第16話 あやふやな気持ち
早川美波が佐藤翔太に罰ゲームとして課した朝練、その最終日は、前夜から降り続いた雨が朝になっても降り続いていた為に行われなかった。しかし、翔太としては今日の朝に、文化祭での仮装大会に出てもらうように美波を説得しようと考えていた為、彼にとっては予定が狂ってしまい、自ら彼女と話せる機会を作らないといけなくなった。それでも、幸いにして美波とは連絡先を交換していたので、そのまま電話で頼んでしまおうかとも思いはしたが、頼み事は面と向かってするのが一応の礼儀だと
「早いね、佐藤君。コレでも私、急いで来たのに」
美波がそう声を掛けると、窓際の席に座っていた翔太は顔を上げる。その時にはすでに日が落ち、窓の外は街灯の灯りが輝いていた。
放課後、部活終わりに美波と翔太が待ち合わせをする事になったのは、美波がノッポ先輩とのデートの時に利用した喫茶店。その待ち合わせ場所を指定したのは美波である。
「陸上部とは違って、うちのテニス部は緩いから、今日の部活はお休みだったんだ」
「そう。なら、結構待たせちゃった?」
美波はテーブルを挟んで翔太と面を向かい合うように席に着いた。
「別に構わないよ、話があるって誘ったのはコッチなんだから――でも、なんで待ち合わせの場所がココなのかは、ぜひとも聞きたいかな」
「答えは簡単。私が部活終わりで、お腹がペコペコだから」
美波はメニュー表を見ながら弾んだ声で答えると、おしぼりと水の入ったコップを持ってきた店員に口早に注文をする。
「それで、私に話したい事って何かな?」
「単刀直入に言わせてもらうと、文化祭の仮装大会への出演依頼です」
そう答えた翔太に対して美波は一度怪訝そうな表情を向けるも、目の前の同級生男子が困ったような笑みを浮かべると、何となく事情は察する事はできた。
「早川さんには面白くはない話なのは分かってはいるんだけどね、僕には僕で友達の頼み事を無下にもできないから、一応説得はさせてくださいな」
「ねえ、佐藤君、私がその説得すらイヤだと言ったらどうするの?」
「仕方ないけど、説得は諦めるよ。ただし、こうやって呼びつけておいて君のような美人に何もしないというのも失礼だから、デートのお誘いくらいはしたいかな」
あまりに翔太が気取ったことを言うものだから、美波は思わず声を押し殺して笑う。
「そういうセリフ、君には似合わない。そういうのは二枚目が言ってこそ活きるってものよ、三枚目さん」
小っ恥ずかしいセリフを吐いた翔太は何でもないような風を装っているけど、見る見るうちに耳が真っ赤になっていくのを美波は見逃さなかった。
「でも仕方ないなぁ、私が食事している間だけなら、その話聞いてあげる」
「それは、どうも」
翔太は気を取り直すようにコーヒーを一口含むと、苦そうに眉間にシワを寄せてミルクとスティックシュガーを空けた。
「とは言っても、僕は仮装大会についてはあまり詳しい事は知らないんだけど、早川さんはどうして出たくないの?」
「私の説得を引き受けておいて、そんな事も尋ねていないわけ? 君は」
「聞いたよ。裁縫部が作る本格的なお姫様ドレスを、人前では著たくないんだよね。その理由は“注目されるのは恥ずかしいから”だとも聞かされています」
「そうだよ、私はあんな格好で校内の注目の的になるなんてイヤなの。ねえ、私、何か悪いこと言っているのかな、佐藤君?」
美波はもうウンザリといった感じで翔太を見る。
「いや、悪いことはないよ。やるか、やらないかは早川さんが決めていい事なんだから」
「じゃあ、なんで君は、私のことを仮装大会に出させようとしているの?」
「それは簡単、君のドレス姿を見てみたいからだよ。その友人から試作品を見せてもらったんだけど、きっと早川さんのドレス姿は綺麗で似合うだろうって思ったから、こうやって説得しています」
翔太はコーヒーを一口飲むとニコッと微笑む。
「嘘ばっか。もしも私を説得できたら周りの君への評価が上がるから、だから私のことを説得しているくせに」
「たしかに早川さんを説得できたら、その友人からは感謝されるだろうねぇ」
「ほら、やっぱり。私はね、そうやって誰かに自分が利用されている感じが、なんかイヤなの」
美波は目の前の彼を軽く睨み付けるけれど、翔太は表情ひとつ変えなかった。
「そうか、その気持ちはなんとなく分かる気がする――なら、仕方ない、もうこれ以上は説得しない」
「急になによ、何を企んでいるの」
「なぁに、どうせ僕が君のような美人のことを説得できるなんて、誰も思ってはいないでしょ。それに、親友である綾瀬さんに説得できないものを、僕が説得できる訳がないからね」
「そう」
美波は気に入らないといった感じにムスッとした表情をし、視線を翔太から逸らす。そこで店内の明かりに照らされて窓ガラスに映る自分の姿が目に入ると、いつもは気にしないようにしていても、やはり目の前の彼らにとって自分は異質な存在なのだと思う。でも、その異質な部分である長い金色の髪の毛や白めな肌は、彼女にとって大切な母親との繋がりを示すものであり、自分の外見を特別嫌悪するものではない。
ほどなくして美波が注文した料理が運ばれてくると、先ほどまでとは別人のように彼女は微笑んで店員にお礼を言う。そんな愛想良くしている自分の姿を見ていた翔太と目が合ってしまい、彼に見られたくないところを見られた気がして、なんとも居心地が悪い気持ちになる。
「なによっ」
「いや、姉ちゃんとかもそうだけど、そういう変わり身の早さは凄いなぁって、思って」
「そう感じるのは、佐藤君がまだ子供だからだよ」
自分は照れ隠しでそんな事を言ってしまうのだから、やっぱり自分もまだまだ子供なんだと、カツサンドを頬張りながら思う美波なのでした。
「一応ね、誤解ないように言っておくと、たしかに僕は頼まれたから君をこうやって説得しているけど、早川さんのドレス姿が見てみたいという気持ちもちゃんとある……んだけど、こんな事を言っても何にもならないよなぁ」
翔太が何かを説得しようとして喋り出したものの、途中でその姿勢が失速していく様は、美波にとってはどことなく可笑しかった。
「ねえ、佐藤君。この一ヶ月間、朝に私と走ってみてどうだった?」
いきなりの質問に、翔太は面食らったように視線が右往左往する。
「ん、急になに?」
「今日で君への罰ゲームも最後だったから、感想なんかを聞いてあげてるの」
「そうなんだ。えーと、朝早く起きる辛さは慣れなかったけど、早川さんと一緒に朝練できた事では多少の優越感を味わえたから、そういう意味では悪くはなかったのかもね」
「あら、私のことを美人だと評してくれるわりに、あんまり嬉しそうじゃないのね」
「早川さんを美人だという事と、一緒に朝練して嬉しいかは別問題でしょ。まあ、朝練は正直キツかったんだけど、こうやって君と話すのは結構楽しかったよ」
ニッコリ微笑む翔太。
「そう、楽しかったんだ。ならさ、この罰ゲーム続けてあげようか?」
美波がそんな意地悪なことを言ったのは、笑みを浮かべている目の前の彼を困らせてやりたいという、瞬間的な衝動からであり、更に言うのであれば、翔太の表情が少しでも困惑の色を見せてくれれば満足するようなイタズラ心に過ぎない。
「さらに早川さんの朝練に付き合えと?」
「うん。だって、私とこうやって楽しくお話しができるのは、今日までの罰ゲームのおかげなんだから、もう一ヶ月ぐらい期間延長してもいいんじゃない? もちろん、その時にはこの一ヶ月間のように、私の命令には従ってもらいますけどね」
美波の言葉を聞いていた翔太は徐々に伏し目がちになり、数秒のあいだ視線をコーヒーカップに落としていた。
「――あっ!」
翔太は何かに気づいたかのように顔を上げると、なんとも嬉しそうに笑みを浮かべる美波がいた。
「ねえ、今、この罰ゲームをこのまま続けてもいいとか考えていたでしょ? やだなぁ、佐藤君が罰ゲームを続けるかどうかで悩まないでよ。そんなんだと、この罰ゲームが罰になってないみたいじゃない」
「……そうだよ、僕にとってみれば今回の罰ゲーム、もう少し続いてくれたら嬉しいくらいなのだから。そりゃ、朝早くに走らされるのは本当にキツいけど、毎朝のように早川さんとコミュニケーションが取れて、朝の短時間だけど君のことを独占できるんだから、そんな楽しい時間が続いてほしいと思わないほうが変だよ」
美波に面と向かってそう言った翔太、途端に耳がほんわか赤みを帯びてくるのであった。
「そうやってあからさまに照れないでよ、こっちまで恥ずかしくなってくるから」
視線をゆっくり翔太から逸らすと、美波は窓の外を流れていくライトを点けた自動車や、家路を急ぐ人々を眺める。それにつられて翔太も窓の外を眺めた、
「あー、何だかムカつくなぁ、佐藤君がそういう認識だったなんて。そんなことを言われるなら、もっと意地悪な命令をしておくんだった」
「よかったよ、早川さんが自分を抑制できる人で。こういう変な上下関係は暴走したら当事者間だけでは済まず、周りも巻き込んで大変なことになりかねないからね」
「なによ、佐藤君ならその前に『NO!』と言えるんでしょ?」
「そのつもりだけどね。もしかしたら、その場の空気に押しつぶされちゃうかもしれない」
「あなたがそんな人なら、夏休みのデートで私にあんな態度は取らないでしょ。下手したら大半の一年女子を、敵に回すことになってもおかしくない事をやったんだから」
美波は呆れたといった感じに、ジト目を翔太に向ける。
「そうだね。君みたいな美人にあんな無礼な事をやったと知ったら、普通は周りが放っておかないだろうしね」
「悪かったわね、友達が少なくて」
「いやいや、その友達の少ないおかげで、僕はこうやって早川さんとお話しができているのだから、僕にとっては悪いことではないですよ」
翔太は悪気を感じさせないような笑みを浮かべる。そんな彼の顔を見ていたら、美波の心の中で何とも言えないモヤモヤとしたものが覆う。
「どうして私、こんなところで佐藤君とこんな話しをしているんだろう」
「それは早川さんがお人好しだからでしょうねぇ」
予期もしなかった翔太の言葉に、美波は思いのほか驚いてしまう。
「えっ!? なんで私がお人好しなの?」
「そりゃ、罰ゲームとは言え、君にとって失礼千万でしかない僕みたいな奴と、一ヶ月もの間、朝の短時間ではあったけれど、こんな風に世間話とかの相手になってくれたんだから、これはもうお人好しと言っても過言ではないでしょ」
「こうやって佐藤君とお喋りしているのは、ただの社交辞令でしょ。だって、佐藤君は私の秘密を握る人なのだから、愛想良くするのは当然じゃないかしら」
「僕は早川さんの秘密を握った覚えはないし、愛想も良くしてもらった覚えもないけどね」
翔太は頬杖をついて、力なく微笑んだ。
「ホント、失礼な人。私、そういう佐藤君の
「仕方ないよ、これが僕という人間なのだから。でもまあ、この主従ごっこもこれでお
「するもんですか。あなたに対しては不安しかないもの、私」
美波は伏し目がちに答えると、ストローでオレンジジュースを飲む。
「
「悪かったわね、頑固者で。でも、これが私なんだから仕方ないでしょ?」
「うん、仕方ない。だから、そういう頑ななところがある早川さんのことを、僕が好きになっちゃったのも仕方ない」
「――はっ?!」
美波は驚いた。なにせ、これまで彼女に告白していた人達は、告白する前には少なからず緊張感が滲み出していたのに、目の前の彼ときたら頬杖をつき、穏やかな表情をこちらに向けている。こんなにも緊張感がない告白をされたのは初めてだった。
「好きって、なに? 佐藤君は私のこと、どんな風に見ていたのよ!」
「普通に金色の髪をした美人な同級生だけど」
「なに、佐藤君は美人なら誰でも好きになるって言うの?」
「んー、美人なら誰でも好きになるかと言えば、そうではないかな。異性のタイプで言えば、早川さんは僕のタイプではないからね。不思議だよね、僕は早川さんのどこを好きになったんだろう」
「私が知るかっ!」
困惑の表情を隠さない美波と、美波の反応をどことなく楽しんでいる翔太。
「佐藤君、私にそういう事をどういうつもりで言っているわけ? からかっているなら絶対に許さないんだから!」
「からかっているつもりはないよ。ちゃんと早川さんには、他の女子以上に異性として好意を懐いているし、ここ最近は暇さえあれば君のことで頭がいっぱいだったから。こうやって話しをしている今だって、堪らないくらい嬉しいよ」
「なら、どうしてそんなに私に対する情熱が希薄なの?」
「いくら僕だって、君と付き合えるとは思ってはいないもん。こうやって君に話しているのだって、自分の気持ちに整理をつけるのが目的だから」
「そう……佐藤君、私もあなたのことはタイプではない。でもね、好きなら好きで、ちゃんと情熱もって告白した方がいいよ。それが相手に対する最低限の礼儀だと思うから。それじゃあ、私、帰る」
美波は何事もなかったかのような顔で席を立つと、さっさと会計を済ませて、一度も翔太を見ることなく店内から出て行った。
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