第14話 普通の女の子とお人好しではない男の子
二学期の中間テスト最終日、答案用紙に鉛筆を滑らし解答欄を埋め終わると、佐藤翔太は見直し作業をして机に突っ伏す。テスト期間中は部活動が休止であるにも関わらず、早川美波との朝練は毎日のように続けられており、このテスト期間中はその日の最終科目を終える頃には眠気に襲われるのであった。つまりはこの三週間続けてきた事と変わらないし、いつもどおりと言える。
「佐藤、相変わらず眠そうだな。で、テストの方はどうだった?」
各クラスでホームルームが終わり、校内が一気に騒々しくなっていくなか、帰り支度をしている翔太のところに鈴木浩介がやってきた。
「まあまあだよ。とりあえず解答欄は全部埋めたけどさ、確信があるのは六割くらいかな。それで、そっちはどうなんだ」
「俺? 感触は悪くないな。それでさ、これから遊びに行かないかという話があるんだが、お前も来いよ」
「分かった、行く」
翔太は複数人のクラスメイトと共に教室を出て、そのまま昇降口に降りていく。クラスメイト達が下駄箱で上履きから靴に履き替えていくなかで、翔太が下駄箱の扉を開くと、靴の上にラブレターに使われそうな封筒が入っていた。
「ハァ……悪い、先に行っといて。遊ぶところが決まったら、連絡ちょうだい」
「ああ、分かったよ。しかし、最近モテモテだな、佐藤」
「そうだな、この手紙に差出人の名前があれば最高なんだけどな。そんじゃ、ちょっと職員室に行ってくる」
浩介の皮肉めいた言葉に、翔太は手紙を片手に思いっきり面倒くさそうな顔をする。
クラスメイト達と別れて職員室に向かう翔太であるが、ご察しの通り、彼が手にする封筒はラブレターなんかではなく、その内容は嫌がらせの手紙と言っても過言ではないものであった。しかし、この様な手紙が入れられたのは今回が初めてではなく、こんな手紙が何度も入れられるようになったのは体育祭後からであり、翔太が早川美波と朝練を始めてからだった。そんな訳で手紙が入れ始められた時期とその内容から、差出人は美波に近づく翔太に嫉妬している者だと推測されていた。
「まったく、こんなの書く暇があるなら早川さんにアプローチしたらいいのに」
翔太は愚痴をこぼしながら職員室に入室し、片隅にあるコピー機で手紙をコピーする。そのまま印刷されたコピー用紙を担任教諭に渡して、担任と身近に変化がないかとか一言二言会話を交わして職員室を出ようとすると、テニス部顧問から声を掛けられた。
「佐藤、君に練習試合の申し込みがあるんだが、どうする?」
「部ではなく、僕にですか?」
顧問から相手方の話しを聞くと、翔太は笑顔で練習試合の申し込みを
嫌がらせの手紙の件もありながらも、悪くない気分で職員室をあとにした翔太が、昇降口で靴に履き替えようとしていると、スマホから着信音が鳴った。それは浩介からのメッセージで、集合場所を知らせるものであった。
「あ、佐藤君」
自分の名前を呼ばれて翔太が声のした方向に視線を移すと、同じクラスの綾瀬香菜が階段を降りてくるところだった。
「綾瀬さん、なんか用?」
「別に用っていうほどの事はないよ。ただね、ほかの男子たちと先に教室を出ていったはずの君を見かけたから、どうしたのかと思って」
「それはどうも。まあ、変な手紙がまた入っていたから、報告をしに職員室に寄ることになって、僕は後から合流するはめになっただけ」
「変な手紙って、美波絡みでしょ」
香菜は靴に履き替えながら、平然とした口調で話す。
「よくご存じで。あれ? 手紙の内容まで知っている人は少ないはずなんだけど」
「誰だって想像つくでしょ、それくらい。だって、佐藤君が嫌がらせを受けているという噂は今月の初め頃からあったし、状況的に美波絡みだと思うでしょ。今でさえも、君らの朝練や学食でのことは結構話題になっているのだから」
「相変わらず早川さんは注目されているな。こりゃ、彼氏でも作ったら相手は大変だぁ」
翔太は他人事のように言うと、スマホを上着のポケットにしまい歩き出す。それに合わせるように香菜も校門に向けて足を向ける。
「佐藤君、美波はその手紙のことを知っているの?」
「早川さんに言ってもどうにもならないし、僕からは何も言ってないよ」
「そう。じゃあ、私からは美波に何も言わない方がいいかな」
「うん、まあ、言わないで。あくまでもコレは僕に対しての嫌がらせだし、それに、この嫌がらせの手紙の件は一応担任に報告してはいるけど、あんまり気分は良くないでしょ、自分を理由にして誰かが嫌がらせされているとしたら」
「あの美波とのデートが嘘のような気の使いようだね。それは美波を同級生としてではなく、一人の女性として意識し始めているのかしら、君は」
翔太をからかうように笑みを浮かべる香菜に対し、翔太は動じる事なく冗談でも聞いたかのように笑う。
「それはないよ。たしかに早川さんは美人だからね、女性として意識するなと言う方が無理な話ではあるけど、だからといって彼女を恋人にしたいかといえば、それは別の話でしょ」
「それは佐藤君にとって美波は恋人にしたいようなタイプではないって事?」
「早川さんみたいな美人の彼女がほしいという願望がないかと言えば嘘になるけど、でも、早川さんが僕の恋人になる未来は想像できないかな」
翔太の言葉を聞いて香菜の表情はどことなく意表を突かれたものになる。
「毎日のように美波の朝練に付き合っているのに?」
「早川さんと朝練を一緒にできるのはある意味で役得だと思っている。でも、そうやって彼女と付き合いを持つようになってからはアイドルの様な憧れをあんまり懐かなくなったんだよね。どちらかと言えば、遠目で見ていた方が彼女への憧れは強かったと思うもん」
「意外と美波が普通の女の子で幻滅しちゃった?」
「少しはね。でもまあ、うちの姉ちゃんなんて外ではしっかり者で通っているけど、家の中ではルーズではあったし、距離感が近くなってくれば背伸びしていない部分も見えてくるんじゃないのかな?」
「ふーん、そうか。でも佐藤君、お姉さんがいるんだ」
「うん、大学生の姉がいるよ」
二人は校門の近くまで来ると、香菜は足を進める速度を落としていく。
「おっと、私、美波と校門で待ち合わせしてるから、この辺で――佐藤君、お節介だと重々承知で聞くけど、君はいま、美波との関係をどんな風に捉えているの?」
「僕らの関係を表わす言葉は友達以外に何かある? 少なくとも友達以上で何々未満と言える程の関係ではないよ。僕だって、それくらい
「そうか、弁えているのかぁ。佐藤君、もしも美波に告白する気になったら私が相談に乗ってあげるから、その時は遠慮なく話して、ねっ」
香菜は冗談めかした事を言うと、わざとらしく笑顔でウインクして見せた。それに対して翔太は困ったような笑みを浮かべる。
「僕が早川さんに告白ねぇ――そうだね、その時が来たら相談に乗ってもらうのも悪くないかもね。それじゃあ、綾瀬さん、また月曜日に」
「うん、また。じゃあね」
翔太は香菜との会話を切り上げると浩介達が待つ、駅前のショッピングセンターに向けて駆け出していった。一方の香菜は、その気もないのに美波の近くにいるだけで周りに誤解されて、そのせいで嫌がらせまでされているのに美波との関係を続けようとしている翔太に対し、彼の後ろ姿を眺めながら呆れていた。
「さて、あいつはとんだ食わせ者なのか、それとも、ただのお人好しなのかねぇ」
「香菜、誰がお人好しなの?」
香菜が振り返ると、不思議そうな表情で彼女を見つめる早川美波が立っていた。
「早かったね、美波。掃除はもう終わったの?」
「うん、終わったよ。それで誰がお人好しなの」
「同じクラスの佐藤翔太君。あんたの、朝練の相棒のね」
「佐藤君がお人好し? 香菜、それはないよ」
「へー、ないんだ」
香菜が少し意外そうな感じで言ったのに対し、美波は世間話でもするかのように続けた。
「うん、ない。香菜だって憶えているでしょ、夏休みにしたデートの時のこと。佐藤君はわざと嘘を吐かないようにして私の反応を見ていたんだよ。そんな人のどこが、お人好しだって言うの?」
「そうかもね。もしも私が同じような事をやられたら、一発引っ叩いてやったところだったけどね。でも傍観者としては、美波に臆さないで自分の魂胆を実行した、佐藤君のあの度胸は素直に面白いと思ったけどなぁ」
「ひどーい。私は面白くなかったもん」
美波は拗ねたように言うと、長い金髪を揺らして駅に向けて歩き出す。香菜は楽しげにその後について行く。
「まあ、まあ、そう拗ねないで」
「拗ねてないもん。だけど普通、あの状況であんな事やると思う」
「うん、やらないね。そういう意味では佐藤君は変わっていると思うけど、そんな佐藤君と今月毎日のように朝練をやっている意地っ張りな誰かさんも、私は変わっていると思うけどね」
「それはそのー、話の流れで引くに引けなくなっちゃったんだから、仕方ないでしょ」
「なにが仕方ないんだか。罰ゲームを良いことに佐藤君が慣れていないだろう朝練で、毎朝のように走らせる事で佐藤君に
「もー、そんなにイジめないでよ」
「ごめん、ごめん。でも最近の美波、佐藤君のことで愚痴らなくなったから、私、佐藤君との関係は悪くないんだと思っていたんだけど?」
香菜は横目で隣を歩く美波を見ると、その横顔は若干ムスッとしていた。
「それとこれとは別の話でしょ。そりゃ、今日まで毎日のように話しをしてきて、なんとなく佐藤君がそんなに悪い奴ではないんだろうとは思うようになってきたけどさ、でも、お人好しな人があんな非常識なことはやらないでしょ」
「まあね。だけど、なんとなくでも佐藤君とは友達関係を作れているんだね。しかし、中学時代を知っている身からすれば、やっぱり美波が同じ男子と関係を半月以上も保っているというのは少し驚いている」
「それはどうだろう。私たちのこの意地っ張りな関係は、最初から一ヶ月という期限が決められてあって終わりが見えているから、私も佐藤君も本気で仲良くなろうだなんて思ってはいないんだよ。だから、お互いに、どれだけ穏便に済ませられるかどうかしか考えていないんじゃないのかなぁ」
美波は寂しげに笑みを浮かべる。
「やっぱり、まだ佐藤君のことが怖い? 秘密を暴露されるんじゃないかって、思ってる?」
「うん、そりゃ怖いよ。でなきゃ、今、佐藤君と友達関係なんてやってないもん」
「なかなかヒドい本心を聞いたような気がするなぁ、今」
「誰にも言わないでよ。誰かに言ったら絶対に許さないんだから」
発せられた言葉は翔太に向けるようなトゲトゲさはなく、どことなく気が抜けた感じで、美波も香菜も楽しげな表情になる。
「でもさ、美波。この罰ゲームの事を聞いた頃から思っていたんだけど、約束を果たされるかを確かめるために佐藤君の近くにいるなんて、なんだか雪女みたい」
「雪女? それは全然違うんじゃないの。私は別に佐藤君のことを一目惚れしてないもん。あーあ、私もあんな風に一途に誰かを愛せるのかなぁ」
「フフ、佐藤君にこだわっている美波の場合、一途すぎて相手を束縛しそうだけどね」
「それとこれとは話しが違うでしょっ! それはそうと、お昼は牛丼が食べたい」
「そんじゃ、駅前のとこにでも寄っていきましょ。それで美波、今日のテストはどうだった?」
秋晴れの穏やかなお昼時、駅へと続く制服を着た生徒達のまばらな流れのなか、長い金色の髪を揺らしながら歩き、自信満々という笑顔を浮かべる一人の女子高校生の姿がそこにはあった。
一方で同時刻、ショッピングセンター内のハンバーガー店で、クラスメイトから無茶な頼まれ事をされてしまい、困り顔をしている男子高校生がいた。
「頼む、文化祭の仮装大会に出てくれるように、早川美波に話しをしてくれないか」
「話すくらいなら構わないけど。それより、実行委員会の企画なんだから、そっちから頼んだら」
翔太の言葉に対するクラスメイトの反応は
「まあ僕なんかに頼むくらいなんだから、早川さんと親しい綾瀬さんには頼んだんだよね?」
もちろん委員として香菜にはすでに説得してくれるよう頼んであり、香菜からは「綾がやりたくないのなら、別にやらなくてもいいんじゃない?」と言われつつ、それでも仮装大会の話だけは綾にしてもらっていたのでした。
「頼む、佐藤。数少ない生徒主導の企画だから、できるだけ華やかなものにしたいんだ。陸上部関係からも頼んでもらっているけど、夏頃から何かと早川と親しい佐藤からも説得してくれないか?」
「別に噂されている程は親しくないんだけどな。でも、こうやって頼まれたからは、早川さんには仮称大会に協力してくれるようにダメ元で頼んでみるよ。それでいい?」
感謝の弁を述べるクラスメイトは安堵の表情を覗かせ、頼み事を承諾した翔太は大きく溜め息を吐くのでした。
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