第15話 彼の知らない彼女の一面
黄色いボールがネットを挟んで、幾度も行ったり来たりを繰り返している。テニスのルールを知らない者からすれば、この試合の光景はそれくらいの認識であろう。しかし、それでも午後一番から始まった硬式テニス部の練習試合には、そんなテニスのルールを知らない女子のギャラリーも十数人観戦している。そんな彼女達の目的は、いまSNSで話題となっているイケメン高校生テニスプレイヤーを間近で観覧するためであり、その対戦相手である佐藤翔太のことは眼中には入っていない。
「まったく、最後まで手を抜かないでくれるんだから、楽しいね」
翔太は呟きながらボールをバウンドさせ、一度ボールを掴み相手をジッと見る。そしてボールを真上に放り上げて、頭上に落ちてきたボールをラケットでフルスイングし、相手コートを目掛けて放った。
練習試合の相手は
一眞が打ち返したボールは球威が落ち、翔太側コートの真ん中に飛んでくると、翔太は丁寧にボールの勢いを殺して、一眞が届かない方向へとボールを落とした。
「ふうぅ」
翔太は大きく息を吐くと、再びボールを放り上げて相手コートに打ち込む。今度は先ほどのミスショットとは違い、狙いすました角度で速い打球が返ってくる。その返球に反応し、走り出しで転びそうになりながらもギリギリのところで打ち返す。
ここまでの試合展開は、一眞に思う存分に実力を発揮されて、翔太はコートを走らされるだけ走らされ、二人のポイント差は着実に広がっていくという一方的な展開になっている。そして現在、翔太はあと一ポイントを落とせば負けるという状況まで追い詰められていた。それでも、なんとか一眞が打ち返すボールに食らいついてきた翔太ではある。自由自在に振られる速い打球に追いつくのがやっとでも、粘りに粘って何度もラリー戦を繰り広げてきたおかげで、大きく広がったポイント差があるとは思えぬほど、翔太も一眞も汗だくで苦しい表情を浮かべている。
ネットを挟んだ一ポイントを巡るラリー戦は終盤を迎える。翔太は最後の力を振り絞って決定打にならないようにボールを一眞が返しにくいコースに打ち続け、一眞は両手でラケットを持ちパワープレイで翔太をねじ伏せようとしていた。そんな一眞の速球を翔太が打ち返そうとした瞬間、片手で握ったグリップが滑ってしまい、打球は狙いを逸れて一眞がなんとも返しやすいコースに入ってしまう。翔太が“あっ”と思った瞬間には、一眞のラケットはボールを捉えていた。そのまま力一杯振り抜かれたボールはネットを超え、弧を描いてコートを跳ねる。とっさに翔太が反応して力強く駆け出すも、ボールには追いつけないと直感してゆっくり脚を止めた。
コート上をボールが転がり、審判により勝敗のコールがされると、観戦していた女子達が歓声をあげる。試合を終えた翔太と一眞はネット上で握手をすると、二人して笑顔を浮かべるのであった。
「はぁー。翔太、相変わらず諦めが悪いよな、お前」
「一眞こそ、今日は試合を途中で投げなかった事を褒めてやるよ」
お互いに憎まれ口を叩いて、翔太と一眞はコートから退場していく。
今日の練習試合は翔太と一眞だけに組まれたものではなく、一応他校との対外試合なので他の対戦も組まれており、二人と入れ替わり両校の選手がコート内へと入っていった。
「一眞、しばらく会わない間にひと回り大きくなってないか?」
「当たり前だろ、趣味でやっているお前とは違って、俺は毎日のようにトレーニングしてるんだから」
テニス部の部室で着替えている翔太と一眞。
「さすがプロを目指す奴は違うね。僕なんかは今月に入って、朝に走っているけど、ずっとは続けられる気がしないもん」
「あー、あの早川美波と朝練。あんな気難しそうな奴の朝練によく付き合ってるもんだ」
「気難しいのかなぁ、案外普通じゃない。それにしても、この前の電話には驚いたよ。この練習試合もそうだけど、一眞が早川さんと同じ中学で、あの早川さんが生徒会長だったなんて」
「生徒会長をやっていたのが、そんなに驚くことか? まあ、あの出しゃばりなら、ここでも生徒会で暴れているんだろうけど」
「えっ?」
下着姿の男子ふたり、早川美波という人物の認識の違いに顔を見合わせる。
「ん? 『えっ』って何だよ?」
「いや、早川さんは生徒会に入ってないし、出しゃばりという印象もなかったから。うちでの彼女の印象はどちらかと言えば、あの容姿で目立つけれど控えめな感じみたいだから」
「あの出しゃばり女王が控えめなんて、嘘だろ」
一眞は半笑い気味に言った。
「でも、その早川さん、今度やる文化祭の実行委員で、案内係をやるみたいだけど。まあ、それもクラスの人らに押しつけられたという噂だけど」
「噂ねぇ、本当は立候補じゃないのかぁ」
「なあ、一眞から見て中学の頃の早川さんはどんな奴だった? 教えてくれないか」
「おっ、翔太もあのじゃじゃ馬にチャレンジする気か!」
茶化すように一眞が言うと、翔太は無邪気な笑顔を浮かべる。
「正直な気持ち、あんな美人を恋人にできたら嬉しいけど、あちらさんは僕なんか恋愛相手としては対象外だろうし、そういう脈はないんだろうけどね。でも最近、早川さんにアプローチをするだけしてみようかと思ってはいるんだ。彼女、なんとなく気になるから」
バカ素直に語る翔太に、一眞は呆れ顔になりつつも、こいつらしいとも思うのであった。
「そうか、なんとなく気になるか。なら、そんな身の程知らずのお前に中学時代の早川美波について教えてやろう」
一眞が語った中学を卒業するまでの早川美波に関するイメージを言い表すならば、近年で最も教師とやり合った生徒会長であろう。そんな美波は生徒会長になる前から言いたい事は言うところがあり、そのせいでクラスメイトや教師との間で軋轢が生じる事が間々あったが、彼女には気配り上手な面も持ち合わせていたようで、その時点では大きく話題になることはなかった。それでも、男子や教師に対して物怖じしない態度が、特に同級生の女子からの支持を集めていた。
「あの容姿で勉強もできたから、生徒会長選では結構な票を集めていたんだけどな」
生徒会長になってからの美波は生徒からの要望を教師達に伝えたり、学校行事にも結構口を出したりして、その事が校内で話題になっていた。そんな彼女の数あるエピソードの中でも、最も校内を揺るがしたのは女子生徒の制服を巡る騒動だった。その騒動はある女子生徒がスカートではなくスラックスを履いてきた事に対して、教師が指導した事に始まる。その女子生徒は教師からの指導に納得できずに生徒会メンバーに愚痴をこぼし、そこから校内の女子生徒達にその話が広がった。普通なら噂話程度で収まるはずだったのだが、この時は収まらずに“女子にもスラックスを履かせろ運動”が始まっていた。
「俺がそれを認識したのは、突然、クラスの女子半数がスラックスを履いてきた時だったんだよ。あの時はスラックス履いてきた女子が呼び出されて、2時間目まで自習になったんだよなぁ」
それから数日間は学校全体で妙な緊張感があった。なにせスラックスを履いてきた女子はそれなりにいたようで、彼女達は教師がいくら指導しても決起した時からずっとスラックスを履き続けてきたのだ。校則を守らせたい教師側とスラックスを履けるように校則を変えるように要求した女子達だったんだけど、その時には生徒会は何ら関与してなかった。
「どうして関与していないって言えるんだ?」
「早川の奴、あの時普通にスカートで登校していたからな」
生徒会にとって転機となったのは、決起があった翌週の全校集会だった。その日は珍しく生徒会長が全生徒に前で話しをする事になり、壇上に登壇する美波を見ながら、ほとんどの生徒がスラックス問題を納める為の教師の魂胆なのだろうと思っていた。喋りだしはスラックス問題の経緯を説明すると、つぎに女子がスラックスを履くことは現在の校則にはそぐわない事だと言うと、途端、大半の女子達から溜め息が漏れた。しかし、美波はそれに動じることなく話しを続け、「ですが、私は女子がスラックスを履く選択肢はあってもいいと考えます」と表明したのだ。その予想外の言動は、その場にいた者を少なからず驚かせたのだった。一方で、コップの中の水に水滴を落とした張本人は、何事もなかったような顔をし、スカートを揺らしながら壇上から降りていった。
「あの時は一部の女子以外は、教師や俺ら生徒も反応に困ったもんな」
「早川さんのその発言、取りようによっては個人的な意見を言ったようにも、生徒会としてスラックス問題に賛同しているようにも受け取れるもんなぁ」
美波の表明の翌日には、美波と教師との間でスラックス問題を巡り、話し合いが行われたとの噂が生徒達の間で一気に広まった。それだけスラックス問題は生徒達に注目される事柄になっていた。
そこからというもの、問題を提起した生徒らと生徒会が中心的な役割を担っていき、女子の制服としてスラックスを認めてくれるように教師達や保護者達と討論や意見交換をしていった。その中で生徒達の意見を取りまとめ、先頭に立って大人達と向き合い続けていった姿が生徒会長時の美波の印象を決定づけたのだった。
「それで、スラックス問題はどうなったの?」
「この話は上手くいったよ。来年から正式に女子用の制服としてスラックスも選択可能にさせたからな」
「そうなんだ、凄いじゃん。でも、やっぱり、今の早川さんは何かを先頭に立ってやるようには見えないから、なんだか別人の話を聞いているみたいだったけどね」
「俺には出しゃばらない早川美波というのがどうにも想像できないけどな」
美波に関する話がひと段落すると、とっくに着替え終わっていた二人は部室を出る。
「話は変わるけど、お前、どうやって早川と知り合ったん? クラスも部活も違うのに」
「そこね。夏休みにプールに行ったんだけど、そこで溺れたところを助けられた」
翔太は自分が溺れるに至った流れは
「なにそれ、かっこ悪っ。よくそれで朝練を共にするような仲になったな」
「簡単に説明すると、色々あって罰ゲームを賭けて勝負したんだけど、その勝負に負けたんだ。それで丁度、早川さんは朝練の練習相手ほしかったみたいで、練習相手になったんだ。まあ僕としては、美人と一緒に二人きりで走れるというのは悪い気はしないからいいんだけど、でも、普段よりも早く起きるようになっちゃったのは辛いかな」
「練習相手にさせる早川も早川だけど、相手が美人だからって一ヶ月も続ける、お前もお前だよ。でもまあ、辛いとは言いつつも一ヶ月近くも続けているんだから、罰ゲームとは言ってもそれなりに気に入ってるんだろ、早川との朝練」
翔太をからかう様に、ニヤリと笑う一眞。
「気に入っていないと言えば嘘になるけど、所詮この罰ゲームは意地の張り合いみたいなものだし、この寝不足の日々もあと数日で終わり」
「それで目立った進展はあったのか?」
「ないから、これからアプローチをするんじゃないか。でも、その結果、恋人や友達になるかもしれないし、ただ振られるだけかもしれないけどな、まあ、やるだけやってみるさ」
「それなら、今度こうやって会うときには、お前の慰め会を開いてやるよ」
「ああ、頼むよ」
二人は楽しそうに笑みをこぼしながらテニスコートに戻ってくると、コート上ではダブルスの試合が行われており、二人は観戦者達の隅に立った。
「それはそうと、お前、また本気でテニスをやる気はないわけ?」
「ないね。一眞みたく、世界で戦いたいというモチベーションがあれば別だろうけど、僕はテニスを楽しくプレイできたら、それでいいんだ。去年の大会、全国の初戦で負けてもあんまり悔しくはなかったからね それは自覚したよ。誰かさんのように途中棄権して、大粒の涙を流すほどには悔しがれなかったからな」
「相変わらず変わらないのな、その姿勢。スポーツ選手は可能な限り上を目指してこそだと、俺は思うけどな」
「僕は楽しむのもスポーツだと思うよ。だけど、一眞のその自分の夢を叶えるために更に上を目指す姿勢は、普通に格好いいよ」
翔太の飾らない言葉に、一眞はなんとなく寂しさを覚えるのだった。
そのあと両校の練習試合はつつがなく進行し、無事に終了した。その別れ際、声を掛けたのは翔太のほうからであった。
「一眞、僕は一眞の夢が叶うと信じる。だから、全力で世界に挑んでこいっ!」
「うるせーよ、ばーか」
一眞は照れくさそうにそう言う。でもその直後、こぶしで胸を二回軽く叩き、そのままこぶしを上空に突き上げた。その翔太に向けた表情は、絶対に世界で戦ってやるという意志が満ちあふれていた。
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