、彼が自分に対して本当に好意を懐いているのか、疑問に思うのであった。

 老夫婦を目的の教室まで案内し終えた翔太は、校内に充満するお祭りの雰囲気だけを味わいながら昇降口までやって来ると、そこで同じクラスの綾瀬香菜から声を掛けられた。

「あれ、佐藤君。こんなところで何やってるの?」

「実行委員の仕事ですよ」

 翔太は怪訝そうな笑みを浮かべて、腕の腕章を強調するように示した。

「ああ、それはご苦労様――それで、美波とは上手くやってる?」

「上手くも何も、振られた相手と一緒の役割をやるのは、普通に気まずいでしょ。どうせ綾瀬さんのことだから、僕が早川さんに『好き』だって口走った事は聞いているんでしょ」

「うん」

 香菜は意地悪そうにニヤリと微笑み、翔太の顔を見ながら頷(うなづ)いた。

「聞いてるよ、君が男らしくない告白したんだっていう話はね」

「それは仲がいいことで――それで、どうして早川さんは僕を巻き込むようなマネをしたの? 嫌がらせ?」

「嫌がらせねぇ、どっちかと言えば、戸惑いかな」

「戸惑うの?」

「そう、戸惑っちゃったの。そこそこ信頼できる友達だと思うようになっていた君から、不意に好きだとか言われて気持ちの整理が上手くできなかったんだよね、美波は。だから、君に対して子供染みたマネをやっちゃったんでしょ。要するに、ただの八つ当たり」

「八つ当たりねぇ。だけど、早川さんならさ、これまで幾らでも告白されてきたはずなのに、僕なんかの告白くらいで気持ちの整理ができなくなるものなの?」

「誰から見ても美人でモテるし、数多く告白されてきたのも事実だけど。まあね、美波も普通の女の子だから、誰かに『好き』だとか言われて好意を示されると、毎度悩んじゃうの――どお、結構可愛いところもあるでしょ」

「そうだね、可愛い。でも可愛いと思っちゃうと、胸が苦しい」

 でも、これまでは告白をされても、それを断るにしても受け入れるにしても、なんだかんだと悩んだ末にちゃんと答えを出してきた美波が、今回に限っては何とも幼稚な嫌がらせを翔太に対して行ってしまっている。これは、美波が翔太からの告白について、色々と納得できていないからなのだろうと、美波の愚痴を聞かされていた香菜はそう思うのでした。

「ねえ、佐藤君。美波との関係、友達のままではダメだったの?」

「ダメって言うことはないけどさ、あのまま罰ゲームが終わったら僕らの友達関係は自然消滅していたと思うから……そう思っちゃったから、このザマな訳だけど」

 翔太は溜め息を吐きながら、上履きからスニーカーに履き替える。

「どうしてちゃんと告白しなかったの?」

「百パーセント振られると分かっていたから、なるべく自分が傷つかないように『好き』だって伝えただけだよ。ハァ、あの日あの時に言う意味がないと分かっていても、自分の気持ちを口に出さずにはいられなかったんだから、どうも格好悪いでしょ」

「うん、かっこ悪い。つまり君は、ただ自分の自尊心を守りたかっただけなんだ」

「たぶん、そうだよ」

 なんとも罰の悪そうに笑みを浮かべる翔太を見ながら、香菜は目の前の彼はやっぱり変なヤツだと思う。

「そんなに赤裸々に話しちゃっていいの、私なんかに」

「そうだね、ホントは僕の失敗談を誰かに聞いてほしかったのかもしれない。早川さんに好きだと言った事は、おいそれと誰にでも話せる事ではないからね」

「いや、そんなに私を信頼されても困るんですけど?」

「本当に言いたくない事は誰にも言わないから――まあ、僕と早川さんの関係性を知っている綾瀬さんだからこそ、話しやすかったのかもね」

「やだなぁ、そんなに気を使わないでいいのに。だけどさ、そんな風に気を使えるなら、綾にもそうしてあげたらいいのに」

「世間話くらいなら緊張はしなかったんだけど、気持ちが高まってテンパっちゃうとそこまで気が回らなかったんだ――んじゃ、そろそろ戻らないと」

「そう。じゃあ、できるだけ美波と仲良くやりなさいよ」

 溜め息を吐いて翔太がスマホを取り出し、画面を確認すると、慌てて昇降口から校門に向かって走っていった。

「相変わらず面白い奴だなぁ、佐藤君は」

 翔太を見送った香菜は愉快そうに笑みを浮かべて、自分のクラスが担当する輪投げゲームが催されている教室に戻っていった。

 校舎から走ってきた翔太を人混みから見つけた美波は、大きく手招きをして急かす。急かした理由は、彼女が仮装大会の準備する為に案内係を離れることになっているからである。

「遅い。そんな紙袋を持って、君はどこで寄り道してたわけ?」

「ごめんごめん。そんじゃ、あとは任せて」

「もう、文句は色々あるけど仕方ない。仮装大会が終わったら呼び出すから、覚悟してよ」

 なんとも意外そうな顔をした翔太を置いて、美波は翔太と入れ替るようにしてテントから飛び出していった。

「まったく、何を考えているんだろう、あの人は」

 まるで美波の考えている事が読めず、翔太は困惑した気持ちのまま案内係の席に着くと、眼前の行き交う人々の流れをしばらくボケーッと眺めていた。すると、美波の代わりの案内係の男子生徒がやってきてパイプ椅子を引いた。

「ご苦労さん、なにか困った事はなかったかい」

「ご苦労様です、高井先輩。今のところ、特にトラブルはありませんでした」

 翔太の隣におもむろに座ったのは、いつか美波とデートをしていたノッポ先輩である。このノッポ先輩もまた案内係である。

「それで早川はもう裁縫部の部室に向かった?」

「はい、向かいました」

「そう」

 さっき程まで猫背でいた翔太が背筋を伸ばし、緩んでいた表情を引き締めている。

「さてと佐藤君、小一時間よろしく。で、早速で悪いけど、早川と君とは付き合っているの?」

 いきなり踏み込んできたノッポ先輩の質問に翔太は、内心驚きはしたものの顔には出さなかった。

「ただの友達ですよ、早川さんとは。みんなに噂されている様な関係ではありません」

「本当に? 恋人と一緒にいたいから、君を案内係に抜擢することが仮装大会への参加する条件だったんだと、実行委員会内でもそういう見方をされていたんだけどな」

「そういう見方をされていて、実行委員会はよくそんな条件を呑みましたよね」

「生徒会としても、目玉となる客寄せパンダはほしかったんだよ。だから、彼女が多少のワガママを言っても目をつむるさ」

 客寄せパンダという言葉を聞いて、きっと美波自身も自分がそういう目で見られているのを分かっていて、自分を巻き込むような条件を出したのだろうと、翔太は思った。

「そんなワガママが通ったと知ったら、同性からすごく嫌われそうですね」

「だから不思議なんだよ、これまでの早川は周りとある一定の距離を取っていた感じだったから、どうして君を特別扱いしたのかって」

「特別扱いって、先輩こそ早川さんとデートしていませんでしたっけ?」

「そりゃ、早川を女性として魅力的だと思えば、デートくらい誘うさ。まあ、結果的に振られちゃったけど。それでも、それと君の特別扱いは別の話で、彼女がどうして君なんかにこだわったのか気になるんだ」

 ノッポ先輩の言い分を失礼だと思いつつも、先輩が美波に告白していた事を知り、嫉妬や独占欲やらで、心がザワつくのを感じた翔太なのでした。そして、美波がノッポ先輩を振った事を安堵するのだった。

「安心した? 俺が振られたと知って」

 心を読み当てられてギクッとする翔太は、横に座るノッポ先輩の顔を見られない。

「なるほど、君も早川のことを好きなわけか。それは難儀なことで」

 翔太は自分の気持ちを一番知られてはいけない人に知られてしまった気がして、なんとも気が重い。

「僕が早川さんに好意を持っている事は否定しませんが、彼女がどうして僕を巻き込むマネをしたのか分かりませんし、理由なら僕が知りたいですよ。本来ならクラスの担当が終わったら、ゆっくり文化祭を楽しもうと思っていたんですから。なのに、彼女が仮装大会に出るのに変な条件を出したおかげで、こんな事やっているんですから、まったくいい迷惑です」

 翔太の話しを聞き終えたノッポ先輩が可笑しそうに笑うと、自分が何かおかしな事を言ったのだろうかと思い、首をかしげる翔太なのでした。

「いやー、聞いていたどおりの奴だな、君は。でもさ、迷惑だったなら彼女の出した条件を断っちゃえばよかったんじゃないか」

「断れると思いますか? 生徒会とかが求めている早川さんの参加がですよ、僕が実行委員会に参加するかどうかで決まるのに、普通断れませんよ」

「空気を読んだのか」

「そりゃ、読みます。多くの先輩方が早川さんの参加を求めていた事は知ってましたから、もしも僕が断ったら彼女は参加しないわけで、その責任は非がなくても僕に集中しますよね。僕はそんなのまっぴら御免です」

 理不尽とも言える美波が付けた仮装大会に参加する条件とは、仮装大会のあいだ翔太を実行委員会の仕事に就かせる事。つまり美波は、翔太が告白した事に対する意趣返しとも受け取れるような条件を出したのであった。

「どうも聞いていて思ったんだけど、君、早川に何かしたん? 彼女が出した条件、君に得があるようには思えないんだけど」

「さあ、ただ先輩と一緒にココの担当をやりたくなかったんじゃないですか」

 ノッポ先輩に対して悪態をつく形で白を切った翔太であったが、美波の企みはあの時の告白が原因であろうとは思うものの、どうして嫌がらせじみた事をされたのか、美波の真意が理解できなくてモヤモヤした気持ちを抱えるのでした。

「おっ、言ってくれるねぇ、後輩くん――だけど、それで間違ってないんだろうな。告白して、振られちゃったから当然とは言えば当然か。でもまあ、ちゃんと自分の気持ちを伝えられた結果だし、いはないな」

 ゆっくりと言葉をつむいだノッポ先輩。それを隣で聞く羽目になった翔太は、自分の中にある『もしかして』という気持ちと、諦めの悪さを自覚せざるを得なくなってしまった。


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